「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成15年5月の日々一献


★きざみうどん★15/5/28のお酒
 庵主の住む曙橋にある酒処「秋山」のきざみうどんに「司牡丹」の「船中八策」(せんちゅうはっさく)を合わせる。
 秋山の酒はよく冷えた素焼きの猪口で出てくる。お酒を受け皿にほんのりこぼしてほぼ一合になる大きさである。
 「船中八策」は+8の辛口酒である。はっきりいってうまいわけがない。庵主にとってはであるが。
 深夜にちょっときざみうどんが食べたかくなったのである。
 「船中八策」は、庵主にとってはうまい酒ではないが、凛としたキレのよさがある。酸味がしっかりしているから、呑めない酒ではないのである。だからあとは好みの問題となる。燗で飲んだらすうっーとはいってしまったことがある。
 「呑めない」とは呑んでもおもしろくないどうでもいい酒とか、呑んでもしょうがないただ酔っぱらうだけの酒ということである。「呑んでもしょうがない」の「呑ん」と「ない」で「呑めない」である。庵主は「美酒一滴」に感謝と幸せを感じるたちなので、普段はその手の酒を好んで呑むことはない。ただし、どうぞと出てきたときには有り難く頂戴するということはなんども書いたことである。
 ただ、その場合には問題が一つある。いろいろなお酒を呑んでいるとからだがその手の酒を避けるようになるということである。からだがうまいまずいを直感的に判断するようになるからである。だからご好意を理性で呑むことになる。うまい酒ならからだが好んで呑むというのに。
 酒に貴賤はない。うまいか、まずいか、である。ただし一般的に高い酒のほうがうまい。口に合うか、合わないかの基準はあたりまえのことだが庵主にある。庵主の口に合う酒はよし。
 きざみうどんのネギの甘さを味わいながら、呑めるなら呑んでみろという豪気な酒を呑んだのである。


★ビールのようでビールでない★15/5/21のお酒
 ビールのようなのにビールとはいえないビールによく似た酒を発泡酒とよぶ。ビールと呼べるのは酒税法が決めた条件に合致したものだけなのである。それ以外のビールによく似たものはビールとは呼べないのである。それが出てくるまで、庵主は発泡酒がどんなものだかわからなかった。ところが、こんどは、そうかビールのニセモノが発泡酒かと思い込んでしまったのである。
 なぜ、発泡酒がビールみたいなのにビールでないのかというと、酒税法がそう決めているからである。だから酒税法がその定義をきめれば、アルコールで水増し、いやアルコール増しした酒でも日本酒だと名乗ることができる。モルトがちょっとしかはいっていないウイスキーというのもある。貧乏人が等しくお酒が飲めるようにという心遣いの法律なのである。
 三増酒はまずいというと、居直った蔵元の中には、法律が定めているとおりに造っている酒を非難するのはおかしいというところもあるが、まずいからそう指摘しているだけなのである。どんな造り方をしようが飲んでうまければ文句をいわない。化粧してきれいになった女の人の素顔を云々することはない。
 まずい酒をまずいというのは、もっと上手に化粧したらきれいになるよという親切心からなのである。
 雑な造り方をしてまずい酒を売るのなら、まともな造り方をしてうまい酒を造ったほうがいいのじゃないかという忠告なのである。
 インド料理店で「キングフィッシャー」というビールを頼んだら、出てきたビールのラベルには発泡酒と書いてある。
 その理由は麦芽使用料49%以下だからである。
 庵主にはビールに見えたのだけど。
 ビールと、いやこの場合は発泡酒か、それと一緒に出てきたつまみのインド風煎餅をポリポリたべながら、この状態はビールを飲んでいるのか、発泡酒を飲んでいるというべきなのかとどうでもいいことを考えながらそのビール風の酒を飲んでいたのである。


