「むの字屋」の日本酒入門その二




日本酒入門 承前

 うまい日本酒は 特定名称酒と呼ばれています。これがまた原料と仕込みの違いによって、「純米酒」「特別純米酒」「純米吟醸酒」「純米大吟醸酒」「本醸造酒」「特別本醸造酒」「吟醸酒」「大吟醸酒」と8種類のタイプに分けられていますから初心者にはその違いを覚えるのが大変です。
 自動車でいえば、クーペやセダンやハッチバックだといった違いがあるのと同じです。すなわち求める楽しみによって呑むお酒も違ってくるということです。でもこの8種類は初心者がうまい日本酒に出会うためのおまじないのようなものですから、黙って頭の中にたたき込んでください。
 特定名称酒の8種類の区別については、日本酒の本かインターネットの日本酒のホームページをさがしてお確かめください。
 ここでは細かい説明はしません。そちらの説明のほうがずっとわかりやすいと思われるからです。それと庵主の頭の中ではそのことは当たり前のこととして染みついていますからそんなことを一々説明するのは面倒くさいというのが本音です。
 歩き方の説明をしたいと思いますか。まず右足を前に出して、左足で体重を支えながら徐々に重心を右足の方に移しながら、次に左足を出して云々(うんぬん)と説明する気になりますか。それと同じです。
 またその程度のことを調べる意欲がないようではあなたの体はうまいお酒を呑みたいという欲求がまだ十分に熟していないということなのです。どうぞ気楽にひきつづきどうでもいいお酒(味には期待できないお酒)を呑みつづけてください。酒なんか呑んでしまえばみな同じですから。でも、ここには書きませんが、いいお酒を呑むことの功徳が一つだけあるのです。それがすごいからやめられないのです。

 ひとつだけ言っておきますが、特定名称酒がかならずしもうまいお酒ではないということです。
 大吟醸を呑んでうまくないと思ったときには、その大吟醸の方がよくない場合が少なくてありません。スペック(製品仕様)だけはたしかに大吟醸ですが、ちっとも迫力がないというお酒もあるのです。
 目が二つ、耳が二つ、鼻が一つ、口一つといったスペックで、美男美女からそうでない顔までいろいろあるのと同じです。
 お酒は数字ではありません。顔と同じように一つひとつの数字よりもバランスのよいお酒がうまいのです。

 特定名称酒の対極にある日本酒のことを業界用語で「普通酒」と呼んでいます。それがまずくもなければうまくもない味わいの日本酒です。もう一度確認しておきます。マズイということは、それは味わいの一つの個性なのです。マズイはある日突然うまいに変わる可能性があります。
 庵主は何十年も前に芋焼酎を初めて呑んだときにはまずくてとても呑めたものではありませんでした。いまでは焼酎は芋でないと物足りなくなってしまいました。あののかおりがいいのです。まずいと思ったところがうまいの正体だったのです。年をとらないとわからない味があるということです。
 日本酒に古酒というのがあります。紹興酒みたいなにおいになっているものがあります。きれいな日本酒を好む庵主はそれをまずいと思いますが、しかし熟成酒として出てくるお酒の中には魅力的な味わいになっているものがあります。まずいというのは一つの印象を残した酒というわけですからけっして悪い酒ではないのです。
 ところが「まずくもうまくもない酒」というのはいけません。呑み手の運勢をそいでしまう縁起の悪い酒なのです。これは冗談でいっているのではありません。
 食品は体によいエネルギーを与える食い物をいいます。その逆は毒といって生気を奪うものなのです。
 そういう日本酒は、たしかに酒にはちがいないのに、庵主が普段呑んでいるお酒と比べると、なぜおいしくないのだろうと 長い間思いつづけてきた結論がそれだったのです。

 この文章を読んだ人は、答を先に知っているわけですから、回り道をしないでまっしぐらにうまい日本酒を呑み続けることができます。本当は、この回り道が面白いのでしょうが、わざわざ遠回りしなくても、いまは呑みきれないほどのうまい日本酒があふれていますから、いいお酒を呑んで美酒の発展に寄与してほしいのです。まずい酒は呑まずに、うまい酒をどんどん呑んで、うまい酒がどんどん造られるように貢献してほしいのです。
 でも、ときには回り道の酒も呑んでみてください。その違いがよーくわかると思います。下手(げて)もなかなかおもしろいものがあります。庵主は下手物もまた大好きなのです。

