「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成14年6月の日々一献
★「喜正」特別純米★14/6/28のお酒
 東京の酒でうまい酒に初めて出会った。東京の酒とはいっても23区内ではなく、あきる野市出身の「喜正」(きしょう)の特別純米である。
 庵主の生まれ故郷である北海道の日本酒は実に生真面目な酒が多く、「うまい」と唸りたくなるような酒にいまだ出会ったことがない。同様に東京の酒もまたきちんと造られてはいるが端正な味わいの酒が多く、これはうまいと庵主の舌が納得する酒がないとあきらめていた。
 が、「喜正」の特別純米が破天荒をやってくれた。これはうまい酒である。庵主が好む味わいの酒である。うまい酒はやっぱりうまい。
 「喜正」を呑ませてくれたその店では高知の酒「藤娘」特別純米を常備している。これは味わいがしっかりしている酒である。庵主の好みのあまい酒ではないが、いい酒である。
 中野にあるその店にぶらりとはいったら「お一人の方はお断りしています」とあっさりと断わられてしまった。
 以前はそうではなかったし、見ると店内の席はいくつも空いているので、お店の流儀が変わったのだと思って店を出た。
 いい酒を揃えている店だったのに惜しいことをした。その店の名は庵主の立ち寄りの居酒屋のリストからありがたく抹消させていただいた。
 幸い中野はいい酒を揃えた居酒屋にめぐまれたところである。その店のすぐそばに「酒亭ひらの」がある。そこでお酒をごちそうになることにした。
 この店の酒祭りは読みごたえがある。庵主はゆうに十数分以上の時間をかけて一つひとつの酒銘に思いをはせる。味わいをあれこれ想像して心をときめかせる。その間、酒の注文の催促をすることなく酒祭りを楽しませてくれるのがいい。呑みたい酒が多すぎるのである。意を決するのに時間がかかる眼福ともいえる酒祭りなのである。
 まずは栃木の「開華 純米吟醸 風の一輪」を所望した。かおりよし。そのかおりがえもいわれぬいい匂いなのである。呑むのがいとおしい。味もしっかり。うまい酒である。「開華」は初めて口にしたが実力のある蔵であることがわかる。
 「秘蔵 綾菊 大吟醸1989」を小グラス(60ミリリットル)2000円で賞味。すこし紹興酒のようなにおいが出ているも、その値段で出されても不足は感じない味わいである。高いといえば高いが、それだけの深みがあるといわれれば納得してしまう味わいである。
 「喜楽長 純米大吟醸 夢銀河」。この酒はうまい。期待どおりにうまい。これを最初に呑んだら、この一杯だけで庵主は十分満足してしまう酒である。
 天保正一杜氏が醸す「喜楽長」は庵主が好きな旨(あま)い酒である。庵主が心に思い浮かべたとおりのうまい酒が出てくると一段と酒が旨く感じられる。杜氏の技がうまいのである。
 中野は美酒街である。

★「おんな泣かせ」純米大吟醸三年熟成★14/6/24のお酒
 静岡の酒「おんな泣かせ」を呑む。純米大吟醸である。しかも三年熟成である。庵主の静岡酒に対するのめりこみは病膏肓(やまい、こうこう)に入るの観を呈していることはいつも書いているとおりである。
 静岡の酒は第一にうまい。そして蔵元の個性がはっきりしていて呑んでいて面白いのである。しかも期待どおりの酒を呑ませてくれることがなによりもうれしい。だから庵主は静岡の酒が好きなのである。ぞっこんなのである。
 なぜかいい感じなのである。うまいとはいわない。三年寝かせた味なのである。ひね香というのか、熟成香というのか、あきらかに紹興酒のような味が出ているのである。普段なら一口で呑み残してしまう酒なのだが、しかし、いいのである、この「おんな泣かせ」は。
 酒の色はほぼ無色といっていい。蔵元での保管がいいのだ。ただ味が三年間という時の流れを吸い込んでしまったのである。
 お店の管理がいいのだ。冷蔵庫から出された一升瓶の冷えぐあいがいい。ほどよく冷えた純米大吟醸が注がれたグラスには、あきらかに紹興酒を思わせるにおいがある。よくいえば濃醇うま口の酒である。庵主はただ一言、くどいと思う。にもかかわず存外呑めるのである。呑んでいて乙なのである。
 贔屓の引き倒しかもしれない。好きと思って呑んでいると酒はうまいのである。そして呑み終わって満足感を感じていたのである。
 お酒は惚れて呑みましょう。そうすればおいしく呑めるのだから。なお、今日の「おんな泣かせ」をけなしているわけではないので誤読されないよう。
 酒のうまさは思い入れの深さでもあると思ったのである。
 ところで、この原稿をうろおぼえで「女なかせ」と書いていたら正しくは「おんな泣かせ」だった。「女泣かせ」とも書きそうである。「ドラえもん」みたいな酒銘で表記を覚えるのが大変。
 太田和彦氏の「新精選東京の居酒屋」(草思社刊)でも「女泣かせ」になっていたから、やっぱり覚えにくい酒銘なのである。庵主だけでないと知って安心したものである。
 「おんな泣かせ」は校正屋さん泣かせの酒なのである。>BR>

