「むの字屋」の土蔵の中にいます
平成13年10月の日乗
★北の酒を3種類★
北海道の日本酒を北の酒と呼ぶ。
北の酒を呑む機会があった。
釧路の「福司」の純米酒「北奏夢」(ほくそうむ)を呑む。
きれいな酒である。造りに気魄がこもっているがわかる。しかし「あの味」がはっきりわかる。あじわいの表に出てくるから気になる。「あの味」はいい造りをした酒に出てくる味なので、この酒がいい酒であることはわかるのだが、なぜか、呑んでいてちっとも楽しくないのである。色気がない酒なのだ。
あーあ、北海道の酒はつまらない、とどっと疲れを感じるのである。
栗山町の「北の錦」の特別本醸造「ろまん」である。
ラベルに謳う心意気やよし。「吟仕込北の錦ろまんは、本道で一〇〇余年の歴史を誇る弊社が技術の粋をこらし糖分が約一%(通常四%内外)になるまで完全醗酵させてつくりあげ吟仕込(原料米を六十%以下になるまで精白した醸造した清酒)です。吟仕込特有の芳香と舌に甘さの残らぬスッキリした味はあなたの日本酒に対するイメージを変えることでしょう。」
これはまた味わいに華のない酒で、大手蔵の大量生産酒とさして変わらない味なのである。まったく庵主の日本酒に対するイメージが変わりかねない酒なのである。
真打ちは札幌の「北の誉」の大吟醸である。これは企画酒で、竃k海道観光物産興社が120ml入りの洒落た小瓶にいれて北の酒を紹介しようというシリーズの中の一本である。パッケージの美しさにひかれて買っちゃった。
こういう酒の場合、中に入っている酒は一口でうまいと実感される質のいいものでなければならない。瓶はこっているのに中の酒がまずいものだったら逆効果なのである。
お値段は120ミリリットルでなんと600円。一升換算で9000円。これでおいしくなかったら日本酒の信用を落とすよと思って味わってみた。
北の酒はいまなお明治の開拓期をやっているようである。
いまはただ増毛町の「国稀」(くにまれ)に期待するだけである。
北の酒で庵主をいたわってくれるうまい酒が呑みたいのである。なんてったって庵主が生まれた風土なのだから誇りに思える日本酒がなくちゃ心寂しいではないか。
●13/10/29
★親父さんの酒★
たくさん日本酒を呑んでくると、はじめは酒の名前で呑んでいたものが、やがて杜氏さんの名前を覚えはじめて、その杜氏さんが醸した酒を呑みたいと思うようになってくる。
杜氏さんの名前とその酒の味わいがつながってくると、今日はやっぱり波瀬正吉(静岡の「開運」)の酒がのみたいとか、天保正一(滋賀の「喜楽長」)の味わいを楽しみたいとか、ここはがっちり滝上秀三(静岡の「初亀」)に身をまかせたいとか酒の味が心に浮かんでくるのである。酒を杜氏の名前で呑むなんて、すごくキザな感じ、と庵主は思う。
そうそうたる名杜氏の酒もうまいのだが、庵主がなぜか親父さんの酒が呑みたいと思うのが「鷹勇」の坂本 俊 杜氏である。
口に合わない酒を呑んだあとにまともな(庵主が親しめる酒という意味)酒を呑みたいと思う時に「鷹勇」があればほっとする。
うまい酒を呑んだときにもそのうまさに圧倒されながらも、さいごに気の置けない酒を呑んでさっぱりしたいときに親父さんの酒が呑みたいのである。
純米辛口「鷹勇」(たかいさみ・鳥取県東伯町出身の酒)があった。庵主は辛口を強調したいわゆる辛口の酒というのはニガ手なので普段は口にしないのだが、親父さんの辛口はどんなものかと好奇心から呑んでみた。+8だという。たしかにいわゆる辛口、味に色気がない。庵主にとってはそっけない味の酒である。が、呑める。喉元をここちよくとおり過ぎていくのである。そこに親父さんの技がある。呑めない酒は造らないという親父さんの強い意志が感じられる。まずい辛口の酒を口にすると喉につかえるのである、これほんと。
やっぱり親父さんの酒だと納得するのである。
●13/10/25
★小さな酒屋だが「冬樹」がある★
ホームページをみていたら、うまい日本酒に対する思いがほとばしっている小さな酒屋があった。酒の品揃えになんともいえない味があるのである。庵主はおかげさまでいくつものうまい酒を呑ませてもらったものだから、最近では酒銘をみるとこれはうまい酒にちがいないという直感が働くようになってきた。とはいえはずれることもすくなくないのだが。その酒屋はそういう庵主の気を引く酒を揃えているのである。主張が感じられる酒屋である。うまい酒のツボをおさえているのがわかる。だから気になるのである。
