「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成14年8月の日々一献
★表の理由★14/8/30のお酒
 小泉総理がちかぢか北朝鮮を訪問して金正日総書記に会ってくるという。日本の新聞によると、なんでも両国の関係改善に寄与したいとのことである。
 日本としてはこの時期に急いで北朝鮮と仲良くしなければならない状況にはないと思われるのに、しかも仲良くするとなればタダではすまず賠償金とかなんとかで財政きびしい折からさらに金を出さなければならないことがわかっているのに政府は何をとり急いでいるのだろうかと庵主は首を傾げるのだが、一説にはなにがなんでもイラクと戦争をしたいアメリカ政府から日本政府は北朝鮮を懐柔せよとの指令を受けての行動とのことである。それなら合点がゆく。
 ニューヨークでタワービルの爆破事件が起こったら、何が起こったのかも確かめないうちに、アメリカ政府のいう「テロ」の成敗にすぐ荷担してしまう小泉さんだからよほどアメリカ政府の言うことには信をおいているにちがいない。
 いい大人がだだをこねる子供のご機嫌をとる図でみっともないといったらありゃしない。大人ならそれにふさわしい振る舞いをしてほしいのだ。拉致問題が両国の正常な関係を阻害しているのだが、その拉致を行なっている人と何を交渉してくるのか庵主には理解できないのである。それこそ埒があくわけがない。
 いつも宣戦布告などすることなく勝手に他国に戦争をしかけて爆弾を落してくることからそのえげつなさで世界中から迷惑がられているアメリカ政府(爆弾を落してくることで儲かる人たちが支配している政府)としても、イラクと北朝鮮の二面戦争はできないので、とりあえず一方の「ならず者国」は当面手なずけておこうというわけである。しかも日本のお金を使って。賢いのである、アメリカ政府は。
 イラクも、最近中朝国境のあたりに相当な埋蔵量をもつ石油が見つかったとされる北朝鮮も、アメリカ政府の喧嘩(戦争のこと)目的は石油狙いではないのかというのがうがった物の見方をする人たちの大方の見解である。
 このような情況での小泉総理の訪朝についても表向きのもっともらしい理由だけで新聞の一面をうめることができるぐらいの記事はいくらでも書けるということなのである。こういう文章を読んでいるとむなしくなってくる。中身のある文章でないから読んでいても面白くないのである。わかった、という感動(おいしさ)がないからである。よくあるうまくない酒というのもこの手の文章みたいたなものである。呑んでいて心にかかるものがない。中身が薄いからちっともうまくないのである。
 庵主は性格はひねているかもしれないが、頭の構造の方はいたって素直なものだから新聞に書いてあることをそのまま信じてしまう質である。なまじ文字が読めるのが身の不運。その弊害が大きいものだから最近は新聞を読むときは新聞紙との間に距離を置くようになった。もっとも少し老眼の気配が出てきたのかもしれないが。
 余談だが、新聞広告の不都合なことをいやいや記載している部分の極小活字が読みにくくなってしまった。歳のせいである。新聞の本文の活字はお年寄り読者のためにばかでかい大きさに変えたのだから、同様の理由から広告の最小活字の大きさを制限するべきではないのか。極小活字を使っている広告をみると、庵主はその部分の大意を「本広告は当社の金儲け広告であって購買者の利益になるものではありません」と読みとるのである。
 と長い枕をふったというのも、本題は「読売新聞」の焼酎「ちびちび」に関する記事なのである。
 読売の記事によると、西酒造がヒット商品の「ちびちび」にバニラエッセンスを添加して熊本国税局から罰金を科され、商品は没収されたという。酒席には格好の話題ではないか。庵主が素直にその内容を信じて他に吹聴したところ、後日、地元の新聞記事には正反対の内容が掲載されていたことを知って(教えてもらって)狼狽したのである。鹿児島の出来事である。東京の新聞記事より地元の新聞の言うことのほうが信憑性があると思いませんか。ひよっとして庵主は酒席の客に与太話を話してしまったのではないかと心配になって読売新聞に確認を入れたのである。