 そもそも「普通酒」という言葉を聞いたことがありますか。呑み手はだれも知りません。日本酒界のE電(イーでん)呼ばれている業界用語です。外国から輸入してきた安い醸造アルコールをたくさんまぜて増量したリキュールのことです。本当は米リキュールといったところなのですが、酒税法上はそれを「日本酒」と呼んでいいということになっています。法律用語では「清酒」といいます。はっきり言って偽日本酒です。

 アルコールをまぜたお酒の方が呑みやすいという人もいますが、それは日本酒業界の人です。自分が造ったり売ったりしているお酒を貶(けな)すわけがありません。しかし、真っ当なお酒と呑み比べたらその手の酒は雲泥の差があることはいっぺんにわかってしまいます。
 アルコールを添加したほうが日本酒は呑みやすいといっても程度というものがあります。一升瓶の中身の半分強が醸造アルコールという「普通酒」が、まともな日本酒と比べてうまいわけがありません。うまさの基準が異なるからです。
 そういう酒は発想を変えて日本酒風リキュールとして楽しめばいいのです。たくさん酒を飲まないと満足できない人にとっては値段も安いし、さわやかに飲めるいい酒ではありませんか。庵主は呑みませんが。

 日本酒に目覚めた人が呑むお酒は「普通酒」ではありません。普通酒は葬式に行ったときによく出てくる酒ですからいやでも呑む機会がある酒です。そういう酒を選んでまで呑むことはありません。当たり前のことですが、そういうお酒が出てきたときには酒がまずいと口に出していってはいけません。あなたの人格の方がまずいと思われてしまいます。酒がまずいと口に出して言っていいのはお酒が分かっている人の間でのことです。

 余談ですが、葬式の時に出す酒は「普通酒」なんかではなく、もっといい酒を出せというのが庵主の主張です。いくら高い酒を出しても誰も困らないからなのです。酒代は香典で呑み手が過分に持ってきます。いいお酒を振る舞えば喪主の面目が立ちます。高い酒が売れればメーカーも酒販店も葬儀屋も儲かるし、なんといっても葬式に集まってきてくれた呑み手が一番喜びますから故人に対する最高の供養になります。余談終わり。

 その「普通酒」が日本酒の生産量の7割近くを占めていますから、それを知らないで呑んでいると確率の関係でその手のお酒ばっかりに当たってしまうことが多いというわけです。
 大方の日本人が最初に出会う日本酒は、値段が安いという理由と生産量が多いということもあって、呑んでも甲斐のない「普通酒」であることが多く、それを呑んで「うまくもまずくもなんともない」味に驚愕して、しかもはじめのうちは自分の適量もわからないので呑みすぎて酔っぱらってしまい、時には嘔吐をともなうものですからいっぺんに日本酒が嫌いになってしまいます。こんなまずい酒のどこがうまいのかと。
 まずいものを呑まされたら、そういう酒をまた好んで呑みたくなると思いますか。日本酒なんか嫌いというあなたの味覚は正しかったのです。あなたは騙されていたのです。だれに? おっと、担(かつ)がれていたと言い直しておきましょう。

 庵主は特定名称酒の中のうまい日本酒のことを真っ当な酒といっています。製品としての日本酒ではなく、商品としての日本酒のことです。
 製品と商品はどこが違うかというと、金儲けのための物(ぶつ)が製品、その製品が使い手の役に立ったり満足をもたらしたときに商品と呼ぶのだそうです。むかし読んだ本にそう書いてありました。売れる前は製品、売れたら商品といったところでしょう。
 お酒の場合は、商品として造られていたお酒がよく売れるということで量産に走って製品と化したときには味が落ちたといいます。それはそつのないきれいな酒なのでしょうが、きれいな酒とうまい酒とはまた違うということです。

 真っ当な酒には気魄がこもっています。気魄は生気といってもいいでしょう。食い物としての生命力のことです。物を食うということはその生気を自分の体に取り入れるということなのです。うまくもなんともない酒にはその生気が感じられません。呑んでいるうちに酒のうまさの正体がその気魄であることがわかってきます。「普通酒」にはそれが感じられないから、呑んでいてつまらないのです。死んでいる酒を呑んでいるのだから当たり前のことでした。
 お酒は活性炭を使って殺します。そうするともうお酒が劣化しないから、何か月も店晒(たなざら)しにしてある酒でも商品として売ることができるからです。
 いまどき冷蔵庫のない家はないでしょう。日本酒の流通は遅れていますからいまだに冷蔵庫がないことを前提に造らざるを得ないのでしょう。