さっそく赤羽まで行って来た。
「郷の誉」「千代むすび」「加賀鳶」「稲田姫」そしてなにより「冬樹」があるから庵主の顔はほころぶのである。
「冬樹」をうまいと思う同志を得たという思いでその酒屋を訪ねた。
店主はまだ若い。しかし酒の選び方は確かである。美味い酒をきちんと揃えているから店の冷蔵庫をみていてうれしくなる。カメラマニアがショーウィンドに並んでいるレンズを見ながらうっとりしているように、庵主はその冷蔵庫の中の酒をみてうっとりしていたのである。
並んでいる酒に華を感じるということである。赤羽岩淵駅の近くにあるセシメ酒店である。
●13/10/23
★「清酒」と「日本酒」の違い★
「日本酒」と「清酒」というのは同じものだと思っていた。「菊正宗」とか「桜正宗」など酒の名前によく使われるナントカ正宗(まさむね)というのは清酒(せいしゅ)と正宗(せいしゅう)をかけたものだと聞いたことがある。清酒という言葉は結構前からあった言葉なのである(庵主にとっては戦前からあったものを指す。なお戦〔いくさ〕とは応仁の乱ではなく大東亜戦争である)。
「日本酒」ではなく「清酒」という言葉を使いたいというメーカーがあるという。清酒=日本酒ではないという含みをこめてなのである。
というのも「日本酒」を原料の米が安いということでアメリカやオーストラリアで造るようになったからである。さすがに外国で造ったそれを日本酒というのはなんとなくそぐわないという謙虚な姿勢からである。日本でウイスキーを造ってスコッチウイスキーを称するのはやっぱりおかしいと感じるのと同じである。
日本酒はわが国の米と風土と杜氏が醸し続けてきた酒である。それを外国産の米から造って日本酒を名乗るのはおこがましいということからそういう酒は「清酒」と呼ぼうという声になったものらしい。廉恥の心を知るすがすがしい意見である。
と庵主が書くとイヤミに聞こえるから不徳のいたすところである。
国産米で造った純米酒のみ「日本酒」といい、国産米使用のアル添酒はすべてリキュール(混成酒)として「清酒」と呼ぶというのはどうだろう。外国産米を使ったり米ぬかを原料にしたものはその他の雑酒として安く売ればいいのである。
「日本酒」はわが国の文化である。日本人の心なのだからそれは洗練されたものでなくてはならない。しかも酒なのだから呑んでうまいものでなくてはならない。それはまた技でなくてはならない。日本酒は日本の誇りでなくてはならないのである。
ここで問題になるのが、香りを生かすためにアルコールを添加した吟醸酒、大吟醸酒なのであるが、これは精米歩合60%以下の低温醗酵という条件が前提なのだから「甲級清酒」とでも呼んでおこう。もちろん甲級は高級に音(おん)を掛けたものである。清酒(アル添酒)を「甲級清酒」と「乙級清酒」に分けるのである。吟醸酒、大吟醸酒以外のアル添酒を「乙級清酒」と呼ぶのは語呂が悪いのでそれはただ単に「清酒」と呼べばいいのである。酒税法上の法律用語としてだけ乙級清酒としておけばいいことである。
●13/10/21
★日本酒の入門書★
「むの字屋」で紹介しているおいしい日本酒はけっして幻の酒ではない。さがせば呑める酒ばかりである。現に庵主が口にしているのだからそのことは間違いない。
しかしそういう酒にめぐり会うためには多少は日本酒の知識があったほうがいい。酒のうまい、まずいは呑めばすぐわかるのだから酒の蘊蓄などはなくてもいっこうに差し支えないのだが、できればなるべくまずい酒は呑みたくないのでそのためには酒の知識はあったほうがいい。わかりやすい日本酒の入門書がほしいのである。
だいたい、豆腐をどうやって大豆から作るのか多くの人が知らないように、日本酒がどうやって作られているのか知らない人がほとんどだと思われる。
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今日の日本酒は、日本酒醸造協会が一手に供給している米から作られた粉末の日本酒の素を安価な醸造用アルコールに溶かしこんでからさらに水を加えてアルコール度数を調整して作られている。
