「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成15年7月の日々一献

★「旭若松」純米★ 15/7/30のお酒
 「旭若松」(あさひわかまつ)。徳島県鷲敷町の酒である。ラベルを見るとレトロ(懐古風)なデザインである。大きな字で若松とある。その右肩に小さい字で旭とある。地元だけで売れているそこそこのお酒を、東京で見るのは珍しいという理由だけで持ってきたのではないかと思って話のネタにはなるだろうと軽い気持ちで口にしてビックリ。
 人は見かけに、いや、酒はラベルによらないものである。時にはラベルの出来ばえが良過ぎてラベル負けしているお酒もあるが、この「旭若松」の純米は逆である。
 少しでも呑み手の気を引こうといわんばかりに意匠を凝らしたラベルとは違って、そのようなことには気をつかわないそのラベルは世を忍ぶ姿だった。
 とはいえ、東京の居酒屋で、今まで知らなかった徳島の酒をどうたらこうたら講釈するというのも野暮なことには違いないが、でもやっぱり知らなかったお酒に出会うとうれしくなってつい口数が多くなってしまうのである。
 しかも、うまいのである。うまいといっても、甘いではない。酒に力があってうまいのである。酸味のきれがいい。すうっと呑める酒なのである。純米酒というと、時として昔ながらの重い感じのあの味わい(その味わいを表現する言葉を今の庵主は持ち合わせていない。昔の純米酒によくあったあの米くさいというか、穀物くさいというか、あの味のことである。呑むときになぜか喉につかえしまうあの味である。呑めばわかるが言葉で説明できないのがもどかしい。)がなくて、現代日本酒のライト(ライトとかマイルドとかいうときの、俺は重々しいだけの進歩のない古くさい味わいとは違うぞと主張するときのライトである。)感覚のきれいな味なのである。庵主はこういう新しいきれいな味わいの酒を好む。
 年間数十の蔵が造りをやめたり、廃業していく時代である。蔵元の数は減ったといっても、全国にはそれでもまだまだ呑みきれないぐらいの多くの蔵元がお酒を造ってくれているのだ。死ぬまでに出会えないお酒がたんさんあるのだろうなと思うと残念にも思うけど、一通り全部呑んだからといってもたいして意味がないのだから、まずはめぐりあえたお酒をしっかり味わってその風土に思いを馳せるのである。

★「蘭奢侍」★ 15/7/23のお酒
 玉泉堂の「蘭奢侍」(らんじゃたい)
 「醴泉」(れいせん)シリーズの上位酒である。
 「醴泉」シリーズも下位のお酒はそれほど感動的な味ではないのだが、大吟醸の「真咲吟醸」(まさきぎんじょう)(精米歩合40%)あたりから俄然うまくなってくる。庵主の好みの味になってくるということである。さらにその一つ上のお酒が大吟醸原酒の「蘭奢侍」(精米歩合35%)である。贅沢をお酒にしたらこうなるというようなもったいないお酒である。
 このお酒はうまい。あらためて呑むまでもないほどにうまいのである。いつ呑んでもうまい。だから庵主はその瓶を目にしてもいつもは安心して呑むことはない。でも、久しぶりに呑んでみたのである。
 やっぱりうまかった。
 「田酒」の大吟醸を、庵主は美人の厚化粧と呼んでいる。そこまできれいにしなくてもいいという思いである。
 「蘭奢侍」も美人の厚化粧である。うますぎるのである。これほどまでにうまくなくても、その下の位置づけのお酒で十分うまいのにという、いうなればうれしい悲鳴である。
 「醴泉正宗」という、さらに値段の高いお酒もあるが、これは、ちと味わいが庵主の好む方向からはそれている。もちろん悪い酒ではない。「蘭奢侍」が気さくな美人だとしたら、「醴泉正宗」はちょっと取っつきにくい気取っている美人といったところである。
 お酒は気さくでないと、呑んでいて緊張してきちゃう。「醴泉正宗」は謹んでいただくお酒なのである。

★純米「七田」無ろ過は純米酒の範★15/7/21のお酒
 佐賀県小城町の酒「天山」(てんざん)の新酒銘である「七田」(しちだ)の「純米無ろ過」は純米酒の模範といっていいすばらしいできばえのお酒である。
 精米歩合は、麹米山田錦65%、掛米麗峰65%とある。60%まで削っていないのである。それでいて、その味わいの洗練されていること、舌ざわりのまろやかなこと、そして酸味のさわやかなこと、そのどの一つにも日本酒のうまさを存分に感じさせてくれる呑み心地に感動さえおぼえるのである。
 アルコール度数が18度〜19度未満とあるから、高めの度数がまた庵主の好みということもあって、とくにうまいと感じたということもある。
 精米歩合65%でこういう隙のない、そして衒(てら)いのない純米酒に出会うと、次元の違う話ではあるが、酒米を50%以上も削って造る大吟醸酒はなんと贅沢なお酒なのだろうと思うとともにそこまでやったらもはや冗談といってもいいのではないかとさえ思ったのである。

