「むの字屋」の土蔵の中にいます
平成17年5月の日々一献
★「常きげん」山廃大吟醸串銀座限定★17/5/25のお酒
いい酒とうまい酒はちがう。
「常きげん」山廃大吟醸串銀座限定酒を呑みながらそう思う。
一つの主張が感じられるいい酒だけれど、また造りもしっかりしているのが分かるけれど、しかも出来ばえも水準以上のものだとはわかるけれども、やっぱり庵主の好みに合わないお酒はあるのである。
うまい酒というのは、あくまでも庵主が呑んでうまいと感じるお酒である。その酒をどうやって造ろうと庵主は気にしないが、結局きちんと造ったお酒でないとうまいと感じないというのが経験的事実である。
庵主がうまいと感じる条件は、まず甘いということである。砂糖のような直接的な甘さではなく、麹が醸し出したほんのりと舌に感じられる甘さである。
前者の甘さを、舌が勝手に感じる甘さでなにもしなくても感じる甘さだとしたら、後者のお酒の甘さというのは積極的に舌が見つける甘さである。
そして、その酒に気魄がこもっているのが感じられるということである。
お酒もまた干からびた野菜のように、生気がなくなってしまうことがあるということである。
まともに造った保管のいいお酒は生き生きしている。それだけでもおいしく感じるが、干からびたお酒には元気が感じられないから呑んでいてもへたった酒を呑んでいるような気がするのである。うまいと感じるわけがない。
美酒とは水準以上の酒をいう。味わって呑める酒のことである。安く造ろうとした酒ではないということである。真っ当に造ってあれば失敗作であってもあえて美酒といっても差し支えないだろう。
うまい酒とおいしい酒もまた違う。庵主は使い分けている。
味に満足感がある酒はうまい酒である。おいしい酒とは、その酒で楽しめる酒である。うまいは酒の質をいい、おいしいは酒を呑んで楽しめる心持ちのことをいう。
うまい酒とおいしい酒とはイコールではない。うまい酒ではないがおいしい酒はあるということである。
美人をうまいとしたら、それほどの美貌ではないけれど一緒にいると楽しいのがおいしいである。美人で楽しければそれにこしたことがないが、美しいだけでちっとも楽しくないお酒もまたあるのである。
★メモ・呑んだお酒★17/5/18のお酒
ある試飲会で呑んだお酒。
群馬の「當選」の純米吟醸「平井城の隠し酒」。にごり酒というより、どぶろくといったほうがいいぐらいの米粒が残っているお酒。糖化されつつある米粒の感触がいい。お米のお酒だ。「どぶろくもろみ酒」である。
評判通り(「銘酒市川」ご推薦)のうまさ。市川さんの選択眼は確かだ。
玉栄の55%である。こういうお酒を呑むとまた玉栄の酒が呑みたくなる。
同じく群馬の「水芭蕉」(純米だったか?)がたしかにうまい。機械を多用して造っている蔵なのだが、その酒は十分なうまさを確保している。再確認した。
手造りをラベルに謳っていてもそれほどの味でもないお酒もあるから、酒造りは道具ではない、やっぱりセンスである。
ネストビールのうまさはあいかわらず。期待どおりのうまさを味わわせてくれる。
突然、馬場さんのビールが飲みたくなった。
志賀高原ビールのペールエール、IPA、ポーターと3本ともうまい。新発見。
新潟の酒で「蒲原」(かんばら)の山田錦とたかね錦を呑む。いい酒だが、うまいという感興まで呼び起こされなかった。もちろん、ほめても全然問題ないいいお酒なのである。
庵主の期待値が高過ぎたのである。
「根知」と並んでいた、「雪鶴」「謙信」「加賀の井」はすべて糸魚川の酒で、いずれも庵主と波長が合ってしまった。新潟といっても越前に近い蔵である。どうやら地理的にその地の味覚が能登に近いのではないか。とすると庵主の体質が好むという理由もなんとなく分かるのである。
★佐賀の酒★17/5/11のお酒
日本で一番印象の薄い県名が佐賀県だという。
一都一道二府四十三県を書かせるとなかなかでてこない県の筆頭なのだという。庵主はそれを聞いたことがあるから、かえって佐賀県は一番最初に思い浮かべる県なのである。
そして、日本酒の世界ではその佐賀の酒は隅に置けないのである。
九州は焼酎というイメージがあるが、実は北の方の県では日本酒の方が呑まれているという。焼酎の本場は鹿児島、宮崎、そして熊本の県南なのである。県北ではうまい日本酒が造られている。
佐賀の日本酒も侮れないのである。
その佐賀の料理で呑ませてくれるお店である。
お酒はもちろん佐賀のお酒である。
用意されていたお酒は「天山」(てんざん)「金波」(きんぱ)「能古見」(のごみ)である。
「天山」はいまは「七田」(しちだ)シリーズが好評である。同じ蔵のお酒だが庵主は「七田」の方が好きだ。
「金波」は初めて出会った酒である。