★東条町の山田錦は大丈夫なのか★15/5/14のお酒
 兵庫県加東郡東条町といえば、酒造好適米の最高峰である山田錦の中でも一番良質な米の産地として有名である。
 その東条町がじつはゴルフ場が町の面積の27パーセントを占めるというゴルフ場銀座であることを知った。松井覺進著「ゴルフ場廃残記」(藤原書店刊・2400円税別)である。
 ここまで書けば、庵主の不安は見当がつこうというものである。ゴルフ場で多用されている農薬・化学肥料のたぐいの水質に及ぼす悪影響についてである。その地区でできる山田錦の安全性についてである。
 東条町の山田錦は汚れている米なのではないだろうかという疑念である。そういう米で造られた日本酒を知らずに褒めたたえているのではないかということである。
 日本のゴルフ場はコースの見かけをよくするために始末におえないほどの大量の除草剤や殺虫剤を使用して水質汚染の元凶となっていることはご案内のとおりである。
 コースの地下にミミズがいるとモグラがコースを荒らすということで、ミミズを殺す強力な毒薬(殺虫剤)を散布するという。芝の手入れを楽にするために、コースの上を転がったボールに願いを込めてキスしちゃあいけませんよとキャディさんが注意するほどの農薬を使用しているという。
 東条町の秋津地区や上三草地区などでとれる山田錦が日本で一番いい山田錦だと喧伝されているが、ゴルフ場が原因でかなり汚染されていると思われる水をたっぷり吸い込んでいるに違いない東条町の山田錦は大丈夫なのだろうかと危惧しているところである。
 もっとも、その山田錦を使っている蔵元が錚々たる蔵元ばかりなので、その点は安全を確認済で庵主の心配は杞憂にすぎないだろうとは思ってはいるが、ゴルフ場を作っている人のふるまいを見ていると一抹の不安を感じるのである。


★バーで日本酒★15/5/12のお酒
 銀座で映画のレイトショー(午後9時頃からはじまる深夜映画)を見た後で一杯飲みたくなった。古い日活映画だったが、きれいなプリントだったので、そのフィルムの色彩はちょうど熟成したお酒を飲んでいるような味わいだったのである。
 夜も遅い時間なので、日本酒を呑むと長居になりそうだから、バーで軽く1〜2杯と思ったのである。
 フルーツを使ったカクテルが飲みたいと思って、それを得意とするバーにはいった。国産のグレープフルーツを使ったカクテルを飲む。2杯目は絶品のトマトのカクテルである。
 話が日本酒の話題になって、日本酒は置いてないけど焼酎はありますよということで、酒銘をきいたら「司牡丹」の米焼酎「いごっそう」の1982BY(BY=醸造)と「杜の蔵」の粕取焼酎「日常山」(ひたちやま)が出てきたのである。
 庵主、酒は2杯までという禁を破り、その焼酎を両方とも嗜(たしな)むこととあいなってしまった。
 「いごっそう」は時を経て鏡を磨いたようなきれいな味わいになっている。まさにきらめく宝石を飲んでいるような美しさなのである。
 いっぽう「日常山」は独特のにおいがある。瓶(かめ)のにおいというか、土のにおいというか、クセのあるにおいなのである。なんとも洗練されていない昔ながらの味といった感じがする焼酎を飲みながら、庵主もこの手の酒を平気で味わえるなったことですでに肉体は老境にはいっていることを知ったのである。若いバーテンダーは、私はこの手のお酒はまだ飲めませんね、と述懐していたものである。