★番外篇。思わぬところで★15/7/18のお酒
 生ビールのうまい店にであうと、庵主はうれしい。
 庵主が住んでいる曙橋にうまい生ビールを飲ませてくれる店が二つもあることは以前に書いたことがある。いい街なのである。
 一つは深夜までやっているから、いま一つ口に合わないお酒を呑んだときなど、最後にそこに立ち寄って飲むとその生ビールのうまさが改めて納得できるのである。
 まず、なんとなく満足できなかったお酒の残影をさっぱりと流してくれる。だからもやもやとした満たされない気持ちがスッキリする。そして、ビールのうまさが喉元を元気よく通り過ぎるから、あのプハーという快感を感じてからだが息を吹き返すのがわかるからである。
 うまい生ビールを飲ませてくれるお店は少ないのである。が、思わぬところで、穴場的なうまい生ビールに遭遇したのである。
 映画館である。有楽町のマリオンにある日劇2の売店で売っている生ビールがいい。うまい。しかも「売店で売っている菓子類は館内に持ち込んでもかまいません」という。
 映画を見ながら口にするキリリと冷えている生ビールのなんとも口当たりのいいこと。うまいこと。目と口で同時に悦楽を味わうことができるシアワセ。
 いまやっているのは篠田正浩監督の「スパイゾルゲ」である。
 また、生ビールを飲むために劇場に行きたくなっちゃった。 

★サントリーが偉い★15/7/16のお酒
 日曜日の朝刊のサントリーの広告である。
 「シリーズbX3」とあるから、これまでも同様の広告を出していたのだろうが、全然気がつかなかった。内容が内容だけに、だれも気がつかないように広告を打っているわけでもないだろうが、庵主は、これまでそれを見た記憶がないのである。
 内容が酒を飲むときの一般的な注意事項であり、いうなれば飲酒に関する基本的な知識を伝える大切な広告なので、全文を引用してもサントリーが文句を言ってくることはないだろうから広告文の全文を引用させてもらう。
 読売新聞の平成15年7月13日の朝刊に掲載されていた広告である。
               *
スポーツドリンクの成分にはうるさいのに、
お酒には不用心な女子高生。
体も心も成長途中にある未成年者にとって、お酒は危険な飲み物です。
臓器の機能障害だけでなく、無月経やインポテンツになったり、脳が萎縮することも。
もっとお酒の知識にもうるさくなってください。
飲酒は20歳を過ぎてから。
SUNTORY
               *
 さすがに天下のサントリーである。
 お酒は子供にとっては「危険な飲み物」であるときちんと消費者に警告を発しているのである。
 「それは熱湯だから、指を入れると火傷をするよ」と警告しているのに、勝手に指をつっこんで火傷をした人の面倒までみることはない。あとは本人の判断である。ただ相手が子供の場合は、念のため一度は制してやったほうがいいだろう。
 自社の製品に危険性があるということを広告するということは普通では考えられないことである。
 自動車会社が、「当社の製品は毎年1万人ずつ人をひき殺し、さらに年間100万人に及ぶケガ人を出している危険な商品です。臓器が破壊され、脳が損壊することも。もっと車の知識にもうるさくなってください」などと殊勝な広告を出すだろうか。
 全国の病院経営者のためにいいお客さんを供給しているのだからそれは社会奉仕の一環だとばかりに、自動車の危険性についてはほおっかむりである。自動車会社が事故の被害者のために何かをしているといったことは寡聞にして聞いたことがない。車が売れてしまえばあとは野となれ山となれである。
 あるいは世間に知れないように陰徳をつんでいるのかもしれないが、それならなにも秘密にすることはないのである。やっていることを針小棒大でもいいから大いに宣伝してほしい。
 「健康のために吸い過ぎに注意しましょう」というオマジナイを商品に貼り付けて大量広告で女子供に煙草を売りまくっている会社に比べれば、自動車会社は居直っていない分まだましなのかもしれない。なくてはならない商品を作っているという自負心があるのからなのだろう。
 それらに比べてサントリーは大人の会社なのである。堂々と自社製品のマイナス部分を明らかにして、お客様が迂闊な選択をしないように注意を促しているのだから。
 見直しちゃった。
 もっとも庵主は性格がひねているから、「飲酒は20歳を過ぎてから。」で文案が切れているのは、その後のぼかされている言葉がきっと「もっといっぱいやってね」と、客の行動を見透かしている言葉に違いないと邪推してしまうのである。

