「むの字屋」の土蔵の中にいます

平成17年10月の日々一献



★監修・中澤政雄とあっても★17/10/26のお酒
 市販酒のきき酒会というのがある。
 その名の通り、「白鶴」とか、「月桂冠」とか、「大関」などのお酒が並んでいる。東京の地酒銘柄があったり、最近酒銘を目にするようになった有望銘柄や中には「雪中梅」の瓶もあるという興味津々のきき酒会である。庵主にとっては怖いもの見たさといったほうがいいか。
 口に会わないお酒というのは呑んだ後にけだるい酔いが襲ってくるから庵主には怖いものの代表なのである。
 そういうお酒はお金をもらっても呑みたくないからである。
 が、めったに呑めないお酒が並んでいるので好奇心からのぞいてみた。
 
 庵主が呑めるお酒がうまいお酒だとしたら、この会はそうでないお酒のきき酒会である。もちろん、庵主にとってはという意味でであるが。
 庵主が呑んでいるお酒が芸術品といってもいい緻密なお酒だとしたら、この会のお酒は能書き不要の気軽な実用酒である。
 晴れの場で呑むお酒と日常的に呑むお酒という違いである。

 庵主が呑めそうなお酒もいくつかあって、そういうお酒を見つけるのが楽しいのだが、お酒の数が多いので一通り口に含んでみただけですっかり酔っぱらってしまった。庵主はお酒が呑めないのである。
 
 今回は、心を鬼にして、おばあちゃんから受けた食べ物を粗末にしてはいけないという教えを無下にして、口に含んだお酒はすべて吐器に出したのである。
 いや、呑みこまずでとおしたつもりだったが、つい、少しは呑んでしまったのである。
 酒の呑み比べなどは専門家に任せておいた方がよさそうである。
 造り手なり、酒飯店なり、居酒屋に任せておけばいいのである。
 呑み手は、そうして選んできたいいお酒を揃えているお店で呑めばいいのだから。うまいお酒の呑み比べもすぐあきるが、そうでない酒の呑み比べはというとこんどは体につらいということである。
 
 数多くの市販酒が並んでいると、中には市販酒とはいえどしっかりしたお酒を造っている蔵元もある。
 片っ端から試飲してみて、これはうまいと思ったお酒を見ると、やはり評判のいい蔵のお酒なのである。
 酒造りの姿勢がお酒の味に出るのである。
 そして、世の中の評判はまんざらでもないということがわかるのである。

 白鶴は「匠技」(たくみのわざ)というお酒を出していた。吟醸と本醸造があった。兵庫県産山田錦百%使用とあるから気合を入れたお酒である。呑んでみるといずれもいいお酒である。
 白鶴の総合カタログによると、前者が四合瓶で1100円、後者は同950円となっているから、酒造りが上手というか、さすが大手と感心するか意見の分かれるところだろう。
 そして、「匠技」には「現代の名工 中澤政雄・監修」と書かれた襷(たすき)ラベルが貼ってある。
 白鶴といえば、いまや月桂冠を抜いて日本一のお酒の生産量を誇る酒造メーカーである。
 その大手が、杜氏の名前を前面に出したお酒を市販酒として出してきたのである。意欲的なお酒なのである。自信の作ととってもいいだろう。
 しかしである。その中澤政雄杜氏のお酒を庵主は呑んだことがないのである。
 だから、中澤政雄という名前の御利益が庵主には全然ないということなのである。

 白鶴が中澤杜氏が醸した美酒を出し惜しみするからである。
 一升瓶で一万円の大吟醸とか同五千円の超特選の「翔雲」あたりを呑めばいいのだろうが、庵主にはそういうお酒を呑む機会がないのである。
 庵主の周りにはそれを呑ませてくれるお店がないからである。
 大手酒造メーカーの美酒というのは、庵主にとっては呑む機会がないお酒だということでは、未知の世界なのである。


