今「むの字屋」の土蔵の中にいます
庵主が嫌いなもの〈居酒屋篇〉



★呑み屋でなにが嫌いかといって★15/8/21
 呑みに行く。
 居酒屋である。しゃれて酒亭と言ってもいい。
 で、呑み屋で気に触ったことを書く。
 まず気に食わないものといったら、天板(てんばん)の下に棚が付いているテーブルである。
 カウンターの下についている棚板も同様である。
 客の持ち物を置いておくのに便利だからという理由で付いているのだろう。その棚板のついている位置が問題なのである。うっかり座ってひざ頭をぶつけたことが何度もある。その痛いこと。
 民芸風の居酒屋で分厚い木の板で作られているがっしりした卓などがとくによくない。しこたまひざ頭をぶつけたときの痛みはこの上ない。
 客を虐待する棚板なのである。
 さあ呑むぞと盛り上がっていた気分が、その痛みを堪えているうちに消沈していくのである。
 あの棚板だけは許せない。
 主人に告げる。一度その卓に座ってひざ頭をぶつけてみよと。



★座りの悪い椅子を嫌う★15/9/5
 自動車の広告用語に「走り」ということばがある。庵主にはその言葉がどうにもなじめない。走行性とか走行感としないと座りが悪いように感じるのである。
 でも、英語ならRUN(動詞)にINGをつけてランニング(名詞)で、ランニングという言葉なら全然抵抗がないのだから、ランニングをそのまま日本語にすると走りとなるから何ら問題ないではないかともいえないことはないのだが、庵主の日本語では走りという言葉はやっぱり座りが悪い言葉なのである。「気づき」とか「癒し」ということばを聞くとなんとなくぞっとするのである。そういえば、「うれしいです」とか「おいしいです」という文章も座りが悪い。
 さて問題は、座りの悪い椅子である。
 座っているうちにお尻の位置が少しずつ前の方にずれてしまう不愉快な椅子のことである。
 一つには、座面の生地が滑りやすいビニールみたいな素材を使っている場合である。まちがってお酒をこぼしてもきれいに拭き取れるような素材を使った椅子である。生地の選び方が、お客の座り心地のよさにではなく、お店の後片付けの便利さの方に向いているというとんでもない勘違いをしている椅子である。
 落ち着いて座っていられないという言葉どおりに、座っていて落ち着かない椅子なのである。
 もう一つは、座敷の席によくある曲げ板の座椅子である。この椅子が置いてあるのを見ただけで庵主は怒りがこみあげてくる。この店は客に長居をするなと喧嘩をふっかけているなと取るのである。
 たしかに座面には高級そうな座布団が置かれているのだが、この座布団がいい生地を使ってあればあるほどよく滑るのである。うっかり背もたれに寄り掛かろうものなら座布団がすうーっと前の方に滑っていってしまう。座布団の上に乗っかっているお尻も座布団と一緒に前の方に運ばれて、電車の中で足を伸ばしてつっぱっているような見苦しい姿勢になる。その都度何度も姿勢を正さなければならない。煩わしいことこの上ない椅子である。
 そんなおちおち酒を呑んでいられないような腰の落ち着かない椅子なんか置くんじゃないと庵主は怒るのである。
 座椅子を置くのなら、座面からお尻がずれないようなしっかりしたものを選んでほしい。
 もっともこのことは、椅子としての用をなさない曲げ板の椅子なるものを平気で作っているふざけた椅子屋の方に向いて言わなければならないのかもしれない。お店は、一見しゃれてみえるその形にすっかりだまされているのである。
 でも、一度それに座ってお酒を呑んでみれば、そんな椅子みたいなものがろくでもないものだということがわかりそうなものだけれど、その確認さえしていないお店であるということである。
 平気でまずい酒を置いているお店というのも、自分ではその酒を呑んだことがないのだろう。呑めばまずくてとてもお客には出せないとわかるからである。
 庵主は、お店にはいって酒祭りを見たときに呑める酒がないときにはビールを飲む。とりあえずビールではなく、しかたなくビールである。
 気に食わない椅子では、それもできないのである。



