「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成13年8月後半の日乗
★にぎやかに飲む酒★
   八月の最後の日に送別会があった。夢に向かって飛び立つという。久しぶりに、にぎやかに飲む酒を呑んだ。短い間であっても一緒に仕事をした人を送るのは、出会いと別離は世の常とはいえ、心さみしいものがある。日頃一緒にいてもべつにうれしいとか楽しいとかの思いはないのだが、居なくなるとなるとせっかく結んだ縁が切れるような気がするのである。
 というより本当のところは夢もなくただ美酒に酔いしれている庵主の生き方にむなさしを感じているのである。夢のある人に対する羨望なのだろう。それに対するさみしさなのである。
  自分のいる位置がわからなくなる心理状態のことをアイデンティティ(帰属感)の喪失というのだろう。生きているだけで十分にその人の位置を確保しているのだが、人はむやみに自分の価値というものを考えるからかえって自分のいるところがわからなくなるのである。宗教はそういう人に手渡す地図のようなものなのだろう。自分のいるところがわかれば進む方向がわかるのである。もっともいい加減な地図を売っている宗教も多いようであるが。
 さて大勢で飲む公式の酒席であるが、笑顔はたやせない。こういう席で渋面を見ると酒がまずくなる。その人の底が見える。その程度の芸がなくては同席した人に失礼ではないかと思うのである。とはいえ、だから疲れるのである。パーティーの好きな人って天性だね。芸能人である武田鉄也がいうことにゃ、営業で笑顔を作っていると三倍疲れる、とのこと。大儀な商売ですねと同情を禁じ得ない。その心労感はこの手の酒席で酒を飲んでいるとよくわかるからである。
 馴染みの店で呑む酒のうまさがよくわかるのも、この手の酒を飲んでみてのことである。堅苦しい酒を飲むのもこうしてみると役に立つのである。心おきなくうまい酒を呑むことができるありがたさがよくわかるから。
●13/8/31

★清卓について★
   かりに「清卓」と書くことにする。読み方はまだない。セイタクとそのまま読んだのでは庵主が望むところとちょっとずれるような気がする。
 清卓はたぶん蓋ものの陶器に落ち着くだろうと思う。庵主がほしいのは食卓の上に置いておくゴミをいれる器である。ごみ入れといっても酒・料理の横に置かれて、食事をしているときに出るこまごとしたゴミをいれておくものだからそれなりの清潔感と趣がなくてはいけない。美しいものでなければならない。それでいて目立つ器であってはならない。さりげなくあるものでなければいけない。
 たとえば、おしぼりをポリプロの袋に包んだまま出す店がある。新しいきれいなおしぼりであることを示すためなのかもしれないが、そのプラスチックフィルムの袋はおしぼりがよごれないようにするためのもので、客に出すときは袋は捨てておしぼりだけを出してもらわないと困る。
 ポリ袋に包まれたままのおしぼりもよしとしよう。問題は袋を破いておしぼりを出した後のポリ袋の始末である。テーブルの上に置いたままでは目障りである。それを捨てる入れ物がほしい。  あるいは紅茶が出てきて、一緒についてきたステックシュガーの紙袋の捨て場所がない。灰皿の中へというのもおかしなものだし、卓の上にそのまま転がしておくのも気になる。
  そこで、その手のゴミをさっとかくしてしまう入れ物が、テーブルにほしいと思うのだ。その入れ物を清卓といったのである。
 うっかりグラスからこぼしてしまったお酒をぬぐった懐紙を捨てる容れ物がほしい。食卓にあっても気にならない控えめな容器で、食卓をいつもきれいにしておける器が置いてあると庵主はうれしいのである。
●13/8/30

