いま「むの字屋」の土蔵の中にいます
平成18年3月の日々一献
★軽い酒と重い酒★18/3/29のお酒
山形の竹の露が美山錦で醸した純米大吟醸しずく酒「羽黒山」(はぐろさん)は美酒である。
この時期にだけ限定300本(一升瓶)で出てくる酒だという。米は毎年ちがっているようである。
力が入っているのがわかる。といっても、どうだうまいだろうといった感じの押し出しの強い味わいではない。お酒というのはこんなもんでしょうといった余裕のある味わいなのでる。しかし呑んでいるうちにその酒造りの見事な技がひしひしと感じられてくる美酒なのである。こういう力みを感じさせないお酒を淡麗というのだろう。「羽黒山」は淡麗にしてしかもうまいのである。
こういう呑み手を構えさせることのない実力のあるお酒が出てくると、お酒をうまいとかまずいとかいうことなんかどうでもいいことのように思えてくる。
だまってそのうまさを楽しんでほしいという感じのお酒で、うまいという満足感につつまれてしまうとただその幸せにいつまでもひたっていたいと思うだけなのである。
現代日本酒の味わいなのである。淡麗辛口である。淡麗にして味わいがある。味にうまいと感じさせる厚みがある。その厚みが感じられなくなるとうまいという感じがしなくなるのである。
同じ淡麗辛口といっても、庵主が新潟酒の淡麗辛口が苦手なのはその厚みが感じられないからである。炭素濾過のかけすぎなのだろうか、綺麗すぎて呑んでいても酒を呑んでいるという感じがしないからなのである。その違いは酒造りの流儀の違いなのだろう。
「羽黒山」は香りも酒質も軽快な味わいの酒である。それでいてうまいという印象をきちんと残してくれる酒である。軽い酒、というより軽やかな酒である。
次に呑んだ「豊の秋」(とよのあき)の純米吟醸「花かんざし」は「羽黒山」と対照的に厚みのある味わいがする。
その対比がおもしろい。明らかに両者の特徴は別の方向を向いているのである。
もう何年も前に「豊の秋」を呑んだときに感じたのと同じ味わいなので懐かしかった。
その時の味よりはかなり軽くなっていたが、それでも味に厚みがあるという記憶が重なって変わらぬ味わいを知ってうれしかったのである。
味の厚みと感じる要素は、例えば老ね香である。うっすらと老ねている味わいのお酒は味が厚いと感じる。それがこってりしていると重いと感じるようになる。
味わいを伝えることは難しいが、「羽黒山」と「花かんざし」は軽い味わいと重い味わいを比べてみるのに格好の組み合わせだったのである。
★「瑞冠」はお酒を呑む楽しみに満ちている★18/3/22のお酒
広島の「瑞冠」(ずいかん)を呑んだ。
9種類呑んだが、どれも魅力的な味わいのお酒だった。魅力的というのはどの酒もしっかり個性をもっている味わいだったということである。
お酒を呑んでいていちばんつまらないのは、どれを呑んでも似たりよったりの味だというときである。そしてお酒に気合が感じられないときである。
まずくてもいいから、個性があるお酒だと面白い。
大手酒造メーカーのお酒がつまらないのは、どこで呑んでも同じ味わいのお酒を作ろうとしているために個性がつぶされためりはりのない味わいのお酒になっているからである。
日本酒はビールと違ってうまさを量産することはできない酒なのである。
うまいお酒を知っている呑み手が大手酒造メーカーの日本酒を呑まないのはそういう理由による。呑んでも感動がない酒だからである。
「新千本」(しんせんぼん)という飯米で造った酒がうまかった。精米歩合50%の吟醸酒である。
地元米で造ったまさに地酒である。お酒を呑む楽しさというのは、YK35といったいいお酒を呑むのもいいが、こうしたうまい地酒を呑めるのがうれしい。
香りもひかえめで好ましい。庵主は香りの強い酒を好まなくなったから、こういうお酒に好感をもつようになったのである。
今は、香りのあるお酒を見るとはったりがきいている酒だといって一笑に付しているのである。
香りが強い酒は先入観から味は弱いのではないかと思ってしまうから余計にそういうお酒の評価は低くなってしまう。
しかし、最近はそういうお酒には最初から近づかないから、庵主にとっては今ではどうでもいい酒なのである。