 「南日本新聞」は地元の蔵元に気を使って事実とは異なるウソを書いている、とのお墨付きをもらうために、読売新聞社にいま流行りのEメールで問い合わせたところ、その後受け取ったとの返事もないものだからいま庵主はひどく不安のうちに過ごしているのである。もっともEメールなどというITが通じない新聞社であるかもしれないので、新聞社が一読者につれない態度をとっているとは断定できないのだが。実際は忙しいので読者の照会などいちいち相手にしていられないといったところなのだろう。回答がなければ新聞社の意向を忖度するだけである。ガセネタだったのだなと。
 3か月前のできごとが8月に載ったということから、表の理由を納得してしまうのではなく、本当の理由をよく考えてみるべきだった。
 新聞記事は裏を読むのが正しい。その点、庵主のところに届けられているもう一つの宗教新聞は裏がよく見える新聞なのでわかりやすい。
 ただ両社の新聞記者は楽しんで仕事をしているのだろうかと他人事ながら心配になってくるのである。
 せっかく作った新聞を庵主のようなものにバカにされているからである。
 それにひきかえ、うまい酒を造る蔵元の美酒を口にするたびに庵主は感謝の念を抱くのである。「おいしいお酒を造ってくれてありがとう」という心の底から沸き起こってくる感情ぬきにそれらの酒を呑むことはできないからである。

★商売繁盛★14/8/23のお酒
 庵主は予約という器用なことができない質(たち)である。そんなわけで、今日はここで呑むぞと期待に胸をふくらませながら勢い込んでのぞいて見た店が客でいっぱいで入れないということがよくある。
 大塚の「こなから」とか、荒木町の「羅無櫓」とか、何時行っても混んでいるのがわかっていても事前に電話で確かめることなくわざわざ店まで訪ねるのである。
 だから足を運んでみてもいつも満席のことが多く、酒を呑もうというその日の気合はそこで消沈するのである。ああ、天は我を見捨てられた。
 とは思っても、そういうときの気持ちの切り替えは早い。「ああよかった。今日はお酒を控えろとの天の御告げにちがいない。天が庵主の体をいたわってくれた。しかもお金を使わなくてもすんだのだからもうかっちゃった」と。
 「すいませんね、あいにく満席で。またお願いします」との店の声に、「いや、いや、商売繁盛、なにより、なにより」といってはお店の隆盛を寿ぎ、庵主のその日のめぐまれない運命をなぐさめながら、店を辞すのである。

★「ちびちび」異聞★14/8/20のお酒
 過日取り上げた、8月12日付け「読売新聞」夕刊で一面トップ記事として掲載された西酒造の「ちびちび」に関する罰金事件について、呑斉先生があの記事は読売新聞の虚報だと書いています。
 呑斉先生の 8月15日と17日のつぶやきをご確認ください。かなり杜撰な記事だったようです。情況によっては、後日、読売新聞のおわび記事が小さく掲載されることになるかもしれません。それとも居直って、ほおっかむりしてしまうかな。新聞社の品性が試されることになりそうです。
 庵主も、あの記事は不十分なところがあるので疑問点を読売新聞に照会してみることにします。
●呑斉先生の「つぶやき」を読んでからこの「むの字屋」に戻って来る方法=マウスを右クリックして出てきたメニューの一番上にある「前に戻る」を左クリックしてください。

★「水芭蕉 伝承 大吟醸 プレミア」★14/8/19のお酒
 あっ、うまい。これでいい。もうなんにもいうことなし。夏の暑さに疲れ切っているからだがこの酒の一滴で元気づいてしまったのである。「水芭蕉」のプレミアである。
 「水芭蕉」のうまさをあらためて確認したものである。
 「松の司 黒ラベル」。2002大吟醸純米「黒」とある。980本とラベルに書いてある。呑むまでもなく美味い酒であることは分かっている。
