「むの字屋」の土蔵の中にいます
平成17年8月の日々一献
★ウイスキーうまい★17/8/31のお酒
久しぶりにウイスキーを呑んだ。
うまい。
もちろんストレートで一杯だけ。
水をたっぷりと飲む。
サントリーの「オールド」といえば、あこがれの的だった時代があった。いや、それが飲めるということがステータス(見栄)だったのである。
いまやウイスキーといえば、庵主などはその存在自体を忘れていたほどである。
季節は夏、庵主にとっては生ビールの季節である。ウイスキーのことなどはすっかり記憶の隅に追いやられていたのである。
それにアルコール度数が40何度という酒は、当今の軽薄短小の時代には流行らないのである。
若い人が飲んでいる酒は、なんとかサワーだとか、かなんとかチュウハイとかで、アルコールはその個性を発揮してはいけない裏方として使われている酒なのである。
酒というよりは、アルコール入り飲料といったほうがいい。
たしかに度数の高い酒をがぶ飲みして体を壊すよりは、軽いアルコールを楽しんでいる方が健康である。
本格派の言い分では、モラセスアルコールのような精製した醸造アルコールを使った酒はそれが紛い物のような口ぶりであるが、しかしそれは極めて洗練されたアルコールと見ることもできるのである。
それは21世紀を飾る技術の精華を極めて造られたきれいな醸造アルコールなのである。それのどこが悪い。
庵主は飲まないけれどね。飲んでもつまらないからである。
普段は飲むことのないウイスキーが突然呑みたくなって立ち寄ったお店にあったのは「アラン」(Arran)のシングルカスクで、アルコール度数は56.6%である。
カスクというのは樽のことで、シングルカスクというのは一つの樽だけから取り出したモルトという意味で、いくつかの樽のモルトを混ぜ合わせてはいない原酒だということである。
日本にペリーが訪れた年に造りをやめた醸造所があったという。そのモルトがいま蘇ったという。いまといっても造りを再開したのは1995年のことで、それから10年たってようやく飲めるようになったというわけである。
その間の事情はわからないが、なんとなく心誘われるストーリーではないか。
ウイスキーの色をいうときには琥珀色というのが常套句だが、このウイスキーは琥珀色ではあるが渋い琥珀色をしている。斜に構えたような琥珀色である。
西洋からの舶来を思わせる色ではなく、それは日本の風土の色あいをしている。渋いのである。
そして匂いよし。
化粧品の匂いなら、いくらいい匂いでも、それを口に入れようという気は起きないが、ウイスキーの匂いはそれを口の中にいざなう魔力を秘めている。
50度を越える酒を飲むことが体によくないことは明白である。しかし、「アラン」のその色、その匂いはそんな理性などふっとばしてしまうのである。
人の心を狂わせるのである。
狂っちゃう。
酸味なのである。その酸味がきれいだ。
日本酒もそうだが、ウイスキーもまた、庵主がうまいと思うのは酸味がその酒の輪郭をまろやかに包んでいるものである。
ぶらっと立ち寄ったお店で心に叶うウイスキーが飲めたのである。
★全国亀の尾サミット★17/8/24のお酒
「全国亀の尾サミット関西大会」は、8月20日、大阪のリーガロイヤルホテルで開催された。
「亀の尾」という酒米を使ってお酒を醸している蔵元が一堂に集まって親睦をふかめる会である。
亀の尾といえば、「夏子の酒」という漫画の中で幻の酒米「龍錦」という名前で出てきたストーリーのある酒米である。
いまや、亀の尾を使っている蔵元は数十蔵になるという。今回のサミットにはそのうちの31蔵が参加した。
亀の尾サミットは亀の尾発祥の地である余目(あまるめ)町の有志が始めた企画で、それが今回9回目を迎えたのである。
大会は持ち回りで各地の蔵元や篤志者が手弁当でやっているから、時には不備なところもあるが、そんな苦労も多種多彩な「亀の尾」のお酒を呑むとすっかりうちとけてしまうのである。
今回は参加した蔵元の42種類の「亀の尾」をブラインドで試飲して、うまいお酒に一票を投票するというイベントがあった。
一番人気は「福乃友」(ふくのとも)の純米吟醸だったが、主催者の考えもあって二位以下の銘柄の発表はなかった。
そのへんに不満が残ったようである。
「常きげん」(じょうきげん)の農口尚彦(のぐち・なおひこ)杜氏も参加されていて、庵主が投票したお酒と同じお酒に一票を投じられたとあとから聞いた。
そのお酒は「白露垂珠」(はくろすいしゅ)の氷温3年貯蔵である。同じ蔵元の常温4年貯蔵のほうは口に合わなかった。