★エビスビール樽生中400ML290円★17/10/19のお酒
 とおりすがりの「すぐ食屋」(すぐしょくや。すぐたべられる食い物屋。吉野家みたいなお店のこと)にはいったら、生ビールはなんとエビスの樽生ビールである。
 中ジョッキとあって、400MLと書いてある。かつ値段が290円。安い。
 400MLというのはジョッキの容量のことだろう。普通は泡3以下でビールが7以上というのが裁判で訴えられてもお店が勝てる基準と聞くから、それで出すと実際のビールの容量は280MLということになる。
 アルコール度数5%とすると14MLのアルコールを摂取することになる。
 庵主にはそれだけで十分幸せになれるアルコール量である。
 庵主の幸せ代は290円なのである。

 で、さすがにエビスである。本物のビールである。たしかに味はしっかりしているが、実は庵主にはその味が重く感じるのである。
 庵主がいうところの米ぬかビールの方がずっとおいしく感じられるのである。米糠(こめぬか)かビールというのは、原料に米を使って造ったビールのことである。日本の多くのビールはそれによって味が柔らかくなるという米を使って造られているから、いわゆるビールのことである。
 米糠と書いたが、庵主は寡聞にして米をどのようにして使っているかを知らない。本当に白ぬかを使っているのかもしれない。
 庵主は毒でなければどんな造り方をしても気にしないから、うまければいいから本当に白糠を加工して使っていてもいっこうにかまわないのである。
 なんといっても庵主にとっては米糠ビールの方がおいしいのだから。

 三増酒を呑み慣れた人が、純米酒は重いとか呑みにくいという感じがそうなんだろうと思う。
 たしかに呑み比べれば純米酒の方がいいような感じがするが、どっちが呑みやすいかといったら丁寧につくられた三増酒の方なのである。
 味の軽さと、のどごしのなめらかさと、舌にしみいるいい感じは、下手な純米酒では味わえないというわけである。
 下手でない純米酒では味が重過ぎて爽快感に欠けるというものである。

 一つのお酒がどんなときにもおいしいかといったらそうはいかない。
 いろいろなお酒をその場その場に合わせて楽しむということである。
 いくら日本酒はどんな料理にでも合うとはいっても、やっぱりおフランス料理のときはワインを飲んでみたいのである。
 いままでは一つのお酒を日常呑みにもハレの日にも兼用で呑んでいたが、いまはいろいろなタイプのお酒が造られるようになった。
 いいことがあった日とか、勝負服ならぬ勝負酒のときにはうまいお酒を奮発するというめりはりのある呑み方ができるようになったのである。
 それがお酒を呑む楽しみとなったのである。
 酔っぱらう楽しみではなく、お酒を選ぶ楽しみである。

 490円のハンバーグ定食が焼き上がって出てくるまで、そんなことを考えて間を持たせていたのである。


★凛★17/10/12のお酒
 その酒亭の大型冷蔵庫の前を通ったときに、ラベルがきらりと光って見えたお酒が庵主が今宵呑むお酒である。
 「凛」(りん) である。「獅子の里」(ししのさと) である。

 庵主の体質が変わったのだと思う。
 日本酒の甘さが鼻につくようになったのである。それまではその甘さがたまらなくうまかったのである。
 甘露というのはその滲み出る甘さのことをいうのだと納得していたものである。
 砂糖の直截な甘さとは違って、じわーっと浮かび上がっているほんのり感じられる甘さのことである。
 しかし、今はその甘さが喉につかえるのである。
 白ワインの酸味がうまいと感じるようなった。飲んでいるワインはリーリングである。リースリング種という葡萄で造った白ワインである。
 これならすんなり飲めるのである。
 日本酒も、甘みが出てなくて、酸味が強めのお酒がいいと思うようになった。

 酒は酸味、というのは庵主の経験則である。
 どんな酒でも、酸味がしっかりしている酒でないとうまくないということである。逆にいうと、うまい酒というのは、酸味がしっかりその味わいをささえているということなのである。

