「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成16年10月の日々一献

★9月の新刊★16/10/1のお酒
 お酒の本の新刊は増田晶文(ますだ・まさふみ)著「うまい日本酒はどこにある?」(草思社刊・1575円税込)である。
 造れば売れたという時代がウソのように今はどんどん売れなくなっている日本酒はやがてなくなってしまうのではないかと危惧して書かれた本は危機感にあふれている。
 蔵元、酒販店、居酒屋と各方面の問題点を取材して歩いているだけあって、日本酒業界危機の実態のすさまじさが伝わってくる。
 現在、日本酒を造っている蔵元の数は約1,500といわれているが、2010年には500蔵までに減るだろう、という見方を紹介している。超悲観派の発言なのだろう。
 庵主などは、1年は365日しかないから、365蔵あれば毎日日替わりで酒が呑めると考えてしまう。500もあったら呑みきれないと思ってしまう。庵主が一年間に呑むお酒の蔵元の総数は100蔵もあるだろうか。その程度だと思われる。もっともその365蔵がうまいお酒を醸す蔵元だったらいいが、マズイ酒を造る蔵元がほとんどということも考えられるからそうもいってはいられないのだが。
 また庵主は大方の支持がえられなくなったものならば滅びてもしかたがないとも思う。日本酒がなくなることはありえないことはわかっていての発言であるが。飲み食いのことでうまいだのまずいだのゴタゴタ言うのはみっともないとはわかっていても、やっぱりうまいお酒が呑みたいからである。こんなにうまいお酒がなくなるわけがないのだ。こういう技を極めたお酒を造るということが日本人なのである。そのうまさが分かるということが日本人なのである。だから日本人がいる限り日本酒がなくなるわけがない。日本酒というのは日本人の生き方の精華でもあるからである。
 2002年からの酒類販売免許の規制緩和でだれでもどこでも酒を売ることができるようになったこともあって(目下、原則通りに許可しないという経過措置中)、全国小売酒販組合中央会の調査結果によると「98年以降の5年間で転・廃業あるいは倒産した酒屋は24,039軒」、「失踪・行方不明者が2,547人、自殺者58人」を数えるという惨状を呈しているという。
 最近の日本の自殺者は年間30,000人余を数えると聞いているが、58人という数字がここ5年間の数字なら1年間では12人弱ということになり、全自殺者に対する占有率は0.04%となるが、この数字なら別の業界の自殺者の方が多いのではないかとも思われる。
 今時の若い人は、日本酒が好きとか嫌いというのではなく、関心がないのだ、という発言もある。たしかに関心がないものが売れるわけがない。目の前にあっても見えないのだから、それはないことと同じなのである。
 晩酌というのがなくなって親がお酒を呑むという習慣を子供に伝えられなくなったという生活の変化にもよるのだろう。それよりも本当のところは酒だけが生活の楽しみといった時代は過ぎ去ったということなのである。いままでがアルコールの呑み過ぎだったとも考えられるではないか。日本人のお酒は飲酒量の適正化に向かっているのである。
 なお、生産過剰だから女子供にも呑ませてしまえという発想を庵主はよしとしないのである。それは本末転倒だろう。
 日本酒と料理を合わせるという発想は、日本酒はワインとは違うのだからソムリエ業界の発想に毒された邪道ではないかという意見もあるが、本書134ページの入野酒販店の榛葉雅弥氏の解説は参考になる。
 庵主の苦手な超辛口のお酒にカマンベールチーズを合わせると双方がうまく感じるからそういう組み合わせの知識というのはあったほうが人生が広がるというものである。
 「家庭の味が崩壊して、おふくろの味がレトルト食品やインスタント食品に取ってかわられた」ことで、若い層の嗜好が変わってしまったことから彼らの味覚ではいまや日本酒はけっしてうまい酒ではないのだという分析も書かれている。
 発端は戦後のアメリカによる日本人の味覚破壊工作である。アメリカでは家畜のエサだった脱脂粉乳を給食と称して日本人の子供に与えたことに始まる。パン食の強制もある。米の持っている力からの離脱を進めた結果である。日本酒の危機は米国による日本の文化を破壊するという陰謀の成果なのである、と陰謀史観が大好きな庵主は速断してしまうのである。要するにいまどきの母親は子供にろくなものを食わせてこなかったということなのである。