庵主は2年前の弘前で開かれた亀の尾サミットに参加したが、そのときのイチオシは「上喜元」(じょうきげん)の「上龜元」(じょうきげん)だった。
今回も、それはうまいお酒だった。
たぶん、ラベルを見ながら試飲したら、今回の一票は「上龜元」にいれたことだろう。
亀の尾に限らないが、同じ米で醸してもいろいろな味わいのお酒を造ることができる。
こうして試飲してみると、あきらかに老ね香のある熟成酒や、庵主が好むほんのり甘いお酒や、庵主が好まない辛口のお酒などいろいろあって面白い。
これだけの種類を呑んでも、庵主がうまいと思うお酒というのは少ない。庵主の好きなお酒の幅は意外と狭いということがわかるのである。
ぎゃくに、今呑んでいるお酒がうまいと感じたならば、それ以外のお酒をいろいろ当たってみてもそれに優るお酒に出会うことは少ないということなのである。
酒屋万流という。亀の尾の味わいを生かしたお酒造りを目指すのではなく、味わい薄い亀の尾のお酒を造る蔵もある。
お相撲さんみたいな酒銘の蔵がそうだった。大手の蔵元の酒造りの限界を見るような思いがした。
亀の尾にもうまいお酒とそうでないお酒があるということは変わらないのである。
★ワンカップ大関の大吟醸★17/8/17のお酒
それを下手物(げてもの)とみるか、レア物(稀少品)と見るか、いずれにしても買わずにはおかれないのが「ワンカップ大関 大吟醸」である。「Premium」である。
こういうユーモア商品が、庵主は大好きなのである。
超高級軽自動車みたいな商品が、である。
早速呑んでみるのである。
いや、その前に、ラベルを読んで味をあれこれ思い浮かべるのである。
商品は、そのカタログを見ながら夢を描いているときが一番楽しいのである。現物を手にしたときの諦めにも似た落胆と現実世界と自分が勝手に描いた夢との落差を何度も経験するのである。
その点、日本酒は派手なカタログを作らないだけあってだいたい期待どおりに収まる数少ない商品である。
ただしくいえば、事前に必要以上の期待を懐(いだ)かせないだけに、呑んだときに期待外れであってもそれほどがっかりしないというわけである。
「Premium」のデーターは「原材料:米・米こうじ・醸造アルコール/精米歩合50%/アルコール分15度以上16度未満」である。
庵主の邪推はこうである。
米を50%磨いたということで規格上は大吟醸となっているが、庵主がうなるようなうまいお酒ははいっていないだろう。
「ワンカップ大関」は醸造アルコールの軽さが身上だから、軽量級の大吟醸だろう。
さて、呑んでみる。
最初は匂いを楽しむ。
庵主はお酒の匂いが好きなのである。もちろん、いい匂いのお酒がである。しかもそれが呑めるのだからうれしいではないか。
第一印象。アルコールくさい。よって吟醸香とは無縁の酒である。炭のにおいかもしれない。
呑んでみる。匂いの軽さに反して滑らかな酒質である。ほんのりとまったりした感じがある。
さすがに格上のワンカップ大関である。
とはいえ、はっきりいって庵主にとってはうまいお酒ではない。
8月15日は終戦記念日である。
岡本圭司とバラクーダという3人組の音楽グループが、1月は正月で酒が呑めるぞ、2月は梅見で酒が呑めるぞ、と歌っているが、8月は終戦記念日に託(かこ)つけてお酒を呑むのである。
戦争が終わっためでたい日である。
それにふさわしいいいお酒を呑みたいということで「ワンカップ大関」の大吟醸を開けたのである。
終戦時をしのぶのにふさわしいお酒だった。
贅沢にはしることのない質素な大吟醸だった。
ちなみに一合263円である。一升2630円の大吟醸である。えっ、そんな値段で大吟醸が造れるのと心配になってくる、どうやって造ったのか想像もつかない手品みたいなお酒なのである。
いくら庵主が手品が好きだといってもねぇ。
大吟醸というのは、相撲でいえば横綱である。品位がない酒に気やすくそれを名乗らせるのは横綱の品格と権威の安売りである。
酒が軽いのである。風格に欠けるのである。
米を50%以下に精米したらなんでも大吟醸というものではないだろう。
はっきりいって、大吟醸というのはその蔵元の日本酒に対する見識がみえるお酒なのである。
「ワンカップ大関」は大関が造っているお酒の3分の1を占めるヒット商品であり、中核商品であるという。
そのホームページによると、「ワンカップ大関」の生産量は10万石を越えて、1億本に達したとある。
日本の総人口から、日本酒が呑めないところの子供、下戸、肝臓疾患者、貧乏人等を除いた人数を仮に5千万人とすると、単純に考えると一人2本呑める本数になる。
