「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成14年3月と4月の日々一献
★桜とさくら★14/4/28のお酒
 日本酒を呑むことでものの違いが少しずつわかるようになった。日本酒の味わいの違いを知ることで、うまい酒とそうでない酒の微妙な違いがそれなりにわかるようになったのである。
 それまでは気にもとめていなかったわずかの違いを表現する言葉を見つけることだった。一つの世界を突き詰めると他の世界の微妙な違いもそれに準じて見えるようになる。いい絵とそうでない絵の違いがそうである。
 「桜の街」と題した桜の絵である。絵の前に立つと懐かしさを感じるのである。懐かしさとは絵から伝わってくる花を見る目のやさしさによる。絵を見ているとほっとするのである。その絵が掛けられた空間がきもちよい。桜を描いた絵は少なくないが、この作品には花の気持ちが描かれている。桜の花の繚乱の様が画面をいっぱいにおおっている。絵はがきで見たのでは感じられないが、この本画を見ると桜の花の華やかな心が伝わってくる。妖気の桜ではない。この桜の下で死ねたら幸せと思うほどにその桜の表情はあでやかでそして心やさしい花なのである。そのやさしさはまた作者自身の桜を見る心が表出したものにちがいない。
 技術的に上手な絵は数多いが心にしみてくる絵というのは少ない。その数少ない絵にめぐり会えた。画家はまだ若い女流である。春日葉子さんである。
 春日さんの絵は、その絵から伝わってくる雰囲気がなんとも心地よいのである。作品がたたえている気品がすがすがしいのである。画面のすみずみまで神経がいきとどいている絵である。
 絵のそばにいるだけで気持ちがいいという絵に出会った時は心がはずむ。小品を一点譲っていただいた。小さい作品ながらその絵には香気がある。画面の大きさを越えた世界をその絵に感じるのである。いい絵には香気と生気がある。それはうまい酒に似ている。
 うまい絵を描く人は多い。しかし味のある絵は少ない。それは日本酒の世界と同じである。そこそこの酒は数多いが、うまいと思う酒は少ないのである。しかし明らかに凡百の酒とは違ううまい酒がある。そのうまい酒に庵主は頷くのである。その酒がもっている香気に満悦するのである。
 その夜、立ち寄った地ビールを飲ませてくれる店で出てきたのは津山麦酒の「さくら」だった。
 四月の終わりにいい桜を見ることができた。

★「福正宗」の特別純米★14/4/18のお酒
 銀座の5丁目に石川県金沢市の蔵元福光屋(ふくみつや)のアンテナショップがある。酒はもちろん小粋なデザインの冷蔵庫の中に並んでいる。集められた美しい酒器を見るだけでも楽しい。気のきいた形の徳利がある。美しい線をもった片口がある。日本酒グラスもここで買い求めることができる。
 庵主は日本酒はこの日本酒グラスで呑むのだが、手元にあったグラスが全部割れてしまって探し求めていたところである。この店にあったのを知ってほっとしている。
 日本酒グラスの60mlが300円、120mlが400円である。庵主の常用は120mlのほうである。このグラスなら容量がわかっているから、八分目を満たして約五勺なので適量を知るのに便利なのである。透明のグラスだから酒の色合いをはっきり見てとることができるので重宝である。
 さて福光屋は純米宣言をしてはりきっている蔵元である。「黒帯」「加賀鳶」で有名であるが、酒銘は「福正宗」が本流である。
 その「福正宗」の特別純米を買ってきた。300mlで369円。一升換算で2,214円である。どこが特別なのかというと、吟醸混和率20%なのである。
 ウィスキーにブレンデッドウィスキーがあるが、これは純米酒をブレンドして作った酒である。ブレンドした日本酒が珍しいわけではないが、吟醸酒をまぜて作りだした味わいがどんなものか気になったので買った見たのである。この手の酒は居酒屋でも置いていない酒なので買って呑むしかない。
 酸味がうまく出ている酒である。吟醸のたおやかな感じと純米のおきゃんな感じがうまく混ざっているけっこういける味わいである。味の二層構造が楽しめる技ありの酒に仕上がっている。アルコール度13度以上14度未満と低めであるが、それを物たりないと感じさせない味わいになっているのはブレンドの妙である。

