「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成16年2月の日々一献

★禁酒法★16/2/28のお酒
 禁酒法といっても、お酒のやめ方ではない。アメリカの、かつてあった禁酒法である。ユナイテッド・ネーションズが国際連合と訳されている国柄だから、禁酒法も本当の法律名称は別の悪意が込められた名称なのかもしれないが、面倒なので、いちいちそれを確かめてみることはしない。それはジャーナリスト、すなわち庵主がためらわずに「野次馬」と訳している人達の仕事である。
 庵主が子供の時分に、テレビで「アンタッチャブル」という番組が流れていた。思えば当時のテレビはゴールデンアワーはアメリカのTV番組が占領していたのである。いまにして思えば、テレビはありがたい教化手段だったのである。おかげさまで日本人の食い物が変化してしまい、庵主もその煽りをくらっていっぱしの花粉症を患っている。長い休養で体をいやしているところである。
 子ども心には、エリオット・ネスとアル・カポネの禁酒法をはさんだ攻防戦であるということはわかったが、その禁酒法というのが理解できなかったのである。なぜ、アメリカは酒を飲んではいけないというおかしな法律を作ったのかという背景がわからなかった。
 あとからわかったことは、宗教上の理由なのだそうだ。アメリカ人は9.11のときもそうだが、昔からすぐ激情して何をしでかすかわからない国だったのである。
 だから庵主は、わが国をはじめとして、悠久の歴史を有する国の歴史はヒストリー、アメリカの歴史はすぐかっとなるからヒステリーだと揶揄しているのである。
 そのアメリカが、いまこの時に「ラスト・サムライ」を作って日本に持ち込んできたことの意味を探っているところである。
 その答えが阪本順治監督の今公開中の「この世の外へ クラブ進駐軍」だった。封切上映最終日の最終回に間に合った。映画はいま見る物なのであると痛感した。その見事な回答に快哉したほどである。娯楽映画でちょっかいを出してきたものを娯楽映画ではねつけてしまったからである。国産映画もさりげなく寸鉄を帯びているのである。その寸鉄のことを、これからわさびといおう。
 「ラスト・サムライ」は、どうだ、アメリカ映画は、これほどみごとなイミテーションを作ることができるぞとやったばかりに馬脚を表してしまった映画である。
 「この世の外へ」を見た後で「ドラフトワン」を飲んで、「ラスト・サムライ」がそのビール似のアルコール飲料に似ているということに気がついたのである。
 おっと、話が禁酒法からそれてしまった。
 映画の話は「今夜もやっぱり千鳥足」に入れておこう。


