いま「むの字屋」の土蔵の中にいます

平成18年4月前半の日々一献


★「明治仕込み」「大正仕込み」「昭和仕込み」★18/4/12のお酒
 月桂冠が企画商品として「明治仕込み」「大正仕込み」「昭和仕込み」セットというのを売り出した。
 100ML入りカップ酒の3点セットで525円である。1本175円になるが「ワンカッブ大関」なら一合瓶が買えるのである。うまかったらいいが、そうでなかったらちょっと高いということである。
 「明治仕込み」は、「酸味ノキイタ芳醇ナ味ワイ、ホノカナ木ノ香リ、サッパリシタオオラカナ酒也」とある。
 「大正仕込み」は、「おだやかな香りに深いコク、すっきりした味わいのあるお酒です」という。
 「昭和仕込み」は、「まろやかな味でのどごしの良い、しっとりした旨みのあるお酒です」ということでこれを呑めば三つの造りを味わうことができる。

 まず「昭和仕込み」から呑んでみる。
 アルコール分は15度、原材料名は米・米麹・醸造アルコールである。
 呑む前の予想では、アルコールのにおいが出ているスカスカの酒だと思う。
 で、呑んでみたら、そんなに悪くはないのである。一口目は甘みもあってそこそこの味ではあるが、二口目からが寂しい。だんだんアルコールのそっけなさがわかるようになってくるからである。
 だんだん呑みたくなくなってくる酒なのである。最初のうまさが続かないのはアル添量が多すぎるのか、それとも造り自体が浅いせいか。
 よくできてはいるのだが、呑んでいるうちに飽きてしまった。三口目でアルコール臭くなってしまった。うまいと思ったのは最初の一口だったのである。

 つぎに、「大正仕込み」である。
 アルコール分15度、原材料名は米・米麹である。精米歩合70%とある。「昭和仕込み」には精米歩合が書かれていない。変わった原料を使っているのかと邪推したくなるのは庵主の悪い癖か。
 庵主にはその味わいが予想できない。純米酒である。アル添がはじまったのは昭和17年の造りからだと聞いているから、大正のお酒がアル添であるわけがなかった。
 まず、呑んでみる。
 確かに味は厚い。呑んでいてもアルコール感も薄くならないのは醸造アルコール(焼酎)を添加したものではないからなのだろう。その点は純米酒は信頼がおける。というよりも本当のところは普通酒はアルコールの添加量が多すぎるのだと思う。
 もっともあまり甘いお酒でないので、庵主にとっては一口で十分な味である。
 純米酒といってもこういう味だと庵主は呑めないのである。日本酒のあの舌をくすぐってくれる微妙な甘さが感じられないというのが庵主にとっては物足りない理由である。何のために麹を使って酒を造っているんだといったら喧嘩を売っていることになるか。
 「大正仕込み」のあとに「昭和仕込み」を呑んだらスカスカで呑めないことがわかる。「昭和仕込み」はお酒が軽く感じるが、それが同時にまずいと感じてしまうのである。呑む順番を間違えないことである。
 「昭和仕込み」から呑むとうまく感じるがその逆はいけない。せっかくの「昭和仕込み」のうまさが対比されることでつまらない味になるからである。

 そして、「明治仕込み」である。
 アルコール分15度、原材料名は米・米麹である。精米歩合70%とある。
 木の香りというので、庵主が嫌いな樽酒のにおいを思い浮かべてしまう。もうそれだけでちょっと呑みたいという気が起こらないのである。
 庵主は、お酒に好き嫌いはないといってはいるが、樽酒の臭いだけは苦手なのである。杉の香りが苦手である。杉花粉症だから、というのは冗談であるか。

 明治の酒だからもちろん純米酒である。もっと正確にいえばそのころは純米酒などという言葉がなかっただろうからただのお酒である。普通のお酒である。たまたま言葉がなかったということでなかったのと同然だということなのである。
 もっとも合成酒の歴史を読んでいたら、明治にもお酒に輸入アルコールを混ぜて売っていた蔵元もあったと書いてある。そのときはそういうお酒を区別していう言葉がなかっただけのことである。
 アルコール強化ワインというのがあるから、その伝でいえばアルコール強化日本酒だったというわけである。
 今のアル添酒は増量に使っているので、冷やして呑めば一口目は呑めるがだんだんその味がつまらなくなってくるから飽きてしまうということである。
 一口目はうまいけれどすぐ飲み飽きするお酒なのである。
 あんまりお酒がうますぎるとつい呑みすぎてしまうから、呑み手の健康を慮(おもんぱか)ってすぐ飽きるように設計してあるのかもしれない。
 そうだとしたら、月桂冠は健康志向メーカーなのである。