雑誌の特集記事などでこれが本物の日本酒だと取り上げられているうまい地酒もその風味は香料会社が作った大吟醸、吟醸、純米といった各種の香料によるものなのである。煙草の味わいの違いが煙草の葉に添加された香料の違いによるものであるのと同様に日本酒の味わいの違いもアルコールに添加された香料の違いなのである。
米から醪を作って三段仕込みで酒を作るというのは日本酒業界のイメージ広告である。昔はそうやって作っていたということである。今時そんな手のかかる商品を作るところがあると思い込むほうがどうかしている。まわりの人に聞いてみるがいい。昔ながらのやり方で日本酒を作っているところを見たことのある人はだれもいないのである。協和発酵とか、宝酒造などの醸造用アルコールを大量に生産している会社が存在していることからして現在の日本酒が昔からの造り方で造られたものではないということがわかるというものである。
しかも原料の表示にいたっては、日本酒素(にほんしゅそ、と読む)を米から作った醸造用アルコールで溶かしたときは純米酒と表示していいことになっている。材料名に醸造用アルコールと書かれているときは、廃糖蜜などから作った醸造用アルコールが使われているときなのである。
日本酒醸造協会は財務省の天下り先としてその利権をほしいままにしている。だからとんでもない酒が日本酒と称して製造されているのである。今度の狂牛病においても農水省が生産者の利益のために奔走し、それを口にする国民の健康のことなど一顧だにせずかえって愚弄するに等しい振る舞いをみていると官僚が主導する酒造りの実態は想像に難くない。
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と書いたら知らない人の中には信じる人がいるかもしれない。世の中にはどうやって作られているのかわからないものがたくさんあるということである。ホチキスの針をどうやって作るか想像できますか。
「むの字屋」でも日本酒を初めて呑む人のために日本酒入門のページを用意しようと思ったことがあるが、数多い日本酒のHPを訪れるとそういうことがわかりやすく書かれているものが少なくないのでそちらを見てもらった方が手っとり早いということと、やはり知識は本で読んだほうが頭にはいりやすいということからあえて作らなかったのである。
だいいちパソコンのディスプレイで文章を読んでもどういうわけか頭の中にはいらないのである。かといってプリントアウトすると行間なしの文章というとても人間のためとは思えない美的でない印刷物が出てくる。いまのパソコンの文化度というのは長い年月をかけて洗練してきた印刷文化を逆戻りさせるようなシロモノでしかない。こんな状態ではネットで知識を習得しましょうなんて言えるわけがない。パソコンの文化というのは若いだけあってしょせんこの程度なのである。大人の感性に堪えるものではない。活字の文化と比べると月とスッポンなのである。美意識のない鈍感な人がもてはやしている気品のない文化といっていい。ちなみにパソコンをほめそやす人で教養を感じさせる人をご存じでしょうか。行間のない文章を見ただけでその質の悪さがわかるというものである。酒でいったらまだまだ合成清酒の次元なのである、いまのパソコンは。
それはさておき、漫画家の尾瀬あきら氏が「知識ゼロからの日本酒入門」という本を著した。これはほのかな吟醸酒である。幻冬舎刊。1200円税別。奥付は2001年10月10日第1刷となっている。できたてのほやほやの本である。
「だまされたと思って日本酒! 」という著者の思いに庵主も相通じるところがあって、しかもわかりやすく書かれていることからこの本を紹介するしだい。
●13/10/17
★気の抜けたビールのような日本酒2題★
気の抜けたビールほど味気ないものはない。間の抜けたビールといったほうがいい。
日本酒でもそういうのがある。いい酒であっても、一升瓶に少量だけ残ったままになっていた酒で、瓶の中の空気をいっぱい 吸って味がスカスカになってしまった酒である。口開けのときの馥郁とした酒の味のうまさが抜けてしまった酒である。