 れ、れ、れ、と。味が違う。庵主が心に描いていた味わいと違っている。アル添でもしたかのようにじつにやわらかいのである。しかし普通酒によくあるような舌にしだれかかってくるような腰のない感じではなく、柳のようなしなやかさなのである。酒の味に芸がある。「水芭蕉 プレミア」の確固とした酒の味を味わったあとにこれを呑むと一瞬階段から足をすべらせたような印象をうけるのだが、おっとっと、すぐに体勢をもちなおしてさすが「黒ラベル」は転んでもただでは起きない美酒なのである。その味を納得させてくれる技があるのだ。それがうまい。
 「水芭蕉プレミア」の勢い相撲に目を奪われたあとに呑む横綱相撲の「黒ラベル」はややもすると完全すぎて変化にとぼしいと感じられるが、その安定した取り口に貫祿を見るのである。
 で、例の「ちびちび」があったので、そのバニラの香りを楽しもうと呑んでみた。たしかにバニラの香りがする。芋の匂いの合間にはっきりバニラの匂いが感じられる。呑み終わったグラスにはバニラの匂いが残っているのである。
 日本酒にバニラの匂いをつけるというのはどんなものだろうかと思いながら「ちびちび」を飲んでいた。それをやったらやっぱり下手ものかとも思うけど、微量ならけっこう呑めるかもしれない。最初からリキュールとして売ればいいのである。

★8月15日は靖国ビール★14/8/15のお酒
 8月15日といえば、終戦記念日ということで、靖国神社は正月につぐ書き入れ時である。拝殿の常設の賽銭箱だけでは不足とみて、賽銭箱のうしろに大きく白いシートを敷いて、さあどこからお賽銭が飛んで来てももれなく受け止めてやるぞという意気込みを示している。英霊に捧げられる貴重なお賽銭は一円たりとも無駄にしないぞという気魄が感じられる。
 「この神社はみなさんの賽銭だけでやっているんだから少しでも多くの賽銭をあげてくださいよ」と参拝に来ていた老兵がいう。
 終戦の日も暑かったというが、今日もまた暑い夏の日である。しかし昔と違うことがある。今は境内でおいしい生ビールが飲めるのである。★のマークのサッポロビールだった。参道途中の休憩処に飲み物がある。軽い食事ができる。靖国うどんでも食おうかと思ったがなんと800円。恐れ多いお値段に身がすくむ思いがするのである。庵主は結局★一つの二等兵ビールだけを飲んで帰って来た。
 休憩処にはこの日だけは旧陸海軍の軍服を来たコスプレプレイヤーがいて往時の雰囲気を醸しだしている。
 今こうしてビールを飲めるのも思えば「兵隊さんのおかげです」なのである。
 境内にいくつかの人の輪ができているので何をやっているのかと覗いた見たら、戦争体験を語る老兵を取り囲んで若い人たちがその話に聞き入っているのだった。
 この日、靖国に参拝する人というのは、かなり贅沢な生き方をしている人なのではないかと思った。会社勤めの人はこのくそ暑い日に会社を休んでまで靖国神社に来るだけの余裕はないだろうし、ある程度教養がある人でないと今時靖国神社のことなど興味がないだろうし、こういう日に靖国神社にやってくる人の年齢構成はどうなっているのだろうかという好奇心がないとわざわざここに来る必要がないからである。
 暇のある人で、もの好きな人で、この暑い中を神社まで足を運べる元気な人というめぐまれた人たちだけが参拝にこられるわけだから。
 貧乏暇なしというが、金儲けにあくせくしていて心に余裕がないときには季節行事にはかかわることができないものである。
 おかげさまで、いま庵主は贅沢をさせてもらっているところである。
 ついでに神保町まで歩いて、三省堂書店の地下にある放心亭でキリンのハートランドビールの生を一杯飲んできたがそれはまた苦いビールだった。

★焼酎に香料を加えると何になるか?★14/8/12のお酒
 焼酎「富乃宝山」を造っている西酒造が、その「ちびちび」の中にバニラエッセンスを無表示で添加していたということで(酒造免許の関係で違法になる)、熊本国税局は今年の5月に西酒造に対して50万円以下の罰金を科した、と8月12日付け読売新聞夕刊が一面トップ記事で報じている。
 ことが起こったは今年の5月だという。そして罰金は50万以下という。はて、50万円以下の罰金というのは、具体的には一体いくらだったのだろうか。