 色がちょっと黄色がかっている。蓋をあけたらかすかな木の香りどころではなく、庵主には十分な杉の臭いなのである。
 庵主は最近香りのあるお酒が、それが吟醸香であってもにおいの強いものは避けるようになってきたから余計に杉の香りが鼻につくという事情もあるが。
 好きでもない酒を呑まなきゃならない義理はないから、呑むまでもない。
 庵主は木香を欠点としか見ないからである。

 525円でちょっとお酒が楽しめた。
 そして、やっぱり大手のお酒は買ってまで呑む酒ではないと改めて確認したのである。もっといえば別の世界にあるお酒なのである。

 おっと、肝心なことを書き漏らすところだった。この3点セットは庵主でもその味の違いがわかるほどだから、まだお酒になれていないという人にとっても勉強になるのである。呑み比べができるのでお酒の味わいの違いを知るためには重宝な3点セットである。
 大手酒造メーカーのお酒の味わいを知るためにもぜひセブンイレブンに行って買い求めてほしい。そして味わってみてほしい。今なら3月に詰めたばかりの新しいお酒が楽しめる。
 普段庵主などの呑み手が呑んでいるお酒とはまた別の世界のお酒だということを知ってもらうためにも。



★「がんこ蔵」紙パック入180ml税込み100円★18/4/5のお酒
 近くのコンビニに売っていた紙パック入りのお酒を買って呑んでみた。正1合(180ML)で税込み100円のお酒である。
 値段を見ただけで三増酒であることははっきりしている。では当今のその味はどうなのかと念のため確かめてみたのである。

 というのもお酒に対する一つの考え方が庵主の考え方とは相容れないということの理論武装のためにその実態を確認するためでもある。
 理論武装というのはフリガナを振ればオアソビということになる。
 むかし学生運動が盛んだったころ、国家権力による支配体制に対立して個人の自由を確立するためには人が人を支配する論理に対してそれが間違っていることを論駁するために理論武装をして対抗しなくてはならないと張り切っていた学生がいた。
 その後その理論武装はどうなったか。社会をいたずらに騒がせたものの、いつのまにか支配体制に呑みこまれてしまったのである。それどころか、かえってその後の学生から覇気を奪うことになってしまったことはご存じの通りである。
 大きな流れにはさからえなかったのである。
 だから話題にはなるが世の中の流れにはぜんぜん影響がない考え方をしゃかりきになって考えることを理論武装といって揶揄するのである。庵主がそれをおあそびと割り切って見ている所以である。

 1合100円で買える「日本酒」は「がんこ蔵」という酒である。
 「清酒180ml」
 「アルコール分:13度以上14度未満」
 「原材料名:米・米麹・醸造アルコール・糖類・酸味料」
 「製造年月 06.03.G−」と箱の側面上部のわかりやすいところに印字されている。G−は何の意味だかわからない。こういう意味がわからない符丁を印字する表示を庵主はためらわず紛らわしい表示だと考える。
 紙パックの内側にはアルミ箔(と思われる)が貼られている。「お燗をする場合は。他の容器に移しかえて下さい」とあるのはそのせいなのだろう。
 もちろん「お酒は二十歳になってから」とお約束で表示されている。
 製造者は栃木県の北関酒造株式会社である。

 庵主の考え方と相容れないお酒に対する考え方というのはこういうものである。
 庵主がまずい酒は呑めないといったところ、「どんなお酒でもまずい酒というべきではない」というものである。
 でも三増酒みたいなスカスカの酒はまずいとしかいいようがないと補足したら、「そういう酒でもそれをうまいと思って呑んでいる人がいるのだから、うまいまずいは呑む人の好みなのだからそれをまずい酒だときめつけることはできない」というものである。
 庵主がうまいというお酒も「人によってはそれをまずいという人だっているのだから、お酒のうまさは一つではない」という。
 そういったのは居酒屋の主人である。

 お酒は、それを造る造り手と、それを呑む呑み手と、造り手と呑み手をつなぐ呑ませ手の三者があって初めて成立する世界である。一つ欠けてもお酒が成り立たなくなるからどれが偉いという関係ではない。
 庵主はお酒の呑み手という立場にいるからまずい酒があるという立場にたつ。そういうお酒はやっぱりまずい酒だからである。というのも庵主はまずい酒が呑めない体質なのでそういうお酒をきちんと指摘しておかないとうまい酒との出会いが狭められることになってはかなわないと思うのである。
 うまいお酒を呑みたいという立場に立脚しているから「どんなお酒でもまずい酒ということはできない」という考え方は、それが間違っているどころか、庵主のうまい酒を呑みたいという欲望を束縛してくることになりかねない敵対的発想だという危険性に対してその非を徹底的にとっちめておこうということから理論武装をやろうということになったのである。
 屁理屈と膏薬はどこにでもくっつくというから、庵主のいうことのどこまでが真っ当な理屈なのかその保証はいたしかねるが。