★ぼうのぼうの★14/6/19のお酒
 串焼きとワインの店というのがキャッチフレーズの店である。だからいつもその前を通っていたというのに、その店にいい日本酒があるとは気がつかなかった。
 日本酒も、ひとりおりの酒銘を集めた上で、おすすめの酒として「天明、黒龍、福千歳、亀泉、上喜元、國香、開運、四季桜、AFS(木戸泉の酒)」を揃えている。このおすすめの酒はどれを呑もうかなと、あれこれ思いをめぐらして選ぶ楽しみがある酒祭り(当庵では酒のメニューのことをこう呼んでいます。さかまつり、と読みます。)である。お店がちゃんと自分で酒を選んでいるという気概が見て取れるのである。
 庵主が住いする曙橋に「開運」を置いている居酒屋があるということを「開運」のホームページで知っていたが、たまたま買った今日の日刊ゲンダイにこのお店の紹介記事が載っていたので、べつに呑む必要もなかったのだけれど、じゃあ「開運」を一杯だけという気持ちで入ってみたのである。
 そこで目にしたのが上の酒祭りである。開運、國香(こっこう)と庵主好みの静岡の酒をすすめているのがうれしい。全部呑んでみたいけれど庵主の酒量ではそれも叶わない。しばらくは通ってごちそうになることになりそうだ。
 さて、「開運」特別本醸造である。さすがに波瀬正吉の酒である。味に「うまい」がある。この「うまい」をどう説明したらいいのか、今の庵主にはそれを伝える文章力がないのでじれったいが、要するに呑んでうまい酒がもっているあの「うまい」という満足感のことである。舌が頷くあのうまさのことである。呑めばわかるとしか、いまは言いようがないのが残念である。
 「ぼうのぼうの」は曙橋の駅のそばにあるお店である。きょうは庵主が住いする曙橋の居酒屋事情のご紹介まで。

