いま「むの字屋」の土蔵の中にいます

平成19年5月前半の日々一献


★日本酒ボンボン★19/5/9のお酒
 ウイスキーボンボンというチョコレート菓子がある。
 チョコレートの中にウイスキーが入っている。いや、逆か。ウイスキーをチョコレートでくるんだ菓子である。
 直接ウイスキーをチョコレートで包めないから、いったん固めた砂糖でウイスキーを包んで、その上からチョコレートをかぶせるのである。
 なめてとかすと、口の中でチョコレートの苦さとウイスキーの甘さが絶妙にまざりあって、アルコールがだめな人でもけっこうウイスキーが飲めてしまうのである。
 とうぜん、ウイスキーは酒であるから、20歳未満の人はそれを口にしてはいけないはずなのだが、お菓子ということで許容されているのだろう、ウイスキーボンボンを子供に与えて処罰されたという親の話は聞いたことがない。
 日本では、アルコール度数1%以上の飲料を酒と定義しているのだが、そして、未成年者は酒を飲んではいけないことになっているのだが、酒が使われてるお菓子や栄養ドリンク類はその規定を除外する通達などがあるのだろう。

 チョコレートの中に入れてあるウイスキーの代わりに日本酒を入れたらどうなるかということで、それをやった人がいる。
 いうなれば日本酒ボンボンである。
 で、その日本酒ボンボンはうまいのかということである。
 
 京都伏見「月桂冠」使用の清酒チョコ日本酒ボンボン「蔵出し酒」は、大阪の株式会社ホビー・ハウスHHSが販売している。
 社名の最後についているHHSの意味が庵主には分からない。
 賞味期限が2007.05Aと書かれているが、最後のAは意味があるのか。
 販売者となっているから、実際にこの日本酒ボンボンを作っているのはどこかのチョコレート工場なのだろう。それがどこなのかは書かれていない。
 ボンボンに使われているお酒は、月桂冠の日本酒“月”だと書いてある。
 庵主は、例によって「月桂冠」を呑む機会がないので、「月」がどういう酒なのかはわからない。
 ウイスキー代わりに使う日本酒だから、アル添でアルコール度数を20度ちかくまで上げたお酒なのかもしれない。
 ボンボンの容れ物が直径7センチぐらい、高さも7センチぐらいの竹の節をグラス状にしたものである。そのまま猪口としても使える。

 日本酒を使った菓子には、清酒カステラとか清酒ゼリーとか日本酒キャンディーというのがあるが、どれもあんまりおいしくないのが常である。
 菓子に使うのには、やはり蒸留酒とかリキュールなどでないと味にパンチが出ないようである。砂糖の甘さに日本酒の甘さが負けてしまうのである
 醸造酒である日本酒は隠し味には使えるかもしれないが、それが前面に出てこないと面白くないお菓子に使うにはちょっと味としての力が弱いというのが庵主の印象である。

 それで、月桂冠の日本酒ボンボンであるが、日本酒ボンボンは甘かったのである。


★カクテルの缶詰★19/5/2のお酒
 カクテルの缶詰が売られている。
 それが結構売れている。
 いわゆるカンチューハイというものである。缶にはいっている焼酎の炭酸割である。
 無味無臭の醸造アルコールに、香料や糖分で味を付けたジュースを混ぜた清涼飲料水みたいな酒である。
 炭酸入りジュースでは大人の味覚には物足りないが、ちょっとアルコールがはいっている口当たりのよさが人気の秘密なのだろう。
 うまいとかまずいとかの飲物ではないということである。飲んでさっぱりする、そのすっきり感が楽しいというわけである。