★「千代の亀」しぼりたて純米大吟醸しずくしぼり生酒★
   瓶がいい。300ml入りの透明瓶の中の澱を浮かばせた酒は蠱惑的である。うまそうな気配を漂わせている。気を引く酒である。
 1200円である。値段もいい。一升瓶に換算すると7200円である。値段が高い酒を見ると、ひょっとして本当にうまい酒なのではないだろうかと信じたくなるのが人間の性である。
 庵主の財布の中身は夏枯れであるがなんとか捻出する。
 炭酸が生きている。だがしかし、最初の一口の印象はというと山田陽一氏の本にしたがって造った飯米による酒とほとんど変わらないのである。
 炭酸がまだ残っている日本酒は時として、その酒の品質のよさを感じさせない時がある。大吟醸なのに普通の酒の出来立てとの違いがわからないことがあるのだ。
  そしてしかし、この酒は半分残しておいたものを一日後に呑んでみたら、炭酸がやわらいだこともあってたしかにいい造りをしていることがわかった。もうちょっとじっくり味を見てみようと思ったときには瓶は空になっていたのである。うまいかまずいかをさぐっているうちになくなってしまう量の酒というのもうまい売り方である。なんたって300mlで1200円なのだから。
●13/8/29

★13年7月箪笥町「T」の酒揃え★ 
   こういう酒の揃えを見ると庵主は全部呑んでみたくなる。どれもが気になる酒ばかりである。こういうのを庵主を殺す酒の揃えという。(酒の揃えはいわば企業秘密なのでこうして書き出すのは本当はいけないのでしょうが、深謝の上で)。
 風の森 しずく酒 純米   550円
 風の森 斗瓶囲い 純米   600円
 悦凱陣 山廃雄町 純米   600円
 神亀  辛口   純米   650円
 神亀  槽口55% 純米  750円
 開運  生原酒   純米吟醸 750円
 天の戸 辛口生  純米   550円
 天の戸 うすにごり純米   650円
 この酒のほかにまず一杯の酒というのがあって、
 越乃かぎろい 千寿 特別純米 500円
 帰山 参番 純米吟醸     650円
 根知男山 純米吟醸      550円
 宗玄 純米吟醸 無濾過生   650円
 と続くのである。
 この揃えをみたら、庵主は普段は呑まない新潟の酒だが「越乃かぎろい」もひょっとして、と期待をいだかせるものがある。「根知男山」は大吟醸でそのうまさはすでに確認済であるからここではあえて呑まない。
 最初に「帰山」の「参番」を呑んでその酸味のうまさを知ってこの酒の揃えが並々のものでないことを実感したのである。
 電車賃をかけてでも通いたくなるワクワクする酒の揃えである。
●13/8/28

★三周年の店★ 
   曙橋にはまるで知り合いの家で飲んでいるような感覚で呑めるバーがいくつかある。そのなかの一軒、いま宝石のように輝いているバーが三周年を迎えた。女バーテンダーが一人で切り盛りしているバーである。曙橋にも洋酒を飲む客がいたのかと安心。いや、ちょっとハスキーボイスのバーテンダーが素敵だから引きも切らず客が出入りしている。庵主が真夜中に突然生ビールが飲みたくなった時に飛び込む店である。
 バーテンダーに技がある。この店のジントニックがうまい。いいのである。見ているとトニックウォーターに炭酸水をちょっと加えている。
 シャンデーガフ(ビール+ジンジャーエール)を頼んだら、生姜汁を入れてきた。と思ったら、「生姜の香りが強いジンジャーエールを使っています」とのこと。このシャンデーガフはうまい。
 庵主はいやみだから、ウィスキーの水割りを飲んでいる人がいるときはビールの水割りを頼むことにしている。たっぷり氷をいれて溶けた水を飲むのであるが、問われたら「いや、酒を水でうすめたらおいしくなるのかと思って」と答える。ね、しっかりいやみでしょう。ただビールを水で薄めるとうまくもなんともなくなるから、ジンジャーエールで割ってもらうのがいい。日本酒でいえば三増酒といったところである。いうなれぱ下手物である。
 そのシャンデーガフがうまいのだから、厭味なバーテンダーなのである。カウンターの向こうでにやっと笑っているのがわかるのだ。
   三周年の記念品をいただいた。
●13/8/27