★ああ、時間がわからない★15/9/11
 居酒屋で目障りなものと言えば時計である。
 芝居の劇場で前面の壁に時計をかけてあるところがあるが、芝居を見ていて時間がわかるほど興ざめなことはない。
 呑み屋もまた同様である。せっかくお酒を楽しんでいるのに、目につくところに時計があったのでは酔いがさめてしまうというものである。
 が、しかし、時間をさりげなく知りたいのである。終電車が待っているからである。露骨に腕時計を見ることは一人で酒を呑んでいてもやりたくない。もう酒を呑むのをやめて帰れというような、酔いを断ち切るような無粋な仕草をしたくないからである。
 だから、店内にふと目がいったときに時間がわかるような時計がほしいのである。かといって丸い文字盤の時計ではいかにもという感じでいけない。一見時計には見えないが現在時刻がわかるものがなにげないところにあると助かるのである。
 庵主は腕時計をしていないから、店内に時計がないお店では右隣りに座ったサラリーマンの腕時計をちらっと見て時間を知るのである。
 線香でもともして、燃え具合で時間がわかるようにでもしておくか。
 かといって線香くさいお店で酒を呑むのもなあ。



★袋に包まれたまま渡されるおしぼり★15/12/2
 最近飛行機に乗ったら、かつてあったおしぼりのサービスがなくなっていた。経費節約なのだろう。経費節約でやめるのなら、小一時間ぐらいの間にせわしなく行なわれる煩わしい飲み物のサービスや、せっかく落語を聞いている時にがなりちらす機長のどうでもいいアナウンスをやめてほしいものである。
 機長のアナウンスなんか、墜落三十分前ぐらいに「墜落しないよう全力を尽くしますが、念のためただいまから遺書を書く用紙をお配りします」という時だけでいいのである。
 さて、そのおしぼりは、飛行機ではなくてもいいものであるが、居酒屋では不可欠である。そのおしぼりはまず小さいものであってはいけない。四つに折ったときに、長辺が、手を開いたときの親指と中指の長さよりも少し長いサイズでなくてはならない。
 よく小さいサイズのおしぼりが出てくるが、それではみじめを感じるだけである。中途半端なのがいけない。酒を呑む意欲がそがれるのである。その手のおしぼりならないほうがましだ。
 使い捨ての紙おしぼりというのもあるが、あれを見ると庵主には袋を切るのもためらわれる。お手々の消毒じゃありまいし。
 それに冷たいおしぼりは庵主の好むところではない。
 ではタオル地の大きさたっぷりのあたたかいおしぼりならいいのかというとそうはいかないのである。
 よく、おしぼりがプラスチックのフィルムに包まれたまま出てくることがある。その袋が邪魔なのである。破いて開けたその袋がすぐゴミになる。そのゴミを捨てるところがないのである。
 おしぼりを包んでいるラップフィルムは、保護用梱包材なのではないか。映画の表方と裏方でいえば、裏方なのではないか。客前に出してはいけない物なのではないか。
 おしぼりは、包んだままではなく、あたたかいおしぼりだけを渡してくれればいいのである。ラップフィルムは客に手渡す前にお店の方で破って捨ててくれなくては客が困る。
 それより、なにより、困るのは、おしぼりに香りがついていることである。あれが一番困るのである。その香りが手に移ってしまい、酒を呑むときに酒の香りがそのニオイにかき消されてしまうからである。
 庵主はおしぼりでお店の器量を計るのである。



★コートを掛けるところがない★16/1/21
 冬場の居酒屋で困るのはコートを掛けるところが用意されていないお店である。
 庵主の着ているコートは最高級品である。一点豪華主義である。だから脱いだコートを折り畳んで置くわけにはいかない。皺がよってしまうからである。きちんとハンガーに掛けたい。ハンガーはちゃんと厚みのあるしっかりしたものを用意しろとはいわない。コートを広げて掛けられるものならよしとしよう。もっともクリーニング店から返ってくるときの針金のハンガーは論外である。
 そのハンガーがないお店だと本当に困るのである。雨が降っているのに傘立ての用意がない店と同じではないか。
 コートを着たときに入るお店は、まずその一点をチェックしてからでないでうかつには入れないのである。
 銀座の酒亭「G」はその点、冬になったら行ってみたくなるお店である。しっかりしたハンガーが用意されているのと、ハンガーをかけるコーナーがゆったりしているから、安心してコートを預けておくことができる。その安心感がお酒をうまくするのである。
 外は寒風であるが、コートを脱いでこれから暖かい店内でじっくりお酒を呑むぞという意欲がわいてくるお店なのである。



