「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成15年2月の日々一献
★「根知男山」★15/2/21のお酒
 「男山」と言えば、ご存じ北海道旭川市の「北海男山」を思い浮かべるが、「男山」を名乗るお酒はほかにもいくつかある。
 「陸奥男山」「開當男山」「於茂多加男山」「金銀銅男山」などを聞いたり見たりしたことがある。
 そして今日は「根知男山」である。
 庵主は新潟の酒は普段は呑まないが、「根知男山」(ねちおとこやま)の大吟醸は勧められて呑んで、あとから新潟の酒と知ったのである。うまい、と思った。以来「根知男山」は庵主のイメージの中では新潟の酒とはいっても別格なのである。庵主の口に合ううまい酒として。
 見ると糸魚川の酒である。せんだって百貨店の酒売場の試飲販売で買ってきた「雪鶴」(ゆきつる)も糸魚川だった。新潟県でも糸魚川の酒は庵主と相性がいいのかもしれない。
 最初に呑んだ日本酒が口に合わなかったために、日本酒はみんなまずいと思い込んでいる人がいるように、庵主は初めて呑んだ「根知男山」がうまかったから、「根知男山」はうまい酒という先入観をもっている。東京でもなかなかお目にかからない酒なので、居酒屋でその酒銘を見ると呑んでみようかなと庵主の心は揺れるのである。
 京都の先斗町を歩いていたら、「根知男山」を置いている炭火焼の店があった。気になったのである。この店は酒を並べている店ではない、酒の味を見た上で選んで置いている店であると。
 そのとき既に庵主は京都の夜を満喫していたから、さらに酒を入れる余裕はなかった。次回の楽しみとしたのである。
 帰りに寄った名古屋で「根知男山」を扱っている酒屋に出会ったものだから、四合瓶があることを確かめて「純米吟醸」を買ってきた。
 純米酒にもいろいろな味わいの酒があるが、庵主はこの純米酒の味わいが好きである。

★これはいい酒ではない★15/2/17のお酒
  その蔵元の検査室のテーブルの上にはラベルが貼られていない黒い四合瓶が一本置かれていた。
 吟醸グラスに注がれたそのお酒は華やかな香りを漂わせている。いやモダンな香りといったほうがいいだろうか。その香りは焼酎のようなクセのあるものではない。きれいな女の人の品のいい香りを思わせる優雅な匂いである。
 何人かがそのお酒を呑んでみてどういう酒であるかを推し量る。
 ・アルコールの度数は20度前後であるが、蒸留酒を水で薄めた
  感じではない。
 ・アルコールがよくなじんでいるので醸造酒と思われる。
 ・色はかすかに黄色みをおびている。低温で何年か寝かせたもの
  か。
 ・香りは吟醸香とはちょっと異なる芳香である。
 ・呑んでみると白ワインのような酸味を感じる。ワイン酵母を使
  って醸した日本酒か。ぶどうが原料ではなく米が原料の酒のよ
  うである。
 という感じの酒である。よくいえば美しいお酒、はっきりいってよくわらからない個性のない酒といえる。結局、庵主にはその正体がわからなかった。
 山廃の大吟醸をワイン樽で1か月貯蔵した酒だという。
 庵主の総合評価は「これはいい酒ではない。おもしろい酒だ」というものである。
 庵主がいういい酒というのは伝統的な酒造りの線上にあって日本酒の味を極めた酒である。極めるというは最高級という意味合いではなく、味を追求して呑んでおいしいということである。呑んでつまらない酒ではないということである。
 この酒はその枠を踏み越えてしまっているから、従来の日本酒のよしあしの価値観では味わえない酒になっている。だからといって悪い酒ではない、またまずい酒ではない。庵主はこれを「おもしろい酒」だという。そして庵主は好きな酒である。それは樫樽に貯蔵して真っ黄色になった芋焼酎がうまいと感じる庵主の感性に沿ったものだからである。
 売値を考えていた。以前「満寿泉」が葡萄酒の樽で貯蔵した四合瓶の吟醸酒だったか純米酒だったかを出していた。たしか3800円だったと思う。その「満寿泉」を呑んでいないので、この酒がそれと比べて似たようなものなのか、すぐれているものなのかは分からないが、前例依拠で4000円前後というところだろうと踏んでみた。「満寿泉」の葡萄酒樽貯蔵より物がよければ5000円までといったところである。ただし四合瓶で5000円出せば、「中三郎」「波瀬正吉」「火いら寿」といった錚々たる酒が手に入る。それらの極みのお酒と比べると、この変化球の日本酒をおもしろさだけで勧めるのはむずかしい。
