「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成12年4月から6月までの日乗

★酒にたどりつくまで★12/6/28
 庵主が、その日、酒にたどりつくまでにはいくつかの関門をくぐりぬけなければならない。
 まず、めしを食うか、酒を呑むかの選択からはじまる。めしが食いたい。庵主はめしがないと気が養えないのである。今の漢字では「気」と書いているが、本来は「氣」と書くのである。メ(ペケ)ではない、米である。米を食ってはじめて気が養われるのである。
 きょうはめしを捨てて酒を呑もう、と決断しなければならない。
 そして、つぎには生ビールを飲むか、日本酒を呑むかに惑わなければならない。
 口当たりのいい生ビールが飲みたい。しかし、ビールを飲むとそれだけで庵主のアルコールの定量をオーバーしてしまう。その後に酒を呑むことはできない。
 そして、生ビールの誘惑をなんとか乗り越えて、やっと酒にたどり着くのである。そうやって酒にたどり着いたときに、まずい酒が出てきたらやりきれないではないか。
 だから庵主は、うまい酒を求めるのである。
 しかし、季節は生ビールがうまいシーズンに変わりつつあるのだ。


★居酒屋は酒の学校である★12/6/21
 映画の学校は映画館であるという。たくさんの映画をよく見ることが映画を学ぶてっとりばやい方法であるということだ。だとすると酒の学校は居酒屋ということになる。酒を知るもっともすぐれた方法は居酒屋に通っていろいろな酒を呑み比べてみることである。小さな違いがわかるようになるとその世界が面白くなる。酒も同じだ。知識が知識をよんでますます酒を味わうのが楽しくなる。
 庵主が通っている学校で「日本酒を楽しむ会」なる一泊の旅があった。蔵元さんをまじえて温泉場でいい酒を呑んで楽しもうという会である。40人ほどの参加者が二日間にわたってうまい酒を呑みつづける旅である。数十本の日本酒を、それも錚々たる銘酒を呑みつくすのである。
 庵主は最初から量の競争には出ない。多くの酒を少しずつ呑む作戦にでる。それでもすべての酒を呑むことができなかった。呑める人にはこたえられない旅である。中には夜を徹して呑みあかす人もいる。
 その学校の名前はあえて記さない。というのも店の場所を説明するのがややこしいところにあるからである。そんな店に、おいしい酒の匂いをかぎつけて酒徒は集まってくるのだ。


★その店は−−「酔鯨」のうまさに感服★12/6/14
 高知の「酔鯨」(すいげい)がうまい酒だということを知っているので、普段は呑まないのだけど、その店では心ひかれて特別純米酒「酔鯨」を呑んでみた。
 やっぱりうまかった。ほんとに能書きどおりにうまいのである。能書きとは「うちの酒は料理を引き立てる味をめざしています」という蔵元さんの宣言である。
 あらためて「酔鯨」のうまさを味わいながら、料理がおいしくなる酒とはこれをいうのかとその実力に感服してものである。
 純米酒なのに米くささはいささかもなく、料理の味を生かそうとしたときに、辛口の方がいいだろうということでキレのいい辛口なのだが、呑み手をつきはなすような「うまさ」までなくしてしまった辛口ではなく、実にいいところでキレをたもちながら、しかも酒の「うまい」がしっかり残っている。料理をひきたてながら、食をそそりながら、しかも酒を呑んだという満足感が残る酒なのである。
 その店の酒の揃えが粋だった。日本酒は純米大吟醸「大七」、手造り吟醸「高清水」、そして特別純米「酔鯨」の3銘柄を並べている。神保町にはこんな小粋な店がある。


★その店は−−「宮の雪」の大吟醸★12/6/9
 庵主の住まいする曙橋から舟町に向かったところにその店はある。変わった店名の串焼き屋である。  「宮の雪あります」と書かれた大きな看板がかかっているので、大吟醸から揃えてあるに違いないとふんで店にはいる。
 熱いおしぼりと一緒に大盛りの大根おろしが出てきたのが気に入った。おめあての大吟醸を注文する。
 色、よし。うっすらと山吹色の、酒の色である。匂い、よし。華美に走らない大吟醸の匂いがただよっている。酒のにおいはこれでいい。味は、こってりした味わいだった。まったりした味、というとその感じがわかってもらえるだろうか。
 酒なのに、ゼリーを舌にのせたようなまろやかな重みを感じられる。とろけたような感触は、いくつかある大吟醸の味わいの一つで、庵主はこの感触は好きだ。ただ米のにおいが残る。普段ならこのにおいが気になるのだが、大吟醸の味わいの中にうまくとけこんでけっして悪くはないのである。いい酒を呑ませてもらった。
 お新香を頼んだら、キュウリの漬物のうまいこと。串焼のうまいこととあわせて、またちょいと「宮の雪」を呑みにいくことになりそうだ。


