「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成13年12月の日々一献
★「むの字屋」の最後の頁★
 「ゴルゴ13」の最終回のストーリーはすでに描かれていると聞く。この「むの字屋」の最後の文書ももうできあがっているのである。
 それは「終章」と題した一文と、「庵主が酒に興味を失った日」という乾いた心情を綴ったものである。そして感謝の気持ちをこめて書いた「ありがたい」という文章で締めくくっている。
 いつもおいしいお酒を呑ませてくれる人に感謝しながら酒縁をありがたく思っているのである。
 まずい酒に出会ったときは、まずい酒ではあるけれど「このお酒とめぐり会えたことはありがたい」という思いで味わってみると、あら不思議、その酒が俄然乙な味わいになるのである。うまくなるとはいわないが。なるほど「まずいも味のうち」かと納得するのである。
 その時点で、酒の味を追求する楽しみから、酒を呑む雰囲気に遊ぶ楽しみに目的を変えてしまうということである。
 うまい酒はつきない。まだまだ「むの字屋」は続くのである。
 本年はこれにて終了です。よいお年をお迎えください。
●13/12/31

★ろまんのお風呂★
 「北の錦」の「ろまん」の残りは結局お風呂にいれてしまった。ろまん風呂である。
 「伝承古法本仕込 郷の誉 純米酒」の瓶に入っていた酒もいれちゃった。瓶の中身はすぐに呑みきって、一升瓶で買った酒を小分けしたときの飲み残しがはいっていたのである。
 空気に触れているうちに味わいがさめてしまった酒だから、野菜でいえば干からびて食するにふさわしくなくなった状態である。
 「松美と里」の「山廃モト純米酒・神代からの酒・琥珀」(モトはパソコンで打てない漢字である。酉+元)もお風呂の中である。半年から一年で紹興酒のような古酒のにおいを出すという酒も変わっているが、庵主の好みから古酒系統の酒は呑むのが後回しになるから、酒を置いておく棚がいっぱいになると最初に入浴剤になる運命なのである。
 「超大甘酒・北雪・女酒」も、甘すぎて呑みきれなかった−12の酒である。「本品は超甘口の吟醸酒です。大甘口ですが米の甘さで飲み飽きせずスイスイ飲めますが適量を守り深酒はしないで下さい。刺身・豆腐・酢のもの等に最適の女酒です」とある。お風呂に入れてしっかり体を暖めてもらった。
 「白瀧 超醇 山卸廃止モト純米酒」にも体を暖めてもらった。さすがにこってりしていて、2杯目に進まなかった酒である。その味わいは一つの技ではあると思うが、庵主の舌にはやっぱり古い感じがするのである。次からつぎにライト感覚のキレのいい、しかも辛口なのに甘い感じがするうまい酒が入ってくるものだから、呑みきることができなかった。
 以上、四合瓶の三分の一ぐらい残ったままになっていた酒をブレンドして全身で楽しませていただいたのである。今夜は優雅なお風呂をつかわせてもらった。
 浴びるように酒を呑むという言い方があるが、庵主はまさに酒を浴びてしまったのである。こんな酒の呑み方をしたら蔵元さんに叱られるかな。
●13/12/30

★酒の広告★
いい酒なら、その広告はこれだけでいいのである。
                *
 なにも足さない。
 なにも引かない。
 サントリーピュアモルトウィスキー山崎 
         (読売新聞平成13年12月15日付朝刊掲載広告)
                *
 ウィスキーの瓶とグラスがカラー写真でのっているだけ。うまいね。いや、酒の味のことではなく、引きつけ方がうまいのである。この部分は山崎12年をけなしているわけではないので誤解のないよう。
 ね、おいしそうでしょう。呑んでみたくなるよね。ピュアモルトのウイスキーなのだから。ピュアモルトがなんだかよくわからないからありがたい酒なのである。シングルモルトとピュアモルトってどう違うのだろうか。わからないけれど飲んでいるのである。うまけりゃなんだっていいって。