★七夕の酒★15/7/9のお酒
 有楽町の東京国際フォーラムの地下に「宝」(たから)というお店がある。日本名門酒会の中の九つの蔵元が集まってこの3月にはじめたアンテナショップである。情報発信ショップという位置付けの店である。毎日訪れても、昨日とは違う何かがあるお店ということである。お客が自分のセンスを磨くための店である。
 はじめての七夕の夜に「サマーバレンタイン七夕 愛逢酒(あいぞめさけ)まつり」というイベントを開いた。
 「司牡丹」にはじまって「大山」「浦霞」「開華」「白嶺」「春鹿」「久寿玉」「嘉美心」「西の関」の九蔵が、七夕の夜に呑むのにふさわしいお酒を2種類ずつ選んで蔵元さんがじきじきに振る舞ってくれるというイベントである。
 参加申込は先着順で60名様限り。
 日本酒の会なので参加者は男が多いのかと思っていたが、8割方が女性というのは意外だった。ワインの会は女性が大半、日本酒の会は男の会という先入観はことセンスを売り物にするお店に関しては当てはまらないということを知った。
 いま先進的な女性はおいしい日本酒をきちんと評価しているのである。うまい日本酒があることを知っているのである。しかもそれがどこに行けば呑めるかをわかっていてお買い得な会ならためらわず自腹をきって参加するという行動力をもっているということである。
 ちなみに庵主の両隣に座っていた女性はともに二人連れだった。男が付いてきていないからには自費で参加していることは間違いない。女の子はうまいものには目がないのである。
 会場には17種類のお酒が用意されていた。
 庵主は即座に計算してぞーっとした。17種類である。一杯30mlとしても17杯となると510mlである。一合180mlで割ると約3合弱にもなるのである。庵主は、ふだんは、冷静なときは5勺程度しか呑めない。酔っても1合である。それが限界なのだ。3合も呑めないという恐怖感と元がとれないという絶望感に襲われたのである。
 しかし、一杯を10ml程度に抑えれば全種類を味わえると計算して呑みはじめた。一通りは呑んで帰ろうという意地のきたなさが露呈する。いつも、呑みはじめるまでは素面なのである。冷静なのである、呑みはじめるまでは。
 7月7日午後7時7分から始まった会を辞したのは、なんと午後11時を過ぎていた。両隣の女の子がお酒をすすめてくれるのでなんとなく盃が進む。しかも女の子はしっかりしているので、ちゃんと出品リストと照らし合わせながら全種類をもれなく味わっているから、庵主も全17種類を呑みきったのである。
 蔵元さんが席にやってきてすすめてくれると、いちだんとお酒がおいしくなって、じゃあもう一杯いただきましょうということになる。そんな状況でその日の飲酒量が1合、2合ですんだということはありえない。
 おいしい酒を、いやおいしいというより、あきらかに個性の違いを感じることのできるお酒を呑み比べてみるという楽しい酒を美女に囲まれて呑んでいたのだから、それなりの量を呑んでいたのにちがいない。
 パーティーでみんなしてお酒を呑むときはそれほどいい酒でなくてもいい。味の違いがわかる分かる程度の個性がある酒であるならいい。どれもこれも似たりよったりのお酒ばかりだと貶(けな)すに貶せない、褒めるに褒められないで話のきっかけにもならないのである。
 今宵の酒は、どれもが個性的なお酒ばかりだった。
 これはかおりがいいね、とか、華やかではないけれどすうっーと呑めるね、とか、このお酒は味が重いかんじがするね、とかで女の子と話がはずんだのである。うまいお酒は、その一つ一つがいい表情をしているから呑んでいて楽しいのである。
 七夕の夜は「宝」でおいしいお酒を呑むというのがお洒落の定番になるかもしれない。

★「三千櫻」純米吟醸無濾過生酒★15/7/2のお酒
 岐阜県福岡町出身の200石という小さな蔵元が醸す「三千櫻」(みちざくら)を呑む。造りはいま流行りの純米吟醸無濾過生酒である。岐阜には「三千盛」(みちさかり)という有名銘柄があるがそれとは違うお酒である。
 何でもそうだが、同じ条件で作ったものが皆同じになるかというとそうはいかない。目が二つ、鼻が一つ、口も一つ、耳が二つといった万国共通の条件でなりたっている人間の顔のなんと変化に富んでいることか。
 お酒も同様である。
 純米酒だからうまいかというといちがいにそうとはいえない。
 吟醸酒だから味がいいのかというとそうは問屋がおろさない。
 無濾過だから本物の味がするかというとそういうことはない。
 生酒だから味が深いかといえば必ずしもそうとはいえないのである。
 それぞれの要素がしっかりしていることは必要であるが、酒は全体のバランスのよさがうまいまずいを決めるのである。人の顔と同じである。
 ついでに言えば、大手メーカーが作るお酒に味わいがなくて、小さい蔵が造るお酒がうまいとも限らないことはいうまでもない。
 で、「三千櫻」の純米吟醸無濾過生酒は、酸味がなんともいい感じなのである。呑みやすいお酒は酸味がしっかりしていることにあると庵主は思っている。その酸味のうまさを十分に堪能できる酒である。ちょうど味のバランスのよくなった時期に庵主は運良くそれを口にしたのである。
 「三千櫻」は200石の蔵なのでめったにおめにかかることができない酒であるが、東京では荒木町にある「月の蛙」というお洒落なお店で呑むことができる。