「むの字屋」の土蔵の中にいます
 
平成12年1月から3月までの日乗

★「黄桜」の「ピュア」はいうならば日本酒 甲類だ★12/3/30
 「黄桜」(きざくら)の純米酒「pure」(ピュア)は300ミリリットル入のシンプルなデザインのビンに入っている今風のおしゃれな感覚の日本酒である。
 純米酒の「くどみ」はもちろんなく、たよりない味だけれど、すっきりしていていやみがないのが取り柄だ。
 きのう呑んだ鳥取の「鷹勇」(たかいさみ)は、その居酒屋の酒名リストには「純米+8 山田錦・玉栄50%」と書かれているだけだが、この酒は鏡を磨いたようにきれいな酒だった。庵主が好む酒の甘みはまったく感じられない。辛口仕上げである。それなのに味わいがあるのだ。キレがいい。辛口の酒のあじけなさを舌に残す前に、酒が喉元を通りすぎていく。酒から、庵主がうまいと感じている甘みの部分を取り去って、麹の香りもきれいに切って、よく醸されたアルコールの甘味をほのかに残して酒の味わいを過不足なく堪能させてくれる酒である。
 焼酎の甲類、乙類でいうならば、「ピュア」は日本酒甲類といったところである。一方「鷹勇」純米+8はもちろん日本酒乙類である。手のかけ方からして「鷹勇」のうまさに庵主はうなる。


★「冬樹」の生酒が出ました。やっぱりうまいわ★12/3/26
 庵主が一番うまいと思っている酒が秋田の「福乃友」が醸している無濾過・無調整・純米酒「冬樹」の生酒である。
 今年の「冬樹」の生酒がやっと伊勢丹デパートの酒売場に並んだ。ためらわず買う。四合瓶で1553円である。悪税(晩聲社がその刊行本の奥付で消費税をそう呼んでいる)がかかるので買値は1630円となる。
 消費税77円は、年収1千万円の人にとってはわずか0.00077%の負担でしかないが、年収500万円の人には同じ77円が、なんと0.00154%に跳ね上がる。収入に占める負担は2倍となる。貧乏人のほうがずっと担税率の高い税金って許せますか。
 年収500万円の人が77円の税金を負担するのなら、年収1千万円の人は2倍の154円負担してもらってもいいのではないか。所得に課税するのではなく、購入品に課税するものだから逆累進課税になるのだ。やっぱり消費税はろくでもない悪税だと納得してしまう。納得してしまいませんか?
 さて、「冬樹」生酒は酒造米ではなく、地元でとれる飯米「キヨニシキ」で造られた酒である。今年は少しきれいな味になって登場した。委細は別項にて。


★曙橋に過ぎたる店が三つある★12/3/22
 久しぶりに飲んだ生ビールのうまいこと。「和平飯店」の生ビールである。
 曙橋(あけぼのばし)に庵主がうまいと思う店が3店ある。
 一つは、蕎麦の「やぶ音」(やぶおと)。ここのもり蕎麦はうまい。美味すぎる。蕎麦がこんなにうまいとはそれまで庵主は知らなかった。いまや蕎麦の多くは中国産と聞く中で、北海道は新十津川でとれる契約栽培の蕎麦を使っているという。それにたれが抜群にうまいと庵主の舌は思う。さらにざるに盛った時の蕎麦のさばきがいいのだ。箸でひとつまみできるようにさばいて盛ってくれるので、つまんだ蕎麦を高々と持ち上げることはないから実にたべやすいのである。
 いちど酒を呑みながら蕎麦をやってみたいと思っているが、品書きに書かれている酒銘を見るとなんとなく熱燗がワンカップで出てきそうな気配がしていまだためらっている。ぞんがいその酒との組み合わせがうまいかもしれないが。
 生ビールのうまい店。駅の隣にある四川料理の「和平飯店」。そして駅から遠いが、中華料理の「曙一番」。この2店は庵主好みの生ビールを作ってくれる。炭酸の塩梅がいいのだと思う。いつ飲んでもうまい。