★千円札より大きい領収書★16/2/7
 レジスター〔金銭登録機〕を使っていない居酒屋がある。庵主はレシート〔受取票〕を貰わないとあとからいくら呑んだか思い出せないことがあるので必ずレシートを貰うことにしている。知らない店に入ったときなど、翌日目がさめたときにどこのなんというお店にはいったか覚えていないことが多々あるからでもある。
 レシートが貰えないお店では領収書を書いてもらうことにしている。その領収書が千円札より大きいものがあるから困るのである。小切手じゃないのだから、必要以上に大きな領収書を渡されても困る。庵主が受け取れる領収書の大きさの限界は千円札大である。あまりでかい領収書が出てくると、ばかでかい名刺を差し出すうさんくさい紳士を思わせるではないか。
 レシートにも文句は多い。まず、店名がよく読めない薄いインクで印字されているもの。金額欄は明瞭に印字されているのに、店名の印字は別のインクを使っているのかそこだけ薄くて読めないのである。どこでお金を使ったかわからない。
 最近は感熱紙を使ったレジスターが増えているのでそれならそういうことはないのだが、こんどは、そのレシートの紙の大きさが異様に大きいものがある。ビックカメラで受け取るレシートの大きさには仰天する。そのままでは札入れに入らないから、四つに折り畳んで財布にいれるのである。
 それと気障なレシートは、フランス語だか、スペイン語だかよくわからない店名のお店で、アルファベットで書かれている店名にその読み方がカタカナで書かれていないものである。なんと読むのかわからないものがある。あとからそのレシートをもとに苦情の電話を掛けようにもお店の名前が読めないではないか。
 そういうレシートを受け取ったときは、庵主は運動がてら、会計所で大きな声を張り上げることにしている。「何だよこれ。こんなもの客に渡してなんとも思わないのかよ。何のためにレシートを渡していると思ってんだよ。客をばかにするんじゃねぇーよ」と。勇気があったらの話だけど。



★寒い店★16/2/10
 店の造りのことである。
 夏には風通しがよくて涼しい店内なのだろうが、冬はいけない。夏に、涼をとるためだけに冷房のきいたどうでもいいお店にはいることがあるが、同様に冬場も暖かいお店に漬かりたくてお金を出して暖房がよくきいていそうなお店を求めるのである。
 冬は、店内の暖房がきいているあたたかさが最高の酒の肴なのである。寒さに凍えながらでは酒のうまさが存分に味わえないからである。
 入口の扉をあけて中にはいると、少し空間があってその先にL字形になっているカウンターがある。広さに余裕のあるお店である。
 その入口に面したカウンターの席に座ると、入口の戸が開くたびに冷たい風がはいってくる。足元が冷える。そうなると心からお酒を楽しむことができなくなる。体が寒さでちぢかんでしまう。寒さにふるえながら、足元に寒風を感じながらではこころよくは酔えないのである。
 そういうお店がもう一軒あって、そこでも運が悪いと入口から寒風がはいってくるカウンターの席に案内されることがある。
 そういうときには、燗酒を一杯やって、また別の心からあたたまれる暖房がよくきいたお店を探すのである。



★なまぐさいグラス★16/5/25
 庵主はお酒を呑むときにはまずたっぷりの水をもらうことにしている。
 時々のことだが、水を頼んだら出てきたグラスが生臭いことがある。かすかに魚のニオイがする。グラスを洗うときに魚をも盛った皿と一緒に洗ったものか、洗うときの手に魚のニオイがついていてそれがグラスに残ってしまったのか。
 庵主は魚の生臭さが嫌いなので敏感にそれを感じるのである。
 ペットボトルに入った水を飲んだときに、ペットボトルのニオイを感じることもある。だからできるだけコップに移しかえて飲む。
 ペットボトルのニオイまで感じるのは体調が悪いときなのだろうと思うが、魚のニオイはそうはいかない。いつでもそれはやっぱり臭いのである。グラスは魚の皿と一緒には洗わないことである。
 もちろんグラスがなまぐさい時にはグラスを取り替えてもらうのである。
 バーでは、グラスをきれいにすることを拭くとはいわない。グラスは磨くものなのだという。
 酒亭では、グラスはただ洗うだけでなく、その上にきちんとニオイを取らなくてはならないのである。



