「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成13年8月前半の日乗
★世之助といい、ドンファンといい★
 庵主のような酒呑みもまたそれに似ている。女たらしのことである。つぎからつぎに女を追い求めて、かつての女を振り返ることはない。
  でも、それは、いまおつきあいしている女の人よりももっといい女の人がいるのではないかという限りない向上心によるものだという解釈を読んだことがある。よりいいものを手に入れたいという人間の性(さが)に正直な人なのである。普通は面倒くさくなっていいかげんで諦めるものだが、そのような妥協をしない真摯な人のなのである。
  いい酒を追い求める酒呑みの姿がそれに重なる。
  いま呑んでいる酒がうまいと思えるならそれで十分でないかと思うのだが、しかし己の好奇心は、いやこの酒よりもっとうまい酒があるに違いないという不安と希求心がわいてきて、その酒を求めないではいられなくなるのである。それを見苦しいことといっては酷か。黙って呑んでいる分には人の邪魔にはなるまいと思うが。
女も、酒も、よりいいものをと求めると地獄である。人の人生は有限、夢は無限である。
  庵主はきょうも夢を求めてさまよっている。呑めないくせに。
●13/8/15


  ★超辛口「刈穂」山廃純米+12★
  超辛口の酒を置いている店があったので好奇心からはいってみた。一本は「刈穂」の山廃純米。もう一本は「春鹿」。いずれも日本酒度は+12。「刈穂」を選んだ。だから「春鹿」のデーターは見ていない。
  庵主は辛口の酒は好みでないから、しかも+12とくれば味はあってもそっけはないだろうから、多分口に合わないだろうと思っていたのでべつに がっかりはしなかったが、やっぱり呑んでおもしろくなかった。
 「喜楽長」の+14がうまかったという経験があるから(既述)、辛口の酒もひょっとしてうまいのではないだろうかと はかない期待をいだいたのが間違っていた。
  いつもの疑問であるが、この手の酒がうまいと思って呑んでいる人はいるのだろうか。というより、造り手はこれがうまいと思って造っているのだろうか、知りたいものがある。「刈穂」の悪口を言っているのではないから誤解のないよう。
  庵主は、例によって「これだけでいいのですか」という女店員の心配そうな顔に頷きながら、コップに七分目ほどいれてもらった酒といっしょに大振りのタンブラーにたっぷり水をいれてもらった。
  庵主の舌にはさっぱりうまくない超辛口の酒よりも、水のほうがずっとうまかったのである。水をおいしく飲む方法がわかった。超辛口の酒と一緒によく冷やして飲むと水がおいしいということを。
 庵主はいわゆる辛口の酒のうまさが理解できませんので、その点をお含みのうえお読みいただきたいと思います。うまい酒をちょっとだけ。
●13/8/14

★その店は/椅子の高さ★
  その店は、静かに酒を呑ませてくれるのがいい。ご主人の相手をしてあげなくても好きに飲んでいればいいのだからありがたい。
  とはいっても放っておかれるわけではない。一杯目が空になれば、間(かん)よく、二杯目のお誘いがかかる。
  その店はなんといっても椅子がいいのだ。座面が低い椅子である。足がちゃんと床に届く高さなので文字通り腰を据えて酒を呑むことができるのがいい。
  バーに行くと、カウンターの中で立ってお仕事をしているバーテンダーの目の高さに合わせるために、客が座る椅子は座面が高いところにあることが多い。足の長い椅子である。腰掛けると足が床に届かないから、カウンターの前には足をかけるバーが置かれている。庵主は、この高い椅子が苦手である。座っていてなんとなく落ち着かないからである。腰掛けるのに「どっこいしょ」といいたくなる。座りが悪いというのはこのことをいうのか。
  その店ではカウンターの中の床を掘り下げてある。だから客が座面の低い椅子に座っていても立っているご主人が客を見下ろすことにはならない。足がしっかり床についているから、酒が落ち着いて呑める。
 その店はなにより酒の揃えがいいのである。いくら椅子が良くても出てくる酒がおもしろくなかったら間がもたないのだから。
●13/8/13