★桃色にごり酒★12/3/21
 山形の「東光」が特許の醸造法で造った「桃色にごり酒」である。純米酒にして桃色をしたにごり酒である。うまいか、いや話のタネになる酒である。ごく普通のにごり酒である。色が桃色なので目で楽しめる。
 新潟の酒に「あかい酒」というのがあった。それは紅麹(べにこうじ)を使って造った酒だった。透明な赤ワインのような色が出ていた。うまかったか、いや趣向を楽しむ酒だった。
 この「桃色にごり酒」の桃色は、酵母で出した色であるという。たしかに桃色である。
 能書きを読む。最新のバイオテクノロジーの研究から生まれた特許の桃色酵母を用いた造った、酵母自体の発色による清酒で、世界で初めて製品化されたものである、という。 特許番号第1251170号、発明名称アデニン要求性酵母による清酒醸造法。この成果を呑まずにいられるか。300ミリリットル詰め580円(税抜)である。
 色がきれいなので、桃の節句の添え物として白酒ならぬ、この上品な色合いの桃色の酒をお嬢様の健やかな成長を育むおめでたいお酒としておすすめしましょうか。年に一度の季節の酒になりそうである。


★「神亀」が山田錦の80%磨きで酒を造ったと聞く★12/3/20
 秋田にいる酒人(さかびと)、秋元浩氏が雑誌「ECO21」に書いていたものを読んだ。
 酒人とは庵主の造語である。酒を造る人、酒を売る人、酒を呑む人、酒を語る人、酒に関わっている人のことをそう呼びたい。
 吟醸(=精米歩合60%以下の米で造った日本酒をいう。精米歩合60%とは40%をヌカにして削りおとすこと)、大吟醸(=精米歩合50%以下の酒のこと)と、酒米をそんなに磨いて酒を造るのは米が勿体ないのではないかと考える蔵元が出てきたという動きが書かれている。
 山形の「出羽鶴」(でわつる)が地元の酒造米「美山錦」(みやまにしき)を70%に精米して、造りは大吟醸なみの心づかいの日本酒「旅人」を造ったという。
 そして埼玉の「神亀」(しんかめ)が四国産の山田錦をいい米だからといって80%しか磨かずに造った酒「仙亀」を出したという。
 庵主は磨き60%でうまい酒ができるはずだと思っているが、そんなに磨かなくてもうまい酒を造るという蔵元の心意気がうれしい。米は大切にしくなちゃ。もっとも、うまいかどうかの評価は呑んでみてからのことであるが。


★「杉錦」純米吟醸、米は玉栄、磨き50%で品がいい★12/3/18
 気にかかる酒があった。静岡の「杉錦」(すぎにしき)である。
 静岡の酒は庵主のお勧めである。いつもワクワクさせてくれる。さて「杉錦」はこれまた庵主の好きな酒造米「玉栄」を使って造られた酒である。期待がふくらむ。
 呑んでみる。うわぁー、やわらかい。舌にのせるとまるでシルクをのせたような実に品のいい味わいなのである。もちろん純米酒特有のあの「くどみ」などはさらさらない。庵主は「岩の井」が造る玉栄の味(ちょっとおきゃんな味が可愛い)を期待していたものだから、そのやわらかい味わいにすっかり肩すかしをくってしまった。
 玉栄(たまさかえ)は気になる酒米で、庵主はその味わいを追いかけているのだが、そのときどきでいろいろな味を見せてくれるものだから、これが玉栄だという確信がもてないでいる。いわば、米の追っかけで、これが面白い。
 「琵琶の長寿」とか「満寿泉」が玉栄で吟醸酒を造っている。「喜楽長」もつかっているはずだ。玉栄では「岩の井」の味の出し方を庵主は好んでいる。
 ともあれ、「杉錦」、酒の芸を見せてくれるから楽しめる。静岡の酒はいいぞ。


★めしより酒が呑みたい夜★12/3/13
 庵主はめしを好む。ごはん大好き人間である。めしを食わないと食事をした気がしない。酒はめしの後のいわばデザートである。ないとさびしい。
 今夜はめしを食いたいと思わなかった。酒で腹をふさごうという思いがわいた。
 酒は「葵天下」(あおいてんか)の吟醸である。さすがに静岡の酒、期待を裏切らない。庵主はどういうわけか静岡の酒と相性がいい。その店でも酒リストの中にある静岡の酒がすうっと目にはいってきたのである。
 庵主の酒量は五勺。一杯の酒、あるいは一本の燗徳利でその夜はしあわせ色にかわるのである。きのうは、ついもう一杯と思ったのが悲劇のはじまりであった。
 一合はいらない。その酒を小さいグラスでちょっとだけ呑みたかったのだ。注文をつけずにその酒を頼んだものだから、店の方はサービスのつもりで一合におまけの量で酒を持ってきた。残すのは勿体ないと思って一生懸命になって呑んだ。呑んでも呑んでも減らないのである。酒が呑める人にとってはうらやましい状態であるが、庵主には地獄の苦しみであった。
 呑みすぎた。その夜、庵主は激しい肩凝りに襲われながら酒に苛まされたのである。