★美品★14/6/15のお酒
 革の鞄とか、財布とか、名刺入れというのは、使っているうちにだんだん年季がかかってきてそろそろ新しいものに取り替えようかという時がくる。しかし、そうなってから気に入るものを探してもなかなか見つからないのである。
 だから袋もの(革とか、布で作った袋状の商品)に関しては常日頃から売場に目を通しておくというのが庵主のならいとなっている。
 こんどの名刺入れもそうである。高くてもせいぜい数千円の革物である。長く使うものだから、しかも財布と違って受け取った人さまの名刺を納めるものでもあるから相手の名刺を粗末な名刺入れるのは失礼にあたるので、それなりの革製品を探したのであるが、これがなかなか見つからないのである。
 まさか、ポルシェとかカルチェとか、明らかにお金持ちのために作られた値段が立派な名刺入れをもつのはためらいを感じる。それにふさわしい人が手にすればいいのである。かといって己の名刺入れなのに例えばミアキタ・イッセイとかタカイ・ダケヨとかいった他人の名前が入っている物はまるでどこかの記念パーティーで貰ってきたおみやげ物みたいで持っているだけで気はずかしい。
 名刺入れの表側に、ランバンとかジバンシーとか企業の名前が堂々と書かれている商品もあるが、それを手にするたびに企業の宣伝をしているようで使うのに気がひける。
 いい革で作られたすっきりした名刺入れがほしいのである。グランドキャニオンという美しい革物を作っているところがあったが、この時期、その製品がみあたらなかった。だから困ってしまったのである。
 しかし、さすがは東京である。手にとったときの革の感じの気品といい、丁寧な仕上げといい、しっかりした造りといい、簡素で美しい名刺入れがちゃんと売られていたのである。手にしているだけも重厚感が伝わってくる商品である。そのかわりお値段もすばらしいものがあった。一点豪華主義に走ってしまった
 美しい名刺入れが手に入ったので、すっかりうれしくなってそれにあわせて伊東屋で新しい名刺を頼んできた。
 その夜は、いい物を手にしたうれしさでいい気分で酒亭に向かった。出てきた酒は「天狗舞 大吟醸 中三郎 生酒」である。あれっ、いつもと違って味が軽い。
 そして「東北泉 大吟醸 南部杜氏 佐々木勝雄」である。なにげなく裏ラベルを見たら、品評会出品酒ですと書かれている。うまいわけである。きれいなわけである。このランクの酒になると、お酒に「気品」がただよっている。味が美しいのである。
 日本酒ならそういういいお酒がすぐ呑めるというのに、一方、美しい革物を求めようとすると相当の時間を要したのである。
 お酒も革物も、美しいものに出会えたときにはためらわず手にするということが肝心である。あとからさがしても同じものを手にいれることができないからである。

★今日は酒を呑まない日★14/6/13のお酒
 毎日のようにお酒を呑んでいるので、ときには、今日は酒を呑まないですむものなら呑まないでおこうと思っていたのだが、たまたま入ったお店にまだ呑んだことのない酒があってつい呑んでしまったのである。
 「新政」の厚徳が一合900円のお店で、その酒は1700円である。ひょっとしてすごい酒なのかもしれないという気がして1700円もする酒を平気で頼んでしまった。
 見栄の酒、おっと誤変換。三重の酒「噴井」(ふきい)の大吟醸である。
 さて、何が出てくるのか。
 以前のことだが、一合で1800円の「越乃景虎」を呑んだときは緊張したものである。ひょっとして今だかつて味わったことのない日本酒の世界が開けるのではないかと。そのときの委細は過去に書いたことがある。
 よく冷やされたガラスの徳利に入って「噴井」は出てきた。おなじくガラスの猪口で、大吟醸を冷やして呑むという清涼感あふれる趣向である。
 一口、重い感じの純米酒みたいな味わいである。香りにも華はない。しっかりした味が特徴の酒である。大吟醸ということで、さわやかな吟醸香を思いえがいていた庵主の予断は最初から覆された。1700円という値段に思いが飛ぶ。
 時間をかけて呑んでいるうちにだんだん酒温があがってきたのがわかる。すると、味わいが最初とは違ってきて、おだやかな表情を見せるようになったのである。
 一合の酒で人生を見るような思いにとらわれたのである。青年のような青くさい味わいが熟成した大人のようなまろやかな味わいに変わっていくのがわかる。一合に凝縮された深遠な酒の味の成長を実感できる酒なのである。
 大吟醸の「噴井」はそういうありがたい酒なのである。

