「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成13年4月の日乗
★しばらく酒をおこう★13/4/29
 庵主は花粉症である。例年5月の連休が終わるといつのまにかアレルギー症状が終焉しているというのがならいである。今年はそろそろ花粉症もおわりに近づいた時期だというのにこのところ喉が痛むのである。
 しばらく酒をおこうと思ったのはそのせいである。
 今日からしばらくアルコールを呑むのをやめようと決意したらその夕刻、酒を飲みに行こうという誘いがあった。即、誘惑にまけて一杯。
 量は呑めないので手近には酒を置いてはいないのだが、しかしよく見たら手元には結構酒があることに気がついた。庵主が酒を好むということを聞いた心やさしい人がお酒を送ってくれるので何本かの酒瓶が林立しているのである。呑みきれないって。
 「冬樹」がある。「花の舞」の純米の一升瓶は空瓶である。この二つは庵主の常用酒なので。どういうわけか「幻の瀧」の大吟醸がある。「天狗舞」の山廃純米もある。「菊の城」の大吟醸がある。贈答でいただいた「月桂冠」の純米吟醸は封を切らずに1年ぐらい起きっぱなしである。「自然郷」もある。まだまだあるのだ。
 庵主に酒を与えないでください。つい呑んでしまいますので。


★新酒の季節★13/4/28
 「しぼりたて」と書かれた酒が並んでいる。「新(しん)しぼり」とするものもある。「新(にい)しぼり」と読ませるものもある。「小濁り(ささにごり)」というのもある。「志保里田手」とくるのは「小鼓」である。
  いまの時分は酒の売場には新酒がいっぱい並んでいる。しかも、しぼりたての生とくるからどれもおいしそうに見える。しかし庵主は酒が呑めない。量が呑めないのだから買ってきても呑みきれない。酒がもったいないから、ただうらめしそうに「はつしぼり」の酒をながめてはうっとりしているのである。うまそうだな。いやきっとうまいにちがいない。
  もっともこの手の酒はフレッシュな味わいが取り柄で一杯だけ呑む分にはさわやかでおいしいのだが、じつはどれも似通った味で、まだ「うまい」とも「まずい」とも味が固まっていないからどれをとっても外れはないかわりに、さほど面白い酒ではないのも確かである。単調なのである。一度呑んだら、また呑むまでもない季節をつげる酒である。
  とはいえ、「新酒がはいりましたよ」と言われたらつい「それから呑みたい」と反応してしまうのである。


★酒場は酒を呑むところだけれど、人に会いに行くところなのです★13/4/25
  いい酒がそろっている店がある。酒がうまいのである。日本酒がうまい店は管理がいい。酒を大切に扱っているからである。そしてご主人(あるいはマスターといい、大将と呼ばれるいい酒を呑ませてくれる奇特な人のこと)が集めてきた大切なお酒をごちそうになる。
  そこで呑む酒はうまいに決まっている。日本酒自体がうまいのに、ご主人が自信をもって集めてきた酒なのである。普段口にする日本酒とははっきりいって次元の違う酒である。正しくは酒に込められた意欲が全然ちがう日本酒である。本棚を見ればその人がわかるというが(本当かな)、酒が納まった冷蔵庫を見ればご主人が見えてくるのである(そんなことはないが)。
  冷蔵庫を見せてもらうのが楽しい。しかもその大切な酒を呑ませてくれるのだからうれしい、ありがたい。
  銀座にはいい酒がいっぱい集まってくる。いい酒を集める人が集まっているのである。そして慕っていけばその酒を惜しげもなく呑ませてくれる度量がある。そのことをさして銀座は大人の街だというのだろう。今夜は銀座で呑んだものですから。


★島根の「高綱」特別本醸造  槽搾り 無加圧 中汲み 生原酒 兵庫山田錦 精米歩合 55%精米 日本酒度+6★13/4/20
地下鉄有楽町線「新富町駅」の7番出口を出てすぐ先の左手にある居酒屋「さかみどり」の、今、一押しの酒である。
これを呑まずにおかれようか。
で、その味は。
可憐な味の酒でした。150mlで600円。
 庵主は居酒屋さんが見つけてきたお勧めの酒を味わうのが好きである。その酒にほれたご主人の気持ちを味わうのである。そしてそのような大切な酒を見知らぬ庵主にも振る舞ってくれる気持ちがうれしいのである。