★美酒の薬効★14/4/16のお酒
 このところはありがたいことに庵主の仕事がいそがしい。さすがに毎日たっぷり働いて時間の余裕がない日が続くと心身ともに疲れがたまる。
 そういうときにうまい日本酒を呑むと疲れていた心がしゃきりとするのである。薬屋がつくっている気休めの健康飲料をしのぐ効用がある。
 「丸本屋 純米大吟醸 斗瓶取り生原酒」を小さいグラスでいただく。
 ラベルのデザインがすっきりしている。白い紙の真ん中に筆文字で丸本屋。その酒銘の左右に酒のデーターが書かれている。
  ヴィンテージ 平成十三BY産
  アルコール度 十七度
  原材料 米、米麹
  原料米 岡山県産山田錦
  精米歩合 三十五%
  丸本屋
  日本酒度 プラス三
  酸度 一・四
  アミノ酸度 〇・七
  杜氏 内倉 直 
 瓶の肩には、赤いたすきで「限定酒」の表示。
 評判にたがわぬ美酒である。味に艶がある。厚みがある。疲れた心にじわりとしみこんでくる滋味をたたえた味わいである。口に含んだときに葡萄の香りと感じたのは庵主が疲れていたせいである。じっくり味わうと米の精の香りである。
 凝り固まっていた心労がほぐれていくのがわかる。美酒には薬効があると知るのである。

★生気のある絵、生気のある酒★14/4/9のお酒
 絵に生気がある。絵が生き生きしているのがわかる。凡百の絵とちょっと違うのは絵が生きているということである。絵に活気があるのがわかる。その気持ちのよさが三田村和男画伯の絵の魅力である。
 その味わいは酒にも似ている。うまい酒には生気があるのだ。酒が生き生きしているのである。うまい酒が凡百の酒と違うのは味に活気がみなぎっているということである。だから呑んでいて楽しいのである。
 美酒を呑むに似た味わいの三田村画伯の個展は、いま、銀座のギャラリー舫〔ぼう〕(中央区銀座2−6−5越後屋ビル別館2F 電話03−3563−3558)で開催されている。4月13日までなので生きのいい絵をぞんぶんに味わってみていただきたい。
 三田村画伯の絵はまさに吟醸酒の味わいである。普通酒のような多くの絵との違いをぜひ実感してみていただきたい。

★サービス券★14/4/8のお酒
 その店は日本酒の揃えでは名のある店といっていい。久しぶりに立ち寄ったその店でサービス券をもらったのである。平日に来店のときは10%引きにしますという券である。
 「このところお客さんが減っているので少しでもお客さんに店に来ていただきたいものですから新しいサービス券をつくったんですよ。一か月以内にまたご来店いただいたお客さんにはサービスします。お客さんにたくさん足を運んでもらわないと店もやっていけませんからね」。
 ビジネス街の表通りにある店で、しかも錚々たる酒を揃えている店なのである。だから一杯の値段もそれなりに高い。いくらうまい酒を出してもそういう店の客が減っているというのである。
 これがビールかと思うような代物が、発泡酒と称してビールの代用として安く売られているが、それが現に売れているのである。
 不景気は、酒の世界でも、飲み手を安酒指向という現実的な選択をせざるをえない情況に追い込んでいるのがわかる。
 いい酒を造れば必ず味のわかる人が呑んでくれるという考えで造られた酒もその影響を受けて呑み手の底辺を拡大する方向には向かっていないのである。いい酒があるということを知っていても財布の中身がその酒を選ぶことを許さなくなってきたのである。
 そこそこの値段で呑める酒が、さしてうまくはないがまずくはないという酒が、手頃な値段であるということだけで選ばれているというのが実態なのである。
 せっかくうまい酒を造ってきた努力が、不景気で金がないという現実の前にはなんの意味もなかったということをこうして目にすると安酒の底力を認めざるを得ない。
 大手メーカーの酒造りの実力をあらためて思い知らされるのである。
 そんな酒を呑んでも、庵主はちっとも面白くないが、それは酒が呑めない庵主の戯言でしかないようである。
 花より団子。酒の味より酔える安酒、といったところか。そういう酒で酔ったところで、体は酔っても心は酔えないけどな、庵主の場合。