 ここでおいしい日本酒を呑むためのコツを一つだけ書いておきましょう。真っ当な日本酒はちゃんと冷蔵で管理されたものを呑むとめちゃくちゃにうまいということです。流通過程でちゃんと冷蔵輸送ができて、うちできちんと冷蔵庫にいれて早めに呑めばほんとうにうまいお酒を呑むことができます。
 酒場でも、うまいお酒を呑ませてくれるお店はお酒の温度管理がいきとどいています。
 逆に言えば、お酒の管理が悪いお店ではうまい日本酒が呑めないということがわかります。そういうお店に間違ってはいってしまったらビールを飲んで帰ってくることです。

 「普通酒」はただ酔っぱらうためには値段が安いので重宝します。お金がないときに呑むにはホントありがたいお酒です。燗をつけて勢いをつけて呑めば呑めない酒ではありません。酒自体ではなく、あったかいということが体にいいのです。体はヤケドの時以外は一般的にいって冷やすのはよくない。あたためることは体が喜ぶようになっているからです。

 特定名称酒と「普通酒」との違いは、車でいえば、乗用車とトラックの違いです。
 同じ自動車には違いないけれどその目的が違うということです。
 乗用車は乗って美しく運転すると心トキメク自動車のことです。一方、トラックはその馬力と荷物の重量にもへこたれない丈夫さが求められる自動車です。乗り心地は二の次です。軍用トラックに至ってはわざと乗り心地を悪くしているのでないかと思われるほどです。「普通酒」は軍用トラックです。乗り心地を求めることができないお酒です。走ればいい実用車なのです。丈夫が取り柄のお酒なのです。

 特定名称酒は呑んでおいしい日本酒です。味わいを楽しむための繊細なお酒です。「普通酒」は酔えればいいという割り切ったお酒です。お酒が安価で買えるようにとそこそこの造り方をしているお酒です。味は二の次のお酒です。
 「普通酒」をいくら呑んでも、うまいお酒には出会えません。乗り心地のいいお酒はないというわけです。うまいお酒は特定名称酒の中にあります。
 うまい日本酒が呑みたいのなら特定名称酒を選んで呑みましょう。
 いちどうまい日本酒を口にしたときには、この味のうまさがわかる日本人として生まれたことを幸せに感じます。日本人に生まれたことに感謝したくなります。
 いまや国際的になったといわれている俳句ですが、日本語のわからない人がその深い味わいを理解できるわけがないように、日本人の体をもっていない人は日本酒の本当の味わいを理解することができないでしょう。
 日本酒を深く味わっていると、日本人の気持ちがわかってくるような気がします。
 こういうお酒を造るのが日本人の心だと知ってうれしくなってきます。せっかくお酒を呑むのなら、呑んでいてうれしくなるお酒を呑みましょう。
 それが日本酒入門の結論でした。

 では、そのうまい特定名称酒はどこにあるかというと、お酒をきちんと冷蔵庫で保管している酒場(居酒屋とか、酒亭とか、飲み屋とか呼ばれます)に行って呑んでください。
 庵主のような酒呑みになると、その酒場の酒祭り(さかまつり=庵主は日本酒のメニューのことをこう呼んでいます)を見ただけでその酒場のお酒に対する思い入れの程度と日本酒をどのぐらい知っているかがわかりますが、最初はそんなことがわかるわけがありません。だから場数を踏むことです。そのうちわかるようになります。

 買い物でもそうですが、いい物しか買いたくないと思ってもそうはいきません。無駄な買い物や失敗した買い物を経験しないといい買い物もできないのです。
 それと同じように、日本酒もダメな酒や口に合わない酒や苦手な酒を知らないと自分の口に合うお酒がわからないということなのです。だからいろいろなお酒を呑みましょう。そしてたくさん失望と失敗を経験してください。その経験に比例して、おおっ! と思うようないいお酒やうまいお酒に出会えるようになります。
 酒呑みもある程度の域に達したら、こんどはいいお酒が向こうのほうからやってくるようになります。うまいお酒が「呑んでください」とばかりに目の前に現れるようになります。ちなみに庵主はこういう次元になったことを、人徳ならぬ酒徳(しゅとく)を積んだといって一人ほくそえんでいます。要するにいろいろな酒場を呑み歩くものですから、お店の方からいいカモだと思って声を掛けてくれるようになるというわけです。持ちつ持たれつです。