国民酒なのである。いまや全国の津々浦々で、コンビニに飛び込めば売っている日本酒の看板といってもいいお酒なのである。
看板商品のイメージにそぐわない冗談商品はそのラインナップに入れない方がいいと庵主は思うのである。
大関社内の横綱審議会には慎重な審議をつくすようにお願いしたいのである。
この大吟醸を呑んで大吟醸はさすがにうまいねと思われたら困っちゃうからである。
★ビール地獄★17/8/10のお酒
サントリーが出した第3のビールの新製品「Kire」(きれ)を飲んでみて、わが国の窮状を見る思いがしたのである。
商品名は「キレ味〈生〉」というのかもしれない。
発売日は(2005年)7月26日である。
一斉に車内吊り広告などで煽っているが、所詮代用ビールである。
庵主は善意に解釈するのである。
それは8月15日の終戦記念日の間に合うように発売したのだと。
あの戦争の代用食を偲ぶ、代用ビールなのである。
食料の確保をおろそかにすると、こうなりますよというサントリーからの提言である。
「Kire」はその原材料が凄い。
「ホップ、コーン、糖化スターチ、醸造アルコール、植物繊維、
コーンたんぱく分解物、酵母エキス、香料、カラメル色素、酸味料、クエン酸K、
甘味料(アセスルファムK、スクラロース)、苦味料」とある。
ニセモノを造るためにはこれだけの材料が必要となるのである。普通に造れば、水と麦芽とホップと酵母だけだろう。
こうなると、合成ビールとでも呼んだ方がふさわしいのではないだろうか。
いずれにせよ、それは「芸術品」である。
鉄腕アトムを造るのと同じである。人間そっくりにロボットを造ろうとすると、やたらと部品が多くなるのである。
それができたとしたら、工業製品というよりは「芸術品」といったほうがふさわしい。
サントリーは芸術に挑戦しているのである。
かつて、開高健とか山口瞳などの教養人を養っていただけのことはある。
それだけの見識がある会社が、平然と発泡酒とか模造ビール造りにその技術を傾注しているという様がちょっとみっともないのではあるが。
そういうのをサントリー文化というのだろう。恥も外聞もない振る舞いのことである。
思えばそれはエロ本文化に似ている。庵主はエロ本文化が大好きだから、サントリー文化も大好きなのである。いずれも興に乗った時以外には目にしたくないというところも同じである。
普段は気品のある文化のほうがここちよいからである。
時代は現代である。しかも場所は飽食の日本である。
戦時中の食料不足で代用食を食わざるをえない時代ではないはずである。
ところが、現実は、本物のビールが飲めない人がいっぱいいるということである。好んで代用ビールを飲む人が多いのである。
いまやビールの概念を振り切った、ビールもどきの炭酸入りアルコール飲料の時代をサントリーは切り開いたのである。
そんなものを造る理由が、ビールでは税金が高いのでそれを避けるためだという。一言で言えば脱法行為なのである。飲み手を思ってのことではない。
ビール会社は納税で国を支えているのである。それだけの自覚はないのだろうか。飲み手に粗悪なビールもどきの酒を造って飲ませるということは、やることの方向が逆だろう。
まともなビールが安く飲めるように、大蔵省に掛け合って税金を下げさせるのが筋だろう。
それをやらない大手のビール会社を庵主が軽蔑するのは当然の帰結である。
まずい酒を造る会社をからかうのは、それが志が低いからである。日本人が、中国人や韓国人をからかうのと同じである。もっと大人になれよという思いを含んで嗤っているのである。悪意はない。それが正道に戻れば嗤う理由がなくなるからである。
大手のビール会社はまさにビールの道を踏み外して、外道の世界に落ちたようである。それをビール地獄と呼ぼう。正しくはビール会社の地獄ということである。もうはいあがれないだろう。
日本酒の大手メーカーがそれをやって、いまや気息奄々としているのを見ればわかる。
少なくとも庵主は、まちがっても大手メーカーが造る日本酒は呑まない。いや飲めないのである。ちっともうまくないからである。
いま、日本では見かけの繁栄とはちがって、粗悪な酒しか飲めない時代をむかえているのである。
庵主は、だからいまのうちにうまい酒を飲んでおこうと心新たにするのである。
★金柑酒★17/8/3のお酒
グラスにそそがれたその酒はきれいな黄色に輝いている。
匂いをかぐと、なんの香りというのではなく、品のいい雰囲気がただよっているのがわかる。
まるで宝石を含むような心持ちでその蠱惑的な液体に口をつける。
やわらかい。美しい。品のいい香りがひろがる。まるで夢の中にいるみたいな甘美な感覚に包まれる。