 焼酎ならこうである。
                *
  あいつのことは、
  「しろ」に聞け。

  どんな男が古くて
  どんな女が新しいんだろ。
  誰がかしこくて、
  誰がおバカさんなんだろ。
  きれいな米ときれいな水と
  こっちは、ひたすら
  ただそれだけです。
  ジャパン・スピリッツ純米焼酎白岳[しろ]
         (読売新聞平成13年12月14日付朝刊掲載広告)
                *
 きれいな米ときれいな水で酒を造るのなら、焼酎ではなく、日本酒のほうがよりいっそうおいしい酒ができそうだと思ってしまうのは、庵主が日本酒党だからである。焼酎がうまいと思ったことがないものだから焼酎のうまさが想像できないのである。

 そしてやっぱり日本酒は広告だとこうなるのである。
                * 
  酒酌みて
  啜る酢ガキの
  滑らかさ

  酒母が違う、
  だから旨い。
  黄桜「山廃仕込」は古くから杜氏たちに
  伝えられてきた伝統的な醸造技術。
  通常の二倍近い日数と手間をかけ、
  自然の力でゆっくり酒母を育てます。
  こうして造られた酒母は
  ふくらみ・コクがあり、キレ
  さばけが良い−−つまり
  巾と奥行きがある味わい深い日本酒です。
  杜氏伝統の技黄桜山廃仕込
         (読売新聞平成13年12月15日付朝刊掲載広告)
                *
 広告の写真を見ると「黄桜・山廃仕込」には紙パック入り商品もあることがわかる。
 山廃がなんだかわからないけれど、通常の二倍の時間と手間をかけて造られた酒なのだからなんとなくおいしそうなのである。
 庵主はためらわず二倍うまい酒だと思い込んでしまう。でも紙パック入りの酒なのでその分味を予想すると期待はプラスマイナス0になってしまうのである。
 いい原料、いい水を使ってもかならずしもうまい酒ができるとは限らない。造る人にうまい酒を造ろうという気魄がなかったらそこそこの酒しかできないことを庵主は長い酒呑み経験から実感しているのである。
 最後は馬子にも衣装というようにバッケージの善し悪しが味を左右する。紙パック入りの酒は、紙くさいということで庵主は最初から呑む気がしないのである。瓶がいちばんへんなにおいが付かないのだが、利き酒のときに瓶香という言葉があるのだから、そのにおいもかぎわけてしまう人がいるのだろう。あまり敏感なのもかえってかわいそうである。

 さて、庵主好みの酒の広告はこうである。読める部分が多いから。
                *
  劇団でいご座の仲田正江が「くら」を手にした写真といっしょ   に。
  泡盛「くら」を東京の方にも
  飲んでいただけたらと思います。

  まず泡盛であることを誇りたい。
  これまで、多くの方に「どうして泡盛は本土では気軽に
  飲むことができないのか」と問い合わせや激励の言葉を
  たくさんいただきました。その声を励みに、いよいよ
  泡盛「くら」は、タイ米を一〇〇%使い、黒麹と酵母で
  醪(もろみ)をつくる、全麹仕込みの伝統製法を基本に、
  蒸留後の貯蔵を樹齢七〇年から一〇〇年の北米産の
  ホワイトオークの樽に、三年の年月
  やわらかく甘美な香気。マイルドですが澄んだ味わい。
  できれば、最初のひと口はオン・ザ・ロックで本質を見極め、
  あとはお好みの濃さで楽しんでいただけたらと思います。
  ヘリオス酒造は、沖縄本島北部の水の都、名護の山懐に 
  あり、蔵人たちは今日も黙々と酒造りに励んでいまする。
   一の蔵に六〇〇樽、二
   の蔵には二〇〇〇樽
   の原酒が眠っています。
   古酒とよばれる日
   まで、ゆっくりと熟成 
   の時を重ねています。
   〈国際品評会モンドセレクション〉
   9度連続金賞受賞2000年度最高金賞受賞
   琉球泡盛「くら」
         (読売新聞平成13年12月13日付夕刊掲載広告)
                *
 庵主はこういう意気込みが伝わってくる広告が好きなのである。
 庵主は今、うまい日本酒を呑むだけで手いっぱいなので、「くら」を飲むことは当分はないだろうけど。
 酒は呑めば、うまいか、まずいか、すぐわかる商品である。広告のききめはその一口目まで有効である。うまければもう広告はいらない。だまっていてもまた手が出るのだから。まずければそれまでである。1本でもよけいに売れたということで広告会社の勝ちである。
 中には高級ワインのようにその味わいのよさがわかるまでに何十年かかりましたという酒もあるようだけれど、それは大方の人には関係のない世界なのだから広告するには及ばないのである。
●13/12/29