★おかしの煙草★14/4/4のお酒
 お下賜の煙草である。黒い箱にはいった巻煙草で、煙草に金色の菊の紋がはいっている。ありがたい煙草なのである。
 煙草は体に悪いから、赤子に煙草を下賜するのはよくないということで廃止することになったという話を聞いたことがあるが、まだ菊のマークが入った煙草があったことをつい最近確認した。よろこばしいことである。一服賜った。
 恩賜の煙草いただいて、明日は死ぬぞと決めた夜は、広野の風も生ぬるく、ぐっとにらんだ敵空に、星がまばたく二つ三つ。以上うろ覚え。
 と引用するとジャスラックにお金を払わないといけないのだろうが、知らなかったことにしておこう。
 この歌は名曲である。庵主がこの歌を知ったのは森繁久弥がラジオで歌っていたのを聞いてである。
 いい歌だと思った。日本人の死ぬ気をそそるのである。死に臨む気持ちがやすらかなのである。そういう気持ちで死ねたらいいなというあこがれに似た思いをその詞に感じるのである。ここで日本人といっては間違いか。その日本人というのは庵主のことなのだからである(といっても死にたいといってるのではないので誤解のないよう)。
 軍歌は日本人を戦争に駆り立てたという、毒と薬の区別もつかないような論調でそれを非難する文章が跋扈しているから、軍歌にもいいものがあったといったら分が悪いのかもしれないが、いいものはいいのである。まずいものは、やっぱりまずいように。
 林秀彦氏が、この歌のすばらしさをとりあげていたのはわが意を得たりといったところである。少なくても日本人は二人いたのである。死ぬる、がもとの歌詞だという。
 恩賜のお酒ではこの心境には至らない。酒はやっぱり長生きの薬である。じっくり酒を呑んで死にたいとは思わないもの。明日もまたうまい酒を呑みたいと思ってしまうから、酒を呑むと生に対する執着を断ち切れなくなるのである。

★「冬樹」が来た日★14/3/29のお酒
 今年の「冬樹」が入荷した。
 わくわくする。今年の「冬樹」はちゃんとうまいのだろうか。この気分は子供の時分に月刊誌の発売日が楽しみだったのと同じトキメキである。
 いまは歳をとって、雑誌を作っている人たちの多くが庵主より年下になってしまったから、雑誌作りの底が見えてしまうものだからいけない。読んでおもしろい記事にであっても、そのおもしろさにのめりこめないのである。上手に作りましたね、という裏が見えてしまうからである。
 映画を見ていて、そのストーリーではなく、その製作費を算段しながらみているようなものである。
 さて今年の「冬樹」である。
 いい。うまい酒に仕上がっている。でもまろやかさが感じられないのは、まだ炭酸がこなれていないせいか。はたまた酸味を強く出したせいか。
 いや、口開けをそのまま呑んだものだから、まだ酒がなじんでいないということは十分考えられるのである。
 口をあけてから2〜3日ほどすると味がまろやかになるかもしれない。
 と、初日、口開けの感想である。
 「冬樹」は次の間にもあります。

★「志太泉」は南部杜氏★14/3/26のお酒
 「志太泉」(しだいずみ)を呑む。静岡は藤枝の出身である。
 まず、「純米吟醸13BY生 山田錦50%」。
 最初からこの酒である。自信の現れだろう。普通は下のランクの酒からはじめるのだが。味の生きのよさ、キレのよさ。そのうまさといい日本酒としての格調の高さといい、今日もまたおいしい酒にめぐり会えたという幸せを感じる一杯である。
 もうこれを呑んだら帰っていいという出来ばえの酒である。最初に持ってくる訳がわかる。
 次は「特別本醸造」でなんと精米歩合50%。大吟醸で出してもいい酒なのである。十分に寝かせたアルコールを添加したとのこと。味は実にやわらかい。やわらかすぎて庵主の歯にはかからない味になっている。山田錦と五百万石をまぜた酒という。山田が麹米、五百万石が掛米というわけではない。山田錦で造った酒と五百万石で造った酒をブレンドしたのである。
 「純米大吟醸の12BY 山田錦40%」。火入れで1年寝かせた酒の味は妖婉である。
 「純米の原酒の生」。山田で60%。アルコール度18.3度ぐらいかな、と蔵元がいっている。アルコール度が高いので庵主の舌になじむ。苦みを感じるのがまた粋である。苦みというより渋みの妙といったほうがいい。庵主は精米歩合60%の酒を呑むのが好きだ。造り手の技を楽しむことができるからである。
 さらに「純米大吟醸原酒生の11BY」。2年の歳月を経てヒネ香がかすかに感じられるも、「うまい」という満足感を味わうことのできる酒である。
 その上おまけの、ラベルなしの「高橋貞實」。この次元の酒になるとうまいとかどうとかこうとかといった言葉はいらない。だまって味わっていていい。語る言葉を探す必要のないほんとうに贅沢な酒なのである。「あー、いま庵主は贅沢をしている」という悦楽につつまれる酒である。
 そして大吟醸斗瓶取り中汲み原酒の「泉」。12BYで味がきれいにこなれている。お酒がみんなこの酒のようにさりげなく旨い酒ならばいいのに、と叶わぬ思いをいだくのである。