★大吟醸酒フレーバー★
   フレーバーというのは、香料のことである。香料といっても香水のような化粧品用の香りではなく、食品用の香りをフレーバーという。
 100%リンゴジュースを買っても、香料が入っている。100%のジュースならりんごの匂いがするフレーバーは必要ないように思われるが、香料を使わないとリンゴの香りがしないのである。野菜を搾ったような味わいでちっともリンゴの感じがしないのだ。だからなんでもかんでもフレーバーなのである。
 どんな香りでも作れるのである。そして香料メーカーはそのことを宣伝しないで裏方に徹しているから、その害無害が俎にものらないのだ。合成香料は石油から作っているのだろうから体に悪いんじゃないかと不安になるのは庵主だけの杞憂か。
 その気になれば作れるのである。ウィスキーフレーバーが。オールドパーでもモートラックでも、バーボン風でも。それを原料用アルコールに混ぜたらいっぱしの高級ウィスキーの誕生である。
 ひよっとして日本酒の大吟醸酒フレーバーがすでに作られているのではないかと思うのは庵主の邪推か。吟醸酒の付け香(つけが)というのはつとに有名であるが、造りに失敗した大吟醸酒をその手のフレーバーで救っている蔵元があるとは幸い庵主はまだきかないのである。
 フレーバーについては「ファストフードが世界を食いつくす」(エリック・シュローサー著・草思社刊・1600円税別)の165頁以下にくわしい。なおこの本はかなり刺激の強い本なのであらかじめお含みおきを。
●13/8/26

★大曲の花火大会。秋田に投宿★
   花火といえば秋田県は大曲の花火が有名である。全国の煙火(えんか)会社が技を競う花火大会である。庵主、突然花火が好きになってこのたびは大曲の花火大会を見てきた。運良くキャンセル券が手にはいって桟敷席での観覧である。
 評判どおりの見応えのある花火大会だった。昼花火というのがあるというのを初めて知った。色のついた煙幕といったところか。ブルーインパスル(曲芸飛行機の)が放つ着色排気煙を思っていただければいい。
 ただ、花火大会を知らせる音花火の音がいけない。ぼふっ、ぼふっという湿気を帯びた音なのである。パンパンパンと歯切れのいい音でなけりゃ気が抜ける。
 しかし打ち上げが始まったらまさしく競技花火である。一工夫も、二工夫もされた演出に会場には歓声がわく。原爆実験の現場では原爆が炸裂してきのこ雲がわきあがると観客から一斉におーっという感激の声が沸くという。環境破壊の雄、原爆花火はもっとすごいらしい。
 花火の美しさは酒の美しさにも似ている。消えていくことでいつまでも人の心に残るのである。そのはかなさが庵主の心をくすぐる。
 人出がすごい。出店がいっぱい出ているので庵主はうれしい。立ち食いは普段は御法度であるが、出店のあるところではそれが許されるのがいい。あくらビールを手にした。うまいか。味より以前に地ビールは値段が高いのである。330ml瓶が500円からするのだからやっぱり高い。エールを飲んだが味はわるくはなかった。
 夜は秋田に投宿した。そして酒である。「刈穂」を呑んで、「太平山」を呑んで、秋田の夜は更けた。
 ホテルに戻ると、冷蔵庫に天寿酒造の井戸水から汲み上げた「秋田鳥海山 自然水」がはいっていた。ちょっと渋みがある水である。
うまい水があるのだから 蔵元は仕込みの水を瓶に入れて売るといい。「天然水」と銘打ってペットボトルにいれて売られているプラスチック臭い水ではなく、瓶に入れたうまい水を「蔵元秋田正宗の仕込み水」として売ればいいのだ。もっとうまいものを呑みたかったらこの水で仕込んだ日本酒もありますといってすすめればいいことである。
●13/8/25

★カクテルの瓶詰★
   カクテルの瓶詰を販売している洋酒メーカーがある。「ジントニック」とか「サイドカー」というラベルが貼られたアルコール飲料がコンビニエンスストア(よろずやのこと)の冷蔵庫の中に並んでいる。
  いろいろな酒を混ぜあわせて作ったものをカクテルだというらしいのだ、そのメーカーでは。
  カクテルというのは、それを作る空間のことをいうのだ。バーのことである。その空間でバーテンダーによって作られた作りたての酒をいうのであって、瓶詰にしてカクテルの感興を保存できるものではないだろう。似て非なるものというより、それは冗談商品なのである。冗談が過ぎるメーカーである。
  そういう商品を作っていながら酒は文化だと喧伝しているのだから、そのメーカーが作る酒の水準は推して知るべしである。金儲けのための酒である。ひたすら宣伝で売りつける酒である。
  日本酒の蔵元が三増酒をさしてこれが日本酒の文化だと喧伝したならだれも相手にしないだろう、マニアは。まともな日本酒をつくっている蔵元をたくさん知っているからである。
  酒屋が必要以上に大きくなるとろくなことがないというのが庵主の実感である。
●13/8/24

