「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成14年5月の日々一献
★わさび★14/5/30のお酒
 庵主はわさびの甘さにめざめてしまった。すりおろした山葵は辛い。しかし、口にした瞬間はなんともいえない甘さがあることを知ったのである。その甘さの虜になってしまった。爾来、ツーンとくるまでのわずかな時間ではあるが、まさに瞬時の悦楽ともいえる一瞬の味覚にぞくぞくとくる快感を感じるようになったのである。
 まさに旬は瞬である。
 はじめ、甘さで喜ばせておいて、そのあとに強烈な辛さで涙をさそうというケレン味が庵主は好きである。一粒で二度おいしいというキャラメルがあったが、山葵にも気がつかないと知らないでおわってしまううまさがひそんでいることを庵主はこの歳になって知ったのである。歳はとってみるものである。いや、感覚がひねてきたといったほうがいいのか。
 とはいっても、食べ物はなんでもうまいまずいがある世界である。ただ辛くて鼻をつくだけの、ねぼけた風味の山葵が出てくることが多いということもいなめない。
 銀座に風味のゆたかなすり山葵を出す店がある。蕎麦を売り物にしている料亭である。カウンターもあって、庵主はいつも夜遅くなってそのカウンターでおいしい蕎麦をたべてくるから、ただ単に地下のそば屋といったほうが感じがつかめるかもしれない。とはいえ美人の仲居がお相手をしてくれるから、和風バーとでもいうのだろうか、しずかな雰囲気で料理と酒を楽しめるその店をなんとよんだらふさわしいのか思案するものがある。
 酒の揃えは良好である。酒祭り(当庵ではお酒のメニューのことをそう呼んでいる)にいくつか並べられた酒銘は、どれにしようかな、と迷う楽しみがある。酒は「〆張」の純を選んだ。
 板わさで山葵大盛りを肴にした。
 「〆張鶴」は新潟の酒であるが、庵主が新潟の酒で呑んでうまいと思うのがこの〆張である。この場合のうまいは、ただ単に庵主の口に合うということである。だから選ぶもなにもない。自動的に目がそこにいくのである。
 酒質は不思議なのである。すごいとうならせる酒ではないが、そこそこの酒というような特徴のない味ではない。その、絶妙にうまい、いや絶妙にうまくないという、ちょうど痛いのか痒いのかはっきりしたないもどかしい感じといったらいいのか、そういう奇妙な味わいの酒なのである。
 その奇妙を味わいながら、きれのいい山葵の甘さに甘美し、風味のいい辛さに涙をこらえたのである。「純」は水のように山葵の刺激をやわらげてくれるのである。ふーっ。
 仕上げのせいろ蕎麦で再び山葵を薬味にして悦楽の仕上げをして店を出た。うまいわさびはやみつきになりそうである。

★角砂糖のような酒★14/5/28のお酒
 日本酒を呑んで、うまいと思ったことが何度もある。日本酒を呑むときには、またあの「うまさ」に出会えるぞという期待に心がときめく。そして期待どおりにうまい酒があるのである。そしてまた、今夜もうまい酒を呑ませてもらった。
 お酒は「日置桜 純米吟醸 強力(ごうりき) 無濾過 無調整生原酒」(鳥取県青谷町出身)である。
 よく冷えたその酒を口に含んだときの感触はまるで角砂糖を含んでいるような錯覚を覚えたのである。口の中でころがしているうちにちょうど角砂糖が溶けて崩れていくように、酒温が上がってきて固かった酒が溶けていくのがわかる。その不思議な舌ざわりをじっくり時間をかけて楽しんでいたものである。
 「ああ、うまい」。
 その点、庵主が まだ実感したことがないのが 芋焼酎の「うまさ」である。どの芋を呑んでもみんな同じ味にしか思えない。
 まずいとは言わないが、うまいと感じたことがないのである。
 そもそも芋焼酎の味の違いがわかりますか、ご同輩。
 「正義桜」の純米超辛口。+17。香りはいいが、やっぱり庵主の好みではない。この手の超辛口の酒は、庵主は呑んでもうまいとは思えない酒だということを実感した。