★いやみな客★
  箱根湯本に行って温泉につかってくる。露天風呂である。ぶらぶら歩きながら天山(温泉の名前)へ。途中、暁庵という蕎麦屋があった。翁で修行した云々という能書きを認めた看板があったので、温泉の帰りに寄ってみようと思っていたが、長湯しすぎて午後四時の閉店時間に間に合わなかった。
  で、ちがう蕎麦屋にはいってもりを頼む。品書きには日本酒としか書かれていなかったので、「日本酒の銘柄はなんですか」と給仕の女性に尋ねると、すぐにはわからないようで奥の調理場にいって聞いてきてくれた。「白鶴の上撰です」とのこと。それならあえて呑まなくてもいいや、と思って断る。
  男ならごちゃごちゃ言わずに酒を頼めばいいものを、いちいち銘を尋ねて、しかも気に入らないから注文しないというのだから、まさに厭味以外のなにものでもない、ともし庵主がはたでこのやりとりを見ていたらきっとそう思うことだろう。
  ちょっとばかり酒の銘を知っている酒呑みって、ヤダネ。
  それにしても芸のない店だとは思った。せっかく電車賃をかけて温泉を楽しみにきたというのに、地酒を呑ませてくれないなんて旅の楽しみがない観光地だこと。その蕎麦屋のことではない。その蕎麦屋の隣にある地酒を売っている酒販店に言っているのである。
  その店で買い求めた「曽我の誉」の吟醸はうまかったから、白鶴もいいけど地酒も呑ませてほしかったと庵主は思うのである。
  暁庵では蕎麦といっしょにどんな酒を呑ませてくれるのだろうか。それが今から楽しみである。
念のため、「翁」は今は山梨県の長坂町にある有名な蕎麦屋さん。この9月には広島県の豊平町に引っ越しして「達磨」として開業するとのこと。
●13/8/12

★箱根21号の生ビール★
 新宿駅を正午に発つ小田急ロマンスカー箱根21号に乗る。電車は13時24分に箱根湯本駅に着く。それまで約90分の旅である。おもむろに持って行った本を読み始めた。
 しばらくすると車内販売がやってきた。弁当や飲み物を満載したワゴンが行く。そのあとに別のワゴンで生ビールがまわってきたのである。小さいタンクに詰められたまさに生ビールである。季節販売なのだと思うが、私鉄のサービスのよさに感心したものだ。夏だ、生だ、小田急だ、箱根の温泉が待っている。
 しかし、電車の中は冷房が効きすぎていて生ビールを飲みたいという衝動が起こらなかった。そのうえ残念ながらちょうど庵主の禁酒時間だったので飲むことは叶わなかった。うまい生ビールだったらいいのだが。
 先だって乗った飛行機の中でもビールの販売をしていた。しかし缶ビールである。国際線の飛行機には吟味して選ばれたいい日本酒が搭載されていると聞くが、国内線のビールは自動販売機のビールと同じもののようである。
 缶ビールに興味がないので求めることはしなかったが、存外、高空で飲むビールはおいしかったりして。念のため、今度飛行機に乗る機会があったら飛行機の中でその缶ビールを飲んで確かめてみようと思う。
 何でも思い込みで、うまいわけがないと見限ってしまうのはよくないと思うから。
●13/8/11

★ワインはうらやましい。550円で十分飲めるのだから★
 近所の酒も売っているローソンにあった750ml瓶550円の白ワイン。あのメルシャンがイタリアの銘醸ワイナリーに造らせたという「ラゴブルー」なる「ちょっと上をゆくデイリーワイン」である。
 それが十分飲めるのだからこの酒は安いと思う。日本酒でその値段なら、まず飲む必要のない酒である。飲む前から原料用アルコールの味が浮かんでくる。
 その値段の安いワインの味については、庵主はワインをほとんど飲むことがないのでそれがどの程度のワインなのか知る由もないが、しかし、十分うまいと思うのだからそれはいい酒である。酸味がきいていて飲みやすい。大関の「玄米美酒」に匹敵する口当たりのいい味わいである。いや「玄米美酒」の方がワイン酵母を使っているのか。
 日本酒のいい酒はうまいが、それがすべてというわけではない。世界にはいろいろな酒がある。うまい酒ならありがたく頂戴するのがいい。
 そのローソンには750ml瓶380円のサントリーのワインもあった。世の中には安い酒があるものだと庵主はうれしくなる(発泡酒みたいな値段だ)。次回はそのワインも買ってみよう。口に合わなかったら風呂にいれて入浴剤にすればいいのだから。
●13/8/10