★蕎麦はうまいか。酒はうまい★
  蕎麦の本である。高橋邦弘著「そば屋 翁 僕は生涯そば打ちでいたい。」(河出書房新社刊。1500円税別)。
  庵主は日本酒のうまさはわかる。酒を呑んでうまいと思ったことは何度もある。お茶と紅茶もうまいはわかる。
  しかし、蕎麦はだめである。それとコーヒーがだめである。どれがうまくてどれがまずいかがわからないのだ。
  庵主の家がどちらかといえばうどん派だった。コーヒーについては子供の時分「子供がコーヒーを飲むと馬鹿になる」といって飲ませてくれなかったことによる。親はおいしそうにコーヒーを飲んでいたが、今思い出すとそれは進駐軍の粉コーヒーだったからけっしてうまいコーヒーではなかったと思う。たぶんその頃は粉コーヒーというアメリカ文化がうまかったのだろう。
  ただしもり蕎麦に関しては、そのたれ(「もり汁」というのだと知った。本は読むと得することが)がうまかったという経験はある。だがその蕎麦についてはうまいのかまずいのかわからないのである。
 そば屋「翁」に置いてある酒は「菊姫」「豊の秋」「四季桜」「岩の井」(これは庵主の好きな酒)「賀茂泉」「大雪渓」であるという。わかる、わかる。いい酒が揃っていると思う。八海山とか久保田とかを置いてあるそば屋よりは期待がもてるではないか。「あくまで僕の好みで選んでいるので、偏った傾向があるのがわかりますね」と書いているが、たしかにうまい酒に偏っている。なお庵主は「大雪渓」はまだ呑んだことがないのでその酒には言及はしていない。
●13/8/23

★これは何でできているのだ★
    オーガニックビールの原料を書き写していたら、以前それに似たものを見たことがあるのを思いだした。
  コンビニエンスストアで買った「ラム酒ソースとバニラビーンズ入りやわらかバニラプリン」である。
  その原料というのがすごい。
    生菓子 内容量80g
  原材料/〈プリン〉乳製品、砂糖、植物油脂、卵黄、でんぶん、寒天、香料、ゼラチン、ゲル化剤(増粘多糖類)、乳化剤、バニラビーンズ、カロチン色素
〈ソース〉水飴、砂糖、ぶどう糖果糖液糖、洋酒、香料、でんぷん、増粘多糖類
 プリンの中の黒粒はバニラビーンズです。
 栄養成分1個(80g)当たり エネルギー 103kcal たんぱく質 2.3g 脂質 4.4g 炭水化物13.5g ナトリウム27mg
ただのバニラ入りのプリンなのにこの大げさな原材料はなんなのだろう。それよりも、いったい何を食わされているのだろうかという戦慄が走る。
  これに比べたら日本酒は健康食品の鑑である。原料用のアルコールをまぜるのは是か非かとかの世界なのだから。いれすぎたらまずくなるだけである。
もっとも合成清酒を作るとしたら、原材料はこれぐらいりっぱなものになるのだろう。本物の酒は醗酵のなかで数多くの成分が醸しだされるのでいちいちその成分まで羅列することはしないが、しかし合成酒は安い原料が先にあってそれを混ぜ合わせて作るものなので成分がはっきりしているからである。
  ところで庵主はいつも思っているのだが、健康食品という言葉はおかしいと思いませんか。食品というのは健康のために食べるものであって、健康によくない食品なら毒ではないか。しかも有効成分を抽出して錠剤にしたとかなんとか商品はどうにもいかがわしい不健全な商品にしか庵主には見えないのだ。
  日常の食生活でまともに栄養を摂れないような人がその手の「健康食品」を口にしても健康になれるとは思えないのである。健康食品を口にすること自体が不健康なのだから。
●13/8/22