 サントリーの「カロリ ソルティドッグ」とか、アサヒの「カクテルパートナー ジントニック」といった商品がある。
 それらは350ML缶入りで100円前後で売られている。
 ガソリン1Lの値段がそれより安いというのは驚異的である。ちなみに曙橋のコスモ石油のスタンドではレギュラーが1L149円だった(2007年4月22日調査)。カクテルの缶詰は1Lに換算すると300余円だからガソリンの2倍もするのである。
 人間に入れるガソリンの方が車に飲ませるそれよりも高いのは人間の自尊心のためにわざとそうしてあるのかもしれない。
 案外、混ぜている醸造アルコールが超高級な舶来ものかもしれないが、工場で造ったそれの方が農産物の牛乳の値段に比べてもより高いのだから、暴利をむさぼっている可能性もなきにしもあらでずある。
 350MLに5%前後しか入っていない飲用アルコールの原価などはただに等しいのだから末端価格が100円を越えるのは、その大部分は流通経費と多少の酒税ということなのだろう。
 しかし、酒税がかかっていないジュースも似たような値段で売られているということは、缶入りカクテルの原価は酒税の分だけジュースより安くなくてはならないから、考えようによってはとんでもないものをカクテルだと思って飲まされているかもしれないということである。
 その手のアルコール飲料は、なんといってもギャグで酒を創り続けているサントリーの得意とする分野だから、下手物好きの庵主としてはサントリーは今度はどんなものを見せてくれるのかとワクワクするのである。

 庵主のカクテルに対する考え方を、サントリーのカクテルの缶詰を見ながら述べてみたい。
 もちろん、サントリーを馬鹿にしているわけではなく、カクテルの缶詰という文化についての庵主の考察である。
 そんなものを選んでまでは飲みたくないという理由を語ろうというわけである。
 だからといって、庵主はそれを飲まないといっているのではないので誤解されては困る。
 庵主の飲酒条件が、量を飲めないために、酒を呑むときには、選んでうまい酒を、すなわちまともな酒を、そしていい酒を飲みたいというものだからである。
 
 チェーンスモーカーのように、常時煙草に火がついていないと落ち着かないというような、常時酔っていないと精神が安定しないというチェーンドンリカーがいたら、値段もそこそこに高いうまい酒しか飲まないといっていたらお金がいくらあっても足りないだろうから、現実的にはよほどのお金持ちでなければいい酒ばかりを呑み続けるということはできないのである。
 だから、庵主のいうことは、特殊事情だということである。その点を念のために強調しておきたい。  

 庵主はやっぱりうまい酒が飲みたいのである。まともな酒を飲みたいのである。
 この場合の「まとも」とは、人間の知恵と技がこもっている酒ということである。
 サントリーのカクテルも同様に知恵と技はこもっているのではあるが、それが後ろ向きなので、呑んでいるうちに心がさびしくなってくるということである。
 前向きにそれらがこもっている酒は、飲んでいると心が豊かな気分になってくるのである。
 庵主が飲みたいのは、体を酔わせる酒ではなくて、心を酔わせてくれる酒だからである。

 サントリーには、水代わりの「カロリ」シリーズや「−196℃」シリーズがあるが、それとは別に売価もその2倍の「千疋屋高級フルーツ」シリーズのカクテルの缶詰がある。
 ここで取り上げるのは、この高級カクテルの缶詰の方である。
 果汁と酒を混ぜ合わせるカクテルはけっこうおいしいのである。
 トマトとウオツカを混ぜるブラディマリーも、缶詰のトマトジュースではなく、うまいトマトをその場で搾ってまぜると香りが豊かな実に美しいカクテルができる。
 そのうまさを知っていると、缶詰のカクテルなる飲物は飲めないのである。
 まずくて飲めないというのではない。物足りなくて、飲んでいても楽しくないからである。体はアルコールに反応して酔いを生じるが、心はちっとも楽しくないという状態になるから、もっとうまい酒を飲みたくなる。
 庵主の場合は、飲めるアルコールの絶対量が小さいので、口直しにいい酒を飲むということができないために、もっとうまいまともな酒が飲みたいと欲求不満に陥るような酒は飲めないのである。
 酒なら何でも飲める人はその点では幸せである。

