いま「むの字屋」の土蔵の中にいます

平成19年6月前半の日々一献


★酒の宣伝文句の考察★19/6/20のお酒
 酒の宣伝文句は美しいのである。
 つっこみどころ満載のキャッチフレーズのオンパレードである。
 うっかりそれを信じたら騙されること必定の実例を楽しんでみることにする。
 病(やまい)は気からという。気持ちの持ちようによって人は病気になることがあるということである。
 まずい酒でも、うまいと信じて飲めば、すなわち気の持ちようでうまく感じるということでもある。
 高いウイスキーの瓶に安いウイスキーが入っていても瓶に幻惑されてうまく感じるようなものである。
 「越乃寒梅」というラベルを見るとその評判を知っているとうまく感じるものなのである。
 そういうことはよくあることだから、酒の美しい宣伝文句はあながちウソをいっているわけではないのである。
 本当はそれがウソであってもその言葉を信じて飲めば酒がうまく感じることがあるのだから、それらは他愛のないウソなのだと割り切ってしまえばいいのである。
 その美辞麗句は酒のスパイスなのである。
 腐りかけた肉をごまかしてうまいと思って食うための必需品(=ウソ)がスパイスである。
 同様に、とんでもない酒をごまかして旨いと思って飲むためのスパイスが酒の宣伝文句なのである。
 それを信じて飲めばなんとなくうまく感じるのだから、信じた方が得なのである。
 酒の宣伝文句の中には無理が過ぎるものもあって、それらを吟味しながら読んでみると酒の肴としてけっこう楽しめることがある。
 宣伝屋というのは、そういう楽しい宣伝文句をよく思いつくものだと感心しながら読んでいるうちに瓶が空になってしまうようになっているのである。
 では、その楽しい世界に踏み込んでみよう。
 こんなに楽しい酒の宣伝文句というわけである。

 なんといっても手が込んでいるのは、やはりサントリーのそれだろう。大御所(おおごしょ)の世界である。
 往年のサントリーの宣伝部(宣伝課だったかもしれないが)には開高健とか山口瞳といった筆達者がそろっていたという。
 筆達者をなんと読むかについてはあえてフリガナを振らないが。
 その伝統はいまに受け継がれているのである。
 庵主は素直だから、書かれている文字通りに受け取ってしまうのである。
 たとえばサントリーの「限定生産 北海道 夕張メロン ホワイトサワー」である。「リキュール(発泡性)」と表示されている350ML缶にはいったアルコール飲料である。「チューハイお酒」とはっきり書かれている。
 これはお酒なのである。
 この場合のお酒はもちろん庵主がいうお酒ではない。酒をただ丁寧にいっているだけである。宣伝用語としてのお酒である。
 庵主がお酒と言うときはいわゆる日本酒のことを指しているということはこの「むの字屋」のしきたりのご案内に書いた通りである。細かくいうと清酒のことである。

 北海道の夕張市は倒産した自治体として北海道の恥さらしとされているが、サントリーは夕張市の市民の窮状を少しでも支援しようという気持ちからわざわざ夕張メロンを使って酒を造ったのだろう。
 その宣伝文句にはこう書かれている。
 素直に読んだら間違いなく誤読することになるそれは「北海道産の夕張メロン果汁の芳醇な甘さと、爽やかな清涼感が楽しめるホワイトサワーです。【原材料提供元 夕張市農業共同組合】」というものでオレンジ色の文字で書かれていいる。
 謳い文句を赤い文字で書くというのは目をひく表現である。
 同時に同じ赤い文字で「●妊娠中や授乳時の飲酒は、胎児・乳児の発育に悪影響を与えるおそれがあります。」と書かれているのはサントリーの配慮の細かいところである。
 サントリーはそういう配慮もよく行なっているのである。しかしアルコール飲料を売らないとやっていけない会社だから稼業の負の部分はあまり目立たないだけなのである。
 宣伝文句をうっかり読むと、地元夕張市の農業組合が原料を供給している本家本元の夕張メロンを使った本格的な夕張メロンチュウハイだと思うように書かれている。
 おっ、夕張メロンか、たっぷり果汁が使われているのだろうとと期待して表示を探すと、果汁0.5%と書いてある。
 夕張メロン果汁はたった0.5%しかはいっていないのである。
 これはどういうことかというと、ノンアルコールビールの世界なのである。
 ノンアルコールビールはアルコール分が含まれていないビールではない。
 1%未満のビールなので、酒税法上でもビールとは呼べない代物だということである。
 ノンアルコールと称するとアルコールがはいっていないと誤解されるという配慮から、ビールまがいの飲物ということで、いまはビールテイスト飲料などと呼んでいる。
 その伝でいえば、0.5%の夕張メロン果汁というのは、夕張メロン未満なのである。よくいって夕張メロン風味アルコール飲料なのである。
 
