「むの字屋」の土蔵の中にいます

平成17年6月の日々一献


★「東山」本醸造生貯蔵酒★17/6/29のお酒
 はしごで入ったお店のお酒は「東山」(ひがしやま)だった。
 東山といっても京都ではない。福島の東山である。
 300MLの瓶にはいったお酒は600円だった。
 生と大きく書かれたラベルには、その下に小さい字で貯蔵酒と書いてある。
 せこいのである。

 片生(かたなま)を生酒と称して売るのははしたないことだと庵主には感じられるのである。
 通常2回行なう火入れを1回しかしていないからといって生(なま)を謳うのは呑み手に対するひっかけではないかと庵主は思う。
 アルコールを1%しか入れてないのだからこれは純米酒と変わりませんよといっているようなものである。
 1%でもアル添したらもう純米酒ではないように、1回でも火入れしたら生というのはおかしいじゃないか。
 風味は生ですというのだろうか。それなら1%アル添のお酒も風味は純米酒である。
 片生を生と表示するのは業界の伝統ですというのなら、そんなまぎらわしい伝統はやめてしまったほうがいいと庵主は思う。
 どこの家にでも冷蔵庫がある時代にそんないかがわしい表示はもう必要ないのである。
 
 「東山」の味わいは、古いタイプの日本酒の味わいである。
 福島のお酒を呑むとよくこのタイプの味と出会うから、庵主は福島のお酒はダサイと思っている。精米歩合が足りないのかもしれない。
 同じ福島のお酒でも「天明」とか「奈良萬」などは、当世風のタイプの味わいである。こちらの方が庵主の好むモダンな味の日本酒である。
 選ばずに入ったお店で久しぶりにまずいお酒を呑んだのである。
 
 なお、「むの字屋」でいう 「まずい」というのは、貶(けな)し言葉ではないということはいつも書いている通りである。
 その味わいを古いタイプと書いたが、古風な味わいといったほうがいいのかもしれない。
 庵主は毛嫌いするが、その味が日本酒だと感じている人がいるかもしれないからである。現にそのお酒が売られているのだから、そう感じている人がいるのである。
 きっとご当地の料理の味わいをひきたてるお酒なのだろう。

 話は300ML瓶に変わる。
 300ML瓶は酒呑みにはちょうどいい量なのだという声を聞く。
 庵主は、酒は五勺しか呑まないから、それでもとんでもない量なのだが、お酒になじんでいる人には2合弱というのがちょうどうまい量なのだという。
 お店で出した時にも容量が明確で、しかも、1合でもいいと思っている客にも最初から1.7合を売りつけることができるから売上にも貢献する瓶だという。
 なんといっても口切りのお酒が呑めるということでうまさがつまっているのがいい。ただしこれはお酒の管理がよければの話だけれど。
 それでいて、ちょっと量が多いと感じる人にもけっこう呑みきれる容量なのである。庵主がそうだった。

 この味の酒ではちょっと呑みきれないかなと思いながらも、グラスに氷を入れてもらってよく冷やして味を殺して呑んでいたらいつの間にか1本空いていたのである。
 もちろん一人で呑んでいたら300MLの瓶を頼むわけがないが、連れがいたからまずいまずいと思いながらも試練のうちに呑み終えていたのである。

 庵主はいつも鞄を持ち歩いているから、呑み残しを持ち帰ってお風呂で呑もうと思ったものの、見ると栓を捨ててしまったようなので持ち帰りを諦めたのである。
 お風呂で呑むというのは、お風呂にいれて体の表面からお酒を味わうということである。
 2合弱という容量は、2合ぐらいなら毎日呑んでも大丈夫というお医者さんが多いことからも考えて体にはちょうどいい量なのだろう。
 お酒が楽しく呑める瓶ではないかと思うのだが。



★「岩の井大吟醸古酒」昭和51年仕込★17/6/25のお酒
 千葉は御宿のお酒「岩の井」は庵主が好きなお酒である。
 その、有名な「大吟醸古酒」を初めて呑んだ。
 庵主は自称「岩の井」ファンなのだが、名声高いこのお酒とはこれまで縁がなかったのである。そして縁を結んだのである。
 たまたまカウンターで立って呑んでいたからよかったが、椅子にこしかけていたらきっと椅子から転げ落ちていたことだろう。
 そんな衝撃的な味わいだった。

 うまかったのである。いや、うますぎたのである。いやいや、うまいとかいうのではなく、日本酒にこんな味があってもいいのだろうかと庵主の想像を越える豊かな味わいに出会ってぶっ飛ばされたのである。
 しばし、その味わいを表現する言葉が出てこなかったのである。
 100年間の夢をいっぺんに見たような、めくるめくようなめまいを感じたほどである。
 庵主の表現力を越える味わいに出会ってクラクラしてしまったのである。
 そして、やっぱり「岩の井」はうまいと、一人ほくそ笑んだのである。