★「美酒求心」★
   ふと、本屋の書棚に目をやったら、「越乃梅里」の蔵元さんが書かれた「美酒求心」と蕎麦の「翁」の高橋さんの本が並んでいた。
  まずはお酒の本、小黒秀平さんの「美酒求心」(文芸社刊)からである。
  「越乃梅里」(こしのばいり)といえば新潟の小黒(おぐろ)酒造だと庵主が知っているのは、新宿の伊勢丹デパートの酒売場に「冬樹」を買いにいくときにきまって数種類の「越乃梅里」が並んでいるのを見ているからである。
  庵主は新潟の酒はふだんは呑まない。きれいすぎて面白くないという印象を抱いているものだから呑む機会があっても順番はどうしても後回しになる。そのうち酔いがまわってくると呑むこと能わずということになることが多い。
  とはいえ気になるのも新潟の酒である。きれいなだけではそのうち飽きられるだろうから、きっと何かをしかけてくるにちがいないという期待があるのである。
  「越乃梅里」の「燗あがりの酒」は庵主が燗酒を呑んで初めて
うまいと思った酒である。あったかい酒の心にしみてくるうまさを実感した酒である。もっとも同じ酒の瓶詰の日にちが数日違うだけの瓶を買ってきたら、その味を再びあじわうことができなかったことを覚えている。最初の瓶はすでに売り切れていた。
  「美酒求心」はその中身がおもしろいのはもちろんのこと、くわえてその本の版面(活字の組み方)がじつに気持ちいいのである。文章の味わいがしみてくる読みやすいレイアウトなのである。こういうきれいな本は少ない。
 本はプロの出版社が作っているのだからちゃんと読みやすいように工夫されたものを作っているでしょうと思うのは大間違い。版面(はんづら)を見ただけで読む気がしなくなる本が少なくないのだ。辞書にも多いが、代表的なのは「聖書」。あれは生理的に読む気がおこらない版面の本である。
  「美酒求心」は中身と版面の両方のうまさが味わえる本である。吟醸酒だね。
●13/8/21

★オーガニックビール★
 庵主は能書きが大好きである。おおげさな能書きをみるとうれしくなってつい飲んでみたくなる。
  無農薬大麦・ホップのみ使用「有機農法ビール」
 ■原料 遺伝子の組み換え等により改造された有機物の使用は一切禁止され殺虫剤、除草剤、硝酸カリ、硝酸リン酸肥料、塩化化合肥料等の化学肥料及び土壌消毒剤等全て一切使用禁止。 ■原料加工 製造者、取扱業者、加工者は、有機栽培製品が持つ独特な栄養的価値を高め維持することを前提としている。防腐剤、酸化防止剤、放射線等は禁止され、容器についても殺虫剤、消毒剤、防腐剤等は一切使用禁止。 ■保管と輸送 オーガニックの特質を保つためメチル臭化カリ、リン化合物、塩化ピクリン酸等の消毒薬は一切使用禁止。 ●モルトは、モンタナ州を中心とした穀倉地帯で無農薬栽培された、〔ハリントン二条大麦〕を
100%使用。 ●ホップは、芳醇な苦味と森林浴の香りを表現する数種類の無農薬ホップを厳選使用。 ●イーストは、数世紀にわたり親しまれてきた〔ザッカロミューベス・カールスベルゲンシス〕生酵母菌を、二週間ごとに追加使用 ●水は、深さ330mにある3万5千年前の地下水脈より汲み上げ、さらに活性化炭素に通した天然水のみを使用。
 日本ビール株式会社のビールである。この缶ビールのパッケージが変わっている。国産の缶ビールといえば庵主には読めやしない英語でなにやら能書きが書かれているというのが通例だが、おおかた「このまずい缶ビールをのむ男は馬鹿だ」とでも書かれているに違いないが、このオーガニックビールには英語は縦書きでORGANIC BEERの二行だけである。原産国こそ米国だが日本人にやさしいビールである。
  OCIA(国際的オーガニック認定団体)マークは原料栽培から販売までの全工程において厳しい品質検査の上生産されていることを保証しています。
 遺伝子交配を行っていない大麦のみ使用「オーガニックビール」は、そしてアルミ缶にはいっているのである。
 ところで、味はうまいかというと、庵主の好みではなかった。一期一会のビールだった。庵主は、炭酸多めの酸味ありの国産の米ぬか生ビールが好みである。
 ビールも日本酒と同じで、いくらいい原料を使って造ってもちっとも魅力的でないものがあるということを再確認した次第。
 ビールは喉で飲む。喉につかえる重い味のビールは庵主にはつらい。
  老婆心ながら
アルツハイマー病は痴呆症の一種です。
アルミニウムを避ける
アルツハイマー病患者の脳には高濃度のアルミニウムが蓄積し、脳の神経細胞が変性していることが確認されています。
脳へのアルミニウムの蓄積はアルツハイマー病の原因ではなく結果ではないかとの根強い指摘もありましたが、元東大医学部の湯本晶先生は、アルミニユムが鉄輸送蛋白のトランスフェリンに結合して脳内に入り込み、脳に蓄積することを明らかにしています。
アルミニウムはアルミ缶飲料やアルミ製の調理器具、食品添加物(ミョウバン、ふくらし粉等)、薬(胃薬の制酸剤、解熱・鎮痛剤、制汗剤等)などから体内に取り込まれます。腎臓病の人はアルミニウムの排泄機能が衰えているので、特に注意が必要です。
(「自然食ニュース」2001年8月号から引用)
●13/8/20