 そこでサントリーの手が込んでいるところは、「北海道産の夕張メロン果汁の芳醇な甘さ」という部分は、夕張メロン果汁そのものの甘さではなくて、夕張メロンの果汁がたたえている芳醇な甘さのことを言っているというところなのである。
 その甘さが楽しめるサワーだということである。夕張メロンの果汁が味わえるとは書いていない。だからけっしてウソをいっているわけではないのだが、多くの人はそれを誤読することは必至である。
 そういうのを筆達者というのは庵主の性格が悪いところである。
 夕張メロン果汁を0.5%になるまで薄めたら、その甘さはまず感じられないことだろう。当然甘さは糖分で補う必要がある。香りも弱くなるから香料でごまかすしかない。
 サントリーの「夕張メロンホワイトサワー」は「夕張メロン」の味わいを楽しむ酒ではなくて、夕張メロンの芳醇な「甘さ」を楽しむサワーなのである。
 果汁0.5%では夕張メロンの味わいを楽しむことできるわけがないからである。
 砂糖を20分の1に薄めたものが甘いだろうか。それと同じ気分だということである。
   しかもこの酒の原材料名の表示がすごい。
 「夕張メロン、スピリッツ、ブランデー、糖類、香料、酸味料、ベニバナ黄色素、炭酸ガス含有」とある。
 最初に出てくる「夕張メロン」はたった0.5%しか使われていないのである。
 原材料というのは、使われている量が多いものから順番に並べるものではなかったろうか。サントリーは少ない方から順番に並べているのかもしれないが。

   庵主はいらない部分を読んでしまったのである。
 読まずに飲めば、夕張メロンの世界にひたれたものを、ついうっかり赤い文字に目が行ったのが間違いの元だったのである。
 せっかく、サントリーが醸し出してくれた夢の世界を自分で壊してしまったというわけである。

 次回は、キリンの「氷結梅サワー」である。
 下手物のアルコール飲料はその宣伝文句を読んでいるだけでも面白いのである。それ自体はまずいものなのだから、せめて宣伝文句はおいしそうに書かなくてはいけないという造り手の誠意がひしひしと伝わってくるからうれしいのである。



★味醂★19/6/13のお酒
 日本酒の種類に「本醸造酒」と呼ばれている酒がある。
 本物の醸造酒というのだから、最近はじまったような、粕をほとんど残さないという酒とか、糠から造る酒とかの奇妙な造り方をした酒とは違って、従来からある造り方をしている米と米麹だけで造られているお酒だと思うのが普通だろう。
 ところが、その実態はというとその期待をあっさり裏切ってくれるのである。
 その実態とは、いつも書いているとおりである。
 本醸造酒というのは、いうなれば新式日本酒なのである。そのお酒を評価するときは、呑み手の酒造りに対する見識が問われるところである。
 
 味醂に「本みりん」というのがある。常識的に考えればそれが本来の造り方で造られている味醂だと庵主は思うのだが、はたしてそれは正しい判断なのか、本醸造酒の意味を知っている庵主はふと不安がよぎったのである。

 そういう時に便利なのは、ネット情報である。
 知っている人に聞けばいいのである。
 庵主がネットで見つけた知っている人というのは角谷(すみや)のHPである。株式会社角谷文治郎商店である。
 本みりんは、はたして本物の味醂なのか、それを確かめてみたというだけの話が本日の話題である。
 結論を先に書いてしまう。
 本味醂は、お酒でいえば本醸造酒だったのである。
 