★「山古志」はすごい酒である★12/3/4
 庵主は能書きが大好きである。酒を呑むのにその能書きを信じて呑む。信じて呑むから一段とうまい。
 新潟のお福酒造が醸した純米吟醸「山古志」(やまこし)は能書きに力がこもっている。米は新潟県古志郡山古志村で契約栽培した有機米の一本〆(栽培者山古志村農協佐々木道夫)を100%使用。米の乾燥は天日干しである。酒は純米吟醸。精米歩合55%。無濾過、無加水。アルコール分は17度〜18度と少し高めで味がしまっている。日本酒度+5。水は軟水である。
 ていねいに造られた酒であることがわかる。いい仕事をしている、というのは職人に対する尊敬の言葉である。買い手にとっては手抜きがないのがうれしいのである。
 「山古志」には酒品が感じられる。上品な商品は手にすると気持ちがいい。まるでそれを手にしている自分まで上品になったような快さがいい。
 そして、そのようなすごい酒がうまいのかというと、すごいと思いつつ、庵主はやっぱりそのあとに「冬樹」を呑んでしまう。その酒品に敬意を表しながらも、庵主の口にあう酒は「冬樹」生酒であり、山廃「昭平庵」であり、「花の舞」の純米なのである。


★「磯自慢」の本醸造をぬる燗で呑む★12/3/3
 本屋に寄ったら日本酒のカタログ本の新刊が出ていた。それを手にしたら急に酒がのみたくなってしまった。困ったものである。
 そのとき、なぜか突然静岡の「磯自慢」(いそじまん)が浮かんできた。
 庵主は、もう「磯自慢」が呑める店にすわっていた。懐ぐあいは外の寒風に似ているゆえ、ためらわず一番安い酒を選ぶ。といっても「磯自慢」だから、はっきりいってお葬式の会葬御礼でもらってくる葬儀用日本酒とは次元がちがう味わいであることはいうまでもない。
 本醸造1合410円である。ぬる燗にしてもらった。庵主が燗酒を頼むのはめずらしい。このぬる燗が正しかったことがすぐわかる。
 口の中に甘いコクがひろがる。これだ、この味が燗酒の妙味である。燗酒にしてはじめてわかる日本酒が秘めている米の精のゆたかな味わいである。冷やしてのんではこの味を知ることはない。
 「越乃梅里」(こしのばいり)の「燗あがりの酒」を呑んだとき以来のうまい燗酒を満喫した。


★その店は−−喜楽長の大吟醸「天保正一」★12/2/27
 漬物で店の格がわかる。この店の漬物はうまい。素材がよく吟味されている。漬物だけで酒を呑んで出てきたこともあった。おでんの味付けも薄味で上品である。
 庵主の酒量を知っていて、いつも一番小さいグラスで、ときには小振りのぐい呑みで酒が出てくる。そしてコップにたっぷりの水を添えて出してくれるのがありがたい。追い水を飲みながら庵主は安心してつい呑みすぎてしまう。
 その店で酒を呑むと、いつも庵主はの酒量を越える酒を呑んでしまう。それでいて酔いに襲われることなく気持ちよく夜の六本木をあとにするである。酒は心で呑むものだということがよくわかる。
 ここでも庵主は酒の注文を出さない。いい酒がいい管理のもとで出てくる。ときには「黒吟」(くろぎん。「菊姫」の高い酒である)が振る舞われることがある。在庫一掃なのかもしれない。日本酒は早いとこ売り切らないと味が落ちるものだから。もちろん庵主のためにわざわざ口を切った酒が出てくるときもある。これは一段とうまい。
 「喜楽長」の大吟醸「天保正一」を呑んだのがこの店である。