★いいお日本酒を呑んだときの三つの余韻★
一、いい酒を呑んでいるという幸福感。
  あきらかに普通酒とは違う心をこめて丁寧に造られた酒を
  たしなむことで心ゆたかな気分にひたることができる。
二、「うまい」という満足感。
  歳を重ねるとうまいという感動がすくなくなってくる。
  いい日本酒を口にするとその「うまい」が実感できる。
三、ゆうべ呑んだ酒の、今朝のおしっこの原価は高いぞという
  贅沢感。
  そして、翌朝のさわやかな寝覚めのここちよさ。
●13/8/19

★ワインの試飲会★
  ドイツワインの試飲会に行ってきた。
  100種類近いワインをひととおり味わってみた。こうして飲み比べてみると同じ白ワインにしてもその違いがよくわかるのでおもしろい。
  お値段の安いワインは味わいに厚みがないことがわかる。一度味に厚みのあるワインを飲んだら物足りなく感じるのである。日本酒と同じである。
  日本酒の吟醸酒はよく「ワインのようないい薫り」と言われることがあるが、日本酒の薫りが一本の楽器で奏でるきれいな味わいであるのに対して、ワインの薫りの豊かさはシンフォニーを聞くような広がりと華やかさを感じる。この楽しみは日本酒に求めることができない。
  何とかに似ている薫りと、かんとかのなにやらを思いおこさせる薫りに加えてどうたらこうたらといった、やたらと形容詞の多いワインの味わい表現を読んで気障な世界だなと思っていたが、それもわかるような気がした。それだけワインの薫りは多層的なのである。イメージをわきたたせるのである。
 スパークリングワインはそれほど面白い味ではない。いいシャンパンはうまいのだろうが、今回はドイツのワインなので飲み比べることができなかった。赤のスパークリングワインはうまくなかった。
 赤ワインも飲んでみたが、その蠱惑的な色に惹かれたものはあったが、味で興奮するようなものはなかった。庵主はまだ赤ワインの味を楽しむことができるほど呑んだ本数が多くないのでよく理解できないのである。
 日頃日本酒を呑んでいるので、庵主には白のほうがわかりやすかったのかもしれない。
  ワインの銘について知ることはないが、二度三度と飲んでみて気に入ったのは「ロングィッヒャー マキシミナー ヘレンベルク」(葡萄品種はリースリング)という白ワインだった。750ml3500円。その薫りのふくよかなこと、華やかなこと。その薫りのなんともいえない青さが呑んでいて心地よいのである。おいしいのである。
 うまいワインがあるということがわかっただけでも楽しい試飲会だった。
●13/8/18

