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「むの字屋」で軽く一杯
★ニセモノ造り★16/10/8 のお酒 融米造り(ゆうまいづくり)とか焙炒造り(ばいしょうづくり)とかを日本酒造りの新技術とみるか、ニセモノ造りの手法と見るか。 庵主は紛い物と見る。 アイデアはすごいと認めるが、そしてそんなあほらしいことをするなともいわないが、真っ当な物の造り方を逸脱してしまっていると見るのである。 スポーツ選手が薬で筋肉を増強して記録を作ることに似ている。やっていることとその目的はなんとなく同じなのだが、それをやったら本来の目的からちょっとそれているのじゃないかという思いと重なるのである。 ドーピングをやって出した記録を良しとするなら、じゃあ、手足を強力義手義足に取り替えて出した記録をもってスポーツと見做せるだろうか。 そうなったらロボット競技会といったほうがいいだろう。人間の肉体による競技ではなくなっていると庵主は思う。それはスポーツではなく見せ物である。 アイデア勝負の酒は、手抜き酒コンクールでその技を競えばいいのである。 その手の酒が悪いとかダメだとかいっているわけではないので誤解のないよう。どんな世界にもほとんどホンモノに近いニセモノの世界があるように、それと同じようなものが酒の世界もあるということである。これはよしあしではない。どちらを選択するかの問題である。 庵主の日常生活もその多くの部分は疑似ホンモノによって成り立っているのだからそれをダメだとしたら生きて行けなくなる。美意識さえ黙らせておけば十分に用をなすそれらの商品を実用品と呼んでおくのが穏当かもしれない。ただお酒に関してはホンモノが簡単に手に入るから庵主はそちらの方を選ぶのである。 庵主は、お酒は杜氏が造った手造りのお酒が好きである。 料理でいえば、母(妻でも、恋人でもいいが)が作ってくれたおいしい手料理が好きで、どこかの食品工場で作って電子レンジであたためた食い物よりもそっちの方が好きだということなのである。 ただし、手作りのものがかならずしも機械作りよりうまいとか限らないのだが。 ★お酒をちょっとだけ★16/10/12 のお酒 まず「宗玄」の純米八反錦。1年熟成をへて味が乗ってしまっていた。最初の一杯なので、もっと酸味がきゅっとさわやかな味わいだと読んだのだが外れ。 味が乗るというのはこってりしてしまうこと。料理でいえば煮詰まったような感じ。ちょっと重いというか、くどいというような感じになる。味が乗ったというより、味が進んでしまったといったほうがいいかもしれない。 2杯目は炭酸がまだ残っているにごり酒を。「秋鹿」である。日本酒を呑んだことがないという新人が一緒だったものだから余興で頼んだ一杯である。 3杯目はひやづめの純米「開運」。これは前2者より軽い。軽いとはいっても十分まったりしているうまい酒なのだが、この順番で呑むと軽く感じるのである。 仕上げは「宇野勇三」。「初駒」である。押しも押されもせぬお酒である。最後のお酒にぴったり。文句なし。異議なし。一升瓶の値段を聞いて安いので驚いた。 「達磨正宗」の平成五年をちょっとだけ御馳走になった。 4人でいって、料理を各1品頼んでしめて12000円である。 おいしいお酒をちょっとだけ呑んできた。 ★「真心」★16/10/14 のお酒 青森の「駒泉」の大吟醸「真心」を呑む。 青森と言えばまず「田酒」(でんしゅ)である。一息おいて「豊盃」(ほうはい)である。「初駒」も呑んでおきたい。そしてデビューしたての「陸奥八仙」(むつはっせん)を忘れちゃいけない。 「駒泉」は初めて呑んだ。 「真心」はずっしり重いお酒である。重いといっても、ちかごろのお酒が全体的に軽過ぎるから、それと比べて重量級のお酒という意味である。 当世の味の流行りは、酒にかぎらず、ライト(軽くて)でマイルド(そこそこの厚み)を全面に出した味である。歯にあたらないオムレツのような感触の味である。