「むの字屋」に写真が少ない理由

「むの字屋」はこういう人が作っていますという笑い話です



「むの字屋」ではほとんど写真を使いません。なぜなら
 日本酒庵「むの字屋」のホームページではほとんど写真を使いません。なぜかというと、いまはADSLなどのブロードバンドが当たり前になりましたが、しかしまだまだ電話回線を使ってホームページを見ている人がいっぱいいるからなのです。
 電話回線でホームページを読むときに写真が使われていると大変です。文字はすぐに画面に表示されるのに、写真は異常に時間がかかるのです。一枚の小さい写真でも読み込むのに4〜5分かかります。一枚の写真の全体が表示されるまでに少し待ち時間があります。実際はたいした時間ではないのですが、使い勝手としてはそのちょっとの時間がいらだつのです。庵主もそうですが、写真なんかで画面がなかなか出てこないとそのページを見るのはあきらめて次に移ってしまいます。そのイライラを読者に与えないために今でも写真を使うことは避けているというわけです。
 ちなみに庵主は当初1.5MのADSLを使っていましたが、その速度でも映像を扱わない限りは十分実用的でした。その後2005年10月からプロバイダーの都合で50Mに転送速度が上がりました。計算上は33倍も速くなるはずですが、じっさいはそんなに速くはなりません。ただ以前より実用的にはなったといえます。でもそれは送り手の事情であって、それを見る人の環境が改善されたわけではありません。
 もう一つ、写真を使えない理由というのがあります。というのは今のプロバイダーの無料HPの容量が15Mしかないからです。ですからこれからも文字中心でやっていかざるをえないということなのです。
 なお、美術品の部屋などで一部写真を使っていますが、その入口にちゃんと【画像があります】と書いてあるのは、ここを開くと電話回線ではイライラすることになりますよという注意書きです。


太字斜体は読みにくいから嫌いだ
 ホームページで引用の部分を太字の斜体を使っている例をよく見かけます。庵主はこれが大嫌いです。太字はいいのですが、斜体がよくない。読みにくいことこのうえないからです。その方法を初めて知ったときはいいと思ったのでしょうが、その見苦しさに気づかずにそまの方法をいつまでも続けているのを見るとその人の鈍感さが苛立つのです。葬式に赤い服を着ていくと目立っていいと思っているようなものです。
 とはいえ、引用部分を明瞭に表示できる方法でいい方法を庵主は知りません。
 引用部分を明確にするために「引用はじめ」〜引用した文章〜「引用おわり」と明記するという方法がありますが、引用部分の行数が長くなると、引用の部分を読んでいるか本文を読んでいるのかわからなくなるときがあります。また、本文の中に頻繁に引用を入れている文章も同様な混乱を感じることがあります。
 書籍なら、引用部分は行頭を2字下げるという方法がありますが、ウェブページではそれが簡単にできません。それに代わるものとなると、引用部分の字を小さくするとか、斜体にしないで太字にするという方法しかないでしょう。後者は本文より引用した文章のほうが文字のウェイトが大きくなるというアンバランスなところが気になるところです。
 そうすると、引用部分は、文字を小さくするという方法が一番わかりやすい方法かもしれません。
 あるいは引用部分は文字の色を変えるという方法がいいかもしれません。いずれにせよ、太字斜体以外なら庵主は容認できます。


文字が流れるのは目障りだから許せない
 ホームぺージでときどき目にするテクニックに、文字が電光掲示板のように動くというのがあります。これも庵主は大嫌いです。うるさいからです。静かに本を読んでいるときに、蚊が一匹
飛び回っているようなものです。気が散るということです。
 商店の広告看板じゃあるまいし、ふつうのホームページにそれを使う人のセンスを疑いたくなります。使っている本人は文字が動くとそこに目がいくからその部分を強調したいのでしょうが、文章を読んでいるときに、同じ画面で一部の文字がちょろちょろ動いていると気になってしょうがありません。読み手の神経をいらだたせるテクニックは邪道だと庵主は思っています。
 人間にはやろうと思えばできるけれど、やってはいけないということがあります。人殺しのようなことです。もっとも人殺しはせざるをえないという状況もありうるから必ずしもを絶対やってはいけないことではありませんが、文字が動いて流れるということは絶対やってはいけないと庵主は思っています。
 やればできるのにやってはいけないことをぐっと抑えることができるということが大人というものでしょう。なぜ人を殺してはいけないのかと聞かれたら、人殺しをしたい気持ちを抑えることができるのが大人の基準だからだと庵主は答えます。子供の程度というのはまだ発展段階であって性欲だけで中途半端に生きているようなものだからです。
 日本人なら、男の場合は日本酒がわかるということが大人の基準です。お酒が呑める必要はありません。またたくさん呑むこともありません。その味わいの中に日本人を感じることができるということが日本人として熟成された感性だと思っています。女の人の大人基準については庵主はまだ女をやったことがないのでわかりません。女の人の大人の基準というのがあるのだと思いますが。