★「酒碗」にて★12/2/23
 街を歩いていると、酒徒をいざなうこの世で「一番甘美な文字」が目にはいってくる。「酒処」である。あるは「酒苑」とし、また「酒房」として人をひきつける。「居酒屋」と看板を掲げる店がある。「酒舗」とする店もある。「酒司」もある。
 ある夕、とある小路で「酒碗」とする看板が目についた。店の格式の高さを感じさせる小さな看板である。どんな感じの店なのだろうかと気になって店の入り口の前まで行ってみた。障子の戸である。さりげない店のたたずまいに敷居の高さを感じる。
 酒呑みのベテランがひいきにしていて常連でやっている店のようでもある。庵主のようなどこの馬の骨かわからない客がはいる店ではないような雰囲気が入り口にはただよっている。しかしそれがかえって気になるのである。美酒を揃えた主人が一徹にやっている店かもしれないとも思う。その日は、そのたたずまいに気後れして「酒碗」にはいることなく店の前を後にした。
 そしてまた別の夜。訪れた「酒碗」は相変わらず一見の客を寄せつけない雰囲気に変わりはない。緊張感がみなぎる。しかし庵主は意を決してその「酒碗」の障子張りの入り口の戸を引いたのである。


★「貴娘」の生、「丸真正宗」の生★12/2/19
 庵主、今年になって突然温泉に凝り始める。元旦から近場の温泉を訪ねて露天風呂に遊ぶ。群馬の四万温泉に行ったときに「貴娘」(きむすめ)の生酒をみつけた。なつかしい。生酒のさわやかさが楽しめる酒だった。
 庵主が「貴娘」を知っているにはわけがある。「貴娘」の蔵元のご子息が身近にいたことがあって、そのときに「貴娘」なる銘柄を知ったのである。「キムスメ」ときいて、「生娘」を思い浮かべ、過激な酒銘だなと思ってよくきいたら「貴娘」だったのでよく覚えているのである。ま、「月桂冠」もあることだし、使われている漢字がめでたければそれもよしといったところか。
 当時は庵主は酒を呑み始めたころでご子息との親交をもたなかったのは今思えばもったいないことであったとつくづく思う。
 「貴娘」の生を呑んだあとで「丸真正宗」の本醸造の生酒を呑んでみると「丸真正宗」の生の酒品のよさがはっきりわかる。「貴娘」の生はストレートな味わい、「丸真正宗」の生はたおやかな味わいと、酒は呑み比べるといっそうおもしろい。


★つれない酒場★12/2/13
 商売気のない酒場で呑んだことがある。あれもまたわびしいものである。
 つれない店「E」は、注文した御酒をもってきて、一緒にお通しをもってきたあといっこうに料理の注文を取りにくる気配がない。好きに呑んでいってくれといった感じで、はなから注文を取ろうとする意欲が感じられない不思議な店だった。なんとなくつれなくされた思いで味気なく酒を呑んできたものである。もっとも勘定が呑みたかった酒の代金だけですむのだから財布にやさしい店だった。
 つれない店「K」は繁盛店である。客が多い。同じくお通しをもってきて、酒の注文を取りにきたあとすみやかに酒がでてきたのはいいのだが、これまた料理の注文をとりに来てくれないのである。店員が客の気持ちを見ていないのだ。店員に声をかけようとしてもそのスキを与えないようにキビキビと働いている。繁盛店である。
 ここの店も酒代だけの勘定で店を出た。1102円であった。「E」店は1000円でお釣りがきたのだからうれしくなってしまった。
 酒場で酒を呑むのは、ただ、酒を飲みに行っているわけではないのだけれど、ね。


★「鶴の友」はうまいか★12/2/10
 東京で「鶴の友」(つるのとも)を揃えているのはこの酒場だけだろう。幡ヶ谷にある「たまははき」である。
 「酒を呑み残すと杜氏さんに失礼ですから、自分の呑める量でご注文ください」と書いてある。庵主はうれしくなった。というのも生ビールを頼むとジョッキで出すというのが世の中の常となっているが、庵主はコップ一杯でいいのだがそれを言いだすことができないからである。呑める量で出すのが居酒屋の本当のサービスというものだろう。
 庵主は5勺でよかったのだが、うれしくなってつい一合で頼んでしまったのである。
 「鶴の友」、新潟の酒としてはめずらしく豪気な味の酒である。一口呑んで重いと思った。呑んだ、というあじわいのある酒である。ただしこの味は庵主の好みではない。ずっしりと舌にのってくる味はまさに辛口の酒である。まろやかな甘味が感じられない(=ドライな)ところが庵主の好みと合わないのである。庵主にはそれが薄っぺらな味と感じてしまうのである。しかし「くどみ」はないので日本酒の一つの味わいとして楽しめる酒である。この酒はハマるとやみつきになりそうな酒である。