 「西君、困るな。大手からチクリが入ったから罰金だよ。何らかの処分をしないと、本職しては立場がないので罰金は納めてもらうよ。ちびちびはいいよ、うまいよ、バニラエッセンスの使い方の鑑(かがみ)だな。アルコールを大量に混ぜ込んで酒だと言っているのに比べたら、向こうが手抜きの酒造りだとした、こっちは酒造りの工夫の範囲だね。罰金は取ったという格好をつけるために1円ということにしておくから。これにこりずにどんどんうまい焼酎造ってや」ということで公表できない少額だったのだろう、というのが庵主の邪推である。
 読売新聞は5月のできごとを8月に報じる「新聞」なのである。これでは読売旧聞である。それとも新聞記者が夏休みなので5月に書いておいた記事を穴埋めに使ったのだろうか。8月15日の終戦を3か月後に報道されても役に立たないのである。
 この記事の見出しが「焼酎と呼べぬ! 」である。庵主は、こんな古い記事を一面トップに載せる「新聞」なんぞは「新聞とは呼べぬ! 」と皮肉りたくなる。そういえば、森永砒素入り粉ミルク事件のときも当初知っててその報道を控えたの同じ新聞だったと思う。バニラ入りの焼酎をその事実が分かってから3か月後に呑んでも死にはしないが、毒入り粉ミルクの報道のときは報道を遅らせることで何人かの赤ん坊に被害を拡大したことも考えられるのである。食い物の安全に関する記事の掲載が遅れるということは間抜けな記事だということなのである。
 1996年にも焼酎の「魔王」が甘味料を加えていたとして同様の処分を受けていたと記事には書いてある。庵主はずっと読売新聞をとっているが、当時、夕刊の一面に載っていたか記憶にない。
 そういえば、あるウイスキーメーカー(醸造元でなく、瓶詰屋という意味である)がウイスキーの色を整えるためにカラメル(甘味料)を使っていたことがあると聞いたことがあるが、そのときは国税局はお仕置きをしたのだろうかと、ふと気になったのだが、今回の場合は焼酎に香料を入れると酒税法では「焼酎」ではなく「スピリッツ類」ということになるとのことで、西酒造はスピリッツ類の酒造免許を持っていなかったので無免許醸造ということから罰金が科せられたのだという。
 ウイスキーは原料用アルコールを混ぜようが香料を入れようがカルメラを加えようが、ウイスキーには変わらないので、無免許醸造という点では罰金の対象にはならないようである。
 せいぜいが表示が不正だよということで内々に注意ということだったのだろう。
 さて、焼酎に香料を加えると何になるか。答は現物没収となる。

★「万齢」大吟醸 三年古酒★14/8/11のお酒
 「万齢」(まんれい)は佐賀県相知町出身の酒である。その「大吟醸 三年古酒」を呑む。
 東京ではなかなか呑む機会のない酒である。と思ったら「陶玄房」(新宿にある居酒屋)の店頭に下げられた黒板に、酒のランクは書かれていなかったが「万齢」と記されているのを見た。知ってる人はちゃんと集めてくるのである。東京の酒場は酒の流行をよく知っているものだと感心する。
 この酒は至福の一本である。「なにも足さない、なにも引かない」というのはウィスキーのコマーシャルである。そのキャッチフレーズはうまい。そのうまいところを借りてきていうならば、この酒は「なにも言葉はいらない、そしてなにも語ることはない」のである。
 うまい、と書いたのでは、この酒を口にしたときにじわっーとわきおこってくる感銘といっていい味の深さを正しく伝えることができない。
 言葉でそのなんともいえない味わいを語れば語るほど、この酒を口にしたときの悦びからは遠ざかっていくのがわかる。そう、ことばはいらないのである。
 香りが渋い。そして三年寝かせても紹興酒のようなクセのある味は出ていない。その味わいをあえていうならば、ありがたい味わいとしかいいようがない。
 もっとも、そこいらで庵主がこの酒をラベルを見ることなく呑んだなら、今夜のように深い味わいを覚えて感銘を受けるかどうかはわからない。よくできた普通酒かなと判断してしまうかもしれない。
