いま「むの字屋」の土蔵の中にいます

平成19年7月後半の日々一献


★苦いお酒★19/7/25のお酒
 お酒が苦い。
 お酒を呑んでいる時の心境がほろ苦いというのではなく、お酒自体が苦いのである。
 庵主のお勧めのお酒である「ふなぐち菊水」が、苦くなったのである。
 今呑んでいるのは、「製造日 07.5.31」のそれである。
 酸味のまろやかさがうまいお酒だったのに、これが苦みを感じさせる酒になってしまった。
 その苦みが、アルコール度数が17度ということもあって、舌に刺激的な苦みなのである。
 これでは呑めない。妙なるクラシック音楽から、騒音としか聞こえないロック音楽に変わったようなものである。
 素直(のようにみえていた)だった少女が、自己主張の多い(小煩わしい)女になったようなとまどいを感じるのである。
 言っていることはごもっともでも、そんなわかりきったことを聞いているのが煩わしいのである。
 まして女の言い分である。男には理解できないことが多い。
 
 男女を問わず、自己主張もいいが、そんなものを呑み手に押しつけてくる前の、ひかえめ状態に似た味わいのお酒が庵主は好きなのである。
 どうだ、この味はうまいだろう、といった感じのお酒よりも、さりげなくうまいお酒が好きなのである。
 前者の酒はだれが呑んでもうまいということがわかるのに対して、後者のお酒は呑み手がそれを認めたときにはじめてうまさが感じられるお酒だから、俺はこの酒の味がわかるという呑み手の優越感をくすぐるから、そのうまさはひときわなのである。 
 「ふなぐち菊水」のうまさに気付いたのはつい最近のことだから、この苦みはこの時期に特有のものかもしれないが、近くの酒販店にあった「製造日 07.2.22」のものを買ってきたら、それが輪をかけて苦かったことから、このお酒特有の味の経時変化なのかもしれない。
 とにかく、舌を刺すような苦いお酒になったのである。傷口にしみるオキシフルのような苦みである。
 かといって、まずくて苦いのではないから、質のわるい酒なのである。
 その欠点が同時に魅力的なのだから、やっかいなお酒なのである、「ふなぐち菊水」は。

 あるいは、と思う。
 ひょっとして、庵主の味覚が変わったのかもしれない。
 そうだとすると、それは庵主の肉体の経時変化によるものなのである。
 今日のブログにも書いたが、お酒のうまさはその酒にあるのではなく、呑み手の庵主の中にあるのだから、そうであってもお酒のうまさを味わう分には全然差し支えないのである。
 案外、お酒の先達も、歳をとって味覚が変わったのにかかわらず、その内面でお酒のうまさを感じていたのかもしれない。
 長く生きていないとわからないお酒の味があるのかもしれないのである。
 ちょうど、若い人には絶対理解できない香水があるように。