 この酒を勧めることはバターを買いに来た客にマーガリンを勧めるようなものである。似てはいるが、あきらかに求める質がちがっているのである。
 5000円を越えて売ろうとしたら、日本酒という範疇で売るには買い手の価値観を革新してやる手間を必要とするお酒である。要するにワイン売場に持って行って売ればいいのである。あるいは庵主のように能書きがおもしろければつい買ってしまう酔狂な客に勧めるかである。
 とはいえ、日本酒の可能性を広げる工夫としては、その味わいに従来の日本酒のそれとはちがう美意識が感じられるだけに、機会があれば一度経験してみていい酒である。値段は高級ブランデーのような漆黒の四合瓶に入っていて8000円という。値段を聞いたらやっぱり呑まないか。
 あえていえば、すぐに散る桜の花を愛でるように、この酒は一瞬の香りを慈しむ楽しみが味わえる贅沢なお酒なのである。

★酒粕で花粉症は克服できるか★15/2/14のお酒
 よくある流行は、体にいいものをかわりばんこに持て囃すということである。
 テレビでココアが体にいいと紹介されると一時的にコンビニの棚からココアがなくなってしまう。いつの間にかだれも振り向かなくなることはご存じの通りである。
 ポリフェノールが含まれているワインがいいというと突然ワインが売れはじめる。
 これもそのうちワインに飽きて売れなくなるのは何度も体験していることである。いくら体にいいとはいってもそれだけを食ったり飲んだりしていたのでは体が飽きるのである。食事はバランスである。一つのものを集中的に摂ったところで見違えるほど体が元気になるものではない。偏った食事はかえって体の調子を悪くするだけなのである。
 体は正直である。だから、一時流行った紅茶キノコとか野菜ジュースは今見るかげもない。そんな手間暇かかる食生活は続くわけがないのだ。庵主が思うにその手のものは説明を読んだだけでもうまくなさそうという印象を免れない代物なのである。おいしいお酒の説明を読むとなんとなく旨そうに思えるのとは正反対である。栄養は旨い物から摂るのが正しい。日常の食事でとるのがいちばん楽なのである。それが真っ当なのなのである。
 いま流行りのサプリメント(個別栄養素粒)を好む人はかなり異常な食生活だと庵主は笑ってみている。それも好みですから、口にはしませんが。
 花粉症の季節である。庵主は長く花粉症に苦しめられている。毎年、2月の今頃から症状が出てきて、5月の連休が明けるといつのまにか治まるという半年型の花粉症である。
 酒粕の効能を書いたパンフレットに、花粉症などのアレルギー源に対する抵抗力を高めるとあったので、いま毎日少しずつ粕をといて甘酒をつくって飲んでいる。花粉症の症状を抑えられる旨いものなら手間隙かけようではないかというわけだ。甘味には奄美のサトウキビの黒糖をつかっている。しぼりたての汁から造ったものだからニガミがないといって売っていたのを買っておいたのである。
 庵主は酒は呑めないが、どういうわけか酒粕をとかして甘味を加えた甘酒は子供のころから大好きだった。体が好んだのである。酒粕を体が喜ぶなのだから日本酒もきっとうまいに違いないと思って呑んだみたら、全然呑めなかったのである。おいしくなかったのである。体がよろこんでお酒を受けつないのである。その時に日本酒はうまいものではないから呑むに値しないと割り切ってしまっていたなら、今頃は蔵が建っていたはずだ。
 しかしそうはせずに、いちおう念のため、名声のある日本酒を探して呑んでみてそれが体に合わなかったら結論を下そうと思ったのである。それというのも「今の大方の日本酒はまずくて間違った酒である。なぜなら米だけで造った昔からの日本酒ではなくアルコールを添加して三倍に水増し、いやアルコール増しした三増酒だからである。これからは本物の日本酒を求めよう」と当時の革新的酒呑みが啓蒙書を書きはじめた時分だったからである。
 いくつかの酒を求めて呑んでいるうちに、庵主にも呑める酒と出会ったのである。そして吟醸酒を知って、庵主は呑めなかったのはお酒ではなく、アルコールなのだと知ったのである。お酒とは作り手の気合のこと、アルコールとはただ酔えればいいという商品としての酒のことである。酒なら呑めるのである。