 「岩の井」の大吟醸古酒は昭和51年度仕込である。二十九年ものである。
 酒の色は紹興酒のようにこってりとした褐色かとおもいきや、なんと、ほとんど透明に近い清澄な色なのである。
 そして味は、紹興酒のような味になっているのかと思ったら、ここでまた庵主の想像を裏切られてしまったのである。
 裏切られたというより、庵主の想像の範囲を越えていたというわけである。

 その味を記憶しようとして、まず庵主がこれまでに呑んだことがあるお酒を思い出していたのである。
 あの酒に似ていると思った。そのあの酒の名前が出てこない。味は浮かぶのだが、その酒の名が出てこないのである。
 そうだ、グラッパ、である。
 日本酒の味の延長ではなく、日本酒の味をふっきったようなモダンな感覚の味わいなのである。日本酒の味わいがモダンでないといっているのではなく、である。
 たとえるならば、未来映画のセットを見るような、現在の素材で作られた飾りつけなのに、なんとなく未来のように見える風景を見ているみたいな感じなのである。
 今をベースにしているのにちょっと洒落ている感じ、なのである。日本酒をベースにしているのに、ちょっと、いやかなり洒落ているのである。
 こういうお酒に出会えるから日本酒を呑むことが楽しくてたまらないのである。

 蔵元はシェリーみたいな味わいですと言っていた。そうか、そうかもしれない。と同時にシェリー酒が飲みたくなったのである。
 グラスの中で豊かな香りが広がるその妙なるお酒は庵主のこころをときめかせたのである。
 まるで美酒という麻薬にひたっているみたいなこころもちだった。


★庵主をワクワクさせた酒★17/6/22のお酒
 ワクワクさせた「お酒」と書かなかったのはわけがある。
 それは日本酒かどうか分からなかったからである。
 メルシャンとか協和醗酵とか宝酒造というのは醸造アルコールを作っている会社じある。
 そのメルシャンが作った日本酒様(にほんしゅよう)の酒が1.8リットル詰紙パックに入って日本酒売場に並んでいたのである。
 
 その隣には合成清酒と明示された紙パック入りの酒が同じ値段の480円(税別)で並んでいたから、メルシャンの箱入娘ならぬ箱入酒もその同等品なのだろうと思って手に取ったら、目に飛び込んできたのが「新製法豊潤仕込み」なる宣伝文句である。
 赤地に白抜き文字で目に付くように書かれている。

 買ってきて、あとからよくよく箱をみたら、箱の下のほうに「酸味料 調味料 無添加 合成清酒」とさりげなく書かれていた。
 その「うまくち俵兵衛」(ひょうべえ)は、箱に書かれているキャッチフレーズによると「燗よし 冷やよし あとくちよし」というのだから、ほんとうだったら大儲けと思って豊潤仕込の酒を呑んでみることにしたのである。

 その手の酒が今庵主の手元にいっぱいある。その手の酒というのは、一口呑んだだけでもう呑みたいという気が起こらない酒ということである。
 それらの酒はへたをすると人に呑んでもらうこともできない酒なので結局はお風呂にいれることになるのであるが、メルシャンの模造酒製造陣が豊潤仕込みを開発して満を持して世に問うた「俵兵衛」が、下手物好きの庵主の心に叶うか、はたまたお風呂となって体の外側から味わう酒となるか、近来これほどワクワクさせられた酒はない。
 せんだって呑んだ「岩の井」の「大吟醸古酒昭和51年度仕込」を別にしてのことではあるが。

 「しみわたる、このうまさ。」は「新製法『豊潤仕込み』(特許出願中)」によるものである。
 「新製法『豊潤仕込み』で、調味料や酸味料に頼らず、自然なバランスとうまさを引きだしました。これまでにない豊かな味わいと、すっきりしたあとくちの良さお楽しみ下さい。」パッケージでは「あとくちの良さ」のところで改行になっていて、次の行の頭から「お楽しみください。」と続いているのである。
 それしか書かれていないので、その豊潤仕込というのがどういうものなのだが全然わからないけれど、なんとなく画期的な、しかもうまそうな製法ではないか。庵主はそう勝手に想像するのである。

 紙箱には涼しげな感じのガラスの徳利とガラスのグラスの写真があって、「冷やでうまい すっきりとした口あたたりと、あとくちのキレが良いから、冷やでよし」とあり、陶の徳利と猪口の写真の横には「燗でうまい 香りふくよかで、味わいのバランスが良いから、燗でよし」とある。
 うまそうなのである。