居酒屋で、一升瓶でも半分以下の量になったら四合瓶に入れ換えておいたほうが「うまさ」が持続するではないだろうか。
「富久長 純米吟醸 中汲み 槽口しぼり 生」を呑んだ。冷蔵庫でちゃんと冷やされていた酒なのだが、いかんせんたっぷり空気を吸っていて酒というより空気の味わいがしたのである。酒が「うまい」状態の味を知っていると、空気を吸った酒は金を取って呑ませる酒ではないと思うほど味が落ちているのがわかる。
庵主は性格が穏やかだから事荒立てないが、心の中では「この酒でお金をとったら詐欺だよ」とその居酒屋を嗤うのである。もっともこの酒はコップに半分ぐらいしか残っていなかったのでお代は取られなかったのだが、庵主はただであってもまずくなった酒は呑みたくないと思う。
気の抜けたビールを好んで飲みたいと思いますか。それと同じである。
「東北泉 特別純米」も呑んだが、これも空気の味が酒にしみていた。しかし酒のよさははっきりわかる。純米酒であるが、庵主がいう米くささがいささかもないきれいな酒だった。
酒が悪いのではない。酒の管理がむずかしいのである。しっかり管理された酒のうまさを知らないで呑むと上の二つの酒はじつはその状態にあっても十分うまい酒なのである。
保管をしくじった酒を口にすると、庵主が普段呑んでいるきちんと管理された酒のうまさがよくわかる。
●13/10/15
★神の一滴★
日本酒は大きく分けて二つにわけることができる。うまい酒とそうでない酒である。
このほかにどうでもいい酒というのもあるのだが、庵主はそういう酒を呑むことはほとんどないのでここではその手の酒についてはふれないことにする。というより趣味で酒を呑んでいるので、そういう現実的な酒の世界をよく知らないということなのである。
うまい酒の究極を「神の一滴」という。酒は杜氏が造るのだが、しかしときとして杜氏が心に思い描いていた以上のすばらしい酒が醸しだされることがある。
それは人の技ではない、まさに神様が造られた酒としかいいようがない、という杜氏の矜持を込めてその酒を讃えるのである。
してやったりという杜氏の満悦した顔が浮かんでくる。そういう酒ができたときはほんとうにうれしいのだと思う。いい酒ができた時の喜びの前にあってはそれを造った杜氏の名前さえもどうでもいいという思いにかられるのだろう。天の恵みが醸し出してくれた美酒に感謝する気持ちのほうがずっと大きいからである。
いい酒には、たとえば「波瀬正吉」( 静岡の「開運」)とか「中 三郎」( 石川の「天狗舞」)などのように、杜氏さんの名前がつけられることがある。それらの酒は逸品である。味の好き嫌いはあるにしても、一級の味わいをたたえた酒であることは間違いない。うまいのである。酒にこめられた気魄がうまいのである。
本来なら杜氏の名前をつけてもいい酒なのに、ただ「これは神の一滴」といって酒を慈しむ杜氏の気持ちが伝わってくるからうれしいのである。庵主はそういう酒をいただくたびに、いつも深い感謝の念と「神の一滴」という思いを造り手と一にしているのである。ほんとうにありがたいことである。
●13/10/11
★美酒の楽しみ★
美味い酒を呑むことの楽しみを伝えることができたなら幸いである。
日本酒がうまいのである。味わいが深いのである。味が単調ではないということである。含みのある味わいがこよなくおいしい。だからその酒をじっくり味わっていると酒が心にしみてくるのである。心にしみるとは、おいしい酒を呑んだときに静かにわきあがってくる美酒に対する称賛と感謝の気持ちで心が洗われるということである。酒は人の心を動かすのである。
これほどの想像をかきたててやまない味を醸してくれた杜氏さんとその酒を生み出してくれた風土にありがたいという思いをいだかないではいられない。
もちろんその酒というのは大量生産の日本酒ではなく、酒のうまさを追求して造られている数少ない日本酒のことを語っているのだが、けっして呑むことができない幻の酒ではないということである。うまい酒が目の前にあるのだ。
たとえば、京都市伏見区出身の「澤屋 まつもと」の純米酒の3年もの。「まつもと」の純米酒はきれいな酒である。洗練された味を楽しむことができる。それを3年間静かにねかせると味に幅が出てくるのがわかる。味におもしろさが出てくるのである。