★臭う店★16/6/1
 いいにおいは「匂う」、悪いにおいは「臭う」と書く。臭う店である。
 ランチタイム〔昼食時間〕にお店にはいったら、便所のそばの席に案内された。便所の消臭剤のニオイが臭ってくる席である。消臭剤とはいっても臭いを消すのではなく、便所臭よりもエグイ臭いで便所の臭いを感じなくさせようとするとんでもない臭いなのである。よくいえば、化粧品の香料のようないいにおいなのではあるが。
 化粧品の匂いをかぎながら料理は食えない。いい匂いとはいってもそれは食欲を損なう匂いなのである。
 その時の便所の消臭剤がそれだった。
 食い物屋でそんな臭いがただよっていたら気持ちが悪いではないか。
 ある店は小さなビルの2階にあるのだが、どういうわけか1階のエレベーター前の玄関ホールにその手の臭いがただよっているのである。2階のお店にはいればその臭いはしないのだが、いつもエレベーターに乗るまでのその「悪臭」には辟易している。
 飲食店では消臭剤を安易に使わないでほしいのである。



★置きにくい箸置き★16/7/1
 箸置きである。ご家庭ならともかく、お店なら箸置きは出してほしい。すくなくともいいお酒を出すお店なら、である。
 その箸置きが問題なのである。凝っているといったらいいのか、箸を安定して置けることという目的をすっかり忘れてしまったような形をした箸置きが出てくることがあるのだ。
 岡本太郎に座るのを拒否する椅子というのがあったが、箸が置かれることを拒否する箸置きというのが現実にあるのである。
 あるときは、イルカの形だったか、フグだったか、真ん中の部分が膨らんでいる形をした箸置きが出てきた。箸を置く前にその箸置き自体が安定した置き方ができないのである。置くとゆらゆらゆれていつまでも安定しない。そこに箸を置くのがまた一苦労である。本来なら箸を受ける部分が膨らんでいるものだからその両端のちょっとだけへこんでいる部分に箸を置くのだが、しかし、箸置き本体が不安定なものだから、かなり注意をしないとちゃんと置けないのである。笑っちゃうでしょう。
 またあるときは、立っている徳利の横に猪口がついた形の箸置きが出てきた。サイドカーのような形をした箸置きである。猪口の上の部分に箸を置くのだが、横の徳利の部分が邪魔でこれまた置きにくいのである。
 箸置きは、まずそれ自体が安定して置けること。そして箸が置きやすいように箸置きの中央部はしっかりへこんでいることである。根付じゃないのだから、凝ったというか、間違った形をしたものは客には出してはいけない。
 ある店で、ピーナツの殻を箸受けがわりに出していたところがあった。安定性はともかく、先にあげた膨れたフグのような形をした箸置きよりはずっと箸が置きやすかったのである。



★こんな物を客に渡してはいけない★16/8/9
 町で配っていた宣伝うちわを受け取った。
 この夏は猛暑である。手動式とはいえ、扇風器は重宝である。
 ところがである。それが安直なプラスチック製なのである。固いのである。竹の骨のそれに比べると扇ぐ手にかかる力がどうにも重い。
 両者は形は似ているが、プラスチック製のうちわと竹製のうちわとでは似て非なるものである。プラスチックは、現時点では竹の代わりにはならない。
 いうならば、プラスチック製のうちわは、ニセブランド商品みたいなものである。
 実際に二つのうちわを使ってみてほしい。明らかに性能が劣るプラスチック製のうちわは、自分で使う分にはさしつかえないかもしれないが、しかし、それを人様に渡すにはふさわしくない品物なのである。それこそ内輪でつかうものである。
 似ているからといって、いいかげんなものを客に渡すようなことはしてほしくない。
 泡酒をビールだといって出すようなものである。
 ちなみに庵主が使っている扇子は「富士の光」から貰った扇面がしなやかにしのるやわらかい扇子である。じつにたおやかな風が起こるここちよい扇子である。庵主は「富士の光」を呑まないが、それゆえに「富士の光」はありがたいお酒なのである。センスがいいからである。



★苦手★16/8/19
 食券を売っているお店がある。ラーメン屋とか蕎麦屋で食券の自動販売機が置かれているのを見る。牛めしの松屋も食券を自動販売機で売っている。さすがに居酒屋で食券の自動販売機を置いているお店はないから、この項は番外篇である。
 食券でもいいのだが、その自動販売機がお店の外に向けて設置されているのが庵主には苦手なのである。お店の外で食券を買ってお店の中に入るという形式である。お店の中で食券を買うのならかまわないのだが、店外で食券を買うのがはずかしい。
 もっとも庵主は自動販売機で物を買うのが苦手で、なんとなく恥ずかしさがぬぐえないものだから、その辺の感覚は庵主だけのものかもしれないが。
 だいたい、自動販売機は商品が機械の下の方にある取り出し口に落ちて来る。だから買い手は機械にお礼をするように体をまげて商品を取り出すのである。頭を下げるのは売り手の方だろう。買い手に頭を下げさせるという無礼な機械が嫌いなのである。
 なんとなく、機械から恵んで貰うような気持ちになるからである。
 日本人がこの手の自販機を作ったら、商品はちょうど手の高さのあたりで取り出せるように作るはずである。高速道路の発券機のように買い手の身長に合わせて商品を取り出せるように、取り出し口を高・中・低と作っちゃうに違いない。きっと自販機は安く作るためにどこか東南アジアにでも外注しているのだろう。