★それは贅沢の極みである★12/2/4
 酒の話ではない。酒粕の話である。「菊姫」(きくひめ)の大吟醸の酒粕が手にはいった。シマヤに売っていた。3キログラムぐらいの量で税込1050円である。
 50%まで磨いた大吟醸酒の酒粕ということで、粕歩合が高い酒なのでたっぷりとアルコールを含んでいる。
 庵主は板粕をといて ざらめ をいれてつくる甘酒が小さいときから好きだった。よく母につくってもらったものだ。妹につくってもらうと生姜をすってほんのりと香りをつけてくれる。  庵主は酒粕というのは板粕のようにきっちりアルコールをしぼりきったものだと長い間思いこんでいたものである。
 「菊姫」の大吟醸の酒粕はそれとは違ってやわやわな酒粕である。色もいい。いかにもおいしそうなはだ色をしている。
 スプーンですくってたべてみる。うまい。そのままでも甘酒みたいに甘いのだ。砂糖はいらない。口にふくむとアイスクリームのようにとけていく食感がいい。
 贅沢の極み、という思いでその至福の味わいを楽しんでいる。


★酒は水よりやわらかい★12/2/3
 「水のようにさらりと呑める酒」というほめ言葉がある。酒はそういうのがいいという一つの好みの主張である。
 庵主は水のような日本酒を好まない。淡麗辛口の、キレはいいけれど重みのない酒はどちらかというと庵主の好みではない。口に含んだときにふっくらした重みをもっている酒がうまいと思う。生酒の「冬樹」とか、「昭平庵」の山廃、それに「花の舞」の純米酒などがうまいと思っている酒である。ぽっちゃりした味の日本酒、まったり(←どんな味わいだかよくわからない)した味わいの日本酒である。  ところで、水の飲み口は存外重いのである。水道の水を飲むとけっこう喉につかえるのがわかる。喉が水をいやがっているのがわかる。酒はそんなことはない。さらりと喉元にはいっていく。まずい酒はそうはいかないので、やっぱりいい酒はの話だか。
 そのいい酒として松山の酒「栄光」(えいこう)の大吟醸をあげたい。この酒はまさに水のようにさらりと喉元をすぎていくここちよい酒である。けっして「うまい」酒ではないのだが、呑みここちがいいのでつい気づいたときには瓶があいていたのである。


★日本酒は空気にふれると味が徐々に落ちていきます★12/2/2
 さて、先だって買ってきた「昭平庵」の山廃純米しぼりたては、製造年月日が「10.02」となっていました。ということは、2年間シマヤの冷蔵庫の中で眠っていたことになります。普通なら、そのような古い酒を避けるのですが、保管がある程度しっかりしていれば、もしや、ということがあります。
 長く置いたためにかえって味がよくなっていることがあるのです。この「昭平庵」は2年間の歳月をへても味の崩れがありませんでした。味の崩れというのは、味わいがなくなって印象の薄いどうでもいい酒になることや、紹興酒のようなにおいになっていくことをいいます。「昭平庵」は2年間の長い眠りで酒の味がまろやかになって、「うまさ」に深みが出ているのです。
 しかし、封を切って、一晩で呑みきれなくて翌日まで残しておいたら、やっぱり味が落ちていました。空気に触れたせいです。最初の一口があまりにもうまかったので、翌日も胸をワクワクさせながら口にしたのですが、いい酒だけにその味の違いに気がついたのです。いい酒はみんなで呑んですぐ空けてしまうのが一番うまい呑み方のようです。