「能古見」は知る人は知っているお酒である。庵主も知っているほどなのだから。
「能古見」の純米を冷やと燗でもらう。これがうまい。冷やでも十分うまいが、燗がうまいのである。数少ない燗がうまいお酒の1本として庵主の記憶に残る酒である。
「天山」の燗も悪くはない。新発見である。「金波」は両者と比べると味がスマートである。軽快な味わいが好きな人ならこのお酒だろう。
庵主の好みでは「能古見」、「天山」、「金波」の順番である。
ワラスボをコリコリ味わいながら燗酒を呑む。その見かけによらずやめられなくなった。
ワラスボといっても庵主はこの日までそれを知らなかった。特産だという。
居酒屋の楽しみである。それまで知らなかった珍しい肴との出会いがある。
ワラスボがなんであるかは、ここでは書かない。佐賀料理のお店を訪ねて自分で確かめてみるとおもしろいだろう。
お楽しみは預けておきたい。
★楽しくて、困ること★17/5/4のお酒
困るのである。多過ぎて。
楽しいのである。いっぱいあるから。
心弾むのである。熱気があふれているので。
だから躊躇(ためら)うのである。でも行ってみたいのである。
お酒の試飲会である。
利酒(ききしゅ、と読む)会とか、新酒の会とか、愛でる会とか名づけられて開催されるところのお酒がいっぱい並んでいる会のことである。目がくらむ。
庵主は基本的にはそういう会にはいかない。
量が呑めないので入場料の元をとることができないのと、見ると呑みたくなるのできりがないからである。意志が弱いのである。
が、その会は入場無料の4文字が光っていたのである。
さいたまスーパーアリーナで開催された「関東信越きき酒会」である(2005年4月13日開催)。
関東信越税務局主催で、新潟、長野、栃木、埼玉、茨城、群馬の蔵元のお酒が数多く並んでいた。
日本酒、地ビール、果実酒を合わせて268場の酒が呑めるということで、会場はラッシュアワー状態で活気があふれていた。
お酒関係のいろいろなパンフレットが「ご自由にお持ち帰りください」とあったので、参考のために頂いてきた。
庵主はいくつかのお酒を味わってみた。呑みたかったお酒がそこにあったから。
やっぱり呑み過ぎてしまったのである。昼間っから。
★アンケート★17/5/1のお酒
庵主はアンケートというのが苦手である。すぐ感想を書けないからである。しかも急いで書くと字が崩れて自分でも読めないような字になるから、書いていると自分でいやになってくる。
人に読めない文字というのは許せないからである。というより他人が読んで読めない文字というのは庵主の美意識に反するからである。
芝居を見に行くとその公演の感想を書いてくださいとよくアンケート用紙を渡されることがある。庵主はそれに書き込むことはない。
見た後にすぐその感想を気のきいた言葉で書くということができないからである。
不器用といえば不器用である。
公演主が観客の感想を聞きたがる気持はよくわかるのである。目の前に客がいるのだからその反応をすこしでも早く知りたいのである。手応えがほしいのである。
庵主も本当はその期待に応えてあげたいのだが、かりに下手くそな芸であったとしても一言褒めてあげたいとは思うのだが、余韻にひたっている中でしこしこ感想を書くという器用なことができないだけなのである。
お酒の試飲会に行くとアンケートを書いてくださいといわれることがある。
書いてはあげたいのである。
呑む前の素面(しらふ)の時にはまだ書く内容がないわけだし、呑んだあとでは酔っぱらって、何を呑んだのかすっかり忘れてしまうから酔筆をふるうまでもないのである。
せっかく試飲会を開いてくれたのだから、お礼の一言ぐらい書いてあげなければ失礼だとは思うのだが、酔っぱらいながら物が書けるほど器用ではない。
アンケートの回答は後日じっくり感想を煮詰めてから書こうということで、この「むの字屋」がそのアンケートの回答なのである。
お酒を呑んでかなりたってからそのお酒の感想を認(したた)めることが多々ある。だから、今日取り上げたお酒が必ずしも最近呑んだ酒とは限らない。
第一、庵主の呑むお酒は大方がその場かぎりの限定品であることが多いので、芝居同様、その評価を聞いて自分も味わってみたいと思ってもそれは叶わないことだからである。
そういう事情だから、なにもあわてて感想を書く必要がないということがわかっているからなのである。
そのお酒を語っているのではなく、そのお酒が醸し出してくれる世界を語っているからなのである。
さらにおいしいお酒が呑みたいとき、そして前月のお酒も呑みたいときは
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