 


★軽いコースター★16/8/20
 コースターを敷いてグラスを置いてくれる。バーでは、コースターはお店のインテリアである。
 が、ときにグラスを持ち上げたらコースターがくっついてくることがある。これが庵主は嫌なのである。グラスを置くまでグラスにくっついていればいいのだが、根性もなく途中で落っこちてしまうからいけない。紙製のコースターだったら、ひらひらと落ちるが、プラスチック製などの場合は音をたてて落ちるから困る。
 かりにグラスにくっついたままのコースターもそのままにしておくわけにはいかないから、グラスから離してカウンターに置くことになる。さまにならないのである。
 もっとしっかりしたコースターを選んでほしいというのが庵主の願いである。
 後日(18/6/24)、焼き肉の「叙々苑」に入ったら、生ビールのグラスの下に敷かれていた厚紙のコースターにはプラスチックの二本筋が付いていた。プラスチックでその部分だけが盛り上がっているからグラスの底がコースターにくっつかないようになっている。
これはいいアイデアだと思った。

★貸し切りはよしてくれ★16/9/6
 飲み屋の前を通りかかると「本日貸し切り」の札が掛かっていることがある。一見の客はおろか、常連でも関係者以外お断りというのである。客に「当店には来てくれるな」といっているようなものである。はっきりいって、居酒屋に限らずその張り紙が貼ってある店を見ると庵主はそれだけで不愉快になる。
 入店拒否という言葉づかいが気に食わないのである。せめて、本日は予約で一杯ですとか、電話での問い合わせなら、あいにく満席です、とかいって断ってほしいのである。
 借り切りにするほうもほうである。居酒屋は呑み手の公共空間なのだ。てめえだけが独占して使うものじゃない。団体でたむろしたいのなら、他の客の迷惑にならないようにその手の場所を借りればいいのである。
 「本日は○○君と△△さんのご結婚お祝いパーティーを開催しておりますが、さしつかえなかったらどうぞご遠慮なくおはいりください。」という張り紙をみたことがある。
 庵主なら、非関係者だけどそのお店に入ってみたい。ただその日は急ぎの用があって入店するに能(あた)わずだったのはつくづく残念であった。
 まともな呑み屋なら、貸し切りなんかに店を使わせるなと庵主はいいたい。
 その日、その時、そのお店で呑みたいと胸をときめかせて足を運んだというのに、「本日貸切」の張り紙はそのときめきを一撃で砕いてしまうからである。酒呑みの夢を奪ってはいけない。



★おしぼりでテーブルを拭かないで★16/9/18
 おしぼりでテーブルを拭くのはやめてほしい。おしぼりは雑巾ではないのだから。
 この項はこれ以上に書くことがない。書くと説明にきたない言葉を使わざるを得ないからである。それを嫌ってのことである。
 いや、ついでに付け加えておくことがあった。使い捨てのおしぼりである。あれは出てきたときから品がない。庵主はそんなものを出してくる精神がけがらわしいから出てきても無視することにしている。
 第一、それを使ったらすぐゴミになるのである。まずそれを包装しているポリ袋が開けたとたんにゴミになる。そしてそれを棄てるゴミ箱がないのである。庵主が清卓(せいたく)と呼んでいるゴミ隠しの器がほしいのだが、それがない。その手のゴミを捨てるところが用意されていないから、目障りなのでテーブルの上に置いたままにしておくことになる。
 映画の高倉健なら、おもむろに懐紙を取り出してそれにゴミを包んで懐の中に納めるといったところであるが、あいにく庵主にそのような準備はない。残暑きびしき候である。庵主が着ている綿のシャツにはポケットが付いていないからである。そして、テーブルの上にゴミをおいて食事ができる図太い神経は持ち合わせていないのである。
 いまどきは、サービスの鑑(かがみ)である航空会社でもおしぼりは出していないのだ。おしぼりはなくてもいいサービスだということを世に示しているのである。
 だから、もしおしぼりを出すとしたら心をこめて真っ当なものを出してほしいのである。
 真っ当なものとは、おしぼりだけを、それを包んでいる袋は客に出す前にお店で処分して、中身のおしぼりだけを、あったかくして出すということである。夏でもおしぼりを冷やして出してはいけない。かつ、日本酒を呑むときにはそのおしぼりに香りを付けてもらってはこまるのである。お酒の香りがわからなくなるからである。