 サントリーが、千疋屋が選んだフルーツを使って造った「銀座カクテル」というのがある。
 リキュールである。ゴールデンパイン果汁10%、アルコール分6%とある。缶には、「完熟」と書いてある。容量は280MLである。
 350ML入りの缶ではない。売価はそれで210円前後である。
 食品の原材料の見方というのがあって、本物からほど遠くなるほど材料名が長くなるという法則がある。
 「銀座カクテル パイン」の場合はこうである。「原材料名:パイナップル、スピリッツ、糖類、酸味料、香料、増粘多糖類、ベニバナ黄色素、酸化防止剤(ビタミンC)、野菜色素」。
 本物のカクテルなら、パインとウオツカとレモンピールを搾って振りかけるぐらいの演出でできてしまうものである。
 それを缶詰にしようとすると、最低でも上記のような材料を必要とするというわけである。無理がかかっているのである。
 その分うまさがそこなわれているということはいうまでもない。
 このカクテルは温度管理がしっかりしているコンビニなどで売られている商品であるが、それでも品質の安定のためには、香料とか、色素などが必要なのだという。
 増粘多糖類というのはいったい何のために必要なのか庵主にはよくわからないのである。それがどんな物質なのか想像もつかない。
 酸化防止剤のビタミンCというのは、パインには含まれていないのだろうか。
 その調合はまさに芸術の域に達しているのである。
 酒を味わうというよりは、その調合技術を愛でる缶詰だろう。
 はっきりいって、安い濃縮還元の100%ジュースを買ってきて、サントリーのウオツカを混ぜて飲んでもたいして変わらないような味わいなのである。
 本物のパインを搾って混ぜたなら、わざわざ合成のビタミンCを混ぜなくても、パインジュースを混ぜたものよりもさらに香りが高い味わいになることだろう。

 カクテルの缶詰という発想がそもそも間違っているということなのである。
 カクテルは混ぜたときがカクテルであって、それが何時間もたったものはすでにカクテルではないということである。
 カクテルの缶詰は、とれたての野菜を冷蔵庫で保管しておいて、何日も置いたものをフレッシュな野菜だと思って食べているようなものである。
 見掛けは野菜でも、すでに食品としての価値は半減しているのである。
 カクテルの缶詰もそれと同じだと庵主は思う。
 カクテル風アルコール入りジュースというのがその評価である。
 そんなものをカクテルと思ってもらっては困るのである。
 というより、カクテルという文化に対する冒涜だろう。
 カクテルの缶詰なるものはカクテルに似てはいるが非なるものである。
 本物のカクテルのうまさはそこにはないからである。

 サントリーが造っている酒はその文化の底が浅いから、まともな酒飲みは敬して近づかないということなのだろう。
 うまい日本酒を呑んでいる人が大手酒造メーカーのお酒を語ることがないのように、サントリーの酒の話を、庵主は最近聞いたことがない。
 高い瓶にはいった105万円の「響」とか、モンドセレクションで「プレミアムモルツ」が金賞を取ったという話題だけは耳にはいっくるのである。
 それは宣伝がうまいのであって酒自体の話題でないのがさびしい。
 かつては一世を風靡したことがあるサントリーのウイスキー「オールド」は、今では近くの酒販店で1220円で売られているが、以前はたしか2000円台の値段だったと思う。
 1200円で売っても十分に儲かる酒に、サントリーは2倍の値段をつけていたということである。
 その酒屋では、「越乃寒梅」の普通酒の四合瓶が2380円で売られているが、片や定価の2倍で売られている日本酒、片や半額にしても売れないウイスキーということで、いずれも悲しい風景を見る思いがするのである。
 まともな酒飲みがカクテルの缶詰を語らないのは、庵主のように正直ではないから、おっと、大人だから、肚の中では笑っていても造り手の気分を害するようことは口にはしないだけのことなのである。
 カクテルとは飲む時の空間を楽しむ酒である。造ったときにすぐ飲んでしまう酒である。空間の雰囲気は缶詰にはできないということなのである。
 だから、いわゆるカクテルの缶詰は、カクテル風のアルコール飲料なのである。