★関矢健二の酒は謹直な武士をみるような味わいである★12/6/6
 関矢健二の酒工房は池袋の東武百貨店にある。年2回、売場で関矢氏のトークショーがおこなわれる。飄々として進められるその話が面白い。
 関矢氏はいつも最初にいう。まずい酒と口に合わない酒を混同しないでほしい、と。そこそこの原料で適当につくったまずい酒がある。一方、原料を吟味して丁寧に造られた酒を、ただ口に合わないからということでまずい酒だとするのは間違っているという。酒の志を見極めてほしいという。
 庵主はそのことに頷く。じつは庵主は関矢健二の酒を好まない。その味わいはまるで謹直な武士のイメージである。いったいに辛口の酒で、一定以上の気品をそなえてはじめてよしとされるそれらの酒は、キレのいい、酒が舌にまとわりつかない粋な味わいを旨としている。まさに酒呑みのための酒なのである。呑み手に媚びない品格が感じられるのが気持ちいい。最初から媚びていないから呑みあきしない酒である。
 しかし庵主の好みはそのような味わいにはない。庵主の好むところは一口呑んでうまい酒なのだ。量の呑める酒でなくてもいい。酒に求めるものが違うのである。


★バー「オーデン」のブラディーマリーは評判にたがわぬうまいカクテルだ★12/6/2
 うまい、と思う。
 フルーツを使ったカクテルづくりでは評判の高い恵比寿にあるバー「オーデン」のブラディーマリーである。トマトを使ったカクテルである。
 これがほんとうにうまい。トマトのかおりがいい。それはトマトとウオッカのミックスなのだけれど、トマトのジュースが燦然と輝き、ウオッカはもちろんトマトになじんで隠れて味をひきたてている。酒を感じさせないところが呑めない庵主にとってはうってつけの味わいなのである。
 それはまるで飲む宝石といえる至極のカクテルである。
 酒を飲めない庵主でさえうまいと思うカクテルがあるのだ。
 新宿三丁目のバー「ミュー」の田中さんがつくるマティーニも、そのかおりのよさに庵主はうっとりしてしまう。カクテルにうっとりした気分を味わうために庵主は飲めない酒を楽しみに行くことがある。
 酒は飲むだけでないって。暑い日が続いたので今日はカクテルを。


★「冬樹」の生酒が呑みたくなる。庵主の贔屓の酒である★12/5/31
 庵主は相変わらずいい酒を呑み続けている。いま日本酒についてちょっとした知識があれば杜氏入魂の大吟醸酒がいくらでも呑めるのだ、東京では。
 でも、突然「冬樹」の生酒が呑みたくなった。庵主が好む酒である。伊勢丹デパートで手にはいる。その酒売場では「冬樹」が出世していた。これまで一般の棚に並んでいたのが今は冷蔵庫の中に並んでいる。
 「冬樹」の生酒は、庵主がいちばんうまいと思う酒である。炭酸がきいている。じつに口あたりがいい。にごり酒の、軽い、というより薄い感じの口当たりとはちょっと違っていて、こってりしていて炭酸の酸味がじっくりとうまいのである。冷やして呑むと、酒の「うまい」がわかる。呑んでよかったと得心がいく酒である。うまい、というのはこういう味わいをいうのかということがわかる。
 ただ、口に含んでいて温度があがると、独特のクセのある香りが出てくる。この香りをよしとするか、気になるかが、「冬樹」を好きになるか、そうでないかの分水嶺だろう。クセのある味は気にいるとそれがやみつきになるのだが。


★新川屋酒店にて−−「水車物語」★12/5/21
 酒屋があるとちょっと酔ってみたくなる。いや、寄ってみたくなる。
 新川屋酒店は、庵主が住んでいる曙橋の、地下鉄の駅から歩いてすぐのところにある。ご主人がよく日本酒を呑んでいる人なので話が弾んだ。
 そして、なぜか、ここに「水車物語」(すいしゃものがたり)の純米吟醸があったのである。四合瓶で1550円。京都の吉村酒造の酒である。小さな蔵元で、以前にそのHPを見たら蔵元さんの熱意が伝わってくるのでいつか呑んでみようと気にかけていたのだが、まさか庵主の地元にあるとは思わなかった。
 冷蔵の中でさりげなく隣に並んでいた「川鶴」(かわつる)のあらばしり無濾過はつぎに呑むことにして、まず吉村酒造の心意気を呑ませてもらうことにした。
 色がいい。無色透明の日本酒が多い中でうっすらと山吹色がかっていて見るからにおいしそうである。口に含んでみる。こってりしている。酒のごくみがある。純米酒の一つの味わいをたたえている。千葉の「五人娘」(ごにんむすめ)の純米大吟醸もこんな感じだったことを思い出したものである。