スルメのようなしっかりと噛みしめるほどに滲み出てくる味わいをじっくり味わう味は流行らない。 「真心」はスルメの世界である。一口、重いと感じた。が、味にしっかり厚みがあるから舌で2、3度なぞっただけではその味わい芯にはたどりつけない。 変わり玉(なめていくうちにどんどん色が変わっていく飴玉)のように時間をかけてほぐしていくと、じわーっと米の味がにじみでてくるのがわかる。 深い麹の味わいがそこに広がるといったほうがいいか。 「真心」はじっくり時間をかけて深く味わえるお酒である。 だから、加えて「駒泉」である。 ★木桶造りの酒の酔狂★16/10/29 のお酒 酒造りの進歩によってその使命を終えた木桶による日本酒造りが復活している。 酔狂なことで、というのが庵主の評価である。 手間、暇をかけて安くてうまい酒ができるならともかく、量産はできないだろうし、人件費もかかるだろうし、したがって小売価格も割高となって、同じ金額ならいくらでももっともっとうまい酒が買えるというのに、なにも好んで木桶仕込みを珍重することはないだろうと庵主は思う。 呑み手には全然メリット(庵主が外来語を使うときはイヤミでわざと使っているのである)がない酒なのである。 売り手には物珍しいということで、好奇心の強いお客相手に割高なお酒を売りつけることが出来るということができるのだろうが、一度呑んだらそれきりの酒である。次がないのである。そんな酒を造ってもおもしろいのだろうか。 もっともそれが面白いということは別の意味ではわかるのだが、ここではその意味でなくて、である。 木桶で造ったお酒と同じ程度のお酒は、もっと安く手に入るのである。 話題造りにはいいかもしれないが、酔狂なことで、とやっぱり庵主は思うのである。 ★いいお酒を知っているということは財産だからね★16/10/17 のお酒 女の子はうまいお酒を知っておくの。いいお酒があるということを知っているだけでいい。 呑まなくてもいいから、いいお酒の味を味わってみてほしい。 ちょっだけでいいから、お米から醸したお酒の雰囲気と香気を感じてみるの。そして少しだけ口をつけてみて、舌の上でお酒をころがしてみると口の中でお酒というより元気の素みたいなものがいっぱいはじけているような活気を感じるでしょう。 元気の気という漢字は本当は氣と書いて米という字を書いていたんだ。米が元気の源というわけ。 いいお酒のうまさは、その元気の源を口にするうまさなんだ。だからいいお酒を呑むと気持ちがよくなって、楽しくなって、生きている歓びがわいてくる。 普通のお酒でもアルコールが混じっているということだけでそんな気にさせてくれるから、そういうお酒でもいいという次元の呑み方もあるんだ。味わうというより、酔っぱらうことがいいというところだろう。 いいお酒は心にもしみてくるから、渇いていた心がまた潤いのある豊かな気分になるというわけだ。 呑んだお酒の味は忘れてもいいけど、いいお酒を呑んだ経験があるということ知っておくだけでいいの。 世の中には普段呑むお酒とは違ういいお酒があるということを知っているだけで教養があるといえるのだから。 あっ、それと、お酒は呑み過ぎちゃいけない。体によくない。 ★葬式で「能代」★16/10/26 のお酒 その葬儀はお酒に気が回っていた。 通夜のビールはサントリーである。モルツである。缶のモルツは丹沢水系の水である。赤城山系の缶もあった。 日本酒が意表をついていた。 「大関」とか「菊正宗」や「千歳鶴」ではなく、「能代」なのである。 秋田の「能代」である。 葬式で呑んだお酒ではこれまでで一番うまい日本酒を呑ませてもらった。通夜の晩である。 しかも、近頃は車を運転してくる人が多いから、呑める人であっても呑みたくても呑めないのである。だから庵主がほぼ一人でかかえるようにして「能代」を楽しませていただいた。 通夜に満面笑みを浮かべることのないように気を遣いながらも「能代」のうまさに酔った。呑むに呑めない人がホント気の毒に思えるほどにうまいお酒だった。通夜に車を運転して行くほど庵主は愚かではない。あっ、車を持っていなかった。 