行間がない文章は人に見せる文章ではない
 読みやすさは読者に対する最低の心遣いです。その気持ちがないのが大方のホームページです。なにを言っているかといと、行間がない文章を掲載したホームページが多いといことです。本来ならホームページソフトは最初の設定として行間の空きを決めるようになっていなければならないのです。しかしホームページのソフトを売りつける人はその肝心の部分をいいかげんに作っているということなのです。
 日本では人間のタイプを文科系と理科系に分けることが流行っていますが、その伝でいけば、ホームページを作るソフトウェアは馬鹿な理科系が作った文章の基本も知らない使い勝手の悪いものを聡明な文科系がそれをあざ笑いながら不本意ながらも我慢して使っているということになります。
 その点、「むの字屋」はご覧のとおりちゃんと行間を開けてあります。しかも、一行の長さも、画面の右端から左端まで延々と続くということはなく、ちょうどいい幅におさまっているのがお分かりだと思います。
 そういう配慮ができるということが教養というものなのです。いい日本酒を呑んでいるとそういう日本人の心遣いを養うことができるというわけです。  


大きい文字は年寄りに対するいたわり
 庵主は小さい字を平気で使っているホームページが苦手です。おそらくは一覧性(いっぺんに全体が見られるように)を優先させているのでしょうが、やっぱり小さい文字は読みにくいと思います。
 お勧めの字の大きさはというと、実はこのページで使っている文字の大きさでは少し大きすぎるのです。あまり大きな字を使うと子供っぽく見えるからです。かえって読みにくいということもあります。ここで使っている文字より少し小さいぐらいがちょうどいい。
 ただし「むの字屋」の内容の場合は思いつきで書いたエッセイみたいなものですから、軽い読み物なのでこれぐらいの大きさの文字でもかまわないというわけです。
 歳をとると小さい文字が読みにくくなります。読めても読みつづけていると目が疲れるようになります。だから、お年寄りでも読めるように庵主はちゃんと気をつかっているわけです。


段落の後の1行は階段の踊り場である
 2004年の11月17日からこのホームページの文章のスタイルを少し変えました。
 ちょっとした変更です。読みやすくするために、段落の後にところどころ空白の一行を入れることにしたのです。

 映画作家がだんだん老齢化すると、それに合わせて映画の上映時間がだんだん長くなるように、庵主の文章もだんだん長くなりつつあります。
 ホームぺージは、液晶とかブラウン管の画面で読むものですから、長い文章を読むのには適したものではありません。短い文章で核心をついたものでなくてはなりません。
 ところが、自分一人でホームページをやっていると、本のページ数と制作費をにらんでいたずらに長い文章をばっさり切ってくれる編集者や映画の上映時間に掣肘を加える配給会社みたいな存在がありませんから、いくらでもだらだらと書いてしまいます。だから文章がますます読みにくくなる。
 そこで、一つの段落は一画面で読めるようにして、段落ごとに1行の空きを入れることにしました。

 中身の文章が面白いか、内容があれば一気に読めるのでしょうが、庵主の文章はそうはいきません。
 少しでも文章が読みやすいようにと、そのようにスタイルを変えたわけです。
 それはちょうど階段の踊り場のような息抜きのスペースなのです。
 長い階段で途中に踊り場がないと、登るのが大儀に思われてきますが、踊り場があれば取り敢えず一つ先の踊り場を目標にして昇ってみようという気がわいてきます。それと同じ効果を狙ってみました。


このホームページを作っている環境
 コンピューターの使用環境という言葉を初めて聞いたときには、コンピューターの環境となんぞやと違和感を感じたものですが、やがて慣れてしまいました。要するにどんな装置やソフトウエアを使っているかということを環境というようです。
 このホームページは 1024×768ドットの画面で作っています。このページでいえば一行31文字で画面の中央に表示されるように作っています。ですから、それより小さい画面で読まれるとレイアウトがくずれてしまうことがあります。
 当方と同じ大きさの画面で見ると、一行の文末に記号がきたり、行末に文字送りの関係で1文字の空白が生じないように文章を整えられていることがわかると思います。文章ですから、どうしても伸ばしたり縮めたりできないものがありますが、それ意外は極力一行の始まりと終わりの文字がそうならないように調整してあるのです。
 もちろん、行の左側が一直線になるように、等幅文字を使っていることはいうまでもありません。

 ある日、他のパソコンで「むの字屋」を見てみたら、画面が小さかったためにセンター揃えにしてある行がへんなところで改行されていてバランスのおかしいものになっていました。そこで「むの字屋」をこのプロバイダーに移したときに幅は 700ドット以内に納まるように調整しました。
 また以前は、当方と同じ画面で読むときには一行の左右に余白があってしかも行がほどよい幅で画面の中央にあるのですが、これを小さい画面で見ると左右の余白の幅が変わらずに行の幅が短くなって読みにくくなるというバランスのよくないレイアウトで表示されていました。今回、それも直しました。ちょっとしたテクニックがあったのです。