★四国で一杯★16/2/25のお酒
 「酔鯨」(すいげい)と「亀泉」(かめいずみ)と「川鶴」(かわつる)の蔵を回ってきた。酔鯨と亀泉は高知県、川鶴は香川県である。
 庵主がホームグランドにしている酒亭の蔵見学の旅に付いて行ったのである。
 「亀泉」は造りが600石ぐらいで、今年は2月9日に仕込みが終わっているとのことだった。
 庵主が「亀泉」を知ったのは比較的最近のことである。酒の名前が読めなかった。
 「キセン」か「かめいずみ」か迷ったのである。で、「キセンをください」といったらハズレだった。「はい、かめいずみ」といってお酒が出てきた。
 庵主好みの味わいだった。あまかった。いっぺんに好きになったのである。
 いい酒だとはわかるが、あるいは丁寧に造られていることはわかるのだが、いま一つ庵主の口に合わないというお酒がある。それとは逆に、この味ならもう一杯呑んでもいいなと思うお酒がある。そこで好みが分かれるのである。
 庵主の好みは、あまい酒である。このあまい酒を言葉で説明するのが難しい。日本酒度というのがあって、+(プラス)が辛口、−(マイナス)が甘口ということにはなっているが、+5〜+7ぐらいでもあまいと感じるお酒もあるし、−でも辛口かなと感じるお酒もあるからややこしいのである。官能で決めればいいことだけのことなのだが、それを人に伝えようとすると難儀するのである。
 「亀泉」は庵主の味覚を、舌を喜ばせてくれたのである。心にしみたのである。
 蔵を訪れていくつかを呑ませていただいたが、庵主の好みの酒であることを改めて感じてきたものである。
 「酔鯨」は庵主がお正月に呑みはじめとしているお酒である。暮れの呑み納めが「初亀」、新春の呑み始めが「酔鯨」というのが恒例になっている。
 亀泉でも、酔鯨でも、お酒が売れていないともらしていた。今は焼酎の方が勢いがいい。
 「川鶴」は六代目修行中と名刺に刷り込んでいる六代目が、お酒をどう展開していくか、いろいろ手を打っているところである。
 香川県には15の蔵元があるが、じっさいにお酒を造っているのは8蔵だけだという。
 庵主が東京で日頃呑んでいるような、うまいけど値段がそこそこに高いお酒を造って味で勝負とはいっても高い酒が地元で売れるわけがないし、アル添酒に頼っているとどんどん売れなくなるし、かといってお酒を女子供に売るわけにはいかないから蔵元の苦衷は察するにあまりあるものがある。
 呑み手なら自分が呑んでうまい酒を呑めばいいのだが、造り手はそうはいかないのだろう。コカコーラが味を変え、またキリンがラガービールの味を変えたことから、昔からの飲み手に求められて、いずれもクラシック味の商品を復活させざるをえなかったように作り手は飲み手の好む味を無視することができないからである。
 人口が順調に増えていた時代は、酒は造れば売れていたからなんとかしのげたものが、いまは少子化と飲兵衛の高齢化で需要がどんどん減っていくという中にあっては、これまでの経験がそのまま生かせないから試行錯誤で手を打っていくしかないのである。
 川鶴もいくつかの手だてを考えていると言っていた。酒質を向上させるために設備の機械化も進めているという。六代目の意気込みを感じてきたのである。
 四国はさすがに気温が高かった。造りの最中の温度管理が大変だと聞いた。それでも、今はちゃんとうまい酒が造られているのである。
 いつものことながら、うまいお酒を造ってくれる蔵元さんに感謝の気持ちを抱きながら蔵見学を終えて帰ってきたのである。


★三種の神器★16/2/18のお酒
 三種の神器(じんぎ)というのは、天皇の正統性を証明する三点セットのことである。
 八咫鏡(やたのかがみ)、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三つをいう。
 それを持っていれば証明される物(ぶつ)というのは、そうでない人が持っていた場合には間違って証明されるわけだから、あんまり証明の役には立たないとも思うのだが。
 現代は、個人を特定するために、指紋だ、声紋だ、光彩だと、なぜかかまびすしいが、なんでそんなに個人を特定したがるのかがわからないのである。現に庵主の場合は、自分がだれだか判らず、またどこから来てどこへ行くのか知る由もないのである。どこの馬の骨かわかない部類に属する者からすると、個人をそんなに真剣になって特定しても何の利益もないだろうと思うのだが、その目的は何か別のところにあるのだろう。
 笑い話にこういうのがある。TBSラジオの全国子供電話相談室にかかってきた子供の質問。「弁慶の泣きどころは、弁慶が生まれる前はなんと呼ばれていたのですか」。
 三種の神器ができる前の天皇の正統性はどうやって証明したのだろうか。
 日本の歴史はいくら引き延ばしても紀元は二千六百年と有余年程度なのである。おととい決めたしきたりを、悠久の昔からある由緒ある伝統と称しているようなものである。
 みんながそれを権威と思うようになると、秋刀魚のシッポもありがたく見えるのである。でも、お酒の善し悪しぐらいは、そのラベルや他人の評価ではなく、自分の舌で決めようよ。

 庵主の場合は三酒の仁義である。
 まずは、福乃友の「冬樹」である。火入れではなく、生酒のほうである。醸すのは鶴田惣太郎杜氏である。
 つぎに「波瀬正吉」である。「開運」の。
 そして、「天保正一」である。「喜楽長」である。
 ただし、それだけが酒ではないのだが、庵主は最後はまたここに上げた造り手の味わいに戻ってきてしまうのである。
 あくまでも、庵主の口に合っている三本の酒である。口福を満たしてくれる三酒に庵主は仁義をもって接するのである。