「能代」といえば、高橋良吉杜氏が、呑むと感服する美酒を造っていた蔵である。 今度のお酒には「杜氏 高階徳夫」と表ラベルに明記されている。 米は地元産花吹雪である。それで十分うまいお酒なのである。さらりと喉を通りすぎていくなめらかなお酒である。 以前にこういうお酒を呑んだのは「正雪」の名門酒会の純米酒だった。酒のアルコールを感じさせないやわらかいお酒である。それでいて芯はしっかりしているから、明らかにうまい酒を呑んでいるという安心感があって、そういうお酒に出会うことができたという満足感がうまいのである。 葬式と結婚式にはいい日本酒を使ってくれるとうれしいとは庵主の思いである。 ★酔ってめがねが★16/10/29 のお酒 その夜は、「北の誉」を呑んで、「宗玄」を呑んで、「悦凱陣」の落ち着いたところを呑んで、「奥播磨」を燗で呑んで、場所を変えてまた「悦凱陣」の今度は生きのいいのを呑んで、讃岐うどんを一杯食べて帰ってきたのである。 翌朝、目を覚ましたらめがねがなくなっていた。帰ってきて、寝る前にどこかに置いたのである。いつもの場所に置いたのなら問題ないが、酔っぱらっていたからいつもとは違うところに置いたのだろう。どこに置いたのか全然覚えていないし、どこに置いたものか、せまい庵なのにいっこうに出てこないのである。 しばらくは、映画を見るときのための度の強い眼鏡をかけてしのいでいたが、これで近くの文字やパソコンのディスプレイを見ていると目がくらくらしてくる。手元の字が読めない眼鏡なのである。 度の合わない眼鏡を使っていると、こんどは頭が痛くなってくる。限界を感じて近くのメガネ屋に行って新しい眼鏡をあつらえることにした。 庵主の眼はかなり悪いのだか、一式で15000円だった。いいお酒が2〜3杯呑めそうな金額である。もっともそれで世間を見る目が開けるのだから安いと言えば安い金額であるのだが。いいお酒を呑んでも鑑賞眼は開けてくるが世間を見る目を開くことはできない。 昔使っていたガラスレンズの眼鏡なら庵主の強度の近眼では片玉も買えない金額で今は軽いプラスチックレンズの眼鏡が一つ買えるのはありがたい。 お酒はそうはいかない。昔呑んでいた酒の値段より安いお酒を選んだ分には悲惨の二文字が待っているのである。 ただし、値段は安くても酒質はそれなりにいいものが買えるようになったという点では眼鏡と同じなのである。 ★「天狗舞」堂々★16/11/1 のお酒 近くの居酒屋で「天狗舞」を呑む。 うっすらと黄色みを帯びている。目の前で一升瓶からコップに注いでくれたそのお酒はこってりした酒質をしているのがわかる。 呑んでみる。酸味しっかりのいい酒である。もっとも、いい酒だから、庵主が好きな酒かというとそういうことはない。美人だねというのと、好みかどうかはまた別なのと同じである。 味に厚みがある。実力を感じるお酒である。アル添がどうかは庵主にはわからない。色と味わいの豊かさからすると純米の無濾過だと思われる。それもかなり腕のある人が造ったお酒である。主張が感じられる。「天狗舞」堂々である。一度は呑んでおきたいお酒である。力を感じる。 なのに、なぜ庵主の好みに合わないのか。 それは甘味が感じられないからなのである。その毅然とした味わいには、甘さを求める舌とは路線が違うのだという確固たる信念を感じるのである。庵主の好みは大酒飲みのそれではないということなのである。 ★お酒を呑む人★16/11/5 のお酒 お酒を呑む人がいる。 量は呑まない。小さいグラスで2杯だけである。 それと、コップいっぱいに入れた水をたっぷり飲む。それが仕込み水であることが多い。 呑むのはいい酒である。 いい酒というのはうまい酒のことである。かならずしも高い酒のことではない。 うまいというのは、自分の口に合うという意味である。 一に、そのお酒がもっている気合(気品と言い換えてもいい)のことである。 二に、アルコールを感じさせない甘み(麹の馥郁)のことである。 三に、そのお酒がもっているストーリー(売り)のことである。 