★酒亭は美術館である★14/6/9のお酒
 相当ランクの酒をまとめて呑む機会があった。
 どの一本をとりあげても、なかなか手に入れにくい酒ばかりである。要するに造られた本数が少ない酒なので流通している絶対量が少ないということである。
 そういう酒は、個人で求めるのは難しいのと、一人で呑むには勿体ないので、あえてコレクターと呼びたいところのいい酒がわかっている酒亭で呑ませてもらうのが一番正しい呑み方である。またそういういいお酒を惜しげもなく呑ませてくれる酒亭には庵主は感謝の気持ちで一杯なのである。
 その手の酒を少数で呑むのというのは、なんとなく秘密クラブの密やかな楽しみみたいな後ろめたさと、俺は世間とは違うぞといったへんな悦びを感じて、客同士にまるで犯罪者がワルで結束するような奇妙な連帯感を感じるのである。
 その感覚は、怪人二十面相が美術品を集めて悦にいっている図に似ている。一人、ぞくぞくするような美酒の味わいに悦楽を感じているのだから。
 ところで、いい酒を揃えている酒亭は美術館のようなものである。そこに行けばいい美術品が並んでいるように、そこには美酒が揃っている。一級品の味わいを堪能できる場なのである。美術館は美意識を磨きにいくところであるように、酒亭もまた美意識を高めにいくところである。
 ふだんはそういうお値段も高い酒を呑むことはできないが(値段が高いということもさることながら、続けて呑むにはうますぎるからである)、ときにはそういう酒を呑んでみると、その洗練された味わいに「美」を感じるのである。
 日常の酒はそれとはまた別の酒である。そこでは気をつかうことなく呑める酒がうまい酒なのだから。
 でも時には美術館、いや酒亭でいい酒の美しさを実感して身も心も豊かになりたいというのが庵主の思いである。

★二日目★14/6/7のお酒
 ニクい居酒屋に二日続けて通うことになった。  「越乃白雪」限定大吟醸。
 吟醸香よし。呑んでうまい酒である。新潟の酒もうまいね。丁寧な造りをした美酒によく出るなんといっていいのかわからないあの味が出ていることからも力の入った造りであることがうかがえる。
 でも値段もそれなりに高い酒である。庵主は味優先だからどんな値段がついていてもいっこうにかまわないのだが、値段優先で酒を呑む人はあえて呑むことはないだろうと思われる。半分の値段で呑める「富久長」の雄山で十分に、いや十二分にうまいのだから。
 「堀の井 山北」はいい酒である。しらふで呑んでみて気の強い酒だったことがわかった。これ一杯で日本酒を存分に堪能することができる酒である。気の強い酒というのはアルコールが元気な酒のことである。
 そしてあこがれの「富久長 雄山」を頼む。無濾過の生酒。うまいのである。酸味がうっすらと感じられてきれい。甘味ありで庵主好みの美酒である。生酒のふっくらした味わいはほんとうにうまい。女杜氏今田美穂の実力にあらためて感服するのである。おいしいお酒をありがとうございます。