 継続は力です。日本酒も長く呑んでいるとだんだんそのうまさと味わいの深さがわかるようになります。あせらずに、じっくり日本酒と取り組んでください。お酒は長く楽しめる趣味なのです。それこそ死ぬまで楽しめます。末期の水のかわりにさえなるのですから。
 あとは時々でも「むの字屋」を訪れて庵主の話を読んでみてください。どこかにきっと共感できる話が出てくると思います。時と場所は違えても、庵主と同じいいお酒を呑んだということです。同じ幸福を共有しているということです。

 うまい日本酒を呑む人が増えると蔵元もそういうお酒が売れるということがわかっていいお酒を造るようになります。そうなったらめぐりめぐって庵主もまたうまいお酒に出会える機会が増えるというものです。
 だから、一人でもうまい日本酒を知っている人を増やすことが庵主の利益につながるというわけです。

 真っ当な日本酒はほんとうにうまい。理屈ではありません。そのお酒がどんなお酒であるのかが分からなくても、体がうれしそうにすうっーと呑み込んでしまいます。
 ちなみに、お酒の飲み会では何本かのお酒が並んでいても、かならずうまいお酒から減っていきます。酒のよしあしがわからなくても体はちゃんとうまいお酒を知っているということなのです。
 日本酒がなんでこんなにうまいのだろうか、とじっくりお酒を味わいながらその理由を突き詰めるためにあれこれ思考錯誤(試行錯誤のもじり)を繰り返しているのが「むの字屋」なのです。

 「書を捨てよ、街に出よう」という名フレーズがあります。お酒もまた、書を捨てよ、酒場に行こう、というのが日本酒を楽しむための最善の方法なのです。本はあとから確かめるために読んでください。

 では、今夜もまた一献。うまいお酒を呑みましょう。おいしいお酒に出会ったら庵主にも教えてください。

 肝心なことを書くのを忘れていました。
 呑んでも全然心がときめかない日本酒を造っている人も沢山いますが、生産量ではかなわないもののうまいお酒を造っている人もいっぱいいます。うまい酒を造ってくれる人がいるからこそ庵主は毎晩おいしいお酒を呑めるのです。
 そういううまいお酒をみつけてきてくれる酒販店も少なくありません。
 そして、うまいお酒を取り揃えて呑ませてくれる酒場が数多くあるのです。
 うまいお酒を求めて集まってくる呑み手がいっぱいいます。
 そうです、うまい日本酒を愛する人がたくさんいるのです。そういう多くの人たちと一緒においしいお酒が呑めるということができるという幸せが、うまい日本酒を呑むぞと心にきめた人にはもたらされるのです。

 最後に、もう一言。
 特定名称酒がいいお酒で「普通酒」は悪い酒だというような書き方をしてきましたが、実はこれが大ウソだったのです。それはそうなのですが、お酒が呑めるということはその場に合ったお酒を選ぶことができる経験と判断力をもっていることだと庵主は思っています。呑む席によっては高価なお酒がかならずしもふさわしいとは限りません。場によっては安い酒のほうがずっとうまいときがあるのです。
 香水みたいに香りが馥郁たる大吟醸酒の、なよなよした酒じゃ、とてもじゃないが体があったまらない場合があるのです。お酒がカーッとこないと体がうまいと感じないときもあるのです。
 その場にふさわしいお酒の呑み方ができる人こそ大人(おとな)と呼ぶにふさわしい人なのだと庵主は思っています。
 
●この「日本酒入門」は平成16年12月23日に書きました。
●同12月24日に少し書き加えました。
●同12月25日にかなり書き直しました。
最初から、きちんと書いてから掲載すればいいのに。
この文章は日々成長しています。
●同12月31日にもちょっと手直ししました。
●平成17年1月8日に補筆しました。
●同1月21日に一部補足しました。
●同2月11日に少し書き直しました。
●平成18年5月22日に少し書き換えました。

●もういちど最初から熟読したいときは●