★地ビールフェア★14/3/22のお酒
 銀座の松坂屋デパートの7階の催事場で地ビールフェアをやっている。3月27日(水)までである。まずはこの会場で飲める13醸造所の生ビールを味わってみてほしい。
 四社(キリン・サッポロ・アサヒ・サントリー)のビールの味になじんでいる人が飲んだら、きっと「何だこの味は」と思うに違いないビールばかりである。
 くどい、えぐい、香りがきつい、にがい。そしてへんな味。
 が、しかし庵主のようにこの歳になってビールに目覚めた者が飲むと、やっと味わいを楽しめるビールにめぐりあえたという喜びに目が潤むのである。花粉症で目が痒いせいもあるが。
 これまでごく狭いビールの世界に慣らされてきた多くの日本人にとってはまさにカルチャーショックを体験することになる会場である。このショックを乗り越えるとビールの世界が広がることは間違いない。
 地ビールに通じているマイケル・トシさんの紹介文を以下に引用したい。
             *
大阪箕面市からAJIビールの大下香織里さんが来ます。
いつも白いつなぎの作業着で汗まみれでビールを造っている
素敵な彼女が催事場にいます。
どうぞ皆様、彼女に暖かい声をかけてください。
よろしくお願いします。

大河テレビで有名な石川県からは白山わくわくビールがやってきます。
わくわくのビールは白山の伏流水を使っていることが大きな特徴です。
手取川、天狗舞などの名門蔵もこの近所です。
わくわくの会社は5人の農家が農業法人を設立してビールを作りました。
米も麦も彼らが作っている力作のビールです。

秋田からはあくらビールが桜の花びらから酵母を採取したビールを東京に 初めて持ってきてくれます。
新潟からは2次発酵タンクがない分、償却費を消費者に還元し、
デイリービールへ挑戦している瓶内発酵の新潟麦酒がやってきます。

新しいビールに挑戦している彼らにどうぞ拍手をもってお迎えください。

島根県松江市からは
島根ビールがやってきます。
宍道湖に沈む夕焼けは日本一美しいと言われています。
ゆったりとした時間が流れている松江、小泉八雲がいた松江、
あふれるばかりの文化性がある松江。
そのお城のふもとで作っている地ビールも東京に初登場です。

若狭シーサイドブルワリーは海辺でビールを造っています。
函館麦酒工房ビロングスビールは函館港にあります。
瓢湖屋敷の杜ブルワリーは白鳥の湖の近くにあります。
ひでじビールは深い森の中で造っています。