★「白瀧」にごり酒。51.4.23★
  武蔵小山の駅で下車して酒縁を結ぶ。店にはいるとこれまでに振る舞ってきた酒のラベルが壁一面に貼られている。一瞥してうまい酒が網羅されていることがわかる。今日もまたおいしい酒が呑めそうだと直感して思わず身の幸せを感じるのである。
  同時になんとなく気後れするものがあるのだ。また自分だけこんなうまい酒をいただいていいのだろうか。多くの日本人はこの手の酒のおいしさを知ることなく召されていくというのに、我一人このような甘美な世界に恵まれていていいのだろうか。あたかも特権階級に属させられてしまったような気恥ずかしさを感じるのである。それってカッコ悪いよね。とはいえ、興味のない人には酒がうまかろうと、まずかろうと関係ないことなのだから、人それぞれの好みの違いだと思えばいいのかもしれない。数多い趣味の世界の一つにすぎないのだから、ただたんに酒に淫しているだけというのが実相かもしれないが。
  この店に集まってきた日本酒はふだんはなかなか呑む機会がない酒である。探せばどこかで呑むことができるのだから幻の酒というわけではないが、しかし呑み手のほうから求めないとお目にかかれないうまい酒なのである。
  酒といってもいろいろなランクの酒がある。デパートなどの売場ならそれぞれのランクの酒をひととおり揃っているが、居酒屋でそうはいかない。お店によって扱っている酒のランクが違うのである。だから大吟醸だけを呑ませてくれる店では、その銘柄の上のランクの酒は揃っているというのに「東北泉」の本醸造や「磯自慢」の本醸造を置いてないことがある。逆に、立ち飲み屋で、いい酒を求めるのは厭味というものである。酒を呑むということは呑みたいランクの酒を置いている居酒屋をさがすということなのである。そういうお店を知っているということなのである。
  庵主はこのところ居酒屋では酒の銘柄の注文はしていない。お店にお任せである。以前なら、この酒が呑みたいとか、この酒はまだ呑んでいないので一度呑んでおきたいと、コレクターみたいな呑み方をしていたが今はそれも面倒くさい。
  お勧めにしたがって素直に酒を楽しんでいたら、「白瀧」のにごり酒をごちそうになった。51.4.23とあるから庵主よりずっと年上の酒である(ウソ、ウソ、ウソ)。あえて求めなくてもちゃんと酒が庵主に寄ってきてくれるようになった。いっぱしの酒呑みになったかな、とまんざらでもないのである。
 お店はこの地で二十周年を迎えるという。帰りしなには二十週年記念の「お食事チケット」を頂戴した。またうまい酒が呑めそうである。
●13/8/17

★「七冠馬」はななかんばか、しちかんばか、読めないが★
  簸上正宗(ひかみまさむね)の「七冠馬」の純米吟醸である。味がしっかり立っている。うまい酒であることは間違いない。庵主の好みの方向ではないが、いい酒であることはわかる。酒に格調の高さがあるからである。しかし庵主好みの甘さがないのだ。庵主は酒に甘さが感じられないとうまいと思わないのである。とはいえ七冠馬はキレのいい酒である。甘さを感じさせることなく喉をすぎていくのどごしのよさにこの酒質のよさが感じられてここちよい。いうなればかっこいい酒なのである。
  酒の量を呑める人は、庵主が好むあまい酒よりも、こういう酒が呑みやすいのではないかと思われるが、そういう酒呑みにこの酒の感想を聞いてみたい気もする。庵主の身近におれは辛口という酒呑みがいないのでよくわからないのである。
 忠臣蔵の四十七士は、「よんじゅうななし」ではなく、「しじゅうしちし」と読むのが正しい。それからいえば、「七冠馬」は「しちかんば」と読むのが正しいのだろう。でも語感からすると「ななかんば」と読んでもうなずけるものがある。
  簸上正宗の「玉鋼」(たまはがね)もうまい酒である。味の好き嫌いはともかく、酒の品のよさが伝わってくる。その酒がもっている気品が気持ちいいのである。
●13/8/16