★「松の司」は ほんに悪い酒である。呑み過ぎるから★13/4/15
  通(ファン)はその酒をただ「松」と呼ぶ。嵐 寛十郎をアラカンと呼び、勝 新太郎をカツシンと呼ぶように、まるで贔屓のスターを愛するようにそう呼ぶのである。
 「松」といったら滋賀の酒「松の司」(まつのつかさ)のことである。その「松の司」を呑む。贅沢の極みである。
熱狂的な松のファンがいて、そのファンの期待を裏切ることのない味わいは贔屓にするにふさわしい酒である。うまいのである。
  年間の造りが800石という。少ないほうである。したがってどこでも呑める酒ではないから、知る人がひそかにそのうまさを楽しむにふさわしい酒といえる。量を売るための努力はしたくないと蔵元はいう。酒は味だと明言している。だからファンはますます松にのめりこむのである。
 「松の司」を呑む会があって7種類の酒を呑ませてもらった。期待にたがわぬ味わいである。うますぎると思った。米を50%以上も削って造った酒を呑みながら、庵主はこれは贅沢の極みだと思って味わっていたのである。そしていつになく呑み過ぎてしまった。だから庵主にとっては悪い酒なのである、「松の司」は。


★「冬樹」の生がデパートに並んだ日★13/4/15
 今年の「冬樹」はもう出来上がっているはずである。酒のホームページに、1月中旬に福乃友を訪れたらちょうど「冬樹」の仕込みをやっているのを見てきたという記事があった。今年の「冬樹」を早く呑みたい。
 しかし伊勢丹デパートになかなか入荷しないので、小田急ハルクの酒売場をのぞいてみたら、冷蔵庫の中に予約済の伝票をつけた「冬樹」の一升瓶が2本あるではないか。いつもの緑色の箱に「生酒」のラベルが貼られている。ここで現物を確認して、庵主はそして池袋の東武デパートの酒売場で冷蔵庫に鎮座している緑の箱の四合瓶を見つけたのである。
 炭酸がじゅわーっとやってくるおいしさがある。しかし今年の「冬樹」は舌にのせたときのあのまろやかさが感じられない。酒がやわらかいのである。味はいい。うまい。
 生酒であるが、「冬樹」の生はただの生ではない。ただの生酒なら一杯でいいが、「冬樹」の生は盃をかさねずにはいられない、ほんにおいしい生なのである。ふだんは五勺の酒で顔を真っ赤にしてしまう庵主がこればかりは、顔のほてりを感じながらもあっという間に半分を空にしてしまっていたのである。


★「黒龍」の十八号生詰★13/4/12
  福井県武生市在住の三田村和男画伯が毎年4月になると銀座の画廊で展覧会を開催する。この展覧会がいい。抽象画であるが、その絵から伝わってくる気分がとても気持ちいい。赤、緑、黄、青と簡明な色だけで組み立てられたその絵を見ると心がはずむ。絵を見ていると沈んでいた心がいやされる。部屋に一点掛けておくと心がウキウキしてくる素敵な絵である。酒の味と同じで絵は体験しなければわからない。
  三田村画伯の絵は毎年4月に銀座のギャラリー・舫(ボウ)〔03-3563-0558〕で開催される展覧会で会える。
  その展覧会で画伯から福井から持参したという「黒龍」の十八号生詰をごちそうになった。
  「黒龍」である、しかも生詰だから、十分うまい、十分甘い。庵主好みの酒である。天性の明るさを感じさせる心はずむ絵に囲まれて呑む美酒のうまさはまた格別である。酒がいちだんとうまい。
  とはいっても生の香りは一杯でいい。香りがよく出ている生酒はたしかにおいしいが、それを呑み続けるのはきつい。味わいが単調なだけにあきるのである。と思っていたら「玉乃光」の備前雄町が控えていた。おいしい展覧会である。