梅錦ビール(梅錦山川)、ネストビール(木内酒造)、福井ビール(越の磯)は 日本酒蔵がつくる精度の高いビールです。

農業法人安房麦酒のある房総半島は一足早く春が始まっています。
彼らは春の香りがする特産のイチゴビールを持ってきてくれます。

みんないい味だしてます。
             *
 
AJIビール(通称アジ・ビール。本当はエージェイアイと読む)の大下香織里さんが造った「心友ビール」を飲んでみてください。とりわけ不思議な味がします。他の地ビールとどこが違うのかは大下さんに直接聞いてみてください。その秘密をちゃんと教えてくれます。会場で名札を付けていますからすぐわかります。
 庵主は生ビールをひととおり試飲してから、安房麦酒の「いちごエール」(今回60本限定)と大下さんの「恋ビール」をお土産に買ってきた。
 あくらビールの「桜酵母ビール<花>」は秋田県北のソメイヨシノの花から採取した酵母で造ったというビールである。このビールは東京でもここでしか飲めない桜の季節にふさわしいビールである。これは飲まずに帰られない。
 庵主の好みとしては、ホップの香りがはなやかな白山わくわくビールの「白山コシヒカリエール」が好みである。味に表情があるからである。
 それと梅錦ビールの「伊予柑スパークリング」はビールでこんな味も出せるという飲みごこち爽やかなビールである。これも一度はためしてみたい。「えっ、これがビール?」といいながら美味しそうに飲んでいた女の子がいました。
 突然、話が変わって、ネストビールを造っている「菊盛」がサーバーでしぼりたての生酒を試飲させてくれます。この日本酒のうまいこと。若い酒にもかかわらず炭酸味がうまくこなれていていい味になっている。これはお勧めである。
 いまなら間に合います。銀座の松阪屋デパートに味わい十分のビールが集まっているという情報でした。
 しかしそれにしても日本人というのはなんと器用な人達なのだろうかと思うのだ。ウイスキーといい、ワインといい、何も日本でわざわざ造らなくてもいいものをなんとしてでも真似して造り上げてしまうという、その物好きというか、好奇心が強いというか、探究心の旺盛さをつくづく感じるのである。
 いちごビール(あ、これ発泡酒でした。麦芽使用率25%以下ということで)を飲みながら、そう思うのである。色がいい。苺の色というよりも桜の花びらの品のある色をしたビールである。苺といわれればたしかに苺の香りが感じられるビールである。

★うっ、まあ、いいっ! ★14/3/19のお酒
 一口呑んでうまいと思った。いや、本当にうまいのである。
 出てきた酒が「十四代」だからどれを呑んでもはずれということはないだろうとさして期待することなく口にしたのが「十四代 古代活性農法米 出羽燦々 純米吟醸生酒」だった。
 「うっ」と、うなってしまった。
 それが思っていた以上にうまかったからである。たかをくくっていたことが庵主の軽薄な予断だったことを最初の一口で思い知らされたからである。
 甘味がのっている。庵主好みの酒である。まともな純米酒は糠くささがないのだ。ほんとうにきれいな酒なのである。
 「まあ! 」と感心したのは次の瞬間である。
 生酒である。炭酸がじつになめらかになっている。舌にここちよい。その過不足のない炭酸味(たんさんみ)がなんともせつないほどに旨いのである。
 そして酸味のほどよいバランスのよさに、その味わいのうまさに「いいっ! 」と満足を感じたのである。
 これだけの充実感を味わえるのなら、「十四代」、ばかにはできない酒である。ばかにできない、というのは馬鹿にしていたというわけではなく、庵主はもう卒業してもいいかと思っていたのだが、やっぱりうまいよとあらためて実感したということである。
 ついもう一杯を所望してしまった。庵主にはめずらしいことである。
 最初の一口のうまさをもう一度確かめたかったのである。

★「初駒」がうまい★14/3/15のお酒
 青森の酒といえば「田酒」である。「田酒」はもちろんいい。だが庵主の好みは黒石市出身の「初駒」(はつこま)に傾くのである。
 気負って呑む酒ではない。それでいてうまい酒なのである、「初駒」は。ほんのりあまく、いまの季節に搾った酒にはまだ炭酸のうまさも感じられて、やっぱりうまいのである。庵主の体がうまいといっているのである。
 庵主のいうあまいとは、辛口の酒で口に含んだときにまろやかで甘く感じる酒のことである。あえて漢字を当てるなら「旨(あま)い」といったところだが、あまいと平仮名で書くのは甘いと書くと日本酒度がプラスになっている酒を思い浮かべるので、そのような甘さをいっているのではないという意味からである。
 初駒では「海羚」(かいれい)という大吟醸を出しているが、この酒のなんともいえない味わいに技を感じたのである。ほのかに渋みを感じさせるその味わいは、うまいとかまずいとか、甘いとか辛いとかの評価の次元とはまた違う日本酒の味わいを楽しませてくれる酒だった。大人の味覚に満足を与えてくれるなんともいえない含みのあるその渋みがいいのだ。大人というよりは、歳を重ねたといったほうがいいのか。年寄りとまでは書かないが。
 人に聞くと、「初駒」はうまくなったという。庵主が先だって蔵元で試飲させていただいた酒は、たしかに普通酒からしてうまいのである。十分うまいのである。
 「初駒」は化けるかもしれない酒である。
 もっとも蔵元で呑んだ生酒のうまさを、そのまま流通に乗せられるかどうかはまだ検証していないので、なんともいえないが。
 酒のうまさは流通過程での管理のよさなのである。東京でその酒を呑んだときにあのうまさが残っていないとしたら人にはすすめられないからである。
 だから、地元で呑みきってしまえばそれが一番うまいと考える蔵元がいても少しもおかしいことではない。能書きなんかいらないうまい酒を地元の人のために醸(かも)すのである。呑んで十分うまいのならそこでは酒はその銘だけでいいのだ。その銘が酒の代名詞なのである。
 女あさりじゃあるまいし、どこかにうまい酒はないものかと日々異なる酒を追い求める方が少しおかしいのである。あっ、庵主のことである。
 