たとえば、静岡県焼津市出身の「磯自慢」が35%まで磨いて造った酒。欠点のない酒の美しさを実感することができる。一見じみな酒であるが、これがうまいのである。うまさがじわっーっとわいてくる酒である。酸味がきれいで、それがうまい。
たとえば、香川県綾上町出身の「綾菊」の13年間眠っていた酒を体験することのスリルとサスペンスは男の器量を試されるようで恐いような、でもやっぱり呑んでみたいような、そしてさすがに酒のうまさに対するイメージがふくらむその酒を口にしたときの強烈な衝撃はこたえられないのである。
いい日本酒には「うまさ」だけでなく、人の心をつきうごかす衝撃を含んでいるのである。
いま、目の前に、そのうまい日本酒があるのである。
●13/10/8
★含むところ★
きのうの「墨廼江」のひやおろしのところで「含むところ」と書いたのは、その味わいの裏にかくれている「あの味」のことなのである。味というよりも香りと言った方がいいのかもしれない。その味わいを何といったら伝えることができるものか、庵主はその味をどう表現したらいいものかと思案している「あの味」のことなのである。
「あの味」は丁寧な造りをしている純米酒に出てくる味なのだ。だから決して悪いものではないと思うのだが、というよりひょっとしてその香りこそが日本酒のうまい味わいを裏で支えているのではないかとも思うのである。しかしその香りが感じられる酒を庵主はよしとはしないのである。
いい純米酒にかならずしもその香りが出てくるというものではないが、庵主が好んで呑んでいる「冬樹」にもその香りはじつはうっすらと感じられるのである。ただ「冬樹」には「あの味」を上回るだけのうまさがあるからその味が気にならないだけなのである。
酒造りの専門家がみれば「なんとか香」というそれを表現する言葉があるのだろうが、造り手ではなく、素人の呑み手である庵主にはその言葉を知らないだけなのだろう。だから、その香りを感じることができてもその香りを表現できないというもどかしさを感じているのである。
その香りが「墨廼江」の純米中汲み生詰のひやおろしにはあったので、あえて「うまい」という表現をしなかったというわけである。
酒の品もよくて、麹の香りが喉をごくりとさせるいい酒なのだが、その味が口の中に残るのである。
たとえれば香水をつけすぎたきれいな女の人という感じが、その酒の味にはするのである。酒を冷やして呑んで、その味が気にならないうちに呑みきってしまうというのが上手な呑み方なのかもしれない。
それはともかく、「あの味」をなんと表現したらいいのか、庵主はそのことのほうがいつも心にひっかかっているのである。なんとももどかしい。
香水では、その香り(主調の香り)を長持ちさせるためにムスク(麝香)が保香剤として調合されている。表の香りを引き立てるためになくてはならい隠し味、いや隠し香りである。
染め物でいえば、黒を染める時には先にうすい青を染めることで黒を漆黒に出すようなものである。
その伝でいくと、「あの味」はうまい酒を裏で支えているなくてはならない隠し味なのかもしれない。ただそれがたまたま表に出てきてしまった時には味のバランスをくずしてしまい、せっかくのうまい味がそこなわれるということなのだろう。
うまいかそうでないかの違いは微妙だということである。
いい酒なのにいまひとつ「うまい」が感じられないという酒が少なくないのである。うまい酒というのは、値段の高い安いにかかわりなく、バランスのいい味わいが出せた酒なのだろう。
●13/10/7
★「墨廼江」の限定純米中汲み生詰ひやおろし★
「墨廼江」(すみのえ)は宮城県石巻市出身の酒である。その大吟醸を呑んだことがある。うまかった。それで「墨廼江」が気になる酒になった。知らなくてもうまい酒はいくらでもあるという幸せを感じていたものだ。そして求めていればうまい酒は酒のほうからやってきてくれるという思いを強くしたものだ。
余談であるが、庵主はそのときはこの酒の名前が読めなかったのである。「廼」という字を庵主は知らなかった。「墨廼江」というのは、石巻市内の昔の地名であるという。日本酒を呑むと知らない字を覚えることもできるのである。もっともこのなじみのない字はこの酒の名前を思い浮かべるときにしか使うことはないだろうから、知っていてもあまりに役に立たないのではないかと案じることはない。