 では、いよいよ呑んでみよう。
 胸が高まる瞬間である。

 普通に日本酒を造れば十分にうまいお酒ができるのである。
 それなのにわざわざ合成清酒を造らなければならない理由が庵主にはわからない。
 造り過ぎた醸造アルコールを売るためにそのことをわかっていて造っているものか。
 これをお酒と思って呑んではいけない。比較したら問題外だからである。
 しかし日本酒様の小粋な呑み物と思ったら存外いけるのである。
 酸味がいい。ほんのりあまいのも庵主の舌に叶う。
 これをきりっと冷やして呑めば、うまいと感じるはずである。
 ただ庵主の体はそれを一杯呑んだら、だまって口をつぐんでしまうのである。
 それを合成清酒と知ってて呑んでいるから、「もっとうまい酒を出せ」と言うのは気がひけるからである。


★北海道のお酒土産・その三 呑んでみたら★17/6/15のお酒
 承前
 道内3蔵のお酒が3種類セットになっている北海道土産のお酒を呑んでみる。
 まずは「国稀」の「鬼ころし」である。
 予想どおりのまずい酒だった。
 まずいというのは庵主が苦手な超辛口酒にたいする形容詞である。
 酒がまずいわけでない。この酒自体はうまくもなんともないからである。
 これはアルコールなら分け隔てなく飲めるという酒呑み用のクセのない酒である。
 日本酒度の+8を、添加したアルコールで出すとこうなるという見本である。
 どうなるかというと、ぜんぜん舌に引っかからない。うまくないのである。ただしまずくもない。
 庵主にはお酒を呑んだという気がしない酒である。
 はじめて呑んだ「国稀」がこれだったら、次に「国稀」を呑みたいとはまず思わないことだろう。

 つぎに「雪の花」の本醸造である。
 室温で半年置いたせいだろう。老ねが出ていた。
 これまた予想どおりのお酒である。これがお酒だと思うのは軽自動車に乗ってそれが車だと思っているようなものである。
 いい車がいっぱいあります、と教えてあげたくなる。

 そして、「北の誉」の純米である。アルコール度数が14〜15度とすこし低い。
 この3本の中では一番まともである。
 すくなくてもお酒らしい雰囲気がただよっている。
 純米の北の誉は伊達ではないのである。
 しかしである。庵主が期待する水準とはかなりの隔たりがある味わいである。もっとうまい酒ちょうだいと居酒屋の女将(おかみ)に悪態をつきたくなる。
 これが「北の誉」かよ。

 ダメなのである。こういうお酒は、通でないとその酒質の程度がわからない酒だからである。
 庵主みたいに、自分の好き嫌いをはっきり言える呑み手ならこれらのお酒の位置が見えるのだが、知らない人が呑むとこれをお酒だと思ってしまいかねないからである。
 しかし、このお酒を初めて呑んだら、「北海道のお酒ってこの程度か」と軽くみられてしまうこと必定である。
 お酒のお土産なのだから、北海道で醸したうまい酒を呑ませてほしいのである。
 またあのお酒を呑みたいから北海道に行きたいと思わせるような、真っ当なお酒をお土産に持たせてほしいのである。
 それなのに、観光客を一見の客だと侮(あなど)って、どうでもいいお酒をつめるという考え方が、はっきりいって程度が低いと庵主は思う。
 もっとはっきり言うと商売気がないのである。
 お客さんを楽しませようという気持にかけているのである。

 北海道は観光客相手の北辺の地である。それ以外に魅力はない。
 その代わり、京都のようにわけもなくふと行ってみたくなる恵まれた地なのである。
 北海道産のじゃがいもだ、アスパラガスだ、バターだ、チーズだ、牛乳だ、はうまいもの代名詞である。
 北海道のお酒がその波に乗れないわけがない。
 もっとうまいお酒を呑んで日本酒の水準を知ってもらいたいというのが、飛行場土産の北海道産日本酒に対するささやかな忠告である。

 北海道は観光立国である。
 その国に行って最初に出会った女性が素敵だと、その人は永久にその国の贔屓なるという。とんでもない女にであったらその国の印象は散々である。
 お酒も、その土地に行って料理をうまくするお酒に出会えたら、そこは酒呑みの幸せランドである。  それが最初からとんでもないお酒が出てきたのなら、そこに住んでいる人間の教養まで疑ってみたくなるのである。
 韓国に行って、初めて会った男がペ・ヨンジュンだったら、きっと韓国が好きになるはずである。それが某大統領だったとしたら、日本人ならいっぺんに韓国人を見限ってしまうことだろう。
 出会いが肝心なのである。
 北海道に出会った人にはうまい道産酒を持って帰ってほしいのである。