べつにお酒を呑む必要はない体質なのだが、見栄でお酒を呑んでいるのである。 伊達をきどって、さもお酒を知っている風に呑んでいる。いいお酒を知っていることはかっこいいからである。 歳をとってからのひそかな自慢は、口にはしないが、いいお酒に恵まれているいうことである。口にしないのは、多くの人がそういういいお酒を呑んだことがないことを知っているのと、おそらくはそれを知らずに死んでいくのだろうとさめた目で見ているからである。時に呑む燗をつけたお酒は暖かいが、庵主の心の中は冷たいのである。それをお酒のぬくもりで包んでいる。 そしていいお酒もまた一期一会であるということを知っていることである。そのお酒に出会ったときに呑んでおかないと再会することができないということを。 加えて、お酒との出会いのまわりに人との出会いがあるということも。 お酒は呑んでみるとうまいことがあるということを体で知っているということである。 ★「辯天」の平成六年醸造酒★16/11/10 のお酒 山形の「辯天」の長期熟成酒平成六年醸造が、古酒にしてはなかなかいい線をいっている。 庵主は黄金色になるまで熟成した味わい(それって、ヒネ香じゃないのかな)がきらいだから、それをうまいとはいわない。が、その手の古酒でも品のいいお酒があるということがわかったのである。 「辯天」の平成六年には品のよさがあって、呑んでいて気持ちがいい。くどいかもしれないが、庵主にとってはうまいとはいえないお酒である。でも、でも、やっぱり性格のよさというか、気品のよさを感じるのである。 呑んでうまいというお酒ではないが、呑んでいて日本酒の一つのあじわいを味わっているという楽しさがある。 うまいとかマズイとかで呑むお酒ではなく、その雰囲気のひたるという趣(おもむき)で楽しめるお酒なのである。 ★玉ネギの丸焼き★16/11/19 のお酒 庵主は葱が好きなもので、ラーメン屋に行っても「肉は入れないでその分葱を大盛りで」と注文を入れる。もちろんその葱をすっかり食べてくるのである。 あるラーメン屋は、ラーメンはたいしてうまくないのだが、使っているネギがうまいのでそのネギを目当てにたべにいくことがある。 立ち食い蕎麦屋で、ネギが丼にはいっていて自由にかけてくださいというお店のときは、ネギを食べない人の分までいただいてたっぷりかけて食べる。ぺろりとネギを食べる。 カレー屋でラッキョウがあるときは、その大小にかかわらず皿に七つ並べて食べることにしている。これを北斗七星と称している。 そのお店では玉ネギの丸焼きがあった。それっ。今日の酒のツマミはそれである。 焼き上がるのに時間がかかる。それができるのを待ちながら一杯、いや二杯である。ゆっくりお酒を味わう。 酒は「川鶴」の純米大吟醸「雄町」である。もう一杯は「浦霞」の純米大吟醸である。目の前にいいお酒があるということがうれしい。うるわしい。 熱が通った玉ネギは甘い。庵主は長ねぎの切れのいい香りも好きだが、玉ネギのこの甘さがまた好きだ。 昨日などは、天麩羅屋のコースに玉葱が出てこなかったので別に注文したら、二つ揚げてもらったところ500円も取られた。なんとなく高いとは思うがそれでもうまいのである。甘いのである。てんつゆをたっぷりつけて食べる。 で、玉ネギの丸焼きはなんで食べるかというと、塩につけて食べるのである。 新宿の「与太呂」で、いまならうまい玉ネギの丸焼きを食べることができる。 ★「開華」の本醸造は売り切れ★16/11/22 のお酒 栃木県佐野市出身の「開華」(かいか)の本醸造はビックリマークである。 正式名称は長い。「開華 本醸造 中取り ひやおろし 素濾過原酒」である。この本名を覚える必要がない理由は後述するとおりである。 庵主好みの甘い味わい、味に十分な厚みがある美酒である。一口呑んでうまいと思った。庵主の波長と合ったのである。 値段を聞いてまたビックリした。四合瓶で1000円。一升で2000円。 このお酒が最初に出てきたら絶対にうまい。庵主はこの一杯で満足してしまう。庵主を幸せに導いてくれるお酒である。