★苦笑篇★14/5/20のお酒
 突板(つきいた)で貼り物が 0.1ミリの板を作ることができるのだという。しかもである。その板になんとサンダー(ヤスリ)をかける技術があるという。庵主はそれを読んで吹き出してしまった(高橋修一著「新版 知的住まいづくり考」TBSブリタニカ刊 1600円税別)。
 「こんな高度な技術はいいかげんにしてほしいと思います」という高橋修一氏の押さえに押さえた表現にかえって氏の苦々しく思っている気持ちがあふれているから可笑しいのである。技術の方向がゆがんでいるとこういう笑い話ができるのである。ニセモノを作る技術を磨きあげてどこがおもしろいの、というまっとうな神経を逆撫でするほどに進歩するおかしな技術に業を煮やしているのである。
 住宅用の木材に銘木床材というのがあって、いまやムクの木材は少なくて、表面は本物の銘木には違いないが、実は合板(ベニヤ板)の表面に薄く切った銘木を貼っただけという床材がほとんどだというのが実態らしい。
 その薄く切った銘木の厚みがたったの 0.1ミリという板があるというのだ。ハガキの厚みより薄いのである。うっかり爪でひっかいたりするとその下の合板が出てくることになる。だからふつうならヤスリをかけることができるわけがない。そこでひっかいてもはがれないように表面を硬質樹脂で塗り固めて傷が付かないようにしてあるのだという。見た目は木材だが実態はプラスチック材なのである。だから湿気を吸うわけでもなし、乾燥時に水分を出すこともないという。木材の性能を求めることができない代物なのである。以前、本で教えたもらった温泉のように、木材もいつのまにかニセモノが幅をきかせているのである。見かけだけ温泉、見かけだけ木材なのである。それをつかう効能は失われているというのに。
 そういえば、発泡酒もそれに近い代物なのではないと思い当たったものである。
 見かけはビールなのである。そういう高度な技術はもっとまともな方向で使ってほしいと思います。というのは庵主の言葉である。

★純米酒の気品「鍋島 三十六萬石」★14/5/18のお酒
 純米酒といってもいろいろな味わいがある。あきらかにまずい純米酒がある。まずいというよりは、正しくは庵主の口に合わない酒といったほうがいいかもしれない。
 酒の味は呑み手の好みもあるから、まずいと一言で決めつけると実はけっこういい酒だったりして、あとから庵主の酒に対する見識を疑われることになるかもしれないから、やんわりと庵主の口には合わないとぼかしておくのである。
 その酒のことを知ったのはつい一か月ほど前のことである。お店にすすめられた純米酒があった。「鍋島」(なべしま)という初めて聞いた酒銘である。うまい酒だった。いい純米酒だと思った。佐賀の酒だという。鹿島市出身の酒である。
 それが特別純米酒「鍋島 三十六萬石」である。このほど第14回国際日本酒祭りで純米酒部門の第一位となったという。あらためてじっくり呑ませてもらった。
 純米酒というと、米だけで造った本物の日本酒なのだからうまい酒でなくてはならないのだが、しかし、庵主は純米酒と聞くと身構えるのである。純米酒には、その味わいを米くさいといっていいのか、例の重い感じのするなんとも古くさい味わいの酒に出会うことがあるからである。そういうちょっとえぐい味のする純米酒よりも上手に造られた本醸造のほうがずっとうまいということが多々あるからである。
 さすがに純米酒「鍋島 三十六萬石」の味は絶品である。モダンな味わいの純米酒である。味がきれい。賞を受けるだけのうまさがある。酸味がいい、だから呑みやすいのである。庵主のからだが喜んで受けつけてしまう酒なのである。
 酒の味に気品を感じるのである。

