「むの字屋」の土蔵の中にいます

平成17年1月の日々一献


★蝶谷初男氏の新刊にバンザイ★17/1/31のお酒
 この一つ前に、蝶谷初男(ちょうや・はつお)氏の新刊を褒めたのである。
 体裁といい、構成といい、わかりやすい説明といい、適切な批判といい、よくできていると。日本酒を呑むときに必要な事柄が一通り押さえられていていい本じゃないかと。一問一答方式なので、事柄をひくときには事典がわりに使えると。

 ところが、この本が曲者(くせもの)だった。
 蝶谷氏の酒の本は、「と本」というよりは忍者屋敷のような本だったのである。
 庵主はその建物をさっと見て、よくできている屋敷だと思って罠にはまることなく出てきたのである。庵主はそのいいところばかりを拾って出てきたのである。ところが、実際にはその屋敷には数々の罠が仕掛けられていたというわけである。

 蝶谷氏の新刊を心待ちにしている熱狂的な読者がいて、てぐすねをひいて待っているのである。庵主のように危うきに近寄らずという読み方をするのではなく、じつに懇切丁寧に味読して、一つひとつの罠を見落とすことなく熟読してくれるのだから怖い。
 その成果の一つを前の項ではご案内しておいたのでぜひ参照(クリック)してみていただきたい。

 前項において、庵主は「たとえば、酒造好適米も最新のものが一表になっているからわかりやすい。」と書いたのだが、これがよく見たら平成14年の資料だったのである。調べればちゃんと平成16年の直近の資料があるというのに。ま、どっちでもたいして変わらないのだけれど。取材がおざなりだったということである。残念、なのである。
 しかし、これは原稿執筆時には最新資料を使っていたのを、最新版に差し替えるのをうっかり漏らしてしまったという校正のミスかもしれない。
 他の本でも、執筆時の杜氏が、出版時には別の杜氏に代わっていたのに古いままになっていたというのを見たことがある。
 雑誌の日本酒記事では、取材時と出版時がへたすると1年ぐらいずれることがあって、執筆時にはお薦めのお酒が出版時にはもう廃業していたというのにそのまま掲載されていたという笑い話を聞いたことがある。

 また、宮水が阪神大震災のために「壊滅的な打撃をうけ」「現在、宮水のほとんどが使用不能となっており、使われていないのが現状です」とあるが、これが事実に反することだったという点については、冗談を書くのはよしてくれと言わざるを得ない。活字信仰にどっぶり毒されている庵主は本に書いてあることは素直に信じてしまう質(たち)なので、活字で書かれた過度な冗談に対する耐性がないからである。
 もっとも、灘の酒を呑む機会はほとんどないから、庵主にとってはどうでもいいことなのでその部分は読み流してしまったのだけれど。

 初版本には誤植はつきものだが、この本でいえば「三倍増醸ブレンド酒」に「さんばいじょうぞう」とフリガナが付いているところがあった。それは見れば分かる間違いであるが、しかし、内容の誤謬については読者はその真偽に気づきようがないのだから罪は重い。
 これは日本酒に関するいうならば技術書だからその間違いはすぐ分かるが、これが思想書だったらトンデモ本であってもその間違いを指摘することは容易ではないと思われる。そういう本が少なくないということを、本書によって知ることができるのである。
 本屋の宗教の本棚に並んでいる本なんか、かなりいかがわしいと庵主は思っているのだが。ただそういう本も庵主は好きなのである。だから蝶谷氏の本も好きなのである。頭の体操になるから。

 間違い探し、おっと、それを宝探しと言っておこう、その本の中にさりげなく鏤(ちりば)められている宝を探すのだという心構えで読めばこれは非常に勉強になる本なのである。日本酒の初心者向けを装っているが、この本はかなりの上級者を楽しませてくれるワンダーランドなのである。帯にでも「この本は上級者向けの本です。初心者には毒です」と書いてあれば、われこそは日本酒の通だという人達はこぞって目を向けることだろう。

 蝶谷氏は、その本を熟読して裏の裏まで吟味してくれる熱心な読者をもっている日本でいま一番恵まれている著者なのである。

  ★今月の読書★17/1/26のお酒
 蝶谷初男(ちょうや・はつお)氏といえば、日本酒の「と本」を書いて一躍勇名を馳せた著者である。
 と本というのは、トンデモ本のことで、奇想天外な内容が書かれている本のことある。世の中には豊かな想像力をもった人がいるということがわかって楽しくなる本なのである。
 日本酒の「と本」は、トンデモ本ではなく、どちらかというと、とほほほの「と本」である。ちょっと日本酒を知っている読者なら笑いこけるようなことをまじめに書いてある本のことである。ちょっと調査不足ですよ、ということで、とほほほと読んでいる方が恥ずかしくなってくる本のことである。