★甘い生活★
 「ラ・ヴィ・ドゥース」は、庵主が住いする曙橋にあるケーキ屋さんである。日本語に訳すと「甘い生活」だそうだ。訳すと、ちょっと色っぽい。
 「甘い生活」ならすぐ覚えられるが、その、ら・ぶ・どーす、という店名は庵主には絶対覚えられない。「裸舞・匕首(どす)」といったん漢字に直して、音(おん)の順番を間違えないように記憶した上で、そこから「ラ・ヴィ・ドゥース」を再生するのである。そういえば「エピタキシャル」も覚えるのに苦労した。庵主がフランス料理店と疎遠なのは店の名前が覚えられないからでもある。
 で、そのケーキ屋さんは西洋菓子職人の堀江新が腕を振るっていると雑誌「dancyu」(だんちゅう)課の最新号に載っていた。
 それの号の記事を読んで以来、庵主はそのケーキ屋さんに通っている。酒に合うケーキはないかと試しているところである。酒は「秋鹿」のマイナス16の酒「仕込第参拾弐號」である。
 この酒は変わっている。売りは、苺と一緒に呑むとうまい酒、である。さすがに甘いケーキだとちょっと苦しいが、ラズベリーを使った酸味があるケーキで呑むと酒の酸味がいきいきしてなんとなくさまになるのである。不思議な酒である。
 そうだ、今度苺を買ってきて、蔵元のおすすめどおりの呑み方をしてみよう。もっとも酒屋のご主人は「女房にいわせると、酒だけ呑んだ方がうまいといってますけどね」とはいうのだけれど。
 ちなみにそのケーキ屋さんはチョコレートのケーキがひときわうまい。曙橋には和菓子の玉屋もある。駅前には夜遅くまでやっている本屋があって、パチンコ屋はない。ここは文化的な町なのである。
●13/12/28

★な、なんなのだ、これは。「正雪」の純米吟醸★
 「水のような酒」という言葉がある。あ、これは悪口のほうだった。玉(ぎょく、か、たま、か読めない)をきかせた酒をいう。水で薄めた酒のことである。
 落語なら「この酒はなんだい。水っぽい酒というのは呑んだことがあるが、これは、なんだね、言っちゃあ悪いが酒っぽい水だよ」という、呑み手の肝臓の健康を慮(おもんぱか)った酒である。
 こんにちの日本酒でも、値段が安くなったと思ったらアルコール度数が下がっていたということがあると聞く。日本酒メーカーも江戸の昔(いにしえ)にならって呑み手の健康を気づかっているのである。
 庵主が言いたかったのは「水のように呑める酒」である。ほめ言葉のほうである。
 酒はアルコールだと思っている人がいる。庵主もそうだった。だが、酒の主成分はたしかにアルコールではあるが、そのアルコールを感じさせない酒があるということを知ったのである。
 それは酒ではない。酒という範疇を越えている。いうならば醍醐味なのである。なんともいえないうまい味ののみものなのである。麹のかおりが馥郁と感じられるのみものといったらいいのか。舌になめらか、口にここちよい飲料である。そういう酒もある。
 酔うから酒がうまいんだ、というご意見が大方であろうが、呑めない体質の庵主としては、酒を感じさせない酒に出会うとついうれしくなってしまう。これはいい酒にちがいないと一人断定するのである。
 そしてその時飲んだ酒は。
 酒だと思って呑んでいるのに、それがまるで水のようにさらっと喉をとおりすぎていくのである。酒の味、すなわちアルコールの味がしない。まるでただの水を飲んでいるような味わいなのだ。
 酒を感じようとして舌の上にとどめてそれを味わってみるが、水の如(ごと)しなのである。しかし水にしてはその味わいに艶がある。快活なのである。
 喉元をさわりなく過ぎていくことからそれが水でないことがわかる。水は結構重いのである。一思いに飲もうとすると喉につかえるものである。その喉の通りのよさからこれが美酒であることに気づくのである。
 静岡の「正雪」の純米吟醸である。「酒門」のラベルが貼られた瓶である。
 それにしても、まるで水を飲むようにはいっていく酒というのを初めて体験した。このところ風邪気味なので感覚がおかしくなっていたのかもしれないが。
●13/12/27