★そば屋で一杯★14/5/13のお酒
 銀座四丁目にあるスタンド蕎麦屋が小粋である。
 「酔心」純米吟醸
 「銀盤播州五十」吟醸
 「山桜」特別純米
 「一ノ蔵」本醸造
 「高清水」本醸造、とちょっと気を引く五種類の酒を並べているのが小粋なのである。もちろん生ビールもある。
 晩方に立ち寄ったら、一杯きこしめてから、おもむろに蕎麦を食している客がいた。
酒はどれも一杯500円だから、蕎麦と合わせて千円といったところだ。軽く酒を口にしたいときに便利な店である。
 酒は正一合である。120ml入りのグラスが小さい升にはいって出てくる。グラスに酒をなみなみと注いで、さらに升の中にあふれさせて、その上カウンターにも酒を少しばかりこぼしてたっぷりの一合である。
 正一合がまたまた小粋なのである。ただし蕎麦がうまいとは書いていないところがミソである。

★「すいません」★14/5/10のお酒
  結局、「すみません」なのである。客が、お店の人に対して使う言葉かといつも思っているのだが、それに代わる言葉がない。
 「すみません。お酒、もう一杯いただけませんか」と、客が店にこびているのだからみっともないといったらない。
 客を立てていい気分にさせるのが店の立場だというのに、客が店を立てたら、店が客にお勘定を払わなければならなくなるではないか。
 客が、店に、「お愛想をお願いします」と言っているのを耳にする。お勘定の間違いでしょうに。お愛想をするのは店の方なのだから。
 店内(みせうち)の言葉を客が使うというへつらいが見苦しいのである。考えようによっては店を馬鹿にしているともとれないことはない。
 じゃ、店に物を頼むときにはなんと言えばいいのか、と聞かれても困る。庵主もまた言うまいと思っていても、つい「すいません」と声を掛けているからである。
 「お願いします」というのもおかしいし。
 退社時に、目上の人に「ご苦労様でした」と言ってはいけないというのは、それなりの常識となっているが、では「お疲れさまでした」と目上に人に言ってもいいのかというと、これもよくないとする説がある。じゃ、いったい上司の退社時に下っぱの者はなんと挨拶したらいいのか。その言葉がないのである。
 日本語って、人を対等にねぎらうに適切な言葉がない実に不便な言葉なのである。客と店とは立場の違いであって、客の方が偉いとか店の格に客はこびるものだといった上下関係ではないのだから。客にへつらう店ではうまい酒が呑めるわけがない。逆だったらなお悲劇である。酒の味すら楽しめないだろう。
 庵主は、そしてまた、今もって商店に入ってお店の人に声を掛けるときの言葉を知らないのである。
 道場破りなら「頼もうー」というところだが。
 だから、だまって座ると最初から日本酒のうまいのが出てくる行きつけの店というのは、その手の言葉がいらないから重宝なのである。
 ところで、お店の人がよく使う「失礼します」という言葉があったことを思い出した。
 料理を持ってきて卓上に供することがなんで失礼なのだろうかと考えると心配で料理の味がわからなくなってしまうのだ。庵主はその料理を待っていたのだから大歓迎ではあってもちっとも失礼とは思わないからである。ご期待にそえないまずい料理なので「失礼」しますということなのかな。

★宗友会勤醸の「宗玄」特別限定本醸造★14/5/6のお酒
 石川県珠洲市の酒「宗玄」(そうげん)は銀座の松坂屋デパートの酒売場にある。蔵元さんがやってきてGWに4日〜6日の三日間だけの試飲販売をやっていた。
 ここで並んでいた「宗玄」はラベルが洒落ている。手書き毛筆文字で宗玄と書かれたラベルがいい。右から左に書かれているので、見た目は「玄宗」である。しかも一見すると一文字のように書かれている。なんとなく格調のある筆文字である。中にはいっている酒もうまそうに思えるのである。
 以前、この売場で買って初めて呑んだ「宗玄」にうまいという記憶は残っていない。悪い酒ではなかった。たまたま呑んだ一本なので、それだけでは判断できないというところである。
 特別本醸造の生酒「歩」。生の爽やかな味わいで品がいい。それがラベルに宗友会勤醸と銘打たれた酒なのである。謹醸の間違いではないかと思ったが、裏ラベルの説明書きを読んで納得した。
 「酒屋の若主人達が、酒を造ってみたい一念から、極寒の早朝より宗玄平成蔵で、杜氏、蔵人と共に醸した特別限定醸造酒です。」とのこと。なるほど勤めて醸した酒なのである。
 庵主好みの甘めの酒である。呑みやすい酒だったので、しかも四合瓶で1000円と値段も手頃だったので買ってきた。これはお買い得である。しかも試飲販売中ということで、おまけで300ml入りの生貯蔵酒を付けてくれた。
 純米酒は乳酸菌のにおいがする。そのにおいをよしとするか否かは好みによるのだろう。そのにおいも取りようによっては甘いにおいがするおいしい酒なのである。
 大吟醸も試飲させてもらった。香りをおさえて値段相当の雰囲気は出ていた。
 能登杜氏の地元珠洲市の酒である。なにかあるかと期待したのだが特徴を感じるまでの酒ではなかった。とはいえ、いい酒を造っているという姿勢が感じられる好感のもてる酒である。