★酒は大関★15/5/7のお酒
 当今、喫煙に対する非難がかまびすしい。この5月1日からは多くの私鉄の駅では煙草が吸えなくなった。駅員が灰皿を撤去する写真が新聞に載っていた。すでに煙草を歩きながら吸っているとしかられる区域もできていて、ニコチン依存症の人たちには生きにくい時代になりつつある。もっとも歩き煙草に関しては食い物を食べながら歩くのと同様にはしたないことだから当たり前のことである。それを条例で規制しなければならないというのだから困ったものである。
 自宅でひっそりと吸おうとすると副流煙が家族の健康を害するとおどかされる。そのとおりなのだから反論できないので困るのだ。さいごはしかたがないので、煙草を吸うと心のイライラがおさまるから心の健康にいいのだと、本人以外説得力のない説明にすがることになる。あほらしい。それをいったら麻薬の取り締まりはできなくなる。本人がいいと思っていても回りが迷惑すれば規制せざるを得ないのである。
 たばこ会社とか、自動車産業とか銃器製造会社みたいに人殺しもしくは健康加害が避けられない商品を作っている会社に従事している人たちは可哀相である。人が必要としている物を作ってるのだから何が悪いと居直ってみせたところで、売れれば売れるほど世の中に迷惑をかける商売を生業(なりわい)とする星の下に生まれた運命を不運と見るしかないのである。
 関係者を非難するものではない。庵主がその立場になったら、ためらうことなく、より健康的なたばこを作り、より事故の少ない車を作り、より安全な銃器を(そんな銃器があるわけがないか)作ることだろう。ハバ抜きのババを引いた人をあわれんでいるだけである。庵主がさいわいその立場にないことをありがたがっているのである。だから関係業界に従事していること自体は庵主には非難する理由がない。商売というものは多かれ少なかれ負の部分を持っているのである。上記産業はそれが多過ぎるので目につきやすいということなのだ。
 酒は大関、の大関は日本酒の「大関」のことではない。次の引用文の中にあったものである。
「肺がんとライフスタイルとの関係をみると、タバコがトップで横綱、酒は大関で2番目である。タバコは他のライフスタイルと比べて抜きん出ているのが特徴である。」
 予防がん研究所長・平山 雄氏の講演記録「喫煙の健康影響と禁煙の効果」(第9回全国禁煙教育研修会。於 広島県医師会館、平成4年8月)にあったものである。
 さらに「密室殺人」と続く。
「 女性の場合は、本人ががんや他の病気になるだけでなく、胎児に対する影響がある。
 おなかの中では胎児は逃げられない。私は密室殺人と言っているが、まさに密室である。多くの胎児は殺され、生き残っても発育障害があったり、低体重の子どもが生まれる。」
 お酒も同様に胎児には良くないということを、せんだって読売新聞の日曜版で読んだということを書いた。
 女が馬鹿なのか、女に酒・煙草をすすめる男が腐っているのか、どっちもどっちとういうところだけれど、酒造メーカーというのも、売れれば売れるほど健康加害を拡大することになるというせつない商売なのである。それで儲けようと思ってはいけない。自制できない人はやっちゃいけない因果な商売なのである。とはいえ、毒がなくては世の中おもしろくないし。


★今年の「冬樹」★15/5/4のお酒
 秋田の酒、福乃友の「冬樹」の生酒を呑む。
 例年なら3月中に手に入れて味わっているところなのだが、今年は5月にその生酒を呑むことになってしまった。
 これまでは新宿の伊勢丹百貨店の酒売場で買い求めていたが、いま庵主は伊勢丹に対して思うところがあって敬遠しているからである。
 「冬樹」を扱っている酒販店は赤羽岩淵にある。ちょっと遠いので、3月の時分から気にはしていたがそこまで買いに行く時間がとれなかったのである。4月が過ぎて、はや5月となってしまった。
 さて、今年の「冬樹」である。よって、瓶詰されてから約1か月の熟成をへて口を開けることとなったのである。
 かおり、よし。麹の香りがあってこれこそ日本酒だといううまさをそのにおいから感じるのである。うまい酒は封を切った時のにおいでわかるものだが、それと同じかおりが瓶の口からただよってくるのである。
 色、たしかに「冬樹」の色である。うっすらと黄色みがある。そして、同時にうっすらと緑色をしているのである。透明ガラスのコップにいれると緑みがかって見える。リキュールの緑色のシャルトリューズをうすくしたようである。蠱惑的な色をしているのである。
 そして味、生酒のうまさを堪能させてくれる出来ばえである。この酒はうまい。今年もうまい。やっぱりうまい。要するに庵主の好みの生酒ということである。
 炭酸味がまろやかなのである。多くの搾りたての新酒は、その炭酸味に味わいがない。うすにごりだ、おりがらみだといって出てくるお酒のほとんどを庵主は好まない。味に厚みが感じられないので呑んでもつまらないからである。
 ところが「冬樹」の炭酸味はそれらとは違って実にいいのである。コクがあるのである。だから舌にしっとり乗ってきてうまいのである。
 庵主が呑める日本酒は麹の香りが感じられる甘めのお酒である。麹のやさしさを振り切ってしまった辛口の酒はどうにもなじめない。そして庵主が呑める酒の共通の秘密は酸味のバランスがいいということである。酸味がしっかりしている酒でないと体が受け付けない。炭酸味がまろやかなお酒だとついもう一口を呑みたくなってしまう。
 今年もまた「冬樹」が呑めて極楽、極楽なのである。