 それを知って、「むー」と唸ってしまうのである。
 日本人の正体見たり枯れ尾花、である。
 
 ネットでは、中国人の偽物造りを指弾して日本人の精神的優越性を誇るという番組が流行っているが、なんてことはない日本人もそれと似たような行動を日常的に行なっているということなのである。
 中国人は本物に対する偽物を造ることにためらいがないが、一方、日本人は偽物を本物と称して売ることになんの抵抗もないというところはたしかに違ってはいるが、しかし、どっちにせよ、偽物を本物として売っていることには変わりないのである。
 
 中国人は偽物を本物と偽って売っているから買い手を騙していることになるが、日本では偽物を本物といって売っているということを知った上で売り買いをしているのだから罪はないといえないこともないが、しかし、日本人であってもその業界の事情を知らない庵主にとっては「本みりん」は詐欺表示以外のなにものでもないのである。
 
 例え話である。
 「本ダイヤモンド」とあるから、本物のダイヤモンドだと思って買ったら、それは合成ダイヤモンドで、本物のダイヤモンドは「純粋ダイヤモンド」というのがその業界の常識だといわれたなら騙されたと思うのが普通だろう。
 それよりも、本物がほしいという人が間違えて偽物を買ってしまうということになるのだから不当表示なのである。
 また、ダイヤモンドの定義を業界内で勝手に変えてしまい、それを買い手に明示しないで売るというのは詐欺集団と呼ぶ以外のなにものでもない。
 「本ダイヤモンド」というのは庵主の例え話だが、しかし、現実のダイヤモンド業界では、ダイヤのグレード(品質)を評価する用語にAクラスというのがあって、ABCのAだから当然それが最高級クラスのダイヤだと思うが、実は、AAというもっと程度のいいものがあり、さらに一番高いクラスはAAAというのがあるという。
 つまりAクラスのダイヤというのは、上から3番目の品質なのである。
 Aクラスと称するダイヤは実は3級品なのである。
 ダイヤモンドの業界は昔からいかがわしいと思われているが、その実例がAAAなのである。
 3級品を最高級品のように思わせて売りつける業界がまっとうな業界であるわけがないからである。
 その業界人の見識がそこに見て取れるからである。
 素人は近づかないほうがいいのである。

 が、お酒の世界は近づかないわけにはいかない。
 多くの人にとって、半必需品だからである。
 そこでインチキ表示が許されているとすれば、買い手は困ってしまうのである。
 純粋でない「純粋はちみつ」とか、本物とはほど遠い内容の「本醸造」とか「本みりん」とかが跋扈している日本の商品表示は見直しが必要なようである。


★馬場さんのビールが飲みたい★19/6/6のお酒
 最近の庵主は「働けど、働けど、わが暮らし楽にならず」の生活をしているから、まとまった時間が取れない日々が続いている。よく言えば多忙なのである。
 もっとも、遊んでいる暇もないからお金を使うこともないので、なんとか生活は続いているのである。
 つまり、生きてはいるが余裕のない生活というのを楽しんでいるところである。

 じつは、そういう切羽詰まったときにこそ絵を見ると、絵のよしあしがよく分かるからこの心境は得難いのである。
 元気な時や安逸に流れる平和な生活を送っているときにはわからないのに、そういう心に張りつめたものがある時には、理屈ではなく心で絵のよしあしが見えてくるからおもしろい。
 有名な画家の絵が必ずしもいい絵でないことがわかる。
 大家の絵であっても、ちっとも自分の心に迫ってこないものがある一方、知らない画家の絵でもすんなり心にしみてくる絵がある。
 自分の心にしみてくる絵がいい絵なのである。
 心がいやされるからである。絵に心があるからそれが伝わって来るのである。本物の絵を見ると緊張している気持ちがほっとするのである。
 そのようなときに下手くそな絵を見るとかえって心が疲れるのがわかる。
 庵主の絵のよしあしの判別法である。
 心が疲れているときに役に立たない絵などは見なくてもいい絵だからである。
 そういうときに心をなごませてくれる絵には本物の力があるということである。