 その蝶谷氏の新刊が「うまい日本酒に会いたい! そのために知っておきたい100問100答 」(ポプラ社刊1650円税別)である。
 こんどの本は端正である。蝶谷氏のライターとしての実力が遺憾なく発揮された好著である。
 今度の本はよくできている。
 著者として自分の主張を熱く述べた本では日本酒マニアをわかせてくれたが、今度は取材をきちんとして日本酒の最近状況にもとづいてわかりやすくまとめてあるので呑み手のための日本酒事典として使える重宝な本になっている。
 たとえば、酒造好適米も最新のものが一表になっているからわかりやすい。
 また、純米酒の精米歩合の下限を外してしまったことに対する、業界の言い分とそれに対する批判をきちんと併記してあってその筆致には余裕が感じられる。
 一つの見解とそれに対する別の見方を併記してあるところは、吟醸酒は絶対アル添でなければならないと主張していた著者とは思えないほど心に余裕をもって書かれた本であることがわかる。純米吟醸のうまいのを飲んだら、吟醸酒はアル添でなくてはならないというご説などはどうでもよくなってしまうからである。好き好んでそんな酒なんか呑まなくてもいいと庵主は思うのである。

 利(きく。正しくは口偏に利という字。パソコンでは出てこないので「利」でやむをえず代用)酒師についても「本当にきちんと訓練を受け、経験を積んだ人はかなり少ないようで、特別に権威があるものではないようです」とズバリ指摘しているところなど、視点がいい。ただ、「ききざけし」とふりがなをつけてあるが、資格を認定しているSSIはなぜか「ききさけし」とにごらずに読んでいる、とまで書いてあれば丁寧だったろう。

 酒造用語にはちゃんとふりがなが振られている。丁寧に作られた本であることがわかる。入門書にはこういう配慮が必要なのである。
 庵主はかつて「宮水」が読めなかった。この本があれば間違わずに読むことができる。その現状も書かれているが、記述は冷静である。
 酒銘の「菊理媛」もふりがながついていないと「きくりひめ」と読んで疑わないことだろう。庵主がそうだったから自信をもって断言できる。

 ただ一つ気になったのは、135ページの本醸造酒の説明で、普通酒に比べると「特に醸造アルコールの添加量は少なく、白米重量の10%以下(95%アルコール重量で)となっています(実際の一升瓶では、計算上8%以下になります)。」とあるが、アル添量を過少評価しているようである。そんななまやさしい量ではないのだから。まともな神経をもった人なら、アル添量の実態を知ったら唖然とすることだろう。

 庵主の個人的な趣味でいうと、醗酵を発酵と書かずに、ちゃんと醗酵と書いてあるのがうれしい。発酵なんて書かれると大工場でアルコールを造っているように感じるからである。酒がまずくなる。
 著者としては爆笑本を、ライターしては厳正な目をもった批判本を書き分ける蝶谷氏の技が楽しめる一冊である。
 お薦めの日本酒も庵主の評価と重なるところが多く、大方の酒呑みが行き着くところがわかって納得するのである。

 それと、この本の紙質(すこし紙は厚いと思うが紙の色が落ち着いている)と艶のある黒インクの立体感が庵主は好きである。数字の書体もお洒落である。0(零)のデザインがかっこいい。
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 なお、この項目に関しては念のため、清水和佳氏によるマニアックでエンスーなブログの同書に対する批判を合わせてお読みください。この本がいかに勉強になる本であるかがわかります。

★「武勇」大吟醸★17/1/19のお酒
 昨年の暮れにもらった「武勇」の大吟醸の四合瓶をやっと呑み干した。ここまで引っ張ったものだから、瓶の底に少し残ったお酒は、瓶の中の空気をいっぱい吸い込んですっかりそのうまさがさめてしまっている。いい酒であるだけに、最初と最後の味わいの差が大きい。本当はもっと早く呑まなければならなかったのだが、しかし、大切な頂き物なので少しずつ呑んでいたのがいけなかった。
 初めて栓を開けたときは、大吟醸の香りが豊かに広がって、香り吟醸の華やかさがたちこめたものだが、香りが特徴の酒なので、いくらこの時期の寒さの中に置いておいても日々その馥郁たる香りは抜けていったのである。