★発泡酒が値上げとか★15/5/1のお酒
 5月1日から発泡酒(=疑似ビール)が値上げになるという。新聞報道である。税金が上がるために、末端価格がその分高くなるという。350ml缶で10円、500ml缶なら16円の値上げだという。
 発泡酒は疑似酒を作ることにかけては天才的な能力を発揮する酒造メーカーであるサントリーがその伝統に則って世に放った貧乏人向けのお助け商品である。その後、ビールのようでビールでない発泡酒なる商品は他の大手ビールメーカーが追随していまやビール会社の花形商品となっている。ビールより売れているという。悪貨が良貨を駆逐してしまったのである。その陰で儲けの少ない商品を押しつけられた酒販店は泣いていると聞いたことがある。安いに越したことがないというのは目先の利益である。ツケが後から回ってくる。
 読売新聞は発泡酒を「原料の麦芽の比率を抑えれば、ビールより酒税の税率を低く抑えることに注目して低価格を実現したアイデア商品」と書いている。皮肉はきいているが、さすがに貧乏人向けとまでははっきり書かないところが奥ゆかしい。それを書いたら発泡酒を飲むような人は貧乏人ですよと断言することになるからでもある。そこまでいったら読者に失礼である。
 もっとも見方によっては、両者は飲んでしまったら似たようなものなのだから、見栄をはらずに経済的な生活を選択できる知的な人といってもかまわないのである。うまいものを食ったからといって利口になるというものでもないから体が満足するなら安いもので十分なのである。ただし歳をとるとまずいものは明らかにからだに悪い。
 庵主は、たかだか月々4000円の購読料でまともなことが分かるわけがないということを承知の上で愛読しているから新聞が本当のことを書かなくても一向にかまわないが、なにも読者に真実を教えることはないというのが新聞のもったいぶった姿勢である。たしかにいろいろな意見を持った多数の読者を抱えていると本当のことを書いたら差し障りがあるということはよくわかる。だから新聞で真実を知るのは税金値上げ、年金値下げといった官報報道(このとおりだ。文句はいうな。わかったな)だけである。あとは毒にも薬にもならない記事で埋まっている。だから安心して読めるのである。ちっとも予想が当たらない不安を煽る記事を得意とする新聞もあるが、読み物は安心して読めるものがなによりなのである。  発泡酒は値段が安いということが取り柄の商品なのに、目先の値段の安さになびかざるをえない人たちからも膏血を搾ろうといういうのだから世の中には阿漕な人たちがいるものだと思う。そういう人たちをお上といって敬遠するのだろう。お友達になりたくない人たちということである。どんな顔をした人がそういうことを決めたのだろう。一度見てみたいものである。おっと、特殊な業界の人たちのご面相を見てみたいというのは庵主の好奇心によるもので、これは親の顔が見たいといった蔑みではけっしてないので誤解のないように。その人の立場が人相を変える。その人相に興味があるのである。
 コンビニの一部には当面身銭を削って販売価格を据え置くところもあるという。庵主にとっては天敵みたいなものであるファミリーマートがそれをやると書いてあった。そのやせ我慢はごりっぱである。だがいつまでもつづくまい。
 酒とかタバコの値上げのときは駆け込み需要というのがあるという。値上げになる前の安いうちにまとめて買っておこうという発想である。しかし、まとめ買いして古くなって味の落ちた嗜好品を口にしても平気だというのもおかしな嗜好だと庵主は思うのだが、人それぞれということである。
 もっともたかだかビールだのタバコをのむのに、いちいち能書きをたれてたしなむというのも利口な人のやることでないと、庵主は重々承知しているのだが、ここはその能書きを楽しむホームページなので居直ってやっているところである。
 発泡酒もタバコも庵主は日頃嗜(たしな)まないので直接には関係のない話である。