 再掲する。
 「北の錦」の「北斗随想」(ほくとずいそう)は純米酒の鑑(かがみ)である。北海道に行く機会があったら値段の高い札幌ラーメンを食うよりも先に、訪ねてそのお酒を呑んでもらいたい。是非味わってみてほしい。

これにて「北海道おみやげ酒編」は終了

(注)実際にこの3種類のお酒を呑んだのは17年6月になってのことである。1月に買ってきてから呑むまでの半年間それを呑みたいという気が起こらなかったからである。庵主は(なんとなくうまそうに思えない)お酒を呑まないからである。
 「雪の花」には悪いことをしたと思うが、残念ながら「呑んで」というお酒のオーラを感じなかったのである。
 もっとも手元には3年前に観光地で買ってきたお酒が転がっているが、それもまた呑みたいという気が起こらないお酒なのである。


★北海道のお酒土産・その二 思うに★17/6/8のお酒
 承前
 北海道の空港売店で買ったお土産の北海道のお酒3点セットの話である。
 ラベルを見ただけで酒の味を予想してみる。
 まず「国稀」の「鬼ころし」である。増毛町の「国稀」というのがちょっと気になるが、すなわちひょっとしたらまだ知られていない美酒を醸しているかもしれないという期待をそそられるのだが、しかし鬼ころしという命名を見ただけでうまさの追求は最初から放棄している酒であることがわかる。
 アル添の普通酒である。アルコール度数が17度以上18度未満と高めに調整してある。日本酒度が+8と書かれているから、庵主がうまいと思う酒でないことは明らかである。
 度数があるから味がだれているということはないだろうが、味わいの薄い酒にちがいない。呑んでも甲斐のない酒だと思われる。
 とはいえ「国稀」だから何かがあるかもしれないという期待はあることはあるのである。
 庵主にはちょっと気になるお酒なのである。

 「雪の花」は日本酒度+3でアルコール度数が15度以上16度未満で本醸造という表示がラベルにあるからそこそこに呑める味わいを狙った酒なのだろう。
 色は「鬼ころし」に比べると心持ち黄色みが強い。うっすらと黄色がかった色をしている。「鬼ころし」ほどにはアル添をしていないことがわかる。喉にひっかかる変な味がついていなければ案外呑めるお酒かもしれない。が、期待はわいてこない。

 「北の誉」の純米である。色もうっすらと黄色みがある。この3本の中では一番色が濃い。日本酒度+2、精米歩合が65%とあって、アルコール度数が14度以上15度未満とあるから、さらりとした呑みやすさを求めた純米酒である。それでもこの3本の中で一番うまいのはこの酒のはずである。
 それにしても、いかにもみやげ物といった軽いお酒の組み合わせであるのが残念。いま流行りの波田陽区なら、ざんね〜ん、といったところである。
 庵主は瓶が欲しくて買ったのである。そういう点では入れ物が楽しいお土産なのである。
《さらにつづく》


★北海道のお酒土産・その一 興味あり★17/6/1のお酒
 観光地ならどこにでもあるのかもしれないが、新千歳空港内にある酒屋に、おもしろいデザインの瓶にはいった北海道の酒3種類セットというお土産がある。

 四合瓶サイズの紙箱に160ミリリットル入りの瓶にはいっている三つの蔵元のお酒が重なって入っている。瓶の底が大きくへこんでいて、そこに下の瓶の口の部分がすっぽりりはいるようなデザインになっているので三つの小瓶はきっちりと重ねておくことができる。庵主はこれぐらいの量の3種類のお酒が手元にあれば丁度いいから、入れ物が気に入って買ってきたのである。
 
 お値段は1,680円である。一升瓶に換算すると6,300円になるから割高ではある。しかし、うまいのか、そうでないのか、がなかなか読めないから買うのは博打ともいっていい北海道の酒を四合瓶で買わなくてもすむというのがありがたい。しかも3種類の北海道のお酒が味わえるのだから楽しいのである。
 はずれても1本が160ミリリットルである。すぐになくなる。うまかったら改めて四合瓶で買えばいいのである。口に合わないお酒を四合瓶で買ってきたときにはその始末に困るからこういうお試しセットは重宝なのである。

 お酒は増毛の「国稀」の「鬼ころし」と札幌の「北の誉」の純米と小樽の「雪の花」の本醸造と3蔵のお酒がはいっていた。
 「国稀」は製造年月が04.09となっている。
 「北の誉」は04.11である。
 「雪の花」は16.09と印字されている。
 それらのデーターだけで、呑む前に味わいの予想をしてみたのである。

(注)お酒を買ったのは17年1月初めのことである。
●このお土産の画像があります

さらにおいしいお酒が呑みたいとき、そして前月のお酒も呑みたいときは