 それにしても、庵主のようにうまいお酒しか呑まない呑み手からすると、今はうまいお酒が多過ぎて呑みきれないという実感と、日本酒の業界の惨状を伝える本書の内容との乖離はいかんともしがたい。
 はっきりいって今の日本酒業界は大量のうまくないお酒を造っているというのが実情なのではないか。
 売れていないのは呑んでもおいしくない日本酒なのではないかと思うと、いまどきうまくもないお酒を呑む物好きがいないのはあたりまえのことではないかと一人頷いてしまうのである。
 庵主の場合は、うまくもないお酒を呑みたいとは思わないから、その手の酒がなくなってもちっともかまわないので、日本酒業界の危機と聞いても実感がともなわないのである。
 現に本書でもおいしいお酒を売ってはやっている居酒屋がいくつか紹介されている。そのうちの一軒は店名を紹介されるとお客さんが押し寄せて困るとまで言っているのである。
 どうやら日本酒業界危機の正体が見えたようである。


★15度のお酒★16/10/27のお酒
 庵主はお酒を1杯しか呑まない。1杯というのは一合ではない。一番小さい日本酒グラスで一杯である。量でいうと60ミリリットルである。3杯で1合であるが、とてもじゃないが1合の酒を呑むと酔っぱらってしまうのである。だからいつも2杯しか呑まない、いや、呑めない。
 お酒のいやらしいところは、最初は1杯だけと言っておきながらいつのまにか2杯になっているということである。そのうえ、もう一杯どうですかおごりますよ、と言われたならなぜかためらうことなく、ありがたくご馳走になってしまうのである。
 実は3杯目はそのためにとってある余裕である。1合の酒を呑んでもぶっ倒れるほど酔っぱらうわけではないことを知っているからである。それが庵主のせこいところである。いや酒呑みの、と広く責任を散らしておこう。その余裕の1合は、最後にいいお酒が出てきたときにそれを味わうための予備でもあるのだ。フィルムでいえば、何が起こっても写真を撮れるようにとあけてある最後の1コマなのである。
 甘いものは別腹というが、ゴチになるお酒も別腹のようである。いじきたないとは思うが、ご馳走してくれるという人の気持ちを踏みにじるわけにはいかないのである。というよりもその人においしくお酒を呑んでもらうために協力しているのである。人にお酒をおごりたいという幸せな気分を二人で共有するということである。幸せは二人で味わうと2倍になるというから。
 庵主は1杯の酒しか呑まないから、最初からこってりしたお酒でなけれればならない。そうでないと呑んだという実感が得られないからである。
 できればいいお酒がいい。ほんとうにいいお酒は1杯でいいのである。味が深いから1杯でそのお酒との出会った喜びを楽しめるからである。
 個人的にはアルコール度数が17〜19度といった高めのお酒が呑んでうまいと感じる。
 では、そういうお酒をもう1杯呑めるかというと、そうはいかないのである。重過ぎて呑んでられないのである。
 たくさん呑むお酒はもっと軽いお酒がいい。
 「喜久醉」の冷やおろしを呑んでから「白馬錦」の「白嶺」(はくれい)を呑む。
 この「白嶺」が軽くて呑みやすいのである。前者のアルコール度数は18度、後者は15度である。
 最初から「白嶺」を呑んだら、庵主はまちがいなく薄い酒だと感じたはずである。最初にこの酒を呑んだら、なんだか物足りなくて、もう一杯、重いお酒がほしくなるのである。しかし、2杯目で呑むとなかなかいいのである。ことさらうまいというお酒ではないが、さらりと入るお酒なのである。
 ようするに、お酒はその時々において呑むお酒は違ってくるというあたりまえの結論に達するのである。
 庵主は、好みが激しいから、うまいマズイをはっきりいうが、そのうまいマズイもあくまでも庵主の好みであるからほかの人においてはその限りではない。
 いろいろなタイプの日本酒があるのだから、それを呑み分けることがでることが教養というものだと思う。教養というのは物事の表と裏を知っているということだろう。
 教養をみせびらかすためにお酒を呑むわけではないが、それぞれのお酒のいいところをひきだせるセンスがその呑み手の器量なのだと庵主は思う。


★日本酒危機の本質★16/10/20のお酒
 日本酒が年々売れなくなってきて、昨年(2003年)は焼酎の出荷量に追い抜かれてしまったということで蔵元は恐慌状態になっている。日本の全酒類に占める日本酒の割合は10%ぐらいにまで地位が低下してしまっているのである。
 このまま推移すると、2010年には、現在1500と言われている酒造場が500から最悪200ぐらいにまで減少するだろうという見方をする人もいる。
