いま「むの字屋」の土蔵の中にいます

平成19年6月後半の日々一献


★ためしに大手酒造メーカーのお酒を呑んでみる★19/6/27のお酒
 日本酒が好きだという人は、一般的には大手酒造メーカーのお酒をさしてそう言っている人はすくない。
 考えようによっては、大手の酒造メーカーはいいお酒を造っているのだが、残念ながらそれを呑んでうまいと唸ることはまずないから、せっかくお酒を呑んでもむなしいということもまたたしかなことなのである。
 お酒を呑んで虚しさを感じるようでは、酒を呑む甲斐がないというものである。
 庵主も、大手酒造メーカーが造っている日本酒はめったに呑むことがない。
 呑んでもむなしいとは思わないが、そういうお酒を呑んでもつまらないと感じるからである。
 同じ呑むなら、明らかにうまいお酒が呑みたいのである。
 大手酒造メーカーが造るお酒ではそういう満足感が得られないからである。
 一説には、大手もすごいお酒を造っているとは聞いているが、残念なことに庵主のところまでそういうお酒が回ってこないので、呑めないお酒はないのと同じだということなのである。
 お酒は呑んだときがお酒なのだから。
 絵に描いた餅みたいなお酒をながめていてもうまくもなんともないのである。
 加えて、大手酒造メーカーが造っているお酒は総体的にうまいお酒はないから、庵主はラベルを見ただけで避けて通っているのである。
 他の多くのお酒好きもまた庵主と同じ思いをいだいているのに違いない。
 敬して遠ざけるという言葉は大手酒造メーカーのお酒のためにあるような気がするのである。
 馬鹿にしているのではなくて、ただ関わり合いにはなりたくないだけなのである。
 というのも、他にいくらでもうまいお酒があるからである。いっぱいあるからである。心がときめくほどうまいお酒と今はいくらでも出会えるから無理して大手酒造メーカーのお酒を呑むまでもないというのが現実なのである。

 ワンカップ大関の上撰と佳撰の味の違いがわかるだろうか。
 久保田の百寿と千寿の違いを感じることができるだろうか。
 八海山の普通酒と本醸造の区別がつきますか。
 庵主にはその違いが全然理解できないのである。
 みんな一様にどうでもいい味をしているからである。
 味にトキメキがないお酒に、庵主は興味がないということなのである。

 が、好奇心はあるから、時には大手のお酒を呑むことがある。
 今回は大関の純米原酒アルミ缶入りである。
 庵主が今凝っているお酒がアルミ缶にはいっている「ふなぐち菊水一番搾り」である。
 それがうまいのである。精米歩合70%の本醸造である。
 アルミ缶に直接口をつけて一寸だけ味わうのだが、それがなんともいえないうまさなのである。
 アルミ缶に口を付けてビールを飲むときのアルミ缶臭には辟易しているのに、日本酒をアルミ缶から直に呑むときの舌当たりは乙なのである。
 アルミ缶と日本酒は相性がいいのかもしれないと思いながら、それを1週間もかけて呑んでいるのだが、そんな呑み方をするとアルミニウムがアルコールに溶け込んできて本当は体にはよくないのかもしれない。
 同じお酒を小さな利き猪口に移して呑むよりもアルミに口を付けて呑んだ方がたしかにうまいから、アルミ缶入りの日本酒というのはなべてうまく感じるものなのかもしれない。
 それがガラスの肉厚のカップにはいったカップ酒ではお酒の味わいに物足りなさを感じるのは庵主がぐい呑みなどの肉厚の酒器が好きではないからなのかもしれない。
 
 「大関 純米原酒 うまさしぼりたて 生貯蔵酒」である。
 180MLアルミ缶入り。240円で売っていた。庵主が今好んで呑んでいる「ふなぐち菊水」よりも30円ほど安い。
 大きな字で「生」と書いてある。その下に小さい字で「貯蔵酒」と書いてある。
 さらに小さな文字で「※貯蔵した生酒を充填時に加熱処理しています。」と説明してある。
 本当は、片生の日本酒に「生」なんて書いちゃいけないのである。
 精米歩合は65%で、アルコール度数は17度以上18度未満である。
 この造りで、かつこの値段で満足できる味が出ていれば庵主はうれしいのである。

 期待をもって呑んでみたら、よくわからない味だったのである。
 うまいのか。うまくはない。
 うまくはないといっても、庵主が呑んでいる多くの酒はうまくはないから、これは客観的な表現であって、まずいと感じて辟易しているわけではない。
 ではまずいのかというと、そうでもないのである。
 呑めないことはないが、もう一杯どうぞとすすめられたら、いや、一杯だけでけっこうですと庵主なら答える。
 大手酒造メーカーのお酒はやっぱり呑むまでもなかったのである。
 味わいにメリハリがないので呑んでいても感じるところがないのである。そういう味わいのことを庵主は「つまらない味」だと言っている。
 こういうお酒を呑むたびに、まともなうまいお酒が呑みたいなあという気持ちがふつふつと沸き起こってくる。口直しにうまいお酒を呑むことになるから、酒代がかえって高くつくということなのである。
 貧乏人はうまいお酒を呑めという理由である。

 もっとも、大手酒造メーカーのお酒がそういう状態なら、一方の地酒はうまいのかというと、そういうことはないので誤解のないように。まずい地酒はいくらでもあるのだから。

 日本酒にはうまいお酒とそうでないお酒とがあって、そうでないお酒はわざわざ呑むまでもないということを再確認したのである。


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