鑑評会の出品酒というのがそれで、確かに品のよさは感じられるが金を出してまで呑む酒ではないと思っている。
まだ、呑んだことがない人なら一度は呑んでおいた方がいいだろうが、呑むのはそういうことが好きな酔狂な人にまかせておいていい酒である。
鑑評会も、そんな美人コンクールなんかではなく、精米歩合70%ぐらいでうまい純米酒を造るコンクールをやった方がましだと思うのだが、酒造業界はアルコールの飲みすぎで物事の判断力が低下しているせいか、本末の区別ができないようなのである。
金賞受賞を看板にしているのに、市販酒は大してうまくもない酒を造っている蔵元に言っているのである。羊頭狗肉である。
もっとも全国新酒鑑評会は独立行政法人(=天下り先)種類なんとか研究所の主催だから、政府の酒行政にあっては、日本酒のために今何が大切なのかということを判断できる人がいないということなのである。
だから、そういう状況の下に酒を造らされてるいる人たちには同情を禁じ得ないのである。
精米機メーカーからお小遣いがもらえそうなコンクールなんかやっていたって、庵主が呑むような市販の酒にはなんの役にも立たないからである。
もっと市販酒がうまくなるコンクールでないと、あっちの世界の出来事である。精米歩合が50%以下の酒には小売り価格の100%の酒税を掛けろというのが庵主の主張である。贅沢酒を呑む人にはそれなりのご負担をというものである。
それに相応しいお金持ちが呑むお酒として敬意を表していっぱい税金を負担してもらいたいのである。
「瑞冠」の新千本にもどるが、すかすかな味の酒と違ってしっかりした厚みがあるから、お酒を呑んでいるという実感を味わうことができる。ただ、若いせいもあってかちょっと苦みがあったが、庵主は最近は酒の苦みを好感するようになってきたので問題はない。
個性がはっきりしているお酒である。だから呑んでいて興がつきないの酒なのである。
ほかの「瑞冠」も、雄町で醸した「いい風」も、一つひとつが同様な楽しみにひたれる味わいだった。
今「瑞冠」はのりにのっているという感じがする。
★「月不見の池」純米大吟醸「思」(おもい)★18/3/15のお酒
「月不見の池」(つきみずのいけ)の純米大吟醸というより、猪又酒造の純米大吟醸といったほうがいいのだろう。その純米大吟醸の「思」(おもい)である。
まず呑んでみて、庵主好みのお酒であることに納得した。うまいのである。
そしてラベルに書かれている筆書きの酒銘が読めなかった。達筆だからというのではない、分かりすぎるのだが読めないのである。
「恩」(おん)とも読めるし、ただ「思」(し)と読むのか、あるいは「田心」(でんしん)かもしれない。
どうやら「おもい」と読むようである。あとからネットで調べてわかった。ネットのおかけで便利になったものだと思う。売値まですぐわかる。1升瓶で5千円のお酒だった。
ラベルには新潟の猪又酒造とあったが、庵主にはその酒銘がわからなかった。それがわかったのは、栓をみたらそこに「月不見の池」とあったからである。
「月不見の池」は呑んだことがあったろうか。記憶にない。どこかで呑んだことがあるかもしれないが印象の薄い酒だったことだろう。
「奴奈姫」(ぬなひめ)ですよと、教えられて、それなら一度口にしたことがあるということを思い出した。が、「奴奈姫」がどんな味わいのお酒だったかおぼえていない。
「思」は五百万石である。生酒である。
うまい、と思った。その日呑んだ10本の日本酒の中ではこれが一番うまかった。10本の中には「松の司」の雄町もあったが、もちろん「松の司」は別格としてである。
もっともそれ以外に1本出てきた甘口のリースリング(白ワイン)が一番うまかったというのは、以前に庵主の体質が変わってきたと書いたとおりである。
「思」のラベルをよく見ると、糸魚川のお酒である。
このところ庵主の好みはなぜか糸魚川のお酒に共鳴するのである。
「根知男山」がそう、「雪鶴」がそうだった。そして「思」もまたそうである。
たぶん、庵主の体質がその土地の味わいを好むということである。
糸魚川は新潟の酒だといっても、地理的には北陸に近い。
庵主の好みは能登杜氏が醸すお酒に親近感を感じるから、その流れなのだと思う。