 さいわいなことによく管理された店でこの酒と最上の状態でめぐり会えたことはしあわせだった。いい酒をよく管理された店で呑むときの日本酒のうまさは至福と同義語といっていい。心にしみてくるうまさを感じるのである。
 うまい酒をおいしく呑ませてくれる店だけが庵主の立ち寄れる呑み屋なのである。
 庵主は酒が呑めない体質だと思っている。まずい酒が出てきたときには、顔で笑って呑むという芸当ができないからである。とにかくも酒を口に入れようとしてもからだが受け付けないからである。一口も呑まずに、この酒はうまいですね、とはいえないではないか。にもかかわらず、からだが平気で受け付けてしまう酒が現にあるのだからやっぱり日本酒はすごいと思うのである。そのすごいものをいつも少しだけたしなんでいる。
 庵主にも呑める日本酒があるということはありがたいことである。日本酒のあじわいはそれだけ幅が広いのである。

★七曜日★14/8/5のお酒
 日本酒を居酒屋風にではなく、バー感覚で呑ませる店がでてきた。両者は席にすわったときの空間の違いである。さあこれから酒を呑むぞとくつろぎを感じる空間か、すなわち我が家感覚の店か、はたまたつつしんで酒を呑ませていただこうと居住まいを正したくなるような空間か、いうなればよその家を訪れた時のようにかすかな緊張を求められる店かの違いである。
 新宿のバー「七曜日」は身を引き締めたくなる空間のここちよさで日本酒を楽しませてくれる店である。もっともそれがかえって落ち着かないという人もいることは想像に難くないが、庵主はただ一杯の酒とにらめっこしながら、その酒を味わい尽くすのが好きだからその空間を抵抗なく受け入れることができるのである。要するに気障な酒呑みなのである。
 今日はきどって日本酒を呑みにいこうというときにはこの空間がいいのである。
 まず静かである。もちろん客がいてもその話声が気にならない。客の節制がきいているから居酒屋のような喧騒がない。
 そして簡素である。店内にはいらない装飾がない。だから酒の味をじっくり味わうか、思索にふけるか、相手がいれば静かに語るかしかないのである。
 もちろん酒の揃えに味がある。「志太泉 高橋貞實」「篠峯 吟醸」「早瀬浦 特純」「万齢 大吟醸二年古酒」等々、よく探して来たというようなマニアックな揃えなのである。だから呑む酒に不足はない。
 「篠峯 吟醸 山田錦」をもらった。一合入りのグラスで出てくる。ちょうどワインを飲むような感じである。辛口だった。いや辛口というよりは甘味を切った酒といっていい。よって庵主の好みの酒ではない。とはいっても酒の味には品が感じられるのでこの酒がただの辛口ではないということはたしかである。呑み手をそっけなく突き放す辛口ではなく、呑み手にささやきかけてくる辛口である。
 一合の酒はやがて酒温が上がってくると、最初は冷えていて凛々しかった味わいがやわらかみを感じさせるようになる。そして最後の一口を飲み干すのである。
 「特純 早瀬浦」は、地元神力を50%以下に磨いた特別純米酒で山廃仕込みの生詰だという。酸味を味わってほしいとラベルには書いてある。
 酸味はいい。しかし乳酸菌のにおいが感じられる。そのにおいがあると庵主は酒がやけていると感じる。ちょうど店の外に貼ってあったポスターが日に焼けて色あせてしまったようなイメージが浮かんでくるのである。その一点で庵主の好みの酒ではない。とはいえ、十分に気合がはいっていることはわかる力強い酒である。
 好き嫌いは別にして酒がもっている気合とはこの味をいうのだという格好の見本である。呑まないわけにはおけない酒である。
 「七曜日」は地下にバー「金魚」があるビルの4階にある。

  ★八月の焼酎★14/8/3のお酒
 暑い、暑すぎる。ここ、二三日の東京地方の暑いこと。吹き出る汗で失った水分はまず補給しなければならない。そうしないと体がなりゆかない。
 よってまずは生ビールである。子供の時分、腹が減っているときは何を食ってもうまい、と聞かされたものだが、歳をとってみると、まずいものはやっぱりまずいということを知るのである。