 ビールメーカーは4社しかないけど供給に不足はないから、200社もあればその50倍なのだから選ぶお酒に不自由はないともいえるが、そのほとんどが大手のメーカーだったとしたら目もあてられないことになる。
 大がかりな装置で造る日本酒と手造りの日本酒は質がちがうからである。庵主が呑めるのは質のいい方のお酒なのである。質がいいと書くと語弊がある。装置で造ったお酒の質はけっして悪くないからである。庵主が呑めるのはうまい方のお酒である。
 日本酒危機の本質は実は米問題なのである。
 原料の米がないと米を使った日本酒は造れないのである。大手メーカーはやがて値段の安い外国から輸入した米を造って安価な日本酒を造り始めるだろう。輸入米で造ったお酒を日本酒と呼んでいいのかという心情的な非難は避けられないだろう。では国産米で造ったお酒ならいいのかということになるが、その実態というと日本の米文化を破壊する方向で事態は進行しているのである。
 世界一農薬を使った日本の米でお酒は造られているのである。
 日本酒業界がバンザイをする前に、米を造っている農家の方が先にまいってしまうのである。


★日本酒はできれば3本買う酒だ★16/10/13のお酒
 日本酒は1本だけ買ってもだめ。すくなくても2本、できれば3本買って呑み比べるのです。
 ただし同じお酒を2本、3本と買ってくるというのはダメですよ。それじゃただの飲兵衛だ。
 本醸造と山廃と純米吟醸といったように造りの違うお酒を買うんです。時には大吟醸を呑むんですよ。いいことがあった時には奮発して大吟醸を呑むんです。それが日本人に生まれた歓びというものなんだから。日本人に生まれて幸せ感じてますか。大吟醸を呑んで感じるんですよ。そのうまさを感じることができる感性が日本人なんです。
 だってそうでしょう。日本酒というのは日本人が長い歳月をかけて造りあげてきた日本人の体にいちばんよくあっているうまいお酒なんです。いうなればこれは日本の文化の精華ですよ。大吟醸はその精華の極みなんです。日本人の心がこもっているお酒なんです。ほうら、だんだん呑んでみたくなるでしょう。自分がちゃんと日本人をやってるかどうか、確かめてみたくなるでしょう。大吟醸酒、うちにあります。冷蔵庫の中で光っているお酒があるでしょう、それが大吟醸なんです。
 お酒はね、その時の料理がちがうとそれに合わせて呑むお酒も違うんです。服だってそうでしょう。野球をするときに背広を着てやりますか、ユニフォームを着るでしょう。お酒もその時々で呑むお酒がちがうんです。それが正しい呑み方なんです。そうは思いませんか。
 本醸造といっても、うまい本醸造、まずい本醸造、どうでもいい本醸造といろいろありますが、本醸造のうまい、まずい、どうでもいいの中から2本とか3本とかを買ってもだめですよ。
 うまいか、まずいかはわからなくてもいいから、造りの違うお酒を揃えるのです。
 今日はいいことがあったからといってルンルン気分で最初に呑むお酒と、料理をたべながら呑むお酒と、仕上げの一杯の呑む「やっぱりいい日本酒はうめぇな」と酒呑みをうならせるうまいお酒が同じということはないでしょう。なんでも一つのお酒で間に合わせてしまうというそんなみじみな生活は、日本人がみんな貧乏だったときの生活ですよ。時代は変わっているんです。いまは21世紀ですよ。
 昔はみんな貧乏だったから、会社に行くときにはく靴も、散歩するときにはく靴も、運動をするときにはく靴もおんなじ靴をはくしかなかったけど、いま、そんな人いないでしょう。生活が豊かになったからですよ。
 ところが、お酒の呑み方は、こんなに豊かになっても貧乏時代の呑み方を続けているっておかしいと思いませんか。
 いまどき、ちょっとおしゃれな人なら、眼鏡だっていくつも持っていてその日の気分によって使い分けているでしょう。目玉はいつも同じ物なのに、その日の気分で眼鏡のフレームを変えると気持ちがいいんです。お酒だって、きのうの気分と今日の気分が同じわけがないのだから、そのときの気分にふさわしいお酒を選んでもっともっと気持ちよく呑みたいと思いませんか。思うでしょう。そういうおいしい呑み方をちゃんと教えられてこなかっただけなんですよ、これまでは。
 お酒の呑み方だってそれと同じで、使い分けができるということが教養のあるのあかしなんです。それができるようになって初めて中流なんです。お金はないでしょうが、とりあえず心持ちだけは中流の仲間入りなんです。生活の余裕があるということが中流階級の入口なんです。
 今日もまた、みんなが仲良く貧乏だった時代をなつかしんでお酒を呑むのですか。たった一つの酒だけを呑んで酔っぱらえばいいという呑み方に疑問をいだきませんか。お酒は楽しく呑むものでしょう。酔えばいいという呑み方をするのはアルコール依存症みたいなダサイ呑み方だとは思いませんか。
ほら、酔っぱらいを見てみっともないと感じるのは、お酒が悪いんじゃなくて、そんな呑み方をするダサイところが日本人の美意識に合わないからなんです。そうでしょう。いまは21世紀ですよ。そんな古くさい、終戦直後のような自暴自棄みたいなお酒の呑み方をしていていいんですか。
 お酒もいまはめちゃくちゃおいしく進歩したのですから、呑み方も進歩しましょうを。もっと心豊かになりましょうよ。
 一升瓶なんかでお酒を買っちゃだめですよ。いまどき一升瓶でお酒を買う人は、おいしいお酒をわざわざまずくして呑むようなものですよ。気の抜けたビールがおいしくないことは知っているでしょう。一升瓶で買ったお酒も栓を抜いて空気にふれたままにしておくと、最初のおいしさが抜けていくんです。だいいち、一升瓶は冷蔵庫に入らない。一升瓶がはいる冷蔵庫をもっているのは居酒屋の人だけ。個人は商売人の真似をしてはいけないの。
 個人で旅客機を持っている人がいないでしょう。そんなもの買ってもかえって不便だからですよ。個人は、旅客機を買うのではなくその旅客機の座席を必要なときに買えばいいの。
 一升瓶の方が安いからと思っている人がいるでしょう。一晩で一升瓶を空けてしまう人はそれでいいの。そうでない人は一升瓶を買っちゃだめ。安いからといってせっかくのおいしさが劣化したお酒を呑んでうれしいですか。幸せですか。おいしいお酒をわざわざまずくして呑むというのは、そういうのが本当の貧乏だと思いませんか。失礼ですが、私もあなたも大金持ちじゃないのだから、せめてお酒だけはおいしいものを呑みましょうよ。おいしいお酒を呑んで幸せになりましょうよ。
 お酒も、個人は美味しいお酒を選んで呑めばいいんです。沢山買ったほうが割安だからといって、まずいお酒を呑んでも幸せになれますか。
 昔は安いお酒がいい酒だったの。いまはおいしいお酒がいい酒なんですよ。
 うまいお酒を呑みたいでしょう。だから、うまいうちに呑みきってしまえる四合瓶、それでも多いのなら、300ミリリットル瓶を買うんです。
 一升1万円の大吟醸酒でも300ml瓶ならその6分の1で買えるから1600円で日本一のお酒が呑めるんですよ。大吟醸を呑んだことがありますか。一度は呑まなきゃだめですよ。日本人なら一度は呑んでほしいお酒ですからね。
 まずは、今日の料理に合わせて、おいしいお酒を2つか3つ味わってみてください。
 おいしいですよ。
 えっ、ウチではおじいちゃんの代から「カブト正宗」しか呑まないって。それでいいんですよ、お酒は。ただ一筋に「カブト正宗」だけという呑み方でいいんです。「カブト正宗」をいちずに呑みつづけるという姿勢がお酒にとってはうれしいんです。
 うちはどっちにしてもお客さんが日本酒を買ってくれればうれしいんですから。お酒を呑んでうれしくなりましょうよ、お互いに。


★無名の美酒★16/10/6のお酒
 月桂冠のお酒である。庵の近くにあるスーパーで売っていたそのお酒には「生原酒」としか書かれていない。米・米麹・醸造アルコールとあるから、本醸造か吟醸酒といったところだろう。値段が300ml瓶で468円だったから、一升瓶に換算すると2808円となるのでかなり高ランクのお酒なのだが、そのへんの表示がないから正体不明の酒なのである。
 それがいい酒なのである。酸味がよくできていてすいすいと呑めてしまう。ようするにうまいのだ。庵主は、普段は大手酒造メーカーのお酒を呑む機会がないから、大手の実力を味わうことが長くなかったのであるが、このお酒なら十分にうまいのである。
 でも、大手のお酒という先入観があるから、素直にうまいと評価していいのだろうかというためらいがあるのがインテリの弱いところなのである。観念的な情報に惑わされて自分の舌で判断することができなくなってしまうのである。
 酒を呑むのは自分なのだから、うまいものはうまい、それでいいのだ。
 アルコール度数は17度である。このあたりが庵主の好みの度数であることもあってこの「月桂冠」はたしかにうまいのである。
 ただ、そのお酒には酒銘が付けられていない。生原酒という造りの表示だけが唯一の頼りであるというのがそのお酒の扱われ方なのである。
 「品質保持のためにUVカット壜使用」とあるが、無色透明瓶なのに効果があるのだろうかというのがふと感じた疑問である。