 去年は2月9日に花粉症が始まった。今年は、2月10日の起き掛けに何発かのくしゃみが出たものの、いまのところさわやかである。
 酒粕は「酔鯨」の大吟醸の粕である。
 でも、よく考えてみれば、甘酒健康法もサプリメントマニアがやっていることと同じようなものである。体にいいことだと自分が思い込んでいるものにすがっているのだから。人の事は笑えない。
 ただ、甘酒は安くてうまいという点で安心して飲めるところがいい。

★永田農法 佐川 山田錦★15/2/13のお酒
 その土地で取れた酒米を使って、その土地の水で造ったお酒が本当の地酒といえるだろう。その土地で食べられている料理の味覚にあったお酒である。
 庵主の好む秋田の「冬樹」も米は地元のキヨニシキである。食用米である。それであれだけうまい酒ができるのだ。味に力がある酒が造れるのである。
 地酒は地元の米を使って造れといっているのではない。いい米が手にはいるのならそれを使って醸せばいいのである。同じ米を使っても、風土が違い、蔵が違い、杜氏が違うとまた違ったお酒ができるからである。その違いがおいしいのである。
 大手メーカーの日本酒は均質過ぎてそのおもしろさがないから呑むのはどうしてもあとまわしになってしまう。その酒にいきつく前に、庵主は酔っぱらってしまうのである。けっしてまずい酒ではないが、いつ呑んでもそこそこの味を呑ませてくれるので、選ぶ楽しみがないのである。ひょっとして口直しがいるひどい酒かもしれないというスリルさえないからである。
 高知県佐川町は「司牡丹」(つかさぼたん)がある町である。そこで取れた山田錦で醸した逸品がこの純米吟醸「永田農法 佐川 山田錦」(ながたのうほう さかわ やまだにしき)である。平成12酒造年度のものである。司牡丹はこの酒を「風土酒」という。
 永田農法とは、水や肥料を極力与えないで植物本来の生命力を引き出す農法である。手間はかかるが力のある米ができる。エネルギーの高い米といっていい。その米で醸したこの酒は、一口呑むと甘いのである。同じシリーズの酒である窪川産の山田錦で造ったもう1本は酸が強いようだったから、両者を比べると甘い佐川産の山田錦を使ったこの酒に庵主は飛びついてしまった。
 じっくり味わって呑んでみたら、ウイスキーボンボンのような酒だと思った。
 チョコレートのような甘い酒というのではなく、最初に感じる日本酒の甘さがすぐに辛口の味へと表情を変えるからである。実はこの酒、日本酒度が+8なのである。その変化の楽しさが辛いウイスキーをチョコレートでつつんだウイスキーボンボンに似ていると思ったのである。
 ただし、お値段は四合瓶で3000円なので、お覚悟が必要である。
 もう一つただし、お酒に付いてくる説明書が読み応えがあっておもしろい。造り手の気合が伝わってくる。字が大きいのでありがたい。能書きが大好きな庵主はそれを読みながら「佐川 山田錦」がスイスイいけてしまうのである。
★燗酒のぬくもり★15/2/11のお酒
  「あら玉」の燗酒を呑んで寝た翌朝の目覚めがさわやかなのである。目覚めたときにふとんの中で体のうちに前夜のお酒のあたたかみがほんのりと感じられる。その体のぬくもりがここちよいのである。
 じゃあ、お酒は燗酒にすればうまいのかというと、そうはいかない。アルコールの入れすぎでもともとうすっぺらな味わいの酒はあたためても却って味わいの貧しさが強調されるだけである。その手の酒は冷やして呑んだ方がまだましなのである。燗してもうまいと庵主が思うお酒は少ない。
 燗したお酒のあったかさがうまいという人もいるから一概にはいえないのだが、庵主は温めたときに甘味が滲み出てくるお酒がうまいと思う。
 しかも、燗のうまさは一瞬なのである。燗酒を口に含んだときに舌の上に甘さが広がるのがわかる。そのうまさは、ちょうどわさびをなめたときに、ツンとくる辛さの前に一瞬甘味を感じるのに似ている。その甘さを感じたあとに舌は米のくどみを感じるのである。冷やで呑んだときには気にならないそのくどみがあたためることによって膨らむからである。くどみを感じる寸前の甘さがこよなく切ないのである。
 山形の酒「あら玉」の改良信交で醸した大吟醸には燗をしたときにそのうまさが口の中にひろがる甘美なお酒である。この日本酒の甘さ。その甘露な甘さがやみつきになりそうである。