★「千代むすび」★14/5/7のお酒
 鳥取県境港市出身の「千代むすび」を呑む。
 最初から「大吟醸」である。山田錦35%。味は大吟醸の風格をそなえている。香りがよく出ている。きれいな酒質は大吟醸の贅沢を堪能できる。
 「本醸造 鬼の舌震い」は+12の酒である。辛いというわけではないが、ここまで甘味を切ってしまうと味に厚みを感じないので呑んでいておもしろくないと思うのは庵主の好みによるところだろう。
 「純米大吟醸 八万八百」の酸味はうまい。こういう酒がうまい酒である。庵主が呑める酒は酸味がうまい酒であるということにうすうす気がつきはじめたところだ。
 「強力 おおにごり」は強力(ごうりき。酒米の名前)をつかった濁り酒である。純米吟醸で磨きが50%。炭酸がきいている。炭酸の味がなじんでいるので口あたりがいい。多くは呑めないが、うまい酒である。
 もうひとつの「強力 純米吟醸」は、おおにごりと呑み比べるとおもしろい。米が同じでも濁りと清酒では当然味わいが違うのである。
 この段階で5種類の「千代むすび」を呑んだことになる。庵主の適量を完全に超過している。45mlのグラスで5杯。すでに1合の酒を越えている。
 達人がいた。今日は8種類の酒が出るということで、呑めない彼は頑としてグラス1杯ずつしか嗜まないのである。庵主は最初から盃を重ねてしまった。体が平気で受け付けるのである、「千代むすび」は。
 さらに3年物を1本。ちょっと紹興酒のにおいがする。悪くはないが、そのにおいは庵主の好みではない。そして「斗瓶取り 生しずく酒  山田錦  純米大吟醸」。さらに純米大吟醸の10年物である。最後の酒を一口呑んで本日は限界を通り越してしまった。
 「千代むすび」できれいに酔ったのである。

★いざ鎌倉★14/5/5のお酒
 鎌倉へ。
 小町通りの商店街は人通りが多くてにぎやかである。和食の「星月」でいちばん安い3500円のコースを注文した。
 この値段ではスリルのある料理が出てくることは期待できないと思われる(「弁いち」の板前日記 2002.0510号 参照)。ちょっとかわった食材を使うとそれなりに値がはるということなのである。そのことはわかっていてもあえてそれを選ぶ。お金がないからではない。皿数が多くては食べきれないので勿体ないからである。
 庵主はこのところめっきり食事の量が食べられなくなった。年のせいなのか。いや敢えてうまい物を食べなくてもいいようになったということかもしれない。でも、いい物をたべたいね。
 酒を見ると、星、月という銘柄がメニューに載っていた。どこの蔵元で造ってもらった酒なのか、店の人に聞いても要領を得ないのでそれ以上は尋ねなかった。
 「鎌倉ビール」があった。地ビールである。星、月とある。どう違うのですかと聞くと、星の方が普通のビールのような味ですということなのでそちらを頂戴する。
 ラベルにはたしかに「Star」と書いてある。ホップの香りがいい。やっぱり地ビールはおもしろい。飲んでいて楽しい。
 3500円のコースでも、やっぱり庵主には量が多かった。
 デザートがおいしかった。小豆のつぶし餡をミルクで固めた甘味である。和食の店に行ってがっかりするのは最後に出てくる甘味がつまらないことが多いということである。せっかくのうまかった料理も物足りないままに終わることが多いからである。間の抜けた味の季節外れのメロンなどが出てきた分には苦笑物である。九仭の功を一簣に欠く。
 しかし星月ではその最後の一皿で十分に満足したのである。