★廂(ひさし)がない★16/10/9
 この秋はやたらと台風が多い年で、今週などは毎日のように雨が降っている。新聞屋さんは朝夕刊をわざわざポリプロの袋に入れて配達してくれる。
 東京では、降雨のため多少電車が止まるぐらいの支障しか出てないが、台風は水の恵みとはいえ、直撃された地方は雨風で大変だと思う。
 そういう時分に食事に行くと、時として廂のないお店があって傘の処理に困ることがある。お店に入ろうとして傘をたたむと雨に濡れる。
 お店を出るときに、廂がないから台風由来の勢いのいい雨に濡れてそれから傘をさすことになるから、その間さらに雨をあびるのである。せっかく飲み食いしてゆたかな気分になったところを、顔をなめる雨で一気に覚まされてしまう。
 こんなことなら出てくるんじゃなかった、という恨みをおぼえるのである。
 当節、東京は土地代が高いから廂をつける土地が勿体ないという状況であることは重々分かってはいるが、雨に濡れるとそのような理性はいっぺんに吹き飛んでしまうのである。
 日本は雨の豊かな国である。廂のない建物なんか小屋であってお客を相手にする商業建築ではないと庵主は思うのである。雨の日はせめて折り畳みの廂を出すぐらいの配慮がほしいのである。



★詰まった醤油注ぎ★16/12/14
 ラーメン屋で餃子を頼んだときのことである。
 小皿を取って醤油を入れようとしたのである。
 が、醤油注ぎの口が詰まっていて醤油が出てこない。
 強く振ってみた。少しは醤油が出てくるかと思ったが、まったく効果なし。
 その日の朝に醤油注ぎを点検していないのである。
 食事をしてるときに醤油の補給に来た店もあった。
 醤油注ぎの注ぎ口の切れが悪くて醤油が外側にこぼれるものがある。
   もっと質が悪いのは、醤油とソースと酢の入れ物がみんな同じ形で、外側からは中に何がはいってるのか分からないものである。
 薬味とか調味料の管理はしっかりしてほしいと庵主は思いながらも、大衆食堂だからなぁとなんとなく納得してしまうのである。



★スプーンを置く場所★16/12/14
 紅茶を頼む。皿にカップが載せられて出てくる。スプーンがカップの横に置かれている。
 これが困るのである。
 カップの中に砂糖を入れて、そのスプーンでかき混ぜたらそのあとが大変である。
 紅茶で濡れたスプーンの置き場がないのである。
 テーブルの上に直接置くのもなんだし、カップの横に戻しても、スプーンは紅茶で濡れているから紅茶が、しかも砂糖をふくんでいる紅茶の滴りが皿の上につく。しかも皿の形状によってはカップを持ち上げると、スプーンが皿の中央に滑り落ちていく。カップをもとの皿に戻そうとするといちいちスプーンを取り除かなければならない。しかも、スプーンに付いていた紅茶が皿のカップの糸底があたる部分に流れ込んだりしていると、こんどはカップを手にするだびに糸底が濡れているということになる
 紅茶を落ち着いて飲んでいられないのである。スプーン一本のためにせっかくのお茶をゆったりと飲めなくされてしまうのである。
 ただ一つ、スプーンを置く小皿を一緒に出してくれればいいのである。
 同様に困るのがレモンを頼んだときである。これも受け皿を用意してくれないと、紅茶にくぐらせたレモンの置き場所に困る。レモンは長い時間紅茶に入れておくと紅茶の味がそこなわれるからカップの中に入れっぱなしにしておくわけにもいかないのである。
 その点、紅茶を飲ませてくれる専門店に行くと、ちゃんとレモンを置く皿が出てくるし、スプーンを置く小皿も出てくるのである。だから安心して紅茶を楽しめるのである。
 ゆたかな気分で紅茶を飲みたいから、紅茶は専門店で飲むことにしている。ただし当然お値段も高いから年に一回か二回の楽しみなのだけれど。

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