 生ビールも同様に、うまい生とまずい生があることを知るのである。同じ銘柄の樽生なのに店によってはとんでもないまずい味で出てくることがある。この味のよしあしだけはいくら喉がかわいていても体はちゃんとわかるのである。
 庵主の場合、酒量が飲めないなので、一杯目の生ビールがその日の酒のすべてである。最初がまずかったからといって、口直しに別の店で飲むといことはできない。だから一汗も二汗もかいた日には、最初からうまい生ビールを飲ませてくれる店をめざすのである。
 このところ、生ビールを飲んだだけで定量となる庵主はなかなか次の日本酒までたどりつけないのである。今日は焼酎の「村尾」でしめる。はいった店に「八海山泉ビール」のヴァイツェンの生があったのでぐびぐびと。そのあと瓶入りのアルトがあるといのうで、それも飲んで、じゃあ「村尾」をロックできゅっといこうと芋焼酎にキレのいい酔いをまかせたのである。とにかく暑い日々がつづく。

★チーズ★14/8/2のお酒
   熱夏である。水ものばかり飲んでいるものだから、食欲が減退する。こういう時は食べるものに困る。なまじの食い物では体が受け付けないからである。
   ときに、ナチュラルチーズと出会う。ふらのチーズである。「メゾン・ドゥ・ピエール」という白カビタイプのチーズである。
   ふらのは北海道の富良野市である。富良野チーズ工房がつくったこのチーズのうまいこと。夏の暑さで弱っている体がこのチーズを求めてやまない。ちょっとしょっぱい。その塩味がこの暑い時期にはうまいのである。そのとろける食感がなんともいえない。
   いま手元にある酒は常温で置いておいた「冬樹」の生酒である。アルコール度数が高いせいか部屋の中に放っておいてもいい味になっている。「山法師」の吟醸初搾り生がある。麹の香りがゆたかな甘い酒は庵主の好むところである。
   「メゾン・ドゥ・ピエール」をすすり(白カビに包まれたチーズの中身はクリーミーな状態になっているから、固体というより液体といっていい状態になっているのである)、「冬樹」か「山法師」を口にするといい感じである。
   うまいチーズとうまい酒。どうやら贅沢の度が過ぎるようである。そんな気がしてならない今年の夏である。

★「旨い!  本格焼酎」★14/8/1のお酒
 ある席で山同敦子(さんどう・あつこ)さんと隣り合ったら、女史は一枚のチラシを出して「こんどこの本を書きました。ぜひ読んでください」と庵主に手渡した。それが「旨い!  本格焼酎」(ダイヤモンド社刊・1200円税別)である。
 女史の勢いに圧倒されて、翌日庵主はその本を手にしていた。
 これが小憎らしい本なのである。よくできているのだ。焼酎なんかうまいと思ったことのない庵主に改宗を迫るような本なのである。
 まずだれが焼酎を造っているかを紹介するという手口がうまい。文は人なりという言葉があるが、酒もまた人なりなのである。杜氏さんは「酒は造るものではない。生まれるものだ」と謙遜するが、酒は人が造るのである。造った人の人柄と意欲と矜持ができあがった酒に滲み出るのである。
 だから、焼酎も造り手の思いを知るとその味が理解できるようになるきっかけとなるのである。
 焼酎がうまいと思わないというのは、味わう基準が庵主の中にないということなのである。それは、まずいというのではない、わからないということなのだ。
 この本はそのような呑まずぎらいの障碍を一つひとつとりのぞいてくれるのである。ひょっとすると焼酎はすごい酒かもしれないぞ、という期待がわいてくる。
 味の好き嫌いは別にして、基礎教養として呑んでおかなければならない焼酎のデーターが細かく書き込まれていることを見ても、著者が焼酎を心からうまいと知っていてそのうまさを何とか人に伝えたいという気持ちがくんでとれるのである。
 焼酎の入門書としては必読の本である。いや、読んでおいしい本なのである。
 で、紹介されている焼酎の現物はどこで呑めるのかが問題なのだが、そのヒントも書かれている至れり尽くせりの快著である。