★ニクい居酒屋★14/6/6のお酒
 酒を呑ませる居酒屋である。
 カウンターの横に設えられた冷蔵庫を見ると実に魅力的なお酒が並んでいるのが見てとれる。
 さらに氷室(ひむろ)サーバーもある。電子冷却冷蔵装置である。装置といっても小型の冷蔵庫みたいなもので、ちょうど生ビールのサーバーみたいな感じである。
 このサーバーに入っている酒はみんなうまそうに見える。蔵元で搾ったそのままの酒をクール便でもってきましたというのが売りである。この装置を置いているいくつかの店でその中の酒を味わってみたが、いつも酒がぴちぴちはじけるようなフレッシュなうまさを呑むことができた。この装置を置いている店は酒のうまさに関して相当の見識をもっているとみていい。
 「地酒 今週のおすすめ」と書かれた酒祭り(さかまつり 当庵では日本酒リストのことをそうよんでいる)を見て最初に目が行ったのが、「根知男山」の純米吟醸である。
 その酒祭りには
 「越乃白雪」(限定大吟醸)からはじまって、大略、
 「日本海」(大吟醸)
 「福扇」(大吟醸)
 「出品酒ブレンド」(大吟醸)  「根知男山」(純米吟醸)
 「清泉 七代目」(特別吟醸)
 「豊盃 白ラベル」(純米吟醸)
 「くどき上手」
 「栄光富士」
 「上喜元」
 「刈穂」
 「月の輪 悠遊粋酔」
 「堀の井」山北(限定吟醸)
 「正雪」
 「酒一筋 田村」(純米吟醸)  「奥播磨」袋吊り
 「益荒男」無濾過生酒(山廃純米吟醸)と続き、最後が
 「富久長 雄山」無濾過(吟醸生酒)と十八種類の酒が並んでいる。
 この酒の揃えは魅力的である。庵主泣かせの酒祭りである。どれも呑まずにおけない気になる酒を揃えているのだから。
 しかし、庵主の酒量はそれをかなえることはできない。
 うまい酒を一杯だけというつもりで入った庵主の気持ちはこの酒祭りをみてあっさり覆されてしまった。かといってたくさんは呑めない。お店にお願いして量を少なめにして四杯だけごちそうになったのである。
 「根知男山」は酸味良し。かおりもひかえめながら吟醸香をたたえている。庵主の信頼は確信に変わった。新潟の酒で庵主が呑めるのは「根知男山」であると。
 氷室囲い(ひむろがこい) の「黒龍」吟醸ひやおろし生酒。氷室サーバーから注(つ) がれたこの酒のうまいこと。酒がいきいきしているのである。酒の「うまさ」が口の中に充満する悦楽の境地を楽しむことができる。氷室サーバーがいいこともさることながら、その中に入っている酒が亦(また) いいということなのである。
 氷室サーバーに大手メーカーの出来立ての普通酒をいれたら結構うまく呑めるかもしれない、とふと思った。日本酒のうまさは管理のよさでもあるからである。
 「黒龍」は曹洞宗の本山永平寺の近くに蔵があるという。ということは永平寺の般若湯は黒龍なのかなと思いを巡らせた。もしそうならば永平寺はまったくもって幸せな寺である。
 「豊盃」純米吟醸。この酒は庵主は初めてお目にかかった。評判はかねがね読んで知っていたが、ここで会えるとは思わなかった。他の酒はさておいて呑んでおかなければならない酒である。
 味、しっかりの純米酒である。庵主の好みの傾向からは外れるが、酒のうまさがある。評判にたがわぬいい酒である。
 そして初めて聞く「堀の井 山北」(限定吟醸)。山形の蔵である。知らない酒ではあるが、この酒祭りに名を並べているのだからきっとうまい酒に違いないと信じて頼んでみる。しかも四杯目の酒である。普通の酒なら味の記憶が残らない状態で呑んだのである。
 いい。味がある。庵主にとってはかなり酔っている状態で呑んだにもかかわらず、酒のうまさがはっきりと伝わってきたのである。で、どんな味だったかと聞かれると、全然おぼえていない。ただ「うまい」という味わいの記憶だけがはっきり残っているのである。
 この酒祭りではもう一回お店に足を運ばなくてはならない。
 なんともニクいお店である。

★「達磨正宗」の古酒に味わいを感じた★14/6/5のお酒
 「達磨正宗」といえば、古酒である。その「平成五年」と「昭和五十四年 純米甘口果実香」を呑んでみた。
 日本酒の古酒というと、色が黄色みがかって、紹興酒のようなにおいがする酒というのが庵主の印象である。それをうまいと言っていいのか、所詮下手物と切り捨ててしまっていいものか、庵主はいつも言葉に困るのである。理解のできない味があってもいっこうに困ることはないのだが、つい一言なにか言ってみたくなるのである。
 古酒といっても、低温で貯蔵されたものには、五年とか十年の歳月を経てもすこしも紹興酒のようなにおいが出てこないものもあるが、古酒の多くはなんとなく紹興酒みたいな味なのである。
 「平成五年」は、「達磨正宗」に特別に造ってもらったその店のオリジナルブレンドであるという。平成五年の酒をベースにしてもっと古い古酒をブレンドして味を整えたものだという。
 「昭和五十四年 純米甘口果実香」はそのラベルどおりに23年物である。
 いずれも、いつものように紹興酒のような味わいなのだろうと思って口にしたのだが、しかし、その味わいは予想をはるかに裏切るものだった。
 こってりとした味の酒である。色も山吹色を通り越して褐色である。見た目はソースのような質感なのである。
 そして味わいは紹興酒のような味といった他にたとえるようなものなんかではなく、その味わいによくできたリキュールを呑んでいるような甘く舌にずっしりくるうまさを感じたのである。
 この古酒を呑んで、庵主は初めて古酒の味わいの基準を手にした気がしたのである。

別室にもおいしいお酒が用意されております