★酒を嗜む人★
 「にっぽん蔵元名人記」(講談社刊・1600円税別)がすごい。
 勝谷誠彦(かつや・まさひこ)という書き手を、いや呑み手をその初版(二〇〇〇年十月)で知った。すごい呑み手がいる、と。
 酒をその風土から語るのである。紀行文の冒頭にはその酒の名前はでてこない。読み進むうちに、庵主の心の中にかつて呑んだことのある酒の味わいが浮かんでくる。その酒が見えてくるのである。そうかあの酒はそこで生まれたのか。以来、庵主が酒を語るときはその出身地を書き添えている所以である。
 文章の味わいがいい。酒でいえば吟醸酒の風である。酒を語っているのだが、その語り口がおいしいのである。そしてこれほど文章がおいしいのだから、その酒もきっとうまいに違いない、じゃあちょっと呑んでみようかという気になってくる。
 手品の本の書き手でいえば、松田道弘である。荒木一郎である。下村知行である。手品のやり方を書いているのだから実用書なのだが、その文章がへたな小説より味わいがあるのだ。福西英三のカクテルの本の文章にも同じような味がある。カクテルの作り方を書いてあるだけなのに、やっぱり味がある。その文章を読むとカクテルが飲みたくなってくる。
 その勝谷誠彦さんの最新の日記に「南部美人」が出ていた。
 いま蔵元は造りの最中。厳寒のこれからは吟醸酒、大吟醸酒の造りにはいるころだ。この寒いときに、雪深い北国でおいしい酒を造っている蔵元の酒造りの様子が目に見えるようである。
 また年が明けるとうまい酒ができあがるぞという期待が高まる。もう一年、生きてみようという楽しみがわいてくる。うまい酒は希望の光である。
その引用。
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■2001/12/22 (土)
 4時半起床。岩手県二戸市。大雪を警告する気象情報を黙々と押しつぶすように雪はしんしんと降り積もる。午前5時半。まだ足あとのない地面の雪がほのかに家々の明かりを照り返す漆黒の中をさくさくと宿から近くの蔵へと向かって歩いたのである。『南部美人』の扉をあけると中では蔵人たちが白い息を吐きながら走り回っている。ひときわ大きな呼気のかたまりを吐き出しているのが若き製造部長久慈浩介さんだ。まだ和釜に湯気はたっていない。しかし麹室では黙々と切り返しがおこなわれている。蔵人が、若い。その動きの美しさを何と言えばいいであろう。寡黙にしかし羚羊のような俊敏さで彼らは手を動かす。それをまとめる古希間近な山口杜氏はしかしいささかも動きに遅れることなくまるで能の舞を見るようなのである。中に凛々しい少女がいる。力いっぱい麹に手をいれると幼い頬にえくぼができるのである。『南部美人』では今年東京農大から二人研修生を受け入れた。二週間の研修を終えて彼女は今日11時の列車にのる。昨夜は送別会で二次会まで行ったと蔵人の青年たちは笑う。今日、蔵に来る必要はむろんない。しかし少女は夜明け前の麹室でまるで名残を惜しむように米を触るのである。それにリズムをあわせる老杜氏と蔵人たちを見ていて私は不覚にも目頭が熱くなった。日頃罵詈雑言を投げつけてはいるがまだまだこの国の若い人びとも捨てたものではない。研修生をボランティアで受け入れている久慈さんがまだ29歳。蔵人の平均年齢は老杜氏を入れても20代。これからの製造業は本物だけが残るだろう。そのことを予感させる風景だ。胸に熱いものを貰って私は先程よりも深くなった雪を踏み宿へ帰りこれを書いている。今日はこのあと小名浜へ。
(2001/12/22 (土)の日記から引用。原文はベタ組=要するに字間、行間なしの密度の濃い組み方。)
         *
 引用は「南部美人」を離れるところまでとさせていただいたが、本当はこの続きに勝谷さんの文章の余韻がある。ふと共感を覚える情感を読むのである。
 ね、この日記を読んだら、今夜はなんとしてでも「南部美人」を呑んでみたくなるでしょう。「南部美人」はきっとおいしい酒に違いないという確信がわいてくるでしょ。たったこれだけの短い文章で呑みたいと思わせてしまう筆致の妙。
 庵主はすぐその酒を「うまい」と書いてしまうけど、勝谷さんは「うまい」という言葉を使わずにそれを書くのである。「うまい」のよってきたる所を書くのである。彼我の間にはこれだけ才能の違いがあるということである。それほどに日本酒を嗜んでいることがわかる。
 酒がいっぱい呑めるという人は酒を存分に呑むのもいい。だが呑めなくても酒を嗜むということが文化なのである。煙草が体に悪いといわれても、庵主はそれを文化として守るために、時としてそれを嗜むのある。引き継ぐ人がいなくなったら文化はおしまい。ガリ版だって、物好きな人がきっと引き継ぐことだろう。
 で、勝谷さんの文章、やっぱりいいでしょう。蔵の雰囲気が生き生きと伝わってくる。普通の日本酒のカタログではその酒の善し悪しの目安しか書かれていない。勝谷さんの酒紀行は、その酒が醸された風土と醸した人を伝えるのである。酒の心を伝えてくれるのである。
 その風土でその蔵元で造られた酒の味は読者が想像する番である。そして、その想像どおりの酒を呑むことができるのだから、やっぱりすごい。
 とはいっても「南部美人」のすべてが呑み手の口に合うとはかぎらない。それから先はやっぱり「むの字屋」を訪れた人だけがうまい「南部美人」にめぐりあえるのである。ときには「むの字屋」に立ち寄ってみるとうまいお酒が待っている。
●13/12/26