★酒がうまい、酒を呑んでも酔わない夜★12/5/16
 ちょっと呑んだだけでも酔っぱらう夜がある。いい酒で、量はかなり呑んでいるのにちっとも悪酔いしない幸せな夜がある。今夜は幸せな夜だった。いくら呑んでも酔わないのである。いい酒を呑むとほんとうに心地よい。
 店は、四谷の荒木町にある「来会楽」(こあら)である。千葉の酒を集めていた。「岩の井」(いわのい)である。「東薫」(とうくん)である。「木戸泉」(きどいずみ)である。「稲花正宗」(いなはなまさむね)である。そして「腰古井」(こしごい)である。
 「腰古井」の大吟醸を呑む。香りが強くなく、味がしっかりしている。期待を裏切らない酒である。おなじく「ぎんから」。純米の精米歩合60%で、米くさい、ごくふつうの純米酒だった。わざわざ呑むこともない。ただし、勝浦でとれたかつをの刺身とは相性がいい。酒は料理とのバランスであると思う。
 「稲花正宗」の大吟醸は、庵主好み。こってりした味わいに甘味がのってて、香りもいい。呑んだという満足感が残る。大吟醸の味わいがたっぷり堪能できる美酒である。
 「木戸泉」の生。生酒のうまさで呑める。ただ、生はすぐあきるので。


★「玉の井」特別本醸造うすにごり生原酒★12/5/12
 「玉の井」(たまのい)である。特別本醸造である。精米歩合が60%で庵主の好むところである。うすにごりの生原酒とあるので、買うときにまだ味が若いかなという心配があった。しかし、アルコール度数が18〜19%と書かれているので味はしまっているはずだと読んだのである。
 以前、初めて呑んだ吟醸タイプの特別本醸造「玉の井」はうまかった。しっかり舌にのってくる味わいがうまいと思った。醗酵日数が34日となっていた。
 今度の特別本醸造「玉の井」は醗酵日数が25日である。やっぱり、うすにごりは味が若かった。しかし吟醸タイプの特別本醸造の味を知ってしまった庵主にはやはり物足りない。
 生酒で、しかもうすにごりというのは、庵主にはどうも満足できない酒となってしまったようである。その手の酒はどれも口当たりがよくて、どの酒を呑んでもみなん同じような味に思えるので面白くないのである。酒の個性が出る前のフレッシュな酒なので酒を呑み比べる楽しみがないと庵主は思うのである。きちんと管理された生酒もおいしいが、日本酒は火入れして味ののった酒にこそ味わう楽しみが大きいと思う。


★紫波の酒、純米酒★12/5/5
 紫波(しわ)の酒といえば、「月の輪」(つきのわ)のことである。岩手県紫波町の月の輪酒造店が醸している酒である。
 東京ではなかなかお目にかかれない酒である。その純米酒が大塚のスーパーよしやにあった。品質保持のための黒い紙に包まれた一升瓶が酒売場の冷蔵庫の中に並んでいた。ここの酒売場はいい酒が揃っているので「月の輪」もその線から選ばれたのに違いないと思って、庵主は普段は買うことのない一升瓶を求めたのである。
 「月の輪」は以前酒にくわしいS氏が教えてくれた酒である。庵主には初めて聞く酒だった。酒銘が心に残っていたので黒い包みの「月の輪」純米を見てなにかあると直感したのである。
 「月の輪」の純米酒を口にするのはこれが初めてである。呑んでみた。ごく普通の純米酒だった。この一升は庵主には多すぎる。
 庵主はそのときS氏に「月の輪というのはどんな酒ですか」と聞いたことを覚えている。「鄙(ひな)の酒ですよ」とS氏はいった。そうかこれから酒質にみがきがかかる有望な蔵元なんだなと期待がふくらんだ。その時S氏は、ただ「紫波(しわ)の酒」といっただけなのかもしれない。


★「武勇」雄町の二年熟成の本醸造には酒のうまさがある★12/5/1
 千葉の酒「武勇」を呑む。雄町で造った本醸造である。うまいのである。旨いとは書かない。庵主が好む甘口の酒の旨さではない。日本酒の味わいの一つとしてそれとは違ううまさをたたえた酒なのである。その味わいは酒を呑んでいるという満足感にみたされるうまさである。
 ラベルには2年熟成と書かれている。色はうっすらと黄色みがある。このごろの酒は活性炭で色を抜いてしまうせいか無色透明の酒がほとんどなので、山吹色の酒が出てくると本物の酒を呑んでいるという気がする。もっとも山吹色の酒には紹興酒みたいな味になりかかっている場合があるので、必ずしもいい色の酒がうまいとは限らないが、無色透明の日本酒が多い中にあってちょっと山吹色がかった色の酒にめぐりあうと、ついいとおしさを感じてしまうのだ。
 なうての酒「武勇」のうまさをこころゆくまで堪能することができた。