「墨廼江」はうまい酒だから、「廼」の一文字を知っているとこのうまい酒を嗜むことができるという喜びをもたらしてくれる幸福の一字なのである。
ひやおろしの季節である。「春陽 墨廼江」の純米の中汲みの生詰のひやおろしがあった。長野産美山錦で磨きは60%。粕歩合は41%と書かれている。
庵主は酒の呑み過ぎだと思っている。「純米酒」がどういう酒なのかを知っているし、「中汲み」がどういう意味かも知っているし、「生詰」というのがどういう状態の酒なのかも知っているし、もちろん「ひやおろし」という言葉も知っている。そのうえ「墨廼江」の酒造りも大吟醸を呑んでその一端を知っているだけに、呑む前から頭の中で味の想像がついてしまうのである。
でも酒は官能で楽しむものだから、ついおいしそうな(そうでなかったことが多々あるのだけれど)酒を見ると「一杯だけ」嗜んでみたくなるのである。
今夜は「墨廼江」のひやおろしを一杯だけ。
あれ、その味については「うまい」と一言も言及していないけど大丈夫なのかな。いやいや、含むところがあってあえて書かなかっただけなのである。味については大丈夫です。
●13/10/6
★感涙の「正雪」純米大吟醸生酒★
映画評論家の話。
期待して見に行く映画のほとんどは期待外れであることが多い。期待していた以上の映画に出会うことはめったにない。そして一番少ないのが期待どおりの映画である。それ以上でもそれ以下でもない期待どおりの映画にあたったときはほんとうにうれしくなる。
以前、庵主は静岡県由比町出身の「正雪」(しょうせつ)の大吟醸を初めて呑んだときに思わず感涙したと書いたことがある。それほどうまかったのである。意表をつかれたうまさだったのである。
その「正雪」の備前雄町の純米大吟醸生酒が目の前の冷蔵庫に並んでいた。これを目のあたりにして呑まないわけにはいかない。
あの感涙をもう一度と、期待が高まる。
その店でも提供値段が安い方の酒だった。
そして、期待どおりに、うまいのである。酒に艶がある。その前に呑んだ「十四代」の美山錦の純米中取りのうまさが吹っ飛んでしまうほどの悦楽なのである。
またまた「正雪」の大吟醸に泣かせてもらった。磨き45%。南部杜氏 山影純悦の名前が光る逸品である。
同じ静岡の大東町出身「開運」の「波瀬正吉」や岡部町出身「初亀」の「滝上秀三」のうまさはつとに有名であるが、「正雪」の大吟醸もお見逃しなくと、静岡酒ファンの庵主は静かに薦めるのである。
●13/10/3
★「杜氏の詩」の+12★
酒が揃っているそば屋にはいったら、「杜氏の詩」の+12があった。だめもと(だめでもともと)と思って頼んでみた。
庵主はだめなのである。超辛口という酒が。呑んでもちっともおいしいと思わないからである。かといって甘口の酒もまただめである。甘口の酒の甘さがくどい甘さに感じられるのである。
庵主が好きな酒は、日本酒度は+5か6ぐらいの酒で、それでいてあまい酒なのである。そういう酒を庵主は甘い酒でなく旨(あま)い酒と呼んでいる。ようするによくできた大吟醸クラスの酒のことである。口がおごっていると思われるかもしれないがそうではない。それというのも庵主は量が呑めないので、一口呑んで旨いと思う酒でないと呑んだという気がしないからである。盃を重ねるうちにきれいな酔いが回ってくる酒とは縁のない体質だからである。腰をすえてじっくり呑んで酒を楽しめる人はまた庵主とは違う酒を好むことだろう。そういう庵主の好みを知った上でこの「むの字屋」のお酒をお楽しみいただきたいと思っている。
さて、「杜氏の詩」の+12であるが、やっぱり庵主の舌にはそっけない味に思えた。いいわるいではなく、好き嫌いということである。超辛口の酒の味には深みを感じないので面白くないのである。
+14の酒でも「喜楽長」の「辛口純米吟醸」(既掲)はうまい酒だっただけに、辛口酒がかならずしも庵主の口に合わないというわけではない。芸のある酒がちゃんとあるからうれしい。
だから超辛口の酒を見ると「ひょっとして」とつい試してみたくなる。そしてほとんどははかない期待に終わるのである。
酒を呑む理由はなんとでも付くという話である。
●13/10/2