この酒を最初に庵主に呑ませたら、2杯目がいらないから居酒屋が儲からないお酒である。 そのお酒が一升で2000円だというのだから、このお酒はお買い得だ。 だがもう遅い。このお酒はすでに完売だという。罪なことをする、第一酒造は。手にはいらないのだから、その本名を覚えてもしょうがないということである。 おなじ「開華」の「山廃純米吟醸酒ひやおろし」を呑んでみる。さすがにこの山廃純米吟醸を呑んでから本醸造を口にすると本醸造はやはり弱い。しかし、本醸造だけ呑んだときの充実感は十分にうまいのである。 こういうお酒にめぐりあえるからお酒はやめられない。すでに手に入れることはできないお酒ではあるがなんとなく得をしたような気持ちになったのである。 呑み手を幸せにするお酒である。 ★昼間からタダ酒★16/11/28 のお酒 真っ昼間からお酒を呑んでしまった。しかもただ酒である。 表参道駅で降りて、骨董通りを少し行ったところに福井県の物産館がある。「南青山291」という。ニクいネーミングである。だからこれが福井県なのだとは気がつかない。すくなくとも庵主には。しかも骨董通りから折れて少し入った場所にあって、人目にはつかないところにあるから人に教えてもらわなかったら絶対わからなかっただろう。 その人が酒呑みで、福井のお酒の試飲会があるからうまい酒が呑めるので一緒にいかないかと誘われて誘惑に負けたのである。越前そばまでごちそうになってしまった。うまかった。 お酒はというと、出展していたのは「白駒」(はくこま)、「舞美人」(まいびじん)、「越前岬」(えちぜんみさき)、「百貴船」(ももきぶね)、「雲乃井」(くものい)、「福千歳」(ふくちとせ)の6蔵である。 庵主が呑んだことがあるのは「福千歳」と「雲乃井」だけで、いずれもうまい酒として記憶しているお酒である。 北海道生まれで、東京暮らしの庵主には、北陸の方はとんとなじみがない。そもそも西日本には知り合いがいない。日本酒を好むことがなかったら死ぬまで縁がない地方だったろう。 お酒が縁をつないでくれたのである。いまはそれらのお酒を呑むのが楽しくてしょうがない。お酒にその風土を感じるのである。人が見えてくるからである。見えてくるわけがない。造り手に思いを馳せるのだ。 そして「南青山291」で、庵主は「これは呑めないお酒ですよ」と念を押されたお酒を12本買ってきたのである。それがどんなお酒だったかは別稿で。 ★一杯で決まり★16/12/3 のお酒 ただ一杯。「奥羽自慢」の純米生酒。 こってりとしていて、酒に厚みがあって、甘くて、甘いというよりも麹の味わいがしっかりその味を支えていてだからじんわりと甘味が感じられて、一口の量で十分にお酒の深みと豊かさを楽しませてくれるお酒である。 アルコールに酔うのではなく、そのお酒に込められた気魄に酔うのである。気魄といってももちろんどうだこの酒はうまいだろうといった押しつけがましいものではなく、黙って呑んでいてもひしひしと伝わってくる静かな気魄である。いい酒は静かなのである。 最初にこの一杯が出てきたから、今夜はこれ一杯だけでお店を出てきたのである。安上がりで、それでいて心が満たされた夜だった。 だからといって、「奥羽自慢」のすべてがこれほどうまいというわけではないことはもちろんのことである。やすくてそこそこの酒もある。 一つの蔵元ではいくつものランクが異なるお酒を造っているが、同じ銘柄であってもお酒を知っている酒亭が取り寄せた酒はその中から厳選された味わいのお酒なのである。 庵主はそういうお店でしかお酒を呑まないから、普通酒と言われている普通のお酒の味わいを知らない。 そして、そういうお店のお酒でないと呑めないということを知っているのである。 ★「千代むすび」の「なかぐみ」★16/12/6 のお酒 鳥取県境港市出身の「千代むすび」がうまい。あらたまって言うまでもなくうまいのは決まっているからそのうちの「なかぐみ」について書く。 この「なかぐみ」の漢字が庵主が使っている富士通のパソコンでは出てこないのである。