★「白龍」吟醸 酒ライム★
 デパートの日本酒売場の冷蔵庫の中に、涼しげな緑色に着色された酒がよく冷えていた。
 新潟の「白龍」の「吟醸 酒ライム」(Cocktail of Ginjyou Sake & Lime)である。
 季節商品である。いうなれば際物。あえていえば下手物といっていい酒だ。どういわけか値段は高い。300ml瓶で500円(税別)。1升に換算するとナント3000円。
 ライムジュースのイメージなのだろう、若草色のきれいな色をしている酒で、つい手にしてしまう。よく冷えた瓶のつめたさとその清涼感あふれる色で庵主をたぶらかしてくれた。
 酒類はリキュールである。原材料名/清酒・ライム果汁 エキス分8% アルコール分15度以上16度未満、とある。日本酒の吟醸酒に緑色に着色されたライムジュースを混ぜたのだろう。呑んでさわやか、さっぱりした涼感を楽しむ酒である。うまいとかまずいとかの酒ではなく、夏の暑い時分に暑さを楽しみながら飲む酒である。
  製造年月日 13 08 01 賞味期限 13 08 15 と裏ラベルにはっきり表示されている。その潔さがいい。わずか2週間だけの旬の酒である。いうならば作ってすぐ飲むカクテル感覚の酒なのである。でも終戦記念日を過ぎて売れ残ったらどうなるのだろう。それも見込んでの300ml詰500円なのだろうか。
  ただ、カクテル用の色付きライムジュースはにおいが強いから、普通酒にまぜて冷やして飲んでもこの酒と大して違わないように思えるところがやっぱり際物なのである。
●13/8/9

★「下天の夢」の最後の一本★
 その店の冷蔵庫の中でおいしそうに冷えている「富久錦」の「下天の夢」の最後の一本を買うために、フィルム代を削って酒代を捻出したのである。
 さいわいコニカが新フィルム「SINBI(審美)」をお試しセットと称して10本4900円で売っていたのでそれを買い求めたのである。しかも現像代が8月31日までは半額キャンペーンということで、なんと現像代と合わせても1本940円と庵主がいつも使っているフィルムより477円も安い。10本で4770円も安いのだからこれで1升3262円の酒が買えることになった。おいおいフィルム代を削っても大丈夫かい。
とはいえ、「下天の夢」の能書きを読めばきっとこの酒が呑みたくなる。純米酒しか醸さない蔵元である「富久錦」の磨き60%のあらばしりを集めた生酒なのである。
 「富久錦」の酒造りの姿勢がいい。磨き60%というのは庵主の好みである。その上、あらばしりを集めた酒というのだから、この酒はうまい酒ですよと断言しているのである。これは呑まずにはおけない。フィルム代を削るというやってはいけないことをしてまで庵主は酒を呑む。アマチュアカメラマンのいい加減なところ、いや大胆なところである。「下天の夢」は庵主の期待に応えてくれるのか。
さすが「富久錦」のうまさが堪能できる酒だった。米は60%磨けばこれだけの酒ができるという証左である。味に品がある、趣がある。いいとこのお嬢さんという感じでそばにいるだけで心が豊かになる酒なのである。「富久錦」の酒品のよさを感じるいい酒である。と書きながら、さりげなく「うまい」ということばをさけている。庵主はどうせならあと308円出して「岩の井」の「昭平庵」を呑みたいと思っている。磨きは同じ60%、米は玉栄である。この酒には庵主は「うまい」を感じるから。
 一方フィルムであるが、念のために買っておいたコダックのKR64(フィルムの名前)の色の深みを庵主は好む。コニカのSINBIは酒でいうと生酒のようでフレッシュな色がここちよい。EB(同上)みたいなマゼンタ(赤みがかった色)を感じるが、酒と同じで使い分ければいいだけのことである。
●13/8/8

★「北の錦」、小林酒造、北海道★
 北海道の栗山町に「北の錦」を訪れた。高倉健の映画「鉄道員(ぽっぽや)」の中で使われた酒が「北の錦」である。
 もちろん今は造りの季節ではないので、北の錦記念館を訪れたのである。北海道の夏の空は青く爽やかである。レンガ造りの蔵が映えている。
 記念館では「北の錦」の試飲ができる。数種類の酒を呑ませてもらった。
 「北の錦」は辛口志向のようである。辛い。要するに甘みを感じさせない、つれない味の酒である。親しみをよせる余地がない、ほめ言葉に窮する味の酒のことである。呑んでいておもしろくない酒、というしかない。よって庵主の好むところではない。「北の錦」の酒造りを含めて辛口の酒一般についていっているのである。
  庵主は、この手の酒を呑むたびにこれがうまいのだろうかといつも首を傾げている。酒呑みはほんとうにこの手の酒をうまいと思って呑んでいるのだろうかといつも疑問に思っているのである。もっとも、甘い酒(正しくは日本酒度がプラスでも甘く感じる酒)は2杯も3杯も呑めるものではないから、たくさん酒を呑みたいという酒呑みには辛口といわれるこの手の酒が呑みやすいのかもしれないが、庵主の想像外の味なのである。
 記念館を見たあとは近所にある「レストラン蔵」で食事をした。夕張川のほとりの緑に囲まれたレストランである。ここのランチはうまい。キタアカリ(じゃがいもの品種名)のポテトスープも裏ごしが少し粗いような気がしたが、まさに北海道の味覚を堪能できる楽しいレストランだった。
ただしお冷やは地下水だったのだろうか少しクセのある味が舌に残った。
●13/8/7