 「真っ当」というのは考え方の方向が間違っていないということである。
 東京から北海道に向かうというときに、九州を目指す方法をいくら並べても、その選択肢は間違っているということである。その一つひとつの方法に間違いはなくても方向が間違っているということである。
 真っ当とはそうではなくて、ただしく北海道に向かうための方法や考え方をいう。

 「まずい酒はない」という人が酒の味の区別ができない人であるわけがない。「そういうお酒でも」というのだから、それがけっしてうまい酒ではないことを知っているからである。
 「どんなお酒でもまずいという酒はない」という発想は、呑ませ手の立場から自分の利益を図るものであって、呑み手の要求とは相反するものではないのかと庵主は揶揄したものである。
 呑み手は自腹を切ってお酒を呑むのだから、まずい酒は呑みたくないからである。
 それなのに、そういうお酒もうまいといって呑む人がいますからまずい酒とはいえませんよといわれてそんな酒が出てきたら客は逃げてしまうことだろう。
 三増酒にかぎらず、まずい酒はいくらでもある。
 呑ませ手はそういうお酒も呑み手に売りつけないと自分が損をかぶることになるからなんとか言葉巧みに売りつけようとする。だからそういうのはセールストークであって、そのトークがおもしろいという人はそういう酒にもお金を出せばいいのであって、最初からうまい酒を呑みに来た客にまずい酒を出したら客がこなくなるよと忠告したのである。

 しかもその主人は「酒を知らないのに知った風にいう人が多いが、私はお酒をよく知っている」と胸を張ったのである。
 なるほど赤信号と青信号の区別はしっかりわかるかもしれないが、赤信号でも安全な時があるからといって止まらずに突っ走る運転手がいるとしたら、そんな判断利欲がない人を運転ができる人といえるのか、とはあとから思いついた理論武装である。

 酒なんか、呑んでみればうまいかまずいかすぐわかるのである。そのまずさの成分がナンタラカンタラであるというのは造り手のお仕事である。
 呑み手にはそんな理屈などは必要がない。自分が呑んで、うまいか、まずいか、だからである。
 最初からうまいお酒を造るということを考えていない商品である三増酒や、一応いい造りはしたのだが酒造りの技が未熟なためにできあがったものが結果的にまずい酒になったという酒など呑むまでもないまずい酒はいくらである。
 そういうお酒をまずい酒だとはっきりいっておかないと、悪貨は良貨を駆逐するといわれているように、お酒の品質が確実に悪くなるということなのである。
 庵主が呑みたいのは酔っぱらえばいいアルコール飲料ではなく、味わって呑めるお酒なのである。
 そのお酒に関してまずい酒があるときちんと指摘することはこれからも庵主がうまいお酒を呑み続けるためには目をつぶることができないことなのである。
 
 もちろん、庵主もどうでもいいお酒が出てきたときにそれをまずい酒だとはいわない。せっかくのお酒である。ひどい酒でもなんとかしておいしく呑むことを考える。まして造り手が目の前にいうときはまちがっても貶すことはない。
 「この手の味は好きな人にとってはなんともいえない味なのでしょうねぇ」とか「こういう味わいは東京ではなかなか味わうことのできない味ですねぇ」とか、「地酒としての個性的な主張がはっきりしている味わいですねぇ」とかの言葉は用意してあるのである。
 すなわち、そういうお酒を呑むときにはなんとかしておいしいお酒になるように努力するのではあるが、まずい酒はやっぱりまずいことに変わりはないということである。
 うまいお酒を呑みに来た客に「まずい酒なんかない。なんでも酒だ」というのは、自動車でいえば、普通車を求めている客に、軽自動車も自動車ですよと言っているようなものである。車格の違いぐらいはっきりわかっていないのでは、俺は多くの車に乗ったことがあると自慢しても相手にされなくなることだろう。
 本来なら、まっとうな日本酒とアルコールを混ぜた造った日本酒風リキュールを区別して、お酒の話をしたときに日本酒風リキュールもいい酒だといったバターとマーガリンを同列に考えるような返事が返ってこないようにはっきり両者を区別するべきなのである。

 では、その日本酒界の軽自動車の味わいについて二、三の感想を述べておこう。
 車種は「がんこ蔵」である。
 絵の世界では、このカンバスも下手くそな絵を描いてなければ価値があるのにというからかい言葉がある。
 なにも描いていないカンバスならそれは売れるから価値があるということである。
 その言葉を思い出したのは、「がんこ蔵」をストローで吸ったときにその液体が口の中にはいってきたときである。
 得体のしれないものを呑んでいるという印象はまぬがれない。もしこれが「清酒」というお上のお墨付きがなければだれもお酒だとは思わないことだろう。
 ただのアルコール飲料を定義としてはお酒と呼ぶのは間違っていないにしても文化としてお酒をとらえるときには論外だということである。
 