 仕事の休憩時間に、今では定期購読をやめてしまった新聞を、時間潰しで見ることがあるのだが、そのつまらなさは下手くそな絵を見ているときのそれと同じである。
 中身が何にもないことがよくわかるのである。見掛けだけは新聞の体裁をしているのが見えてしまうからいけない。広告ばかりの新聞に今までよく金を払っていたものだと苦笑するだけである。
 新聞を取るのは国民の義務だとばかりに騙されていたことに気付くのである。
 入学試験に出るから「朝日新聞」を取りましょうという広告があったが、そんな新聞なんか読んでも役に立たないのはいうまでもない。中身がないのだから。
 アルコールが入っていない飲物を「酒」と言って売るようなものである。
 新聞の読者が減っていると聞くが、多くの人がそのことに気づきはじめたということなのだろう。
 新聞代にお金を使うよりもケータイにお金を使った方が増しだという判断なのだろうが、それはあながち間違いではないのである。
 「嘘」ばっかり書いてある新聞を読んでも心がいやされないからである。ただ虚しいだけである。心に響いてこない今の新聞には何か欠陥があるということである。
 それは本当のことが書かれていないからなのだろう。
 そのことを「嘘」といってはなんだが、本当のことが書けない新聞を読んでも役に立たないということである。
 新聞のジャーナリズムは、心優しいジャーナリズムなのだろうと、庵主は揶揄しているのである。
 気の抜けたビールを飲んでいるような印象を受けるのが当今の新聞である。
 いうなれば子供だましのビールといったところか。
 肝心なことを書けない新聞なんか読んでもしょうがないというわけである。だから情報源をネットに頼るようになるのである。
 戦況は負け戦なのに、「勝った、勝った」と大見出しを打っている新聞を読まされているようなもので、役に立たたないということなのである。
 疲れているときに新聞を読んでみるとそのことがよく見えるのである。
 もっとも、庵主が年をとったために若い人が書いている記事が軽く見えるようになったせいなのかもしれないが。
 しかし、新聞記事が軽く感じるようになったのに反して、お酒は年を重ねてますますうまく感じるようになってきた。

 絵のよしあしや新聞の軽さは、生活や気持ちが追い詰められているときにそれがよく分かるという点ではお酒のよしあしも同じである。
 うまいお酒というのは、造り手の気合がこもっている酒である。
 それがない大手酒造メーカーの酒などは、呑んでもうまくないのである。融米造りなどの変な造りをしたお酒がうまくないのは、その酒造りが間違っているからである。見掛けだけの酒を呑んでも役に立たないのである、というよりうまく感じないのである。
 そういうお酒は、今時の新聞を見たときに感じるものと同じで、つまらないということである。
 元気なときにはそういうお酒でも酒に見えるのであるが、しかし、本当に疲れているときにはその手の見掛けだけの酒を呑んでも心が満足しない。かえって疲れが倍加するだけである。体によくないということである。

 本物と偽物の違いはその一点で判断できるのである。
 
 ただ、心が追い詰められた状況にないとその違いを感得することはないから、それらがみんな同じように見えるということは幸せな生活を送っているということである。
 それは自転車と同じで、一度乗れるようになればその後はいつでも乗れるが、その経験がないといつまでたっても自転車に乗れないように、物の違いが実感として判別できるようになる心境を一度経験しておくと後は自由自在だから、そういう経験は早い方がいいのかもしれない。
 その体験をするのが晩年であったとしても、自転車に乗れるというトキメキを自分のものにできるのと同様に、それは生きている喜びの一つだと思う。
 お酒の善し悪しが自分の中で見分けられるようなるということは快感なのである。
 悪い状況が必ずしもマイナスではないということである。
 「人間(じんかん)万事塞翁が馬」という言葉があるが、あんがいそれが当たっているのかもしれない。いろいろあるから面白い、といったところである。 

 そういう境遇にある庵主が、いま一番飲みたいと思っているのは馬場勇さんのビールである。
 埼玉県の小川町にそのビール工房はある。麦雑穀工房マイクロブルワリーである。
 そのビールがうまいのである。

 庵主が知っているビールでうまいビールといえば、まず、ネストビールである。
 茨城の「菊盛」が造っているネストビールは、百貨店で売っているから、現物がすぐ手に入るということが最初に上げる理由である。
 庵主が一番飲んでいて楽しいビールが博石館(はくせきかん)ビールである。
 このビールは造り手のセンスがいいのだろう。一つひとつの味わいがモダンなのである。
 モダンという言葉にはちょっと邪気を感じるので、お洒落と言い換えておこう。
 博石館ビールの親会社は石屋だという。
 沼津にあるベアードビールも魅力的なビールである。
 このビールは個性が感じられるのがいい。だから飲んでいておもしろい。造り手の気持ちが伝わってくるビールである。