  ★「福乃友」の無調整純米吟醸生がでた★
   「福の友」の無調整の純米吟醸が並んでいる。生酒である。米の名前は書いてない。書いてなくてもいいのだ。福乃友なのだから、例によって単一タンクの酒を甘めにしぼって炭酸の快感を残しながら、舌にのせたときにここちよい感触がなんともいえないくすぐったい味になっているはずなのである。
 まさにその期待にたがわぬ酒だった。期待どおりの酒をきちんと造ってくれるのである、福乃友は。だからうれしい、そしておいしいからまた呑みたくなるのである。
 アルコール度数は17〜18度とちょっと高めであるが、それでいい、いやそれがいい。
 庵主は甘い酒が好みゆえ、この酒はたまらないのである。あんまりうまいものだから、すうーっとはいってしまうのだ。体がうまい酒を知っているのである。
 もちろんうまい酒は人によって違うのだけど、その酒をその人の体がちゃんとうまいと知っていることにはかわりない。
 きちんと火入れしたほんとうに美しい酒がある。でもこの生酒の福乃友は育ちのよさを感じさせながらもちょっと色っぽいのである。口に含むとそれがわかる。だから庵主は好きなのである。
●13/8/6

  ★有無をいわせない酒★
   あるバーのバーテンダーはその酒を「人生を不幸にする酒」といった。そうよばれるにふさわしい酒がたしかにあるのである。人はただそういう酒とめぐりあわないだけなのである。
 知らなければ庵主の人生とふれあうことのない酒だった。ところがその酒を教えてくれた人がいる。その酒のことが耳にはいってくるということ自体がすでに庵主とその酒は縁で結ばれているのである。酒が庵主にささやいているのである。「呑んで」と。
 赤で奥播磨、黒字で還暦。ラベルにはただそれだけである。還暦とあるだけで十分通じる酒だから、朱印の奥播磨は雅印といったところである。
 うまいとか、まずいとか、いいとか、悪いとかは語るまでもない酒なのである。有無をいわせずに呑ませる酒。うまいのはあたりまえで、うまいの水準が並のうまいではないのである。うまいに品格がある。味に深みがある。口に含むといくつかの記憶がよみがえってくる。その酒は、それらの記憶を甘美に包み込んでくれるのである。
 酒と思いを一つにするしみじみとした時間に「還暦」は誘(いざな)ってくれるのである。贅沢というにふさわしい美しい酒を心から楽しみながら、庵主は酒のうまさと時をすごす悦楽にここちよく酔っていたのである。
●13/8/5

★縁のない酒★
 @月桂冠(京都)
 A白鶴(兵庫)
 B大関(兵庫)
 C日本盛(兵庫)
 D松竹梅(京都)
 E菊正宗(兵庫)
 F黄桜(京都)
 G白雪(兵庫)
 H白鹿(兵庫)
 I世界鷹G(埼玉ほか)
 J沢の鶴(兵庫)
 K剣菱(兵庫) 
 L清州桜(愛知)
 M富士娘(兵庫)
 N朝日山(新潟)
 O爛漫(秋田)
 P高清水(秋田)
 Q多聞(兵庫)
 R菊水(新潟)
 S千福(広島)
 日刊経済通信社調査「2000年清酒上位メーカー出荷状況」(酒類食品統計月報2001年2月号掲載)による。週刊読売8月5日号から引用。
 庵主がおよそ飲むことのない酒のリストである。そこまで手が回らないって。
●13/8/4