酉偏に舌と書く。 庵主が使っているウィンドウズという穴だらけで有名なOSではきき酒のきくという字が使えないから、すなわち口偏に利という字が出てこないから利き酒という表記が代用されるようなった。大統領でも犬統領でも字が似ていれば代用可なのらしい。穴どころか、それよりもっと大きい窓を称しているのだから仕方がないのだろう。国産の真っ当なOSはないのか、と酔って庵主は叫ぶのである。 「なかぐみ」がいい。鳥取産の玉栄である。純米吟醸生酒である。磨きは45%である。久しぶりにうまい玉栄を呑んだ。 そもそもこの酒の素性がいいのだ。封を開けると麹の香り(だと思う)がたちこめる。酒粕の匂いである。これがまっとうなお酒なのである。庵主が呑めるお酒がこれである。ごく普通の日本酒なら呑めるのである。 辛口と称する麹の香りのしない甘くもなんともない酒になるともう庵主は呑めないのである。まして炭を使いすぎて生気を失っている淡麗という酒が呑めるわけがないのだ。 たまたま「なかぐみ」は玉栄だったが、なぜか玉栄が好きな庵主は玉栄でこんなうまい酒を醸してくれた「千代むすび」が好きになっちゃうのである。 ★サヨナラ満塁ホームラン★16/12/11 のお酒 年末にサヨナラ満塁ホームランが飛び出した。黒糖焼酎の「松村健郎」(まつむらけんろう)である。 樫樽で5年熟成した原酒と琺瑯タンクで5年熟成した原酒を16年前にブレンドした黒糖焼酎である。 樫樽熟成による甘い香りが、黒糖の甘さをさらに強調して、その豊かな香りが庵主の鼻をくすぐる。香りがいいのである。この焼酎を口にしてみたいと心をときめかせる華がある。 呑んでみる。アルコール度数37度の酒が甘い。そしてすうーっと喉元を通り過ぎていく。なるほど焼酎だ。だが、これは庵主がうまいと思ったことがない焼酎とは別の焼酎であることがわかる。要するに庵主が呑めるうまい焼酎なのである。黒糖焼酎なのである。 庵主はほほえむ。俺も焼酎が呑めるようになったと、美しい焼酎に出会った喜びに快哉を叫ぶのである。うまい酒との出会いに幸せを感じるのである。 こういう出会いがあると、うまい酒が向こうの方からやってくるようになったというまんざらでもない思いにひたるのである。 呑み納めの12月11日に、サヨナラ満塁ホームランが飛び出したのである。 今年もうまいお酒をいっぱい呑ませて貰った幸せをしみじみと味わっているのである。 ★甘い強力、クールな強力★16/12/19 のお酒 「強力」は「ごうりき」と読む。米の名前である。 鳥取県特産の酒米である。種籾は県外に出ないように管理しているという。 「千代むすび」と「稲田姫」の強力を呑んでみた。 両者を呑み比べてみると、「千代むすび」は軟派、「稲田姫」のそれは硬派である。というより、「千代むすび」はソフト、「稲田姫」はハード。さらに言い換えると「千代むすび」はやわらか、「稲田姫」はクール。 庵主は呑み比べたらもちろん「千代むすび」の方が好きだが、「稲田姫」のキレのよさも捨てがたい。どっちの酒がいいかという次元ではなく、どっちの味わいを好むかということである。 庵主が初めて呑んだ「強力」は「いなば鶴」である。そのときの印象は強く残っている。気合のこもった酒だった。口の中で華やかに味がはじけたのである。 「日置桜」の強力も色気があった。 造りに応えてそれぞれに個性を出してくれる米である。お酒は個性があるから呑んでいて面白いのである。 ★221の日★16/12/21 のお酒 久しぶりに古くから口座を開いている銀行の窓口に行ってきた。口座を開いた支店ではなく最寄りの支店である。よく支店名を変えるので顰蹙を買っている銀行である。庵主が口座を開いた支店も近々店名が変わると通知が来ていた。 口座を開設したのはかなり昔のことである。銀行の合併で今はその銀行名はなくなってしまった。今は公共料金の支払にしか使っていないのでお金を下ろすことがなかったのだが、数万円のお金を下ろさざるをえなくなって、何年かぶりに窓口に赴いたのである。