★玉栄、磨き60%、「昭平庵」、岩の井の★12/2/1
 千葉駅からモノレールでみつわ台の駅で降りると、駅から3分ぐらいのところに酒の「シマヤ」がある。一見、コンビニ風の店舗であるが、実はここが日本酒マニアにとっては宝島なのである。店にはいると蔵元の匂いがするのでこの店がただの酒屋でないことがわかる。酒粕のにおいがしみついているのである。そういう店にはいい日本酒があることを庵主は経験的に知っている。
 宝の山の中に岩の井の「昭平庵」があった。大吟醸もあったが、これは高くて買えない。本醸造があった。でも山廃純米原酒を買う。四合瓶で1750円(税込)。
 米は玉栄である。庵主は滋賀の「喜楽長」に行ったときに覚えてきた酒米である。以来、玉栄で造った酒をみると試してみるのが楽しみになった。
 「昭平庵」、磨き(精米歩合)は60%である。これもいい。60%も磨けば十分うまい酒ができるのである。しぼりたての「昭平庵」は期待にたがわずうまかった。庵主の好みの酒、その二である。一はもちろん「冬樹」である。


★丸真正宗の初しぼりを呑む★12/1/10
  「丸真正宗」(まるしんまさむね)は都内二十三区にある唯一の蔵元小山酒造が造る酒。「吟醸しぼりたて」生酒を呑みました。平成11年11月にしぼった酒です。
 しぼりたての酒は口当たりがいいのでおいしいのですが、すぐ呑みあきてしまうので庵主はふだんはラベルを見るだけにしている酒です。それとしぼたての酒は赤ん坊みたいにどれもフレッシュで同じような味がするので呑んでもおもしろくないというのが庵主の感想です。
 でも、ここはお正月ということで「江戸の地酒」丸真正宗の新酒を呑んでみました。お正月に飛行機で北海道から帰ってきたら、待合室にある売店で「丸真正宗」が全銘柄を揃えて試飲販売をやっていたものですから、つい味見をさせてもらったところやっぱりお正月は酒がうまいのですね、それに販売の斎藤さんがすすめ上手で、すっかりごちそうになってしまいました。庵主の好みは吟醸の初しぼりの生ということで、四合瓶を一本いただいてきました。麹の香りが上品なのが気に入りました。しぼりたての華やかさがあってお正月らしい酒です。


★美女が造った酒を呑みたい★12/1/3
 この記事をお正月にお読みになった人は幸せ者です。いまなら間に合います。
 いま発売されている「週刊朝日」(12/31〜1/7合併号)のカラーグラビアに「全国津々浦々、美酒・美女探訪 私たち、日本酒をつくってます」というお正月らしい華やかな特集が載っています。美女が造っている日本酒を紹介するという特集です。造っている美女の写真が載っているのでお酒がいっそう楽しく呑めることうけあいです。さっそく本屋さんにとんでいってごらんください。
 紹介されているのは、京都の「丹山」(たんざん)の長谷川万里子さんと渚さんの姉妹。新潟の「王紋」(おうもん)の市島圀子さん。岩手の「月の輪」(つきのわ)の横沢裕子さん。福島の「会津中将」(あいずちゅうじょう)の林ゆりさん。そして東京の「土屋酒造」の土屋桜子さんです。  庵主が呑んだことのあるのは「王紋」だけでした。ほかの酒にも早くめぐりあいたいものだと思います。
 ちなみに庵主は横沢裕子さんのファンです。おいしい酒を造ってくれることを祈っています。 


★新年は初詣でおいしい振る舞い酒をいただく−−「金陵」★12/1/2
 新しい年を迎えました。庵主は、年賀状にいつも「今年もいい年でありますように」と書き添えています。こうして新しい年を迎えることができたということだけで、庵主は過ぎた一年間は恵まれていた年だったのだと思うのです。
 叶わぬことがあったかもしれません。傷つくことが多かったかもしれません。無事とはいえない一年であったかもしれませんが、でもそんなことは生きているという幸せに比べたならささいなことなのだと思います。もっとも、落ち込んでいる人にはこんなことをいっても納得してはもらえないと思いますが。
 庵主は新年もまたおいしい酒にめぐりあえることができるのだと思うとこうして生きていることだけでもありがたいことだと思います。
 庵主の初詣は地元の市谷亀岡八幡宮です。茅の輪をくぐって、参拝したあと、おみくじ(100円)をひいてから振る舞い酒をいただきます。おいしい甘酒をいただいてから、「金陵」(きんりょう)の樽酒をいただきました。
 お正月のすがすがしい境内で呑む酒のうまいこと、庵主の好まない杉の木樽のにおいもかえっておもしろく思えました。