★「鼓傳」という酒があった★12/4/29
 「鼓傳」(こでん)という酒があった。兵庫の「小鼓」(こつづみ)が造っている酒である。
 庵主が初めてその酒を呑んだときの印象は強烈だった。ほどよく冷えて供されたその酒には呑み手にこびることのない主張と格調の高さが感じられた。舌にここちよい冷たい酒は口に含んでぬるんでくると、それまでの冷たさの中に隠れていた酒の味がふわっと口中に広がるのがわかった。酒の味の変化(へんげ)を味わったのである。すごい酒だと思った。こんな味わいを楽しめる酒があるのかと感動したものである。爾来、小鼓はよく見るが、しかし「鼓傳」にはめぐり会うことができなかった。その「鼓傳」を六本木の居酒屋で見つけたのである。
 「鼓傳」、固い。辛口の筋の通った酒だった。甘口好みの庵主には好きとはいえない味だった。辛口の酒を呑むと、庵主はその味がうすっぺらなものに感じられてならない。もちろんこれは好みの問題だから善し悪しを言っているのではない。酒をたくさん呑めない庵主としては甘い酒を少しだけ呑んで楽しみたいのである。ときめきたいのである。
 あの「鼓傳」は庵主の心の中にある伝説の酒である。


★普通酒について★12/4/28
 庵主はいまかなり酔っています。
 日本酒のほとんどは普通酒と呼ばれる品質の酒なのだそうだ。それが日本酒の標準的な品質なのだからあえて「普通酒」という表示がされることがない。
 通常の酒を「普通酒」というのだから、それ以外の品質の日本酒はいうならば「異常酒」ということになる。
 その「異常酒」の中に「大吟醸酒」とか「吟醸酒」がある。庵主が好んで呑むそれらの酒は、今日の日本酒の世界では「異常」な状況下にある酒なのである。「異常酒」は日本酒の総生産量のうちでせいぜい5%以下と聞く。それらの酒を呑むということはまさに贅沢をむさぼっている様といっていい。  そのことを指して食通と称して馬鹿にするか、特異な好みにのめりこんでいる変わり者とみてあきれかえるか、いずれかであろう、その世界は。
 ところで「純米酒」というのも「異常酒」なのだろうか。だとすると昔ながらの造り方をしている日本酒は「異常」な酒ということになるが、本来の造り方をした酒が「異常」とされている世界をマトモだと思いますか。


★滋賀の2横綱を呑む★12/4/27
「喜楽長」(きらくちょう)の純米大吟醸「天保正一 限定醸造 生酒」200本の内6本目を呑む。  香りの抑制がいい。香りが必要以上に高くなく、それでいて華がある。大吟醸の貫祿がひしひしと伝わってくる。ひかえめの中にずっしりとした実力とひけらかすことのない品位が感じられる。いうならば横綱の酒である。相撲の横綱にその実力と品位がなくなった今、横綱の称号は日本酒の世界にしっかり残っている。しっかりせい相撲界。
 「天保正一」、口に含むと味にスキがない。雑なところがない。こびるところがない。じつに淡々とした酒である。粕歩合61%とある。あれ、普通の酒の粕歩合ってどれぐらいだったっけ。要するに贅沢な酒である。
 酒の切れがいい。呑み込んだときに、酒にはアルコールが残らずさらっとながれていくのである。こんなに跡のきれいな酒は初めてである。
 「松の司」(まつのつかさ)の「大吟醸しずく斗瓶囲」50本限定を呑む。
 アルコール分16.8度とある。こってりと味がのっているのでうまい。深みのある香りがのどにここちよい。杜氏(瀬戸清三郎)入魂の酒である。これも横綱の酒である。


★桜の季節の酒売場★12/4/16
 この季節、銀座の松屋デパートの酒売場では桜の名前がつく日本酒を集めてにぎやかである。
 「出羽桜」の大吟醸と「桜花」にはじまって、カラフルな桜模様の箱にはいった「花の舞」の吟醸、「御代桜」の大吟醸、「桜顔」の大吟醸、「浦霞」の花ラベルが並んでいる。それになぜか「酔鯨」の花ラベルもある。これは意外、「酔鯨」もやるじゃないか。いま酒売場は花満開である。加えて「梅の宿」は梅ならぬ季節限定醸造の「華うたげ」で競っている。酒で季節を知るというのも乙なものである。
 こうやって桜の酒をずらっと並べられると花の下で一献きこしめしたくなる。
 桜の花にさそわれるようになったということは、庵主もそれなりに歳をとったということなのだろう。
 本人はまだ若いと思いながらも、年々歳々、日々確実に齢(よわい)を重ねているのである。
」のうまさに庵主はうなる。