 庵主はまっとうなお酒が呑みたいのである。それに対して呑ませ手の発言はアルコールが入っていればなんでも酒だという考えの人だったのである。
 それならば最初から走っている道が違っていたのである。理論武装するまでもなく話の次元が異なっていたのである。

 「がんこ蔵」は酸味がよくきいている。
 庵主は酸味こそがお酒のうまさを支えているといっているが、それがはっきり表に出てきたのでは台無しである。
 舞台の裏方が表に出てきたようなものである。それは真っ当ではない。
 品のいい甘味が感じられない日本酒ははっきりいって道を外れている酒だと庵主は思っている。ただ辛いだけの酒を造りたいなら焼酎など他の酒をつくるべきなのである。時速100キロがほしいのなら自転車ではなく自動車をつくるはべきなのだ。  やたらと日本酒度を上げた酒を庵主が好まないは、お酒造りはアルコール造りなのではないという基準をもっているからである。
 きれいなアルコールを造りたいのなら醸造アルコールを造ればいいのである。それをしっかり磨けばいいのである。
 醸造アルコールを30度ぐらいに薄めたものと焼酎との飲み比べをやったときに醸造アルコールの方がうまいといった人が少なくなかったのである。

 「がんこ蔵」は一言で言えば味がスカスカの酒である。庵主には呑めないお酒の一例である。そういううまい醸造アルコールを使っているのになぜこんなに味がさびしいのか。
 文頭で「日本酒」とカッコ書きにしたのは、こんなものを日本酒と呼んでいいのかという良心の呵責から生じたイヤミである。
 代用食にすぎない三増酒をまっとうなお酒だと考える人には理論武装で応対する前に食い物とは何かを教えてあげる必要があるようである。

 屑肉を食品添加物で固めたハンバーグを、それをうまいといって食べる人がいるのだからまずいハンバーグというものはないという考え方にはうらさびしいものを感じるのである。
 そのハンバーグに入っている食品添加物の味を俺はちゃんとわかると自慢されても、その考え方に賛同する人がいるとしたらよほど勇気のある人だけだろう。
 それは真っ当な考え方ではないからである。



★季節限定★18/4/1のお酒
 ウイスキー(酒)にチョコレート(洋菓子)という組み合わせは、日本酒(酒)に饅頭(和菓子)みたいな組み合わせのようだが、これが存外うまいということはよく知られていることである。
 チョコレートにはウイスキーボンボンというのがあって、庵主はそれも好きだ。

 いま庵主が気に入っているのは、季節限定で販売されているロッテの「ラミーチョコレート*洋酒使用*」である。
 ラムレーズンがはいっているチョコレートだが、そのアルコール分がたっぷりなので、注意書きにも「この製品は洋酒が入っていますので、お子さまやアルコールに弱い方、妊娠・授乳期の方、運転時などはご遠慮ください。アルコール分3.7%」と書かれているほどである。
 それがうまい。
 季節限定ということなので目についたら買い求められるといい。早く買わないとなくなっちゃうからである。
 もっとも、庵主が買っていたお店にはもう在庫がなくなっているからラミーチョコレートの季節は終わったということなのだろうが。

 いったん終わった文章の蒸し返しであるが、アルコール分3.7%というのは何に対して3.7%なのだろうか。
 チョコレート全体量の3.7%なのか、中に入っているラムレーズンの重量の3.7%なのか。この度数だとレーズンを漬けたラム酒の度数ということはありえないから、何に対して3.7%なのかよくわからない表示である。
 で、ロッテのお客様相談室に無料電話で問い合わせたのである。
 その回答は、チョコレートの全重量に対して3.7%とのことだった。ちょっとしたビール並である。運転中にうっかり口にしてはいけないのである。

 ただし、チョコレートの総重量が表示されていないのでこのチョコレートを一個たべてしまったときにどのぐらいのアルコール分が摂取されたのか判らないのが残念である。
 例えば庵主は1合の酒を呑むと完全に酔いが回ってしまう。それを越えると肩が凝りはじめることで摂取したアルコール量の多少がわかるようになっている。
 笑って呑んでいられるのは、せいぜい7勺(しゃく)といったとろである。もうちょっと呑めるかなというところである。
 1合すなわち180MLの約15%がアルコール分として約27MLが限界というわけである。
 ではラミーチョコレートを何個食べたら肩凝りが始まるのかということが、これでは判らないのがちょっと不親切なのである。
 そうこう書いているとまたラミーチョコレートが食べたくなってきた。なぜか「季節限定」のラミーチョコレートを。
 ついでに、なぜ季節限定なのかも聞いておくのだった。