庵主はカードを持たない主義なので、ハンコを持って窓口にいかないとお金が下ろせない。銀行にとってははっきりいって不逞な客なのである。 お金が出てくるまでに、窓口の若い女性と年配のサービス課長の二人がかりで30分を要した。すぐにはお金は下ろせないのである。よほど通帳の盗難事故が多いのだろう。かといってカードを使うと、知らないうちに数千万円も下ろされたという事件が発生していると聞いているから、しかも銀行は一銭も補償してくれないというから、庵主のような大金持ちは危険なのでカードなんか使わないのである。 まず普段は書く必要のない現住所と電話番号を書かされた。窓口嬢が一生懸命調べている。住所が違っていた。口座を開設したときの住居表示がその後変わったからである。住んでいるところは変わっていない。言われるとおりに住所変更の手続きをする。 「お姉さんが生まれる前からの取引ですからね。銀行名が変わったときに御祝儀でも持ってご挨拶に来なかったものですからお手数をおかけします」とまでは言わなかった。窓口のお嬢さんがアルバイトかパートのお姉さんさんだったら弱いものいぢめになってしまう。合併銀行は大変なのである。電話番号が変わっていなかったのはなによりだった。それも違っていたらさらに疑われたかもしれない。いや、預金の引出しには窓口はよく気をつかっているといっているのである。 こんどはサービス課長が名刺をくれて本人確認ときた。運転免許証を出して了解を得た。それでやっと数万円を手にすることができたのである。 その時の受付番号が221番だった。 夜は安春花(アン・チュナ)のクリスマスディナーショーである。その切符を見たらなんと221番だった。なんかいいことがあるかなとゲンをかついだのである。 福引の景品は崔志宇(冬ソナのチェ・ジウ)のサイン入りのマフラーだという。もちろん本物である。ひょっとして当たるかもしれないと思ったが、やっぱりダメだった。庵主は当たらないのである。だからいつも書いているが、庵主の予想はまず当たらないと観念してほしいといっているのである。 じつは今朝ほど庵主のところにお酒が届いたのである。四合瓶にはいった茨城の「武勇」の大吟醸である。庵主にお酒を送ってくれる奇特な人がいるということがうれしい。お酒を知っている人が選んだ酒なのでまずお目にかかることができないお酒だというのもうれしい。 ひょっとして、そのお酒の値段が2210円だったかもしれない。 ★「久保田」の「千寿」をじっくり呑む★16/12/26 のお酒 04.12.06とラベルに印字されているもらい物の「久保田」の「千寿」を呑む。 新潟中越地震で被災した朝日酒造である。今年(酒造年度で)の酒なら希少価値のある「千寿」である。ただ酒造年度(7月から翌年6月まで)が今年の酒なのか、去年の酒なのか、これだけではわからない。ラベルの製造年月日というのは瓶詰した日付だからである。あれっ、出荷した日だったっけ。 いずれにせよ、相当の数の瓶が割れたというから、その災難を乗り越えた運のいいお酒なのである。その強運を味わおうというわけである。その勢いに乗って新年を迎えようというのである。 評判のお酒である。いったいどんな酒なのだろうかと興味津々である。実は以前にも一度呑んだことがあるのだけれど、そのときの味の記憶が全然残っていない。だから悪い酒ではないことはたしかだ。チョーうまい酒とかマズイ酒だったら記憶に残っているものだから。 特徴のないさらりとはいる酒だった。クセがない酒である。うまくもなければまずくもない酒というのは庵主が普通酒にケチをつけるときの常套句なのだが、この「千寿」も、一言でいったら、うまくもなければまずくもない酒なのである。だが、つがれたらいくらでも呑めてしまう酒なのである。こういう場合は可もなく不可もない酒といった方がいいかもしれない。うまいわけでもないの呑めてしまう酒なのである。なるほど人気があるのも一理あると感心したのである。
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