 そして、馬場さんのビールである。
 ビールのうまさがにじみでているその味わいが、一度飲んだら忘れられないのである。味はどうだったかよく覚えていないのに、うまかったという記憶だけがはっきり残っているのである。
 そして、本物は、それを口にすると元気がみなぎってくるのが分かるから、今、それが飲みたいと思うのは、庵主の体がよくそのうまさを知っているということなのである。



★「日本酒フェスティバル2007」★19/6/1のお酒
 いくつかの蔵元を集めて行なわれる試飲会は数多くあるが、その中の一つが「日本酒フェスティバル」である。
 庵主のお勧めの試飲会である。
 試飲会の多くは県の酒造組合とかイベント会社が主催して行なわれるのだが、この会は一居酒屋が主催している試飲会なのである。
 つまり造り手が宣伝をかねてやっている試飲会ではなく、居酒屋という呑ませ手が独自の観点から選抜した蔵元を集めて行なうというところに特徴がある。
 うまいお酒を醸していると評判の蔵とか、いま注目の蔵とか、その居酒屋が独自にみつけたまだ広く知られていない蔵元が集まってくるから、その視点がおもしろいのである。だから、他の多くの試飲会とは一味ちがう試飲会である。
 今年は6月10日(日)に開催される。
 主催しているのは武蔵小山にある居酒屋「酒縁川島」の「川島酒縁の会」と「日本酒伝承の会」である。両者は一即不離の関係である。
 会場は、目黒雅叙園2F舞扇の間である。JR目黒駅から徒歩3分と近い。
 入場料は、昼の回(12;00〜15:30)と夜の回(午後16:30〜20:00)とがあって、各回9000円、通し券だと12000円である。前売券で買うと、それぞれ7000円、10000円となるから、会場に並んでいるお酒のレベルとラベルからするとこれは見逃せない試飲会である。
 参加する蔵元は約100蔵と数が多いから、じっくり味わうには通し券がいいだろう。
 庵主は、呑むと酔っぱらってしまうから、ただお酒を見に行くだけなのだが、それでもつい気になるお酒を口にしてしまうので、いつもついいい気持ちになってしまうのである。
 お問い合わせは「酒縁川島」(03−3785−8806)まで。
 うまい日本酒をさがしている方や、最近お酒のうまさに開眼したという方はぜひこの試飲会のお酒を味わってみてほしい。
 庵主の能書きよりも、現物のお酒の方がずっとうまいからである。
 また、ここでいろいろなお酒を味わってもらうと、「むの字屋」の話がよく見えるようになるはずだからである。
 6月10日(日)は「日本酒フェスティバル」で決まりである。

 試飲会には呑み手が主催する会もあって、こちらは主催者の好みが強く反映されたマニアックなものが多い。
 6月3日(日)には「静岡吟醸を愛でる会」が開催される。
 こちらは呑み手が主催する会であるが、多くの蔵元さんも参加してくれるから、あこがれの静岡のお酒の蔵元さんと親しくお話をすることができるので楽しい。
 静岡のお酒にぞっこんの呑み手が集まる会なのだが、そこに並ぶお酒が凄いのである。各蔵の鑑評会の出品酒がテーブル狭しと並んでいる光景は壮観である。
 庵主などはその林立する酒瓶を見ただけでうっとりしてしまう。
 庵主は普段はお酒が呑めないのだが、しかし、この会のお酒だけはすいすい呑めてしまうのだから、美酒を目の前にすると意地が汚くなるものか、お酒がうますぎるのか、あるいは会場の熱気に酔ってしまうせいなのか、この日だけはいくらでもお酒がはいる不思議な一日になるのである。
 静岡のお酒は本当にうまいと、庵主も思う。その満足感に酔うのである。
 この会はすでに満席となっているのでご案内はできないが、そういう会もあるということである。
 6月は酒呑みにとってはうまいお酒が呑める幸せな月なのである。