 裏ラベルを見ると添加したアルコールは醸造アルコール(国内産米アルコール使用)と書かれている。あえて国内産と書いてあることから、外国産の米アルコールというのもあるものらしい。それともただ「米アルコール」と書くと米国産モラセスアルコールと邪推されることを避けただけか。
 普通、日本酒に添加するアルコールは、モラセスアルコールといって、サトウキビから黒砂糖を作ったあとに残る残留糖分を蒸留して作る安いアルコールが使われている。
 この「武勇」は、安いモラセスアルコールではなく、米から作ったアルコールを使っているというわけである。値段はモラセスアルコールより2〜3割ほど高いのである。
 米から作った日本酒に、米から作ったアルコールを添加したら、原料は全部米だから純米酒に近いアル添酒だという人もいるが、醸造酒と蒸留したアルコールとを混和した酒はどういってもリキュールなのである。それを醸造酒というのは強弁に過ぎる。

 では、米アルコールを使ったら、モラセスアルコールより酒がうまくなるのかというと、さほど変わらないのである。米アルコールを使うと、かえって酒の腰が弱くなるという人もいる。庵主もそう思う。馴染み過ぎてキレが悪くなるようである。米アルコールのご利益を感じたことがない。
 米アルコールだろうが、モラセスアルコールだろうが、どちらにしても徹底的に蒸留したアルコールだから大して変わらないのではないかと思う。
 「武勇」の大吟醸はよくできた香り吟醸だったが、その繊細な香りは長くはもたないのである。そのことを改めて確かめたというわけである。
 おいしいお酒は栓を開けたら早めに呑みましょう。


★酒よりも人の顔★17/1/12のお酒
 年末の新聞ではその年の10大ニュースをとりあげる。映画雑誌なら今年のベスト10である。読書雑誌なら本年の10冊といったところだろうか。
 「むの字屋」なら、今年出会った記憶に残る10本ということになるが、しかし、この一年間に呑んだお酒がはっきり思い出せないのである。
 いつもうまいお酒を呑んでいるからもうそれだけで満足しているからである。うまければ最初の一杯で十分だし、口に合わない酒が出てきたら口直しの酒を呑んでくるから、どうでもいい酒は記憶のかなたに流れていく。残る記憶はお酒がうまかったというしあわせ感だけなのである。じつにいいお酒を呑んでいるのである。
 大きな声ではいえないが庵主はお酒には恵まれているのである。というのも、みんなが目の前にあるうまい日本酒に気がついていないものだから、よりどりみどりなのである。

 いま日本酒にめざめたなら、それまでの人生では想像もできなかったようなうまい味わいが飲み放題であるということである。
 このことは、まだうまい日本酒を呑んだことがないという人に対する庵主からのお年玉である。

 そういう状況でお酒を呑んでいるから、どれがうまかったとか、これは絶品だといったランク付けにはなじまないのである。いいものを選んで呑んでいるからである。
 そして、意外と呑んだ酒というのは思い浮かばないが、その時に呑んだ人の顔は浮かんでくる。そうだ、うまい酒はその人達といっしょに呑んだ酒なのである。お酒の呑み方が上手な人と一緒に味わった時間なのである。
 一人でいいお酒を呑んでもそんなには呑めないが、みんなで呑むときのお酒はけっこう呑めるというのもその雰囲気がおいしいからなのだろう。
 お酒のうまさは、じつは一緒に呑む人のうまさなのである。


★ダメな酒がわかった★17/1/5のお酒
 まずい酒の正体がわかった(!)ことは先に書いた
 炭素臭だったのである。呑んでいて生気が感じられない味わいの普通酒などのなんとも艶のない味の正体は。
 普通酒を呑んでみて、なんでこの酒は表情が暗いのだろうかと思っていたが、その原因の一つが多用される活性炭だったのである。それと醸造アルコールの多量の添加である。
 冷やで呑むと重い、燗を付けるとアルコールがもろにツーンと鼻をつく。適温で温めればいいのだろうが、それでは薄っぺらなスカスカの味になってしまうから、熱燗にしてあおるしかないのでお酒に慣れていない人にはかなりきつい酒なのである。
 しかもその酒を、若い人は下手くそな呑み方をするものだから、気分が悪くなってきて、ついには嘔吐に至ると、日本酒=嘔吐という悪の方程式が成立してしまい、それは気持ちが悪いこととして記憶に刻みつけられるから、日本酒を呑むことはその時の不快感を思い出させることになるので日本酒を忌避するようになるのである。