★「山法師」★
 庵主好みの甘い酒とめぐりあった。うまいという評判はどこかのホームページで読んで知っていた酒である。
 口コミを信じて買ってみた。山形県東根市出身の「山法師」無濾過生(13年6月詰)である。「六歌仙」が醸している。「大地響」(だいちのひびき)という酒も造っている。いま意欲的な蔵元である。
 「山法師」(やまほうし)は、日本酒度プラス4の酒であるが、甘い。しっとりと甘い生酒である。封を切ると蔵の匂いがただよってくる。それだけでうまい酒であることがわかる。うまい酒としての風格がある。半年の間、酒屋の冷蔵庫で眠っていた酒である。
 酒屋で売っている生酒というと、下手をすると ただ炭酸がきいているだけの若い酒 ということが多いのでまず買うことはない。たまたま気になったときは半分賭けをする気持ちで買ってくるのである。当たれば儲けものと。
 一方、酒亭にある生酒は生だからこそうまいという酒が揃っていることが多い。その生酒のうまいことは絶品である。酒は生に限るといいたくなるが、かならずしもそうではないところが酒のおもしろいところである。火入れしたほうがずっとうまくなる酒も少なくないのである。
 「山法師」は酒亭の生酒のうまさをたたえた酒だった。ほのかに感じる炭酸味がここちよい。四合瓶で1700円税別である。
 アルコール度数18.1度と高めであるが、庵主の好きな「冬樹」同様、このあたりの度数が存外うまいのである。
 甘い酒を少しだけ嗜む人には庵主おすすめのうまい酒である。年末にきて会心の一本。
 山法師ということばを辞書でひいてみたら意外な定義がのっていた。辞書にはあたってみるものである。
●13/12/24