★安春花★14/3/10のお酒
 花と言えば、この季節の庵主は花粉症とのおつきあいで毎日が閉口の日々である。
 今年の花粉症はどういうわけか、きまって週末になると症状が激しくなる。日曜日は一日中鼻がぐずぐずしてテッシュペーパーが手放せない。が、月曜日になると花粉情報で飛散量の多い日であってもなんとかしのげるのだからふしぎである。からだはちゃんと知っているのである。平日は仕事の日なのだからめげてはいけないと知っていて、その我慢の限界がちょうど週末の土、日というわけである。
 酒のうまいまずいを理屈ではなくからだがちゃんと知っているように、からだは勝手にわかっているようなのである。うまくできている、神様から頂戴したこのからだは。
 その花粉症も、庵主の場合は5月の連休が終わるといつの間にかおさまるというのが常である。杉の花粉も季節をちゃんとわかっているのである。思えば、花粉症とはもう長いおつきあいになる。
 花といえば、安春花である。アン・チュナ、韓国人歌手である。日本に来て7年になるという。
 そのアン・チュナをプロモート(売り込み)する南(みなみ)さんから、都内で公演をするからぜひ聞きに来てほしいとのおさそいがあったので歌を聞いてきた。
 うまい。酒と同じようにうまい歌を聞くとほっとする。素人の歌と余裕がちがうのである。素人は10の力があるとすれば、10に近い力で力唱するから聞いていて疲れるのである。ところがプロの歌は素人が目いっぱいでうたう歌を7か8ぐらいの力で歌っても素人をしのぐのだから安心して聞いていられるのである。
 テレサテン亡きあとを埋めるだけの歌唱力がある魅力的な歌手である。でもいまの歌謡曲は歌詞が弱いからヒット曲がでなくなってしまった。歌のよしあしは一(いち)に歌詞の力なのである。その歌詞を書ける人がいなくなったのである。みんな豊かになって歌をうたいたいという切実な気持ちが失せてしまったようである。
 貧乏だからそれを克服しようとする意欲が出てくる。豊かになるとそんな力がわいてこないのと同じである。ぬるま湯につかっていることがわかっていて、このままではいけないと気づいていながらも湯から上がろうという行動に移せないもどかしさがある。
 歌い手にとっては不幸な時代なのである。歌唱力はある、しかし歌う歌がないのだから。それはちょうど、性欲はある、しかしそれを向ける方向を見定めることができないというときのむなしさに似ている。その能力を生かすことのできない無力感にいらだつのである。アン・チュナの歌唱力を生かせる人はいないのだろうか。男心をくすぐる詞を書ける人はいないのか。いま、歌を書ける男はいないのか。
 南さんのアン・チュナだから「南 無濾過純米中取り 生酒」を盛会のお祝いにお贈りした。今日は語呂あわせである。
 −−−
 いま、アン・チュナのテープを聞いているのだが、この録音では安春花の歌唱力のすばらしさが伝わってこない。録音技師も音は録れても歌を録れなくなったのだろうか。昔の歌謡曲の録音テープのメリハリのある音を聞くと心が躍るのである。今の若い人はかわいそうである。いいものがあるということさえ知らされていないのだから。