 ビールの人気が衰えないのは、多くの人が飲んだらうまいという快感を知っているからその時のいい気持ちになりたくなってまた飲みたくなるからである。日本酒はその快感を知っている人が少ないということなのである。
 だから、庵主はつぎのような仮説を唱えている。
 日本酒が売れなくなったのは日本人がうまい日本酒を呑んだことがないからだ、日本酒を呑んだらうまいという経験をしたことがないから、また呑んでみたいという気持ちが起こらないのである。
 日本酒が売れなくなったといっても、売れなくなったのはうまくもなければまずくもない、中途半端で魅力がない普通酒なのである。
 特定名称酒はほぼ横ばいで推移しているではないか。最初にそのようなうまいお酒に出会った人は日本酒の魅力にのめり込んでしまうのである。うまいからである。こんなすごい快感があったのかと驚愕して、また日本酒が呑みたくなるのである。もっともっと日本酒が知りたくなるのである。

 ここからが、庵主のキャッチフレーズである。
 「うまいということは快感なんです。快感とは気持ちがいいことなんです。気持ちがいーいからまた呑みたくなるんです」。
 日本酒を呑んだらうまいという快感を知っている人が少ないということが日本酒が呑まれなくなった原因なのである。だからリピーターが少ない。だから売れなくなるのだ。

 そりゃそうである。最初に普通酒を呑んだ分には大方の人が日本酒に見切りをつけることはまず間違いないことである。
 あれはアルコール依存症になりかけている人が呑む安価な致酔飲料なのだ。そんな酒を初心者に与えてはいけない。呑んでうまいお酒ではないのに、それをお酒だと言って売っているものだから、知らない人はそれを日本酒だと思い込んでしまうのである。そして日本酒はまずいものだと思い込んでしまうのだ。
 日本酒メーカーは日本酒嫌いを増やす酒を一生懸命造っていたというわけである。

 酒が嫌いになって飲まなくなるというのなら、健康にはいいから世のため人のためではあるが、日本酒を呑まない人は他の酒を求めるからその努力は何の役にも立っていないのである。酒の呑み手が醸造酒からアルコール度数が高い蒸留酒に流れるようなことになったらかえって体によくないではないか。
 酒は飲む量が多いと何を飲んでも体にいいわけがないから、蒸留酒が体によくないというのはいいがかりであるが。

 うまい日本酒はだれが呑んでもうまいのである。その証拠に酒が呑めない庵主もうまい日本酒なら呑めるのだが、炭素臭が残っているような生気のないお酒はだれが呑んでもうまくないということである。
 日本酒にはうまい酒とそうでない酒があることをまず認識して、うまい酒を選んで呑めと言うのが庵主の主張である。まずい酒を呑むのはそのあとでいいと思う。

 そして、今回のダメな酒のことである。
 標本の保存のためにアルコール漬けにすることがあるが、お酒はいうならばアルコール漬けの飲料なのである。だからすでに食品としての生気がなくなっているものでも表面的には元気なものと同じような見かけをしているのである。
 そして、生気を失っているお酒がダメなお酒なのである。呑んでも滋味が感じられないお酒なのである。呑む甲斐のない酒である。

 野菜などの食品は、新鮮なものと日をおいて干からびたものとではそのうまさが違うことは明らかである。しかし、お酒はそうなっても見た目がよく似ているものだから、すでに生気がなくなっている干からびたお酒を、本来は生きているゆえにうまいお酒と勘違いして口にするものだから、そういう酒を呑むものだからマズイのである。ダメになった酒を新鮮な酒だと思って呑んでもうまいわけがないということである。
 普通酒はどんな扱いをされてもそれ以上に劣化しないようにと、活性炭を使ってその生気まで取り除いてしまった酒である。もう死んでいる酒だからそれ以上に悪くならないというわけである。

 うまいお酒は生きているお酒である。だから管理がめんどくさい。そのかわりきちんと管理されているお酒は本当にうまいのである。
 ダメな酒というのは、もともと生気を抜いてある普通酒などが代表であるが、いいお酒でも管理がよくないと生気がしぼんでしまっているものがある。それはもう呑んでもうまくもなんともないお酒なのである。呑む甲斐がない酒なのである。お酒は薬ではないのだから、無味無臭で酩酊効果があればいいというものではない。それは食品なのだから味わいがなくてはならないのだ。造り手はそこのところを勘違いしてもらっては困る。
 お酒を呑むならやっぱりうまい酒を呑みたいのである。いや、うまいからお酒なのである。