★精米歩合90%の商業清酒★13/4/8
  御代栄」(みよさかえ)である。以下はその引用である。
■人と地球にやさしい健康志向酒
このお酒は、酒米を精米歩合九〇%(通常
七〇%以上磨く)におさえ、糠の栄養分を
そのまま残した黒いお米で造りましたの
で、ミネラル、鉄分、ビタミンB等が多く含
まれた健康志向酒です。米に白いと書け
ば「粕(かす)」になり、「糠(ぬか)」は米に康
らか(健康)と書くように精米をおさえ、
糠の部分を残したお米の方が健康に
よいのは、この字をみても明らかです。
地球を美しく、資源は大切に、健康に良
くて、美味しい、そんな理想を追求して生
まれた、期待を超えた知的な酒です。
             十三代目 蔵主敬白
 「知的な酒 酒は男を磨く水 御代栄」の能書きである。180mlで320円(税別)。
米だけの酒 有機栽培 省農薬米使用 
米一〇〇% 清酒 無添加酒 アルコール分:13度以上14度未満
原材料名:米・米麹(国産新米使用) '01.01
  国産の新米とわざわざ表示しているということは、外国産米を使った清酒があるということなのだろうか。米100%というのは、合成酒(アルコールをまぜて増量した日本酒)が跋扈しているということなのだろう。
  さて、その味である。なんだ米は90%もみがけば十分呑める日本酒ができるんじゃないかとこれまでの常識がひっくりかえる酒である。普通酒で精米歩合70%とあるが、原料米を100俵買ってきたらそのうちの30俵は糠にして捨てるということなのだ。普通の日本酒造りでさえ、まともに考えたら米の無駄遣いである。だからといって安いアルコールをまぜて作る日本酒を認めるものではないが。だってそんな酒の多くはまずいもの。そして庵主の好きな大吟醸にいたっては70%近くの糠を出して造るのだから、恥ずかしくて吟醸酒を呑みなさいとはいえない酒なのである。無駄遣いの極致である。
 「酒は男を磨く水」は、磨き90%でもちゃんと呑める日本酒を造ったという蔵元の意欲には同感する。そんなわけで庵主はただそういううまい酒もありますよとここで紹介する次第。
 「男を磨く水」は酸味がほどよくあって呑みやすい酒である。
  一合の酒なのであっというまに呑んでしまったから、熱燗にするのを忘れていた。 この酒は一升で3200円の計算になるが、それなら庵主は一升1950円の「花の舞」の純米酒のほうがずっとうまいと思うけど。そっちの方が味わいに酒の色気があるもね。酒の色気とは酒蔵のあの酒粕の匂いを思いださせる醗酵現場の味わいのことである。
  酒は醗酵のたまもの。よくできた酒を、人は神の一滴という。たしかにその気持ちがわかる酒があるのである。人は神(=自然の法則のこと)と素直につながっているときに心が落ち着く。酒は人と神をつなぐ美禄である。体調がいいときに呑む酒はね。
  三たび記す。庵主はいま花粉症の最中である。自然の法則と素直につながっている状態であるが酒の味が素直に感じ取れないのだから、自然の法則とつながっているときに心が落ち着くという前言は即、訂正である。酒呑みの思いつきの言であった。


★奈良の「往馬」の大吟醸を呑む★13/4/5
  奈良の酒、大吟醸「往馬」(いこま)を呑む。赤いラベルが気をそそる。
  こういうのもおこがましいが「合格である」。大吟醸の風格をそなえている。庵主を幸せに導いてくれる酒だった。
  この水準の酒は昔なら呑むことができなかったのである。造られてはいたのだろうが、市販されていなかった。居酒屋でもこれほどの酒を呑ませてくれるところはなかっただろう。中には蔵元との伝手があっていい酒を置いていた店があったかもしれないが。
 しかし今はちがう。大吟醸でも上(じょう)の酒を味わいながらも、もっとすごい酒が、次元の違う酒があることを庵主は知っている。酒は奥が深い。そして、庵主の齢(よわい)をもってしてはまだまだそのよさを理解することのできない酒があるのだろうと思うとさらに歳を重ねる意欲がわいてくる。  年寄りの文化は味わい深い。人間、早く死んだら損である。


★酒がうまい日★13/4/4
  バーボンウィスキー「レジェンド」の15年を飲む。うまい。甘い。しっかりと舌になじんでくる。その人なつこい味わいは庵主の好みである。この次元の酒はバーボンに限らず、どの種類の酒も深みが感じられて贅沢な気分をあじわうことができるので飲んでいてゆたかな気持ちにひたることができる。
 そのあとに飲んだ「スプリングバンク」の21年はうまかった。いやうますぎる。そのあじわいの飄々とした雰囲気は、大吟醸酒の味わいにも通じるところがある。スプリングバンク21年のさらりとしたキレのいい飲みこごちに庵主は酒が飲めることの幸せを感じていたのである。
  酒の飲めない人はこの感激を知らずに死んでいくのだから。
  もっとも、酒は好き好きですから、飲めない人は別に無理して飲まなくてもいいのですが。


★酒に関しては節操のない時代である★13/4/1
 いつでも、どこでも酒を呑むことができる時代である。ひょっとしてこれは少しおかしいのではないだろうか。
 空腹をいやす食い物ならともかく、それはきちがい水の酒なのである。
 酒は工場で簡単に作れるようになったからといって、酒を飲め、飲めと宣伝までして大量に販売していいものなのだろうかと思うことがある。でも世の中になくてはならないものだから酒造りは大切なお仕事です。
 酒は呑みたい人が置いてあるところに行って静かに呑めばいいのであって、宣伝で強制的に飲ませるものではないという節操はあってほしいと庵主は思うのだ。自動販売機を使って建前では禁止されているお子たちにもそれを売りまくれという監督官庁の無粋なさまを見るとがっかりしてしまう。そういう人たちがやっているお役所なのだろうか。
 しかも今どきは酒を呑むのにハレの日もケの日もあったものではない。いつでも、どこでも呑んでいいというけじめのない時代は、酒呑みにとってはかえって不幸なのではないかとも思うのである、酒を呑みながらこれを書いていてふとそう思ったのである。
 あっ、これ、4月1日の記事ですので。