★怒濤の「dancyu」★14/3/3のお酒
 「dancyu」(だんちゅう、なる美食雑誌)の日本酒特集号は日本酒マニアの注目の的である。
 日本酒特集を組む雑誌は数々あるが、その中では一番気合がはいっているから見逃せない。その姿勢の好き嫌いは別にしてみんな見ているのである。気になっているのである。
 日本酒の流行を作るのは本誌だといわんばかりに力(りき)がはいっているから誌面に元気があって読んでいるだけでおもしろい。活気がある。この特集を楽しんで作っている気分がよく伝わってくる。
 今回の特集のタイトルが「怒濤の日本酒」(14年3月号)。次々と出現するうまい日本酒の勢いにのって、どうだこれでもかと誌面を飾る日本酒のうまそうなこと。その記事に煽られて、純情なマニアはまだ見ぬ銘柄に思いをはせるのである。
 そのマニアの典型が当庵の庵主でありまして、毎日呑む酒の銘柄が全部違うという節操のなさがなんともいじましい。
 だから、庵主が酒好きと耳にした人から、いつもどういう酒を呑んでいますか、と尋ねられても答えられない。これ一本という呑み方ではないからである。
 ただ「うまい酒を呑んでいます」と答えるのみ。
 日本酒が売れなくなったという。今までバカ呑みしていた人がどんどん老齢化して飲酒量が減っているのである。酒が好きでも量が呑めない歳になったのである。加えて若い人が酒を呑まなくなったと聞く。もっとも、うまくもない酒をバカ呑みしないということなのである。それなのに、販売量は年々伸びるのが当たり前と成長期の感覚そのままで、前年より多く酒を売るぞと考えている酒屋がいるとしたら日本人をアルコール漬けにでもしようとしているのだろうかと邪推したくなってしまう。
 庵主が好きな国際陰謀論の物言いをなぞらえれば、それはわが国の伝統文化を堕落させようとして国民をアルコール漬にしようと考える陰謀勢力の戦略だということになる。
 酒屋が売っているものは薬物であるアルコールなのである。薬というのは健康な人にはのませる必要のない商品である。健康な人にまで薬を売りつけるという商売は異常なのである。最初は病を治すときだけのために作っていたものが、商売として売り続けるためには、その薬をいったん使いはじめたらやめられないというものにして常に売れ続ける薬を作りだすに至るのである。服用をやめられない薬というのは、薬物中毒といっていいのではないのか。薬同様、酒も度を越した販売なら規制してもいい商品なのである。酒の売り方は変わらざるを得ない時代なのである。
 そんな中でうまい酒を造りなさい、というのが「dancyu」の姿勢である。いい酒を造って名を残しなさいというのである。うまい酒を作ったら本誌で取り上げてやりますよ、スターにしてあげますよ、というプロデューサーの楽しみを「dancyu」は日本酒に求めているのである。
 映画のプロデューサーをやっていた水の江滝子氏がいうことには「新人俳優がだんだんスターになっていく過程がおもしろい」と。
 「dancyu」が取り上げると、その酒は一躍スターになるのだから、いま「dancyu」はまさに怒濤の勢いなのである。
 その怒濤の波のしぶきの一献を庵主はありがたく頂戴しているのである。 
 
★悦楽の「菊姫」★14/3/2のお酒
 「菊姫」山廃純米無濾過生詰原酒。
 グラスに注がれたその酒の色のおいしそうなこと。見ただけでそのうまさを感じさせるいい色なのである。ほんのり琥珀色。琥珀色といったらウイスキーみたいなので、うっすらとおいしそうな山吹色をしている、と書き換えよう。この酒を注文したのは当たりだったと直感させる酒である。
 かおりをかいでみる。ダメなのである、いや酒がでない、庵主の鼻がだめなのである。この日は花粉症が出て、目がかゆい、鼻がつまるで完全に嗅覚がマヒしている。ただ、瞬間的に鼻が通ることがあってその時だけ酒の味がはっきりするのである。
 これからは、しばらくの間、酒を呑んでも味を十分に楽しめない時期が続く。花粉症の季節なのである。
 さて「菊姫」であるが、その酸味のうまさにただただ感心してしまった。花粉症でぐずつく鼻の不調をしばし忘れてそのうまさの悦楽にひたっていたほどである。
 今年の花粉症は一週間ごとに激しい症状が襲ってくる。その合間の鼻の調子の悪くないときに、もう一度この酒を味わってみたい。その充実した味わいにひたってみたいのである。
 宮城県塩釜市出身の「阿部勘」(あべかん)純吟醸生酒は「於茂多加男山」(おもたかおとこやま)の酒である。「阿部勘」はすべて県外で販売する銘柄ときく。かおりよしの大吟醸である。ただ呑む順番を間違えた。こんどの「菊姫」のあとに呑んだので「阿部勘」のうまさを認識しながらも、「菊姫」の圧倒的なうまさの印象の前には太刀打ちできなかったからである。
 鼻の調子は悪いというのに、からだは酒の出来をちゃんと区別しているのである。
 「阿部勘」はこんど鼻の調子のいい日に、最初の一献としてじっくり味わってみたい酒である。楽しみとしてとっておこう。