金柑を本格麦焼酎に漬けた「金柑酒」である。
焼酎の「宝山」の西酒造が造った酒である。地元吹上町産の金柑を漬けて5年間熟成させたというその酒は、ほのかに甘く、香りはひかえめながらも豊かな感じで、なんともいえないいい気持に導いてくれる味わいである。
まさに極上の甘味とほのかな酸味というキャッチフレーズが楽しめるリキュールである。
小さなグラス一杯で気持がゆったりするのがわかる。
とはいえ、こういう色気のある酒は2杯は呑めないのである。甘過ぎて。
酒前酒である。口を湿らし、あわい香りを楽しんでからいよいよお酒を呑むぞという気持を高めてくれる酒である。じっくり酒を呑む前に軽く楽しむ酒だから食前酒ならぬ酒前酒。
「宝山、ちょうだい」。
★日本酒フェスティバル2005★17/8/1のお酒
毎年7月に「日本酒フェスティバル」が五反田のゆうぽうとで開催される。
今年は78の蔵元が参加した。59の蔵元がブースを出してお酒を振る舞った。お酒だけ出品した蔵が19蔵元あって合わせて78蔵元のお酒を一堂で味わえるというフェスティバルである。
はっきりいって、庵主には無用のフェスティバルである。そんなに多くのお酒を試飲できないからである。
一つの蔵が5種類ずつお酒を持ってきたとして295種類、出品酒が一蔵2種類として38種類、しめて333種類である。絶対呑みきれない。
お酒の量が呑めない庵主の場合は入場料を払ってはいっても元がとれないからである。
お酒を味わうのなら、同じお金で数本のお酒をじっくり味わった方がいい。
そして、いたずらに数だけ呑んでも記憶に残らないからである。
それなのになぜ顔を出したかというと、参加している蔵元が他の日本酒のイベントと違って、うまい日本酒を醸している蔵に絞られているからである。すなわち日本酒の今が一望できるからである。
そして、これから注目を受けるにちがいないうまいお酒を造っている蔵元が参加しているから、それをいち早く味わってみることで人より一歩先を行っているという優越感にひたれるからである。
このフェスティバルがすごいのは、実は、一居酒屋が主催しているということである。だから呑み手の立場にたって、うまいお酒を造っている蔵元だけを集めたのである。だから、呑む前にその顔ぶれを見ただけで庵主はワクワクするのである。そのワクワクが楽しみで会場に向かうのである。
「由利正宗」(ゆりまさむね)と「上喜元」(じょうきげん)はちゃんとある。庵主が試飲会では一通りのお酒を呑んでから、お酒のうまさを確かめるために最後に呑むお酒である。
こういうお酒を知っていると、その前に多少変なお酒を呑んでもすべて許してしまうことができるからである。
もっとも庵主はレストランに行った時には、最初に、デザートを決めてからその前に食べる料理を注文するというのがしきたりだからでもあるのだが。
「房島屋」(ぼうじまや)、「鍋島」(なべしま)、「亀甲花菱」(きっこうはなびし)といったお酒があるかと思えば、「龍力」(たつりき)、「竹林」(ちくりん)、「獺祭」(だっさい)もある。
さらに、「浦霞」(うらかすみ)、「一ノ蔵」(いちのくら)、「司牡丹」(つかさぼたん)なども念のために用意されている。
若手の杜氏が醸しているいずれも今年3造り目だという「相模灘」(さがみなだ)、「而今」(じこん)がある。今回初登場の「大那」(だいな)、「御湖鶴」(みこつる)、「美寿々」(みすず)、「美富久」(みふく)といったお酒も並んでいる。
庵主が好きな静岡のお酒はというと「志太泉」と「臥龍梅」が参加している。
「志太泉」は杜氏が替わってどんなお酒か呑んでみたいし、「臥龍梅」は静岡酒のうまさを実感するには恰好の酒である。
いつでも呑める「開運」「初亀」「磯自慢」ではなくこの2蔵を選んだというところがにくい。
酒銘は、念のため、しだいずみ、がりゅうばい、かいうん、はつかめ、いそじまん、である。
お酒だけを出品してきた蔵のお酒も見逃せないのである。
熟成酒の「達磨正宗」(だるままさむね)は十年物と三年物の2本が味わえる。
「南部美人」(なんぶびじん)、「浜千鳥」(はまちどり)、「天の戸」(あまのと)、「奥播磨」(おくはりま)、「伯陽長」(はくようちょう)と呑んでいくと、お酒が呑める人ならブースにたどり着く前に入場料の元がとれてしまうのである。
日本酒フェスティバルは、武蔵小山にある「酒縁川島」と日本酒伝承の会が主催している。
さらにおいしいお酒が呑みたいとき、そして前月のお酒も呑みたいときは
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