お酒の味は、自分の体がよく知っているということである。
五百万石がこんなにうまいとは。もうけもの夜だった。こういう出会いがあるからお酒はやめられないのである。
庵主は一通りうまいお酒を呑ませてもらったから、そういうお酒を呑むのはもう若い人に譲ろうと思っていても、こういうお酒に出会うと、なかなかやるじゃないかとついうれしくなってしまうのである。
★ひなまつり★18/3/8のお酒
3月3日はひなまつりである。
2月14日はパレンタインデーということで、そのプレゼント用になんとかお酒も買ってもらうと日本酒もいろいろ頑張っているが、チョコレートと一緒に売っているウイスキーならともかく、チョコレートと日本酒の組み合わせでは全然発展性がないからあんまり売れていないようである。
チョコレートメーカーの勝利である。
さて、3月はひなまつりである。今月は日本酒の出番である。
雛祭りは白酒である。一度買って味わってみたことがあるが、ちっともうまくなかったことをおぼえている。
が、ここに新手のひなまつり酒が出てきたのである。
「開華」の「ひなまつり」である。
お酒がほんのりピンク色をしている。色は酵母で出したという。
甘い。もちろん砂糖の甘さではなく、醗酵でもたらされた甘さだから上品な感じがする甘さである。
もともとアルコールの度数を楽しむお酒ではないからアルコール度数は8度である。呑みやすいのである。それでいてさっぱりした酸味がここちよい。
量は呑めないが、季節にちなんだイメージのお酒なので口にするとちょっと楽しいお酒なのである。
この季節に、お店で最初に呑んでもらう一杯といった使い方ができる酒である。うまいお酒はそれからじっくり味わってもらえばいい。
食前酒ならぬ酒前酒である。それから呑むお酒がおいしくなる一杯である。
来月は花見の月でまたまた日本酒の出番なのである。
★「通潤」★18/3/1のお酒
熊本のお酒といえば「美少年」(びしょうねん)が有名である。東京でもよく出てくる酒だからである。
ネーミングもいい。「美少年」である。中年のファンが多い。これは俺のことだというわけである。
はっきりいってその普通酒は庵主は呑んでもうまいとは思わない。悪い酒ではないが庵主にとっては呑むまでもない酒である。
しかし、その大吟醸はうまかった。九州に出張した知り合いが買ってきたのである。
「美少年」の「大吟醸」ならまた呑みたい。
熊本といえば球磨焼酎の地だから焼酎圏なのではないかと思うのだが、日本酒もいいのである。
熊本県は北の方は日本酒が、南の方は焼酎なのだという。
「美少年」のほかに「菊の城」(きくのしろ)がある。そして「通潤」(つうじゅん)である。
熊本のお酒は銀座にある熊本館というアンテナショップで手に入れることができる。
「通潤」の純米吟醸を呑む。東陽町にある倉門(くらかど)酒店にあった。
庵主は何年か前に都内の居酒屋で出会ったのが最初だった。なかなかよかったのである。
だから店にその名前を見つけたときは久しぶりに呑んだ見たくなった。
店主も気に入っているようで、ためらずそれを指名したら値段をちょっと負けたくれた。もっとも1円だけだったけれど。
お酒の味わいは期待通りである。それ以下でも泣ければ、それ以上でもないといのがいい。
ほんのり甘い。そして味には必要にして十分の厚みがあってお酒を呑んだという満足感が残る。そしてなんとなく熊本の酒という味わいが感じられるのである。
言葉は適当ではないのだが、素朴な味わいがいかにも地酒という感じなのである。呑んでいて楽しいお酒である。褒めるところはあっても貶すところがないいいお酒である。それでいてまた「通潤」と出会えたという印象が残る味なのである。
ラベルには精米歩合が印刷されていない。現在は純米酒は精米歩合を表示しなくてはならないことになっている。よく見たらスタンプで押してあった。精米歩合50%である。そして500MLのR瓶(リサイクル瓶)である。庵主にはちょうどいい料なのである。
その「通潤」をいま楽しみながら呑んでいるところである。味わえるお酒なのである。
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