 庵主の体は、甘みのうまさから酸味のうまさに好みが変わったということである。 日本酒にも酸味を前に出してきたお酒が出てきた。
 先に紹介した「豊盃」(ほうはい) の「七七・七」がそれだった。
 キリリとした酸味が感じられる。甘みは奥にこもっている。
 庵主には呑みやすいお酒である。甘みが前に出てこないからいい。

 「凛」もまた酸味が心地よいお酒である。
 甘さが前に出てきて引っかかることはない。すっと入るのである。その酸味がいい。甘さもうまかったが、酸味もまたうまいのである。

 わさびは辛い。しかし、うまいわさびは甘いのである。おろしたわさびをちょっと口にすると、甘いのである。そのあとにツーンとくるのだが、庵主はその瞬間の甘さがたまらなく好きだ。
 すぐに消えてしまう甘さであるが、それがうまいわさびの魅力なのである。
 同様に、酸味もそれだけではうまいとはいえないが、それがないとさびしい。
 酸味がすうーっと切れていって、入れ代わりにお酒のひかえめな甘さが出てくるお酒がいいと思うようなってきたのである。

 いまは季節の変わり目であるが、庵主の体質の変わり目でもあるようだ。更年期かな。


★「七七・七」★17/10/5のお酒
 「雅山流」(がさんりゅう)というお酒がある。そして「裏雅山流」というお酒もある。
 裏と表の違いを庵主は知らない。でもなんとなくうまそうなお酒に思えるのは庵主の直感である。
 「獺祭」(だっさい)というお酒がある。それに対して裏獺祭と称しているお酒がある。
 「七七・七」である。青森の「豊盃」(ほうはい)が醸している。
 ラベルには七という字を三角に重ねて書いてあるから、字が読める人は「喜ぶ」と読んでしまう。
 喜という字の草書がそれと同じだからである。

 喜と読めるラベルをよく見たら、たしかに七七と七の間に小さな点が書かれている。
 七七・七というのは精米歩合なのである。
 「獺祭」には純米で「二割三分」という有名なお酒がある。なんと精米歩合23%というお酒である。お米の外側の77%を糠にして削り落としたお酒である。贅沢の極みといっていい。一度は呑んでみたくなるお酒である。そう思う人が多いようで人気があるお酒である。ただ値段は当然高い。
 それとは反対に糠が23%で精米歩合が77%だから裏獺祭といって胸をはっているのが「七七・七」である。

 以前の純米酒は精米歩合が70%以下でなければならないというしばりがあったのだが、それが誰の都合なのかいつの間にかはずされてしまったから今は精米歩合が77.7%でも堂々と純米酒と名乗ることができる。
 なかには80%とか90%という純米酒も造られるようになった。
 精米歩合90%というと、飯米の精米歩合が92%ぐらいというから、ごはんとほとんど変わらない磨き具合であるが、呑んでみると結構呑めるのである。
 いちおうそういう純米酒のことは下手物と呼んでおこう。

 庵主がお酒を買うときに見るのは精米歩合が55%以下のお酒である。60%でもうまいお酒があるが、そういうときは大もうけということである。
 55%まで磨いてあればうまいお酒に当たる確率が高いということである。
 77.7%のお酒はそういう点では論外のお酒なのだが、これがまたいいのである。酸味に特徴があるお酒で、それが特徴的だということはバランスがよくないお酒といえないこともないが、いまの庵主にはこれぐらいが呑みやすい。
 特徴的といっても、クセのあるいやな酸味ではなくて、モダンな味わいの酸味なのである。
 都会的な味わいの酸味である。では、田舎的な味わいの酸味はどういうのかというと古いセンスの造りのことである。
 といっても、どんな味わいなのだかわからないところが、味わいのことを書くことのむなしさというか、いいかげんなところなのだが、もし「七七・七」を見たときには庵主がいうモダンな味わいの酸味の快感を味わってみてほしい。
 百聞は一見にしかずというが、お酒こそは百聞は一献にしかずである。

さらにおいしいお酒が呑みたいとき、そして前月のお酒も呑みたいときは