★「一本義」の純米酒「宴日和」★
 ちかごろ流行りの低アルコールの日本酒の中から「一本義」の「宴日和」を呑んでみた。アルコール度数5〜6度とある。
 低アルコールの日本酒は、往々にして「女性にも呑めるやさしい酒」というのが宣伝文句だが、そうまでして女にまで酒を売りつけたいのかと蔵元の志の低さに辟易するのである。もっともそれはセンスのない広告屋さんの下手くそな決まり文句だとはわかっているのだが。
 もし本当に女にアルコールを売りつけたいと考えているのならそれはえげつないとしかいえない振る舞いである。女にもっと日本酒を呑んでほしいと思うのなら男が呑んでもうまいまともな酒を造ればいいのである。男が気持ちのいいことなら、女も気持ちがいいものなのだからきっとお酒をうまいといって口にすることはまちがいない。それに酒は大人の呑みものである。女子供には手を出さないのが良心というものでしょうに。
 さて「宴日和」は、うすにごりの酒で炭酸がきいているから口当たりのいい酒である。この暑い夏にはよく冷やしたこの酒はうまい。アルコール度数の低い日本酒というよりは米で造った清涼飲料といったところである。甘くて口当たり爽やかでうまい。庵主好みの酒である。お福正宗が昨年出した「夢和飲」が酸味もあってうまい酒だったがそれに似た味わいの酒である。
 ところでお値段は300mlで650円である。一升に換算すると
3900円の酒ということになる。3900円も出すのなら日本酒の錚々たる酒が呑めるのだ。いわばサイダーがわりの酒にそんなに金を出すというのも酔狂なことだと庵主は思うのである。台所の隅に残っている安い日本酒とよく冷えたラムネをまぜて呑めば甘くて適度なアルコールの飲み物ができるのだから。とはいえ値段のことを考えなければ「宴日和」はうまい酒である。
●13/8/3

★つながらない記憶★
 私「キネマ旬報」に原稿書いたから読んでみて、と言われて早速拝読。文章がうまい。材木問屋の木の薫りがある。当時の町のにおいがある。少女のころの筆者が目にうかぶ。達者。
 筆者の名前は、女優の中川梨絵。通好みの女優として、庵主には日活ロマンポルノの女優さんとして心にある人である。
 ちょっと待って、たしかにその店のママはなんとなくどこか違うなとは感じていたが、昔、中川梨絵をやってたなんてことは、これまでそんなこと一言も口にしなかったじゃないか。
  もう映画から遠ざかって長いから目の前にいるご本人と昔見たスクリーンの中の中川梨絵のイメージとがすんなりつながらないのである。
 庵主の前に一本の線を引く。その線からこっち側は観客の世界である。その線から向こう側は入ってはいけない銀幕の世界である。その一線の向こう側の人が不意に目の前に現れたものだから戸惑ってしまった。
 もちろん女優は、女優を演じる商売である。だからイメージが大きく美しくふくらんでいる。一方、酒場は楽しくお酒を呑ませる場であるから、ママはそれなりに客をあしらう。生のキャラクターが出てくる場である。イメージと現実がぴったり重なるわけがない。イメージは美しいからイメージなのである。現実はもっともっと人間ぽいって。
 中川梨絵の文章は最後で調(ちょう)を崩してしまう。枚数を意識したと言っていたから、切るところで切ればよかったのだが、蛇足を付け加えてしまったようだ。シャシン(映画のこと)同様、文章も編集のはさみの入れ方が肝心である。
 その日の思わぬ展開に、そのとき呑んだ香住鶴の「福智屋」も「天明」の大吟醸も庵主の記憶から吹っ飛んでしまったのである。
●13/8/2

★この暑い夏に元気をつけてくれる葉月の酒★
 暑い。食欲がわかない。今年の夏は暑過ぎる。
 これだけ暑い日が続くと、うまいはずの生ビールを飲んでも体がよしといわないのである。体は本当に体にいいものを求めているのである。
 日本酒の出番である。
 「千代の園」のBY8年を呑む。5年の熟成をへて味のきれいなこと。最初からこの酒が出てくると、酒のよしあしを考える必要がないからいい。その分こころがくつろぐのである。酒に遊ぶの境地である。酒が庵主のからだをやさしく包みこんでくれるのがわかる。生きててよかった。
 そして「李白」の斗瓶取りである。やや重い。とはいってもその酒は気迫十分である。その高い気迫が庵主の体に乗り移ってくる。だからだれていた庵主の体がにわかに活気づくのである。
 さすがは日本酒である。体に力がみなぎってくるのがわかる。そうなのだ。酒はときとして薬もかなわない効果を発揮するのである。
 体をいやすこともできる、心も安らげることができる万能薬である。しかも正しく呑むと副作用がない。また呑みたくなるという副作用が残るという人もいるようではあるが、それは福作用だろう。またおいしいお酒が呑めるのだから。 ただし、いいお店で呑むこと、すなわちいいご主人のもとにいいお酒を嗜んだ時には、との条件つきだが。
 今日は、庵主、いい薬を頂戴してきた。夏の疲れがふりきれた気分になったのである。今年の夏はまだまだ暑そうである。
●13/8/1