 アサヒ「カクテルパートナー」とは別に「プレミアムカクテル」を出している。これはチュウハイ系のカクテルものと違って、飲める味わいを出している。
 二つの違いは、チュウハイがアルコールのはいっている清涼飲料だとしたら、「プレミアムカクテル」は酒の範疇(はんちゅう)に踏み込んでいるということである。
 サントリーの「カロリ」などのカクテル飲料とアサヒの「プレミアムカクテル」は酒の設計の違いなのである。
 よしあしで論じると両者の特質を見間違える。
       どちらにしてもカクテルごっこの缶詰だからである。
   そして下手物酒(げてものざけ)の世界もなかなかおもしろいのである。そういう酒が造られる背景を考察していると想像力が刺激されるからである。
 だから、酒を語ることは、おうおうにして飲むことにもまして楽しいのである。


★うまいお酒を呑める幸せ★19/5/1のお酒
 薫風の季節となった。
 庵主にとってはこの黄金週間が終わると、今年の花粉症が治まるさわやかな季節である。健康が戻ってくるからである。

 健康とは何か。
 身体に痛いところや痒いところなどがなくて、心配事や不安がないこと、だと書いてあったのを読んだことがある。
 なるほど、と思って、以後それが庵主の健康の定義となっている。
 一言でいえば、気分がいい状態、といったところか。
 
 目が悪くて、眼鏡をかけていても、それが苦痛でなければ健康の範囲だということである。
 肥満症でもそれでとくに支障がなければ健康だということである。
 健康を数値で計ろうとすると、病人が続出することになる。

 病院で検査を受けると本人は日常生活に全然不便を感じていないのに数値だけは異常なものが出てきて病気にされてしまうという笑い話がある。
 人間は工場で造っている工業製品と違って誤差の許容範囲が広過ぎるのである。

 お酒を全然呑めない人もいるのに、大量に酒を飲んでもピンピンしている人もいる。
 庵主のようにほとんど呑めないのに、うまいお酒なら呑めるという不思議な体質の者もいる。

 体が丈夫なだけでは健康とはいわない。
 心も安らかでなくてはならない。
 「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉を聞いて、それでは身体障碍者は健康な精神は望めないのかと拗ねていた人がいたが、まさにその通りなのである。
 庵主は、その人の考え方はその肉体に由来すると思っている。
 デブにはデブ特有の考え方があるはずである。美人には美人特有の考え方があるはずである。チビにはチビ特有の考え方が、それぞれ、自分がもって生れた肉体から導き出される世の中の見方のクセがあってそれが思考にも反映されるのではないかと思っている。これはもちろん庵主の仮説である。

 じっさいにそういう境遇になってみなければ分からない世界があるということである。
 「子をもって初めて感じる親の恩」というのも、それを言っているのだろう。
 庵主は最近安い酒の価値を感じたのもそれである。
 それまでは、そんな酒を誰が飲むのかと不思議に思っていたが、なーに、自分がそういう境遇になってみるとその酒がうまいのである。いや、うまく感じるのである。
 カクテルは場の酒であって、それを飲む空間がカクテルなのである。その調合がカクテルなのではない、と庵主は思っているが、場にによって、それまでとんでもない酒だと思っていたものが、存外うまいということを知るである。
 
 健康マニアというのがいる。
 健康であれば死んでもいいと漫才師からからかわれている人たちである。
 飲酒喫煙は健康によくないという。
 「健康食品」を食するのが好きな人たちである。
 健康な肉体から健全な精神を引き出そうとしているのだろう。

 しかし、そうはいっても、「酒も飲まず、煙草も吸わず、百まで生きた馬鹿もいる」という皮肉に頷(うなず)きたくなるのは、人間はかならずしも健康であることが幸せではないということなのである。

 幸せと言えば、うまいお酒が呑めることが庵主にとっては一番の幸せであるが、健康とは、うまいお酒が呑めることというのが完璧な定義なのではないか。
 そういううまいお酒と出会える僥倖(ぎょうこう)に恵まれているということを含めて、心置きなくお酒のうまさを味わえるということはまさになにごともうまくいっている状態だからである。