★ランス・バートン★14/5/3のお酒
 ランス・バートンは手品師である。ラスベガスの劇場でイリュージョン(魔術と訳されることが多い。舞台でやる道具立てがおおがかりな手品のこと。けれんみたっぷりの手品といったところか)で人気を呼んでいる奇術師である。もちろん手業の習練でみせる手品もうまい。手品師というよりはエンターティナー(芸人)といったほうがいいのかもしれない。その東京公演がいま中野のサンプラザで行なわれている。
 手品が好きな庵主は大枚をはたいて見てくる。面白い。というより手品の観客のショーの見方が上手になったことがわかる。拍手を惜しまないのである。
 舞台に上げた乗用車を本当に消してしまうのである。どうやって消したのか知る由もないが、その不思議さを十分に楽しんできた。
 ランス・バートンにして。近頃の手品師が演技の最中に上着のすそをまくるのが気になっていた。若手の手品師が己の技に陶酔しての自意識過剰の仕草だと思っていた。手には何も仕掛けがありませんよ、という意味合いなのだろうが、観客はべつにそこがあやしいといっているわけではないのに、客の前でやにわにズボンを脱ぎだすような品のない仕草に辟易していたのである。
 スーパースターのランス・バートンもまたこの舞台で再三それをやっているのをみて苦笑してしまった。いま日本で流行っているそれは案外その物真似なのかもしれない。手品を演じるときは上品を旨としましょう。
 いいショーを見たあとはうまい酒を呑みたくなる。中野にはうまい日本酒を置いている店があちこちで目につく。
 久しぶりに「ぶんぷく」に寄る。
 酒は、まずは「飛露喜 特別純米生原酒」(ひろき。福島県会津坂下町出身)。今年の酒(ひろき)はできがいいよと蔵元が自信をもって言っています、というのがこの酒にお店がつけたキャッチフレーズである。思わず頼んでしまった。
 味はそのとおり充実している。が、昨日呑んだ滋賀の「大治郎」純米生同様にちょっとクセのある香りを感じるのである。丁寧につくられた日本酒に出てくるその香りをなんというのか庵主はそれを表現する言葉をもたないので、それをどう伝えたものかととまどっているのだが、だからといって悪い酒だというわけではなく、それゆえに十分呑んで楽しめる酒なのである。ちょっと力が入りすぎているといったらいいのかな。
 つぎに「益荒男 山廃純米生原酒」(ますらお。石川県 加賀市出身の「常きげん」である)。
 農口尚彦杜氏の酒である。山廃である。これまた気になる酒である。山廃の酒といっていもいろいろな味わいがあるのだが、これはまた、それまで庵主が酒が焼けたと表現していた味の酒である。乳酸菌のにおいだと山田さん(おっと内輪ネタになってしまった)から教えてもらった。農口杜氏の技が楽しめる。
 そして「長珍」の純米(ちょうちん。アクセント不明。書けるが読めない酒銘である。愛知県津島市出身)。
 この純米酒はうまい。味がきれいなのがいい。モダンな味の純米酒である。しかも味わいがしっかりしている。要するに庵主がよしとするうまい純米酒なのである。
 他の酒もこれぐらいうまいのならば、酒をごちそうしていただいてもうれしいのだが、そうはいかない酒を、おごってくれた人の手前、愛想をふりまきながら呑む酒のつらいこと。口直しをしないと体の気がそがれるような、うまくもなければ、まずくもない、どうしょうもないといった酒が多いのである。
 「長珍」は以前から変わった名前の酒なので気にはなっていたのだが、こうしてめぐり会えるとは思わなかった。
 手品をみた晩にそれぞれに味わいのある酒を楽しませていただいた。贅沢な一夜だった。