★喜楽長の「天保正一」というお酒★16/2/11のお酒
 庵主の表記法では、お酒自体をいうときは「喜楽長」と書く。そのお酒を造っている蔵元名とかその所在地をさすときはカギカッコを付けずに喜楽長と書く。
 よって、本日の題名は、喜楽長という蔵元が造っている「天保正一」というお酒という意味である。
 天保正一というのは、「喜楽長」を醸している杜氏の名前であるが、「天保正一」というのは、杜氏の名をもって杜氏入魂の酒であるという自信と意気込みを示しているお酒である。
 杜氏の名を付して、その腕の冴えを極めたお酒をいくつか上げることができるが、それらのお酒を見ず知らずの庵主にまで呑ませてくれるということをうれしく思う。いつもありがたく思っている。庵主は世間様に対して大したことはしていないのに、お酒だけにはなぜかめぐまれているというのがおかしい。だからせめてこういうお酒があったという記録だけは残しておきたいと、こうしてそれを書き残しているのである。
 庵主の誕生日を祝ってくれる人がいた。そのときのお酒が、うれしいことに「天保正一」だったのである。
 前夜呑んだニガイ酒が、一夜明けると一転して仕合わせな酒となった。
 「天保正一」、その舌あたりは実にたおやかなお酒である。とがったところがない。水は方円の器に従うというが、このお酒は呑み手の欲する味わいに合わせてくれるのである。呑み手に好きな色があってそれを望めば、ちゃんとその色を見せてくれる多彩な色を秘めているお酒なのである。それでいて特定の色を自ら強調することはないひかえめなお酒である。そして、ひかえめな味の中に艶がある。ほのかに色っぽいのである。舌にここちよい気品を感じる。
 それでいて、おしつけがましいところがないところが天保杜氏のお人柄をしのばせる気持ちのいいお酒である。
 「天保正一」、一言でいえば、はんなり、ですね。
 この一年もまたいいお酒にめぐまれそうな、「天保正一」とのめぐりあいだった。


★朝っぱらからお酒、しかもうまい酒★16/2/4のお酒
 庵主がお酒を呑む時間は午後6時から午後10時までと決めている。お酒が解禁となる時間、いや正しくは解禁時刻か、それが夜の6時。そしてお酒に名残をつげるのが夜の10時の鐘ということである。
 ただし、10時まぢかになった時に、さりげなく時計を止めることはある。
 ようするに庵主は昼間っから酒を口にしない。厳格なのである。まして朝っぱらから酒を呑むのは御法度である。
 が、その日、朝食といっしょに出てきたお酒は別だった。場はどうあれ節度を守ろうと思う庵主の強い意志は、ラベルが貼られていない緑色の四合瓶から小さいグラスにそそがれたそのお酒の香りをちょっとかいだ瞬間にもろくも崩れてしまった。
 これまでに数多くのお酒を呑んできた庵主の経験が、そのお酒がたたえている色香にふれて直感で即断したのである。この酒はまちがいなくうまい酒だ、と。
 それで、念のため己の直感を検証することにしたのである。
 そして、朝から呑めるうまい酒があることを知ったのである。
 場は、それをモーニングショットと呼んでいたが、庵主の場合は1杯目に感じたまろやかで喉ごしのよい爽やかなうまさが2杯目をさそい、2杯目であらためて実感したお酒のうまさに3杯目を拒めず、3杯目でからだにしみわたるうまさの充実感に4杯目を味わってみたくなったのである。すっかりそのお酒のうまさに魅せられてしまったのである。しめて正一合である。しかも朝からである。こういううまいお酒を経験したのは初めてのことだった。贅沢をしていると思った。だからちょっと恥ずかしかった。
